十一話
「なかなか激しい娘だな」
先を歩く男が、ふと呟いた。
先ほどの、シイナの声が彼にも聞こえていたのだろう。
「――あのラインとか言う男は、自分の妹を売り込む腹積もりだったようだぞ」
「そうなのですか」
もしかしたらと考えていたことをズバリ当てられぎくりとしたルーナとは反対に、落ち着いた声でディーが相槌を打った。
「……お前は、本当に興味がなさそうだな」
落ち着いていると言えば聞こえは良いが、実際は関心が無いと丸わかりの気のない返事だ。肩越しに振り返った男が、苦笑するほどに。
男はかなり高い身分だ。ラインが恐縮し、面と向かって文句も言えないほど。醸し出す雰囲気が、反論を許さない厳しいものであるせいかもしれないが。
「本当に、お前に春が来てくれてよかったよ」
けれど、笑った顔はとても穏やかで、ぐっと親しみやすさが増した。
「春ですか? 春ならば、毎年必ず巡ってきますが……何か問題が?」
「……いや、そういう話じゃ無くて、ものの例えだ。ミニュイは祝いのケーキを準備するべきだと騒いでいるし、ノーチェ姉上は知らせを聞くなり、式のために花嫁ベールを縫うと張り切ってる……極めつけに、我らが長兄殿は結婚式で披露する祝い文を考えているというのに……。肝心のお前がこれじゃなー……」
やれやれと足を止めた男は、ディーの頭に気安く手を置いた。そして、昔からそうしていたように、自然な動作でくしゃくしゃとかき回す。
ルーナは、この男が誰なのか確信した。
「あぁ、姫を放っておいてしまい、すまないな。……先ほどは、困っているようだったので口を出したんだが、余計な世話だったかな?」
視線に気づいた男が、探るような目でルーナを見下ろす。
「いいえ。助かりました。本来ならば、私が収めねばならぬ事でしたのに、お手を煩わせてしまい申し訳ありません、クルム様」
「……おや、名乗る前に言われてしまいましたか」
「……これは失礼いたしました」
「いやいや、気が付いてもらえて嬉しいですよ。……ですが、改めて自己紹介させていただけますか? ディーの二番目の兄、クルムと申します」
見た目はあまり似ていないが、仕草の優雅さは似ている。無駄なく流れるような一礼は、ディーの所作と同じく綺麗だ。
「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。ヒルゲネスの三の姫、ルーナと申します」
今まで一度も披露する機会が無かった淑女の礼をとると、ふっと吹き出す音が頭上で聞こえた。
一体何を間違ってしまったのかと、ルーナの顔から血の気が引く。
顔を上げられなくなったルーナの耳に、とうとう笑い声が届いた。
(失敗したんだわ……!)
昔、教えられた通りの礼だったはずだ。
セライアに来る前に、礼儀作法の本も読んで復習した。
けれど、クルム第二王子が笑っているという事は、なにかしら不格好な点があったのだろう。
顔を上げれば、冷ややかな目と嘲笑が待っている。そう思うと、ルーナは動けなくなった。
「……姫、顔を上げて大丈夫だ。兄上は、僕が抑えた」
「……え?」
「兄上は、小さい物が好きなんだ。大笑いして、猫かわいがりする。それで、だいたい動物には嫌われるし、子供には泣かれる」
よく分からないディーの説明に、ルーナは恐る恐る顔を上げた。
「せいかくには、自分より小さくて可愛らしい存在が好きなんだ。特に一生懸命な子は、応援したくなる――姫の緊張した様子も微笑ましかったから、つい感激してしまい、握手をだな……」
「だめです」
すると、ディーにより、手首をがっしりおさえられたクルムが明るい笑顔を浮かべていた。
「……すまない。悪かったから、手を離してくれ弟よ」
「嫌です。兄上が、姫に近付かないと誓うまで離しません」
「……だが握手くらいは、許されると思わないか、親愛なる弟」
「思いません。今すぐ星に誓って下さい。絶対に、僕のルーナ姫に触らないと」
クルムは、ますます笑みを深くした。
今度は、弟が可愛くて仕方が無いという笑みだ。
「分かった。……姫も、驚かせて申し訳なかったな」
「兄上、星に誓いは?」
「…………怖い顔で睨むな。分かったから。星の瞬きに誓って言おう、俺はお前の大切な姫には触らないよ」
すると、ディーは満足そうに頷いて、兄を解放した。
「――では、行こうか」
「どちらへ?」
「もちろん、我らが偉大なる母上……女王陛下の元へ、だ」
あの場をどうにかするための方便では無かったらしい。
クルムは、笑顔から元の厳しそうな顔つきに戻ると、歩き出す。
「そうだ。ルーナ姫には、一つ教えておこう」
「……なんでしょう」
「そんなに身構えなくても……、いや、やっぱり身構えておいた方が良いな……」
「……あの?」
クルムは、ルーナの歩幅に気を遣ってか、ゆっくりとした速度で先を行く。
すれ違う者も少なくなった廊下。三人分の足音が微かに響く。
「よく聞くんだ、姫。……我ら兄弟姉妹は、可愛いらしいものに目がない」
「…………はぁ?」
「先ほどの貴方のように、子ウサギのようにぷるぷる震えているのを見ると、庇護欲が刺激され今すぐ抱きしめたくなるだろう。特に我が姉妹は」
きりっとした顔で、何を言い出すのだと、ルーナは目を剥いた。
しかし、クルムはごく真面目に言っている。
思わずディーを見れば、彼もまた至極当然という表情で頷いた。
「すでに嫁いだ姉上がいる。クルム兄上が先ほど名前を出した、 ノーチェ姉上だ。……姉上の言葉を借りれば、ツボ……なんだそうだ。僕には今までよく分からなかったが、さっきの貴方は緊張しながらも一生懸命なのが伝わってきて、とても可愛らしかった。……――うん、ツボ、だ」
古王国セライアの王族は、〝星読み〟と言う不思議な力を宿している。伝え聞く話は全て、王族の神秘性を増すようなものばかりだった。
しかし……と、ルーナはわかり合っている兄弟を唖然と見つめた。
(な、なんだかこう……残念なものを見てしまったような感じがするのは、何故なのかしら?)
ついでに、子ウサギのようにぷるぷる震えていたという事は、相当情けない様子だったに違いない。
やはり、失敗だったと落ち込みかけたルーナだったが、まるで声が聞こえたかのようにクルムが首を振った。
「あぁ、そうじゃない。勘違いしないで欲しい、姫。貴方の所作に、おかしな点など何一つない。どこで披露しても恥をかく事は無いと、断言できる」
「え……」
「ただ、星は貴方の緊張感などを囁いてくるから、子ウサギのように見えただけだ」
ふと、ディーの表情が険しくなった。
「どういう事ですか、兄上」
「……怒るな。長話をしすぎた、女王陛下が首を長くして待っているだろうから、早く行くぞ」
なぜディーが怒ったのか分からなかったルーナは、不思議がるだけだった。
だが、彼が怒ったのには、相応の理由があった。
兄の隣へ並んだディーは、しっかりと兄の目を見て言った。
「先ほどの誓いに、付け足しておきます。二度と、暴くな、と」
〝星読み〟という能力を持つ兄に対して、二度とその力を使ってルーナの心の中を勝手に読むなと釘を刺したのだ。
弟の本気を感じ取ったクルムは、真剣な顔で頷いた。
「あぁ、二度としないさ」
「本当ですね?」
「俺は彼女を受け入れよう。星読みの国の太陽が選んだ、妻として」
そして、クルムは笑顔を向けた。不思議そうな顔をしつつも兄弟のやり取りを邪魔しないように黙っているルーナにだ。
弟であるディーに向けるような、親愛のこもった笑みを向けた。




