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鬼の継母~虐げられし天女は鬼の二度目の花嫁となる~

作者: 蒼真まこ

天女の娘といわれながら役目を果たせず、役立たずと罵られた椿は幽世の鬼の元へ強引に嫁がされる。

夫となった羅漢には元気で可愛い双子の鬼の子がいた。鬼の継母となった椿が夫と家族に愛され

幸せになるまでを描く和風ファンタジーの短編です。

某和風ファンタジー短編コンテストで最終選考に残った作品です。

長編化を想定して執筆しましたが、まずは短編でお楽しみにいただければ幸いです。

「椿さん、君との婚約は破棄させてほしい」


 椿の許嫁、新堂誠が婚約破棄を申し入れてきたのは、椿が二十歳の誕生日を迎える直前のことだった。


「誠さん、なぜでございますか? 私はあなたの妻になるために生きてきましたのに」


 椿が二十歳の誕生日を迎えたら、新堂家の嫡男である誠の妻となるはずだったのだ。椿が三歳の時に決まった婚約だった。

 無言でうつむく婚約者の表情をよく見ようと、椿は誠の腰下にすがりついた。


「はしたない真似はおよしなさいな、お姉様。誠さんが説明しなくても、お姉様の姿を見たら、誰だって一目瞭然ですのに」


 誠の背後から姿を現したのは、花梨の二つ違いの妹の牡丹だった。その名のとおり、あでやかな花のような美少女だ。


「牡丹、私は誠さんに聞いてます。あなたではないわ」

「お姉様、誠さんがなぜあなたにすべてを伝えないのか、おわかりにならないの? いいわ、誠さんに代わってわたしが説明してあげる」


 牡丹は誠の腰辺りにしがみつく姉の首根っこ掴むと、強引に引き剥がした。そのまま庭の池ほうへと連れていく。まるで捨て猫を運んでいるかのようだ。椿が抵抗したくとも、妹の牡丹のほうがずっと力が強いのだ。


「ごらんなさい、お姉様。お姉様はまもなく二十歳になられる。にもかかわらず今のあなたの姿はどうかしら? 二十歳の大人の女性と言える?」


 澄んだ池の水に映る椿の顔と体は、驚くほど小さい。背丈が低い小柄な女性と言い切るのも少々無理がある。胸元や臀部は平たく、腕や足は細く短い。目は大きくて愛らしい顔立ちなのだが、それがかえって椿の幼さを強調している。

 牡丹に指摘されずとも、嫌というほど椿は理解していた。椿の体は子どものまま。十年前に突然成長が止まってしまったのだ。体が未成熟のまま、年齢だけ重ねてしまったのが今の椿だ。


「お姉様はわたしより二歳年上のはず。けれど今のお姉様は、歳の離れたわたしの妹にしか見えない。そのせいでわたしがどれだけ恥ずかしい思いをしたことか」


 十歳の子どもにしか見えない姉を恥と思っている牡丹は、他人には椿を「お手伝いさんの子」と説明している。姉だと言いたくないのだろう。


「確かに私の体は十年前から成長が止まっている。けれど心は違うわ。誠さんの花嫁になるために頑張ってきたもの」

「そうね、お姉様は花嫁修業を一日も欠かさなかった。お裁縫だってお料理だって、わたしより上手。でもね、お姉様。今のあなたは『天宮家の花嫁』としてのお役目を果たせるの?」

「それは……」


 牡丹が何を言いたいのかわかる。だが椿からは言いたくなかった。まもなく二十歳になる女性としては辛いことだからだ。


「だってお姉様は、月のものが来てないじゃないの。大人の女性になれないお姉様は、天宮家の花嫁になれないわ。ただの役立たずよ」


 とうとう言われてしまった。誠に聞かれないように、離れたところで指摘してきたのは牡丹なりの姉への気遣いだろうか。

 

『天宮家の花嫁』としてのお役目。それは嫁ぎ先で子を産むことだった。

 天宮家は天女の末裔と言われている。天から人の住む地へと降り立った天女が、人間の男の妻となったことが天宮家の始まりとされる。古き伝承ではあるが、天宮家が天女の末裔と言われる理由は別のところにあった。

 天宮家に誕生した娘が他家に嫁ぎ、夫との間に子を産むと、その子は『才華(さいか)』と呼ばれる特殊な異能の力をもって生まれるからだ。才華の力をもっている者は体のどこかに花の形の痣があるため、生まれればすぐにわかるという。才華の力をもつ者はあらゆる才能に恵まれ、多くの人々を惹きつける美貌と魅力をもっているため、その一族は繁栄を極めていくこととなる。ゆえに名家ほど天宮家の娘を花嫁に欲しがるのだ。

『天宮家の娘を妻に迎え、夫として認められることは男たちの誉れ』

 男児がいる名家は天宮家の娘を妻にさせるため、まだ子どもの頃に婚約を申し込み、許嫁となる。嫁ぎ先が決まった天宮家の娘は、花嫁修業の毎日だ。望まれて結婚した天宮家の娘は嫁ぎ先でも大切にされ、天女の末裔として敬われるからだ。


 長女に生まれた椿も、『天宮家の花嫁』として大人になったら許嫁の元へ嫁ぎ、幸せになるのだと当然のように思っていた。だが椿の体の成長は十歳でぴたりと止まってしまった。幾度も医師に診てもらったのだが、どこの医師も「原因不明」と言うだけだった。あちこちの神様にお参りして回ったが、それでも椿の体が成長することはなかった。


「きっと体の成長が心に追いついてないだけよ。二十歳になれば、きっと大人の体になれるはず」


 毎夜の寝床でのお祈りも欠かさなかった。すこやかな成長には睡眠が欠かせないと知ってからは、夜は家族の中で誰よりも早く寝るようにした。


「神様、どうか明日こそは私の体を大きくしてください。立派な天宮家の花嫁となれますように」


 けれどどれだけぐっすり寝ても、椿の体は成長することはなく、子どもの体のままだった。子どもの肉体では天宮家の役目を果たせない。


「もう良い。椿は天宮家の花嫁になれぬ。あの子は役立たずだ。どこへなりとやってしまえ!」


 十七歳になった時、天宮神社の神主である椿の父が、容赦なく椿に宣告したのだ。


「もう少し、あと少しだけお待ちください、お父様。せめてあと三年。二十歳までお時間をください。それまでにきっと成長してみせますから」


 畳に頭をこすりつけて、父親に三年の猶予をもらった。神頼みすることしか椿にできることはないのだが、それでも三年あれば大人の女性の体になれると信じたかったからだ。

 だが現実は容赦なく、椿に過酷な運命を強いた。二十歳の誕生日が近づいても、椿の体は成長することはなく、あどけない子どもの姿を保っていたのだ。

 優しかった許嫁の誠もそっけなくなり、父も母も椿に話しかけることはなくなった。長女の椿が役立たずだとわかると、両親は妹の牡丹にすべての愛情と期待を寄せるようになった。牡丹は年齢を重ねるごとに美しく成長し、まさに天女のようだと近所でも評判の娘となった。椿の許嫁の誠も、牡丹に熱い眼差しを向けていることが一度や二度ではなく、恋愛感情を抱いていることが誰の目にも明らかであった。妹の牡丹が誰からも愛されるようになると、牡丹は姉の椿を明らかに見下すようになる。それでも妹のすることだからと、椿は黙って耐えていたのだ。かつては仲の良かった妹だからこそ、牡丹を悪く思いたくなかった。

 けれどその妹から、ついに椿は「役立たず」という烙印を押されてしまった。


「いつまでも大人になれない椿お姉様は、もうわたしの姉ではないわ。椿、役立たずのあなたに代わってわたしが誠さんの花嫁になってあげる。彼からも御両親からも、新堂家の嫁にと強く望んでいただいているのよ」

「牡丹、あなたが誠さんの花嫁に……?」

「そうよ。でも勘違いしないでね? わたしが誠さんに頼んで、椿との婚約を破棄しろと頼んだわけではないわ。すべて誠さん自らお考えになって決めたことよ」


 許嫁の誠が椿ではなく、妹の牡丹に恋焦がれていたことはとっくに気づいていた。二人が楽しそうに話しているのを何度も目にした。二人だけで観劇やカフェーにも行っているらしい。椿は誠と出かけたことは一度もないのに。

 それでも婚約者としての誠の誠意にすがっていた。いつか彼と結婚できると。花嫁として迎えに来てくれると信じていたのだ。

 だがもうそれも叶わない夢となった。誠は椿ではなく、妹の牡丹を選んだのだ。

 しばらく様子をうかがっていた誠も、ゆっくりと歩いてきて、当然のように牡丹の隣に立った。咲き誇る花のように美しい牡丹と眉目秀麗と評判の誠。残酷なほど、似合いの二人だった。


「誠さんとの婚約の破棄、承知いたしました。これまでありがとうございました」


 椿は池の脇に腰を下ろして正座すると、静かに頭を下げた。どれだけ辛くても、受け入れるしかない。大人の体になれない椿では誠の花嫁になれないのだから。


「椿さん、君には申し訳ないけれど、僕も新堂家の嫡男としての立場があるんだ。理解してくれたこと感謝する」


 もう話はついていると判断したのか、誠は牡丹の肩をそっと抱いた。牡丹があでやかに微笑む。新しい婚約者をうっとりとした表情で見つめる誠の視界には、椿が入る余地はどこにもない。


「僕の花嫁、そして新堂家の妻は牡丹さんだ。半年後に祝言をあげるつもりだ」


 そこまで話が進んでいるとは思わなかった。すでに二人の婚約は決まっていたのだろう。知らされていなかったのは椿だけのようだ。


「誠さん、牡丹。御婚約、そして御結婚おめでとうございます。どうぞお幸せに」


 偽りの言葉ではない。二人には不幸にはなってほしくない。自分の分まで幸せになってほしいと思う。


「椿さん、お祝いの言葉ありがとう。でも嫌味にしか聞こえないわね」


 妹の牡丹は、姉の言葉を素直に受け止めてはくれなかったようだ。


「誠さん、行きましょう。お披露目のこと、詳しく決めておかないと」

「そうだね、牡丹。美しい君を友人たちに紹介できるのが楽しみだよ」

「わたしもよ、誠さん」


 誠と牡丹は肩を寄せ合うにして、母屋のほうへ消えていく。誠が元婚約者の椿のほうを振り返ることはない。去っていく二人の背中を椿はただ見つめることしかできなかった。


 

 閉ざされた島国であった和国が開国して数十年。西洋の文化や学問が人々の生活を変え、豊かになっていく者がいる一方で、時代の流れについていけず、没落する一族もある。家門を守るため、優秀な跡継ぎを欲しがるのは世の常。天宮家の娘が嫁ぎ先で産む「才華」という異能の力をもった子は、一族の希望の星なのだ。


 新堂誠と椿の結婚が正式に決まってから、天宮家は準備でにわかに忙しくなった。花嫁衣裳はどうするか、嫁入り道具は何にするかと牡丹は両親と楽しそうに相談している。支度金も充分すぎるほど渡されているようで、父も母もご機嫌で花嫁道具を吟味している。

 居場所のない椿は、一人寂しく天宮神社の境内を掃除していた。子どもの姿の椿を人に見られたら恥ずかしいからと、外出は禁止されている。椿は神社の境内でも最奥の、人が来ない場所を掃除するように命じられている。枯葉を竹ぼうきで集めながら丁寧に掃除していると、いつのまにか白い霧が椿の足元を覆い始めていた。


「これは……ひょっとしてあの子たち?」


 突然現れた白い霧を椿は知っていた。あやかしが「(あわい)」という特別な空間を作り出しているのだ。人間を自分たちの領域へと誘い込むために。(あわい)に人間を囲い込むことができたら、そこはもうあやかし上位の世界だ。特別な能力をもった存在以外は手出しできないし、助けてくれという声も外へは響かない。人間を(あわい)へ誘い込む理由は悪戯目的が大半だが、時には人間を獲物と思って狙ってくることもある。安全に人間を捕らえるための領域が(あわい)なのだ。

 すっぽりと白い霧に包まれた空間で椿が周囲を見渡していると、くすくすと笑い合う声がどこからか響いてくる。小さな子どもの声だ。


青斗(あおと)くん、赤瑠(あかる)くんね?」


 椿が囁くと、それが合図と思ったのか、二つの影が飛び出してきた。すばやい獣のような俊敏な動きで、椿の目の前に滑り込む。二つの影は椿の前でゆっくりと顔をあげた。


「椿ちゃん、あそぼ。絵本もってきたんだぁ。いっしょによもう~」


 大事そうに絵本を抱えているのは、青い瞳をしたあやかしの子どもだ。名は青斗。頭には金色の角がある。


「椿ぃ、あそぼうぜぇ! かくれんぼだ!」


 一刻も早く走りたいのか、その場で駆け足をしているのは赤い瞳をしたあやかしの子どもだ。名は赤瑠。この子にも頭に金色の角がある。

 頭に角があるとおり、二人は鬼の子だ。年齢は三~四歳ぐらいだろうか。すばやい身のこなしだけを見れば大人のあやかしに思えるのだが、話してみるとまだ幼いことがよくわかる。

 

「青斗くん、赤瑠くん、もうここには来ては駄目って言ったのに」


 諭すように二人の鬼の子に椿が話しかけると、それぞれ元気よく答えた。


「だってぇ~。椿ちゃんがさびしそうだったんだもぉん。青斗がいってあげなくちゃって思って」


 甘えた声を出してはいるが、青い瞳をした青斗は椿のことを心配してくれたようだ。


「椿ぃ、泣きそうな顔してんなぁ。いじめるヤツはどいつだ? オレがぶっ飛ばしてやるぞ!」


 物騒なことをいうのは赤い瞳をした鬼の子、赤瑠だ。


 真逆な反応を見せているが、二人は双子の鬼だと教えてもらった。双子の鬼は、あやかしの中でも珍しい存在らしい。

 

「私を心配して来てくれたの? ありがとう」

「うふふ。いいんだよぅ。ぼくらは椿ちゃんとあそびたいだけだもぉん」

「そうだぞ。オレたち椿とかけっこしたい!」


 青斗と赤瑠、双子の鬼の子が椿のところへ遊びに来るのは、これが初めてではない。すでに何度も、こっそり来ている。

 二人が初めて天宮神社に来たときは、間と言う特別な領域に閉じ込められたこともあって、恐怖で叫びそうになった椿だ。だが姿を見せたのは、愛らしい姿をした双子の鬼の子。二人に邪気はまったくなく、きゅるんとした笑顔で「あそぼ!」と誘ってくる。双子の鬼は人間の世界に興味をもち、遊びに来ただけだと悟った。だから青斗と赤瑠が満足するまで遊びに付き合ってあげた。そしてもう二度とここには来ないようにと教えれば、もう天宮神社に来ることはないと思ったのだ。だが椿の予想に反し、青斗と赤留は何度も椿の元へやってくる。


「だってココに来ると椿と、めいっぱいあそべるしな!」

「それにね、椿ちゃんといっしょにいると、ぼくたちも元気になれるの。なんでかなぁ?」


 鬼の双子の愛らしい笑顔を見ているだけで、冷え切っていた椿の心がほんのり温かくなる。


(ああ、やっぱり子どもって可愛いなぁ。いたずらっ子だったり無鉄砲だったりするけれど、素直で無邪気なところがいいんだよね)


 元々小さな子どもが好きな椿は、「天宮家の花嫁」となったら当然のように自分の子をもてるのだと思っていた。だが大人の体になれない椿では、自分の子をもつことは叶わない夢だと知ってしまった。だから青斗と赤瑠のことも、最初は複雑な気持ちで相手をしてあげていた。何度か相手をすれば椿に飽きて来なくなると思っていたのに、二人は何度もこっそり遊びに来るのだ。青斗と赤瑠と三人で共に遊んでいると心も童心に戻るのか、椿は自然と笑顔になる。二人がこっそり来ることは危険なことと理解していつつも、青斗と赤瑠が来てくれることを椿は秘かに楽しみにしていた。


(今では私のほうが青斗くんと赤瑠くんの笑顔に救われてるのよね。二人と一緒にいると辛いことも忘れられる……)


 青斗と赤瑠、双子の鬼の子は椿にとても懐いている。椿は心は大人だが、姿は子どものままであるため、遊びに誘いやすいのだろう。天女の末裔である椿に特別な力を感じているのかもしれない。

 実のところ、天宮神社にあやかしが姿を見せるのは珍しい話ではない。天宮家の娘を花嫁に欲しがるのは、人間だけではないからだ。それはあやかしも同じ。天女の末裔である天宮家の娘を花嫁にすれば、より力の強いあやかしの子が生まれるらしい。時には天宮家の娘を無理やり攫っていくあやかしもいるため、天宮神社にはあやかし除けの結界が張られている。だが青斗と赤瑠はその結界を簡単に突破して、椿の元へと遊びに来る。幼い子たちではあるが、力の強い鬼のようだ。


「わかったわ。みんなで遊びましょ」

「「わーい!!」」


 青斗と赤瑠は同時に声を発した。二人は声が重なることがよくある。さすがは双子と言うべきか。


「でももうこれで最後にしてね。私はあと少ししたら、ここを追い出されると思うから」

「ええっ! なんでだよ!」

「そうだよぉ、ここは椿ちゃんのおうちなんでしょ? なんで追い出されるの?」


 あやかしが天宮家に姿を見せることはあっても、歓迎はされていない。あやかしが天宮家の娘を強引に攫っていくこともあるため、外敵と思われているのだ。椿の父、源太郎もあやかしを嫌っており、「おぞましい存在」とまで口汚く罵っている。だから青斗と赤瑠には何度も来ないように伝えたのだ。だが椿がいなくなれば、双子の鬼の子は源太郎に見つかる可能性も高くなる。それだけは避けたい。幼い双子の鬼を守ってやりたかった。


「私は天宮家の花嫁さんになれない役立たずだもの。だからもうじきよそへ行くの。だからここにはもう来ては駄目」

 

 椿の両親がこっそり話しているのを聞いてしまったのだ。牡丹のめでたい祝言に、子どものままの姉がいれば天宮家にとって恥辱。だから椿を遠縁の家に奉公に行かせようと相談していたのだ。目障りな存在でしかない椿を排除したいようだ。


「椿ちゃんは役立たずじゃないよぅ! 椿ちゃんはね、ちっちゃいけど、すごい力があるよ。うまくお話できないけど、ぼくわかる」

「椿はチビだけど、ただもんじゃないって、オレもわかる! だから元気だせ!」

 

 幼児らしい謎の理屈で椿を励ましてくれる双子の鬼の子たち。二人の言葉を聞くと、不思議と勇気が湧いてくる気がした。


「ありがとう、青斗くん、赤瑠くん。おかげでよそへ行っても頑張れそうだよ」

「そしたらもう、あそべないの? 椿ちゃん……」

「こればかりは私ではどうにもならないことだから……ごねんね」


 椿がぺこりと頭をさげて詫びると、青斗と赤瑠は泣きそうな表情をしている。


「椿ちゃんがとおくにいっちゃの、やだよぅ~」

「ぜったい、ヤダ! 椿はオレたちともっとあそべよぉう!」


 ぽろぽろと大粒の涙をこぼし始める双子の鬼たち。椿はおろおそしながら二人を慰める。


「私なんていなくても青斗くんと赤瑠くんなら大丈夫! だって二人は男の子でしょ? うんと強くならないとね。笑ってお別れしよう」


 椿なりの別離の言葉だったが、青斗は別の解釈をしたようだ。


「そうだよ、ぼくたち強いんだもん。ぼくたちにしかできないことあるよ。赤瑠、ちょっと耳かして」


 何かを思いついたのか、青斗は赤瑠に小声でないしょ話をしている。


「そっか! 青斗、あったまいい~! すぐやろう」

「うん、やろう!」

「椿ちゃん、じゃあね!」

「またな!」


 椿と最後の別れと思ってないのか、青斗は赤瑠はいつもと同じように、風のように去って行ってしまった。あやかしが造り出す領域、間も消えている。


「いっちゃった……可愛かったなぁ、鬼の双子ちゃん。もう会えないと思うけど元気でね」


 強い力がある鬼の子とはいえ、気軽に人間の世界に度々やってくることは危険だ。椿の父親のようにあやかしを敵と思っている人間も多いのだから。あえて強めの言葉で二人に別れを告げたのは、青斗と赤瑠を守りたかったからでもある。


「さっ、掃除の続きをしよう」


 椿は涙を手で拭うと、再び掃き掃除を始めた。



「椿、話がある。こちらへ来なさい」


 青斗と赤瑠、双子の鬼の子が去って十日後、ついに父の源太郎が椿を呼び出した。


(ああ、ついに奉公に出されるのね。天宮家ともお別れだわ……)


 すべてを覚悟した椿は父のいる和室の前で腰を落として正座すると、「椿です。失礼いたします」と伝えた。


「椿か。入りなさい」

「はい」


 静かに襖を開けると、椿は深々と頭を下げた。これが父との最後の対面になるかもしれない。


「お父様、椿が参りました。御用をお申しつけください」

「そのまえに椿、顔をあげてお客様に御挨拶をしなさい」

「えっ?」


 てっきり父の源太郎に奉公先を告げられるだけと思っていた椿は、客人がいるとは思っていなかったのだ。慌てて顔をあげ、父の前に座している男性の背中を見つめた。男はゆっくりと振り返り、椿に視線を向ける。その顔を見た途端、椿は驚いて声をあげそうになった。

 西洋の服を着た驚くほど美しい男だった。闇に溶ける濡れ羽色の髪に滑らかな白い肌、すっと伸びた鼻梁は高貴な身分を思わせる。それだけなら椿は驚きはしなかった。椿をじっと見つめる男の瞳は血のように赤いのだ。


(この方は……人間ではないのだわ)


 詳しい素性はわからないが、目の前の男は人ではないことだけは理解できた。父と対面しているのに、気配すら感じられなかったのも、男が人ならざる存在であることを示していた。


「お初はお目にかかります。天宮椿と申します。御挨拶が遅れました非礼、どうかお許しくださいませ」


 動揺を隠しながら、椿は品よく礼をした。


「こちらこそ突然の訪問、失礼いたしました。わたしの名は羅漢(らかん)。椿さんはすでにお気づきのようですが、わたしは人間ではありません。幽世に住む鬼でございます」


 羅漢と名乗る男は、丁寧に挨拶しながらも、堂々と自分の正体を告げた。幽世に住まう鬼ならば、人の世では気配すら消しているのだろう。だが鬼であるなら、あやかしを嫌う父は対面すら拒否するだろうに、なぜ客人としてもてなしているのだろうか。


「椿、喜びなさい。この方はおまえを迎えに来た。おまえを娶りたいそうだ」

「私を妻に……? ですが私は天宮家の花嫁としてのお役目を……」

「安心しなさい。羅漢様はおまえの身体の事情をすべて理解されている。その上で椿を花嫁として迎えたいとおっしゃっておられるのだ。羅漢様は妻に先立たれ、子どもたちの母となれる女性を探していたそうだ。おまえなら良き母になれるだろう」


 つまりは、椿に鬼の継母になれということだ。てっきり奉公に出されると思っていた椿は、すぐには現実を受け止められなかった。


「で、では私に幽世へ嫁げとおっしゃるのですか? お父様」

「そうだ。それに何の不満がある。羅漢様は椿を嫁としてもらう代わりに、我が家をあやかしから守る結界を施してくれるそうだ。長男の丈太郎の嫁も決まったから、生まれる子をあやかしから守ってやらねばいけないからな。これで今後生まれる天宮家の花嫁をあやかしに奪われずにすむ。ああ、おまえの支度金もいただいただぞ。たっぷりとな」


 源太郎の機嫌がすこぶる良い理由を、椿はようやく理解した。花嫁の支度金と称された資金を羅漢は十分に用意してくれたようだ。


「椿さん、突然の婚姻の申し込み、誠に申し訳ございません。わたしにも事情がありまして、できるだけ早くあなたを妻にしたかったのです。もちろんお嫌でしたら、無理なお願いはいたしません」

「羅漢様、椿には父であるわたしからよーく言い聞かせておきますので、どうぞ娘を嫁にもらってやってください。これは我が家の隠された事情なのですが、天宮家の花嫁になれない出来損ないの娘は、あやかしにわざと攫わせることも過去にあったと聞いておりますので、そのような面倒な振る舞いをせずにすみますし」


 天宮家の娘として生まれても、中には病などにより天宮家の花嫁としての役目を果たせない女もいたのだろう。椿のように。だがまさかわざとあやかしに攫わせているとは思わなかった。あやかし除けの結界が完全ではなかったのも、そういった隠された事情があったからなのだ。


(ああ、お父様は私をこの家から追い出したいだけなのだわ。そこに羅漢様がいらして、支度金までいただいたから……)


 椿を奉公に出すより、資金をたっぷり頂戴したうえで嫁入りさせたほうが、はるかに得だと源太郎は判断したのだ。椿が幽世への嫁入りは嫌だと言ったら、父の逆鱗に触れるだけだ。椿に断ることは許されない。


「かしこまりました。椿は羅漢様の元へ嫁ぎます。羅漢様、ふつつかものではございますが、どうぞよろしくお願いいたします」


 椿は再び、深々と頭を下げる。突然の婚姻ではあったが、椿をぜひ妻にしたいと言ってくれるなら、その求めに応じよう。良き鬼の継母になれるかは自信がないが、できるだけ優しく接してあげたいと思う。


「ありがとう、椿さん。こちらこそよろしくお願いします」


 羅漢もまた丁重に頭を下げてくれた。鬼ではあるが、礼儀正しい御方のようだ。


「それでは後日に椿さんをお迎えに……」

「羅漢様、後日と言わず、どうぞ本日、椿をお連れください。すでに準備は整っておりますので」


 驚くことに、源太郎は椿をすぐに連れて行けと言っているのだ。これには羅漢も戸惑ったようで、困惑した表情を見せている。


「ですが女性には花嫁としての準備がありますでしょう」

「この子にそんなものは必要ございませんよ。役立たずの娘ですし。もうじき次女の牡丹の祝言がありますし、その前に長女の椿を嫁入りさせたいのです。ああ、椿。おまえは病で死んだことにしておくからな。そうすれば心置きなく幽世へ嫁げるだろう? 牡丹も安心するというものだ」


 椿の実の父とは思えない、あまりに身勝手な事情をつらつらと話す源太郎。羅漢は眉をひそめているが、上機嫌な源太郎は気づいていない様子だ。

 涙がにじむ目元を羅漢に見られないよう、椿は咄嗟にうつむいた。父にとって自分はとっくにいらない娘になっていたことは知っていたが、まるで捨て子をよそへやるかのような口ぶりだ。涙が畳の上にこぼれおちそうになったとき、羅漢の形の良い手が椿の顔面に差し出された。驚いた椿が顔を上げると、羅漢が優しく微笑んでいた。鬼である羅漢のほうが、人の心の機微を理解しているように思える。


「椿さん、あなたさえ良かったら、これから私と共に幽世へまいりませんか? あなたを必ず守り、生涯大切にすると約束しますので」


 血のようだと思った羅漢の赤い瞳が、宝石のようにまばゆく煌めいている。椿の頬に流れた涙を、そっと指で拭ってくれた。


「羅漢様、本当に私でよろしいのですか? ご覧のとおり、私は子どもの姿をしております。大人の女性に成長できないのです」

「あやかしに見た目は関係ありません。どのような姿にも化けられる者もおりますし。だからこそ我々は心を大切にしているのです。わたしから見たあなたは清らかで美しい。椿さん、どうかそのままでいてください」


 羅漢は今のままの椿でいいと言ってくれた。成長しない自分の体をずっと恥じていたのに、羅漢だけは椿を一人の女性として認めてくれているのだ。


──ああ、私、この方の妻になりたい。羅漢様の二度目の花嫁であってもかまわない……


 椿は羅漢の手に、自らの小さな手をそっと乗せた。ひやりとした手が、椿には心地良く感じられる。


「ではまいりましょう、椿さん。我が花嫁よ」

「はい、羅漢様」


 羅漢に支えられて立ち上がると、小さな体の椿を羅漢はふわりと抱き上げた。初めての経験に目を丸くした椿だったが、すでに羅漢を信頼している椿は、その身をそっと夫となる男へ身を寄せた。


「では椿さんは確かに羅漢の花嫁としていただいていきます」

「はい、はい。どうぞご自由に。椿、達者でな」

「お父様こそお元気で。御体を大切になさってください」


 人の世では椿は死んだことにされるのなら、実家に里帰りも許されないということだ。父と、そして天宮家とは永遠の別れとなる。


(さようなら、お父様、お母様。牡丹に丈太郎お兄様。そして天宮神社。これまでありがとうございました)


 人の世と突然の別れであったが、椿にはもう迷いはない。この身ひとつで幽世へと嫁入りするのだ。

 天女の末裔である椿は、数奇な運命に導かれ、鬼の羅漢の二度目の妻となる──。


***


「もう目を開けても大丈夫ですよ、椿さん」

「は、はい」


 羅漢に抱きかかえられた椿は、幽世へ到着するまで目を閉じているように言われたのだ。人の世から幽世へと移動する際、目を開けままだと、慣れない者では目を病んでしまうことがあるという。


「どこか痛いところはありますか? もしも体調が優れないようでしたら、従者にすぐに手当てさせますので」

「痛むところはございません、羅漢様。お気遣いありがとうございます」


 大切な宝物のように、椿を抱いていてくれたからだろうか。椿は羅漢の腕の中が心地良かった。思わずうとうと微睡んでいたとは、とても言えない椿だった。


「では我が家には馬車でまいりましょう、椿さん。子どもたちもあなたを待っていますよ」

「羅漢様。息子さんたちは私の体のことをご存知でしょうか? こんな体の継母(はは)なんて嫌じゃないでしょうか」


 すでに子どもがいる羅漢との婚姻は急に決まったため、羅漢の子どもたちのことを椿は何も知らない。


「椿さん、心配なさらないで下さい」

「でも……」

「我が家に到着すれば、わかりますから」


 なぜか詳しく話してくれない羅漢を不思議に思う椿だ。

 用意してもらった馬車に羅漢と共に乗り込み、子どもたちが待つ屋敷へと向かったのだった。



「到着しましたよ、椿さん」

「は、はいっ……!」


 いよいよだ。羅漢の子息、椿の継子となる子たちとの初対面。初めて乗る馬車にも緊張しているが、子どもたちに会うほうがもっと心配だ。


(子どもの姿の私を見たら、どう思うかしら。お母さんだなんて思えるわけないわよね……)


 不安と緊張で、馬車から降りることができない。そんな椿を察した羅漢が、優しく手を差し出してくれた。


「大丈夫ですよ。わたしと一緒に馬車を降りましょう」


 包容力あふれる羅漢の大人の微笑みに緊張が和らいだ気がした。羅漢の大きな手に自らの小さな手を重ねる。


「はい。よろしくお願いいたします」


 羅漢に支えてもらいながら、椿は馬車をゆっくりと降りた。地に足をつけると、風がふわりと椿の頬を優しく撫でる。


「椿さん、こちらが我が家ですよ」

「えっ……?」


 想像とは全く違う家屋が、椿の目の前にあった。羅漢に「我が家」と案内された家は、洋風の大きなお屋敷だったのだ。天宮家の外に出たことがない椿は、洋式の建物も写真でしか見たことがない。

 羅漢はあやかしであり鬼なのだから、純和式の家屋だろうと椿は勝手に思っていた。だが実際はお伽話に出てくるお城のような洋風のお屋敷。驚いた椿は呆然とお屋敷を見上げている。


「驚かせてしまったようですね。幽世でも最近は洋式のものを取り入れるのが流行っておりまして。でも安心してください。中に入れば和式の家屋も渡り廊下で繋がっておりますので、そちらを椿さんの部屋にしましょう」


 ということは、かなり大きなお屋敷ではないだろうか。羅漢の具体的な立場や仕事はまた知らないが、相当な財力があるようだ。


「お帰りなさいませ、羅漢様」


 音もなく出迎えに現れたのは、黒い燕尾服を着た、羅漢より少しばかり歳上と思われる男性だった。


秋羽(あきば)、出迎えご苦労。使いの烏に連絡させたが、こちらの方がわたしの花嫁となられる方だ」

「心得ております。離れの和式の館を花嫁様のために御用意させていただきました」

「さすがは秋羽だ、対応が早いね。椿さん、こちらは我が家の執事、秋羽だよ」

「しつじ……?」


 聞いたことがない職種に、椿は不思議そうに頭を傾ける。


「我が家に仕える使用人の采配やわたしの仕事の補佐、家の用事など様々なことをやってくれている。洋式の屋敷にするなら仕える者もこだわるべきだと率先して執事になってくれた。今では我が家には欠かせない存在だよ。ちなみに同じ鬼の一族だ」

「過分な御言葉、恐縮でございます。花嫁様、わたくしは執事の秋羽でございます。椿様にも心を込めてお仕えさせていただきます」


 右手を胸元に当て、腰から体を体を曲げて、執事の秋羽は丁寧に椿に挨拶してくれた。


「こ、こちらこそよろしくお願いしますっ!」


 椿も慌てて頭を下げる。子どもの姿をした椿を秋羽は羅漢の花嫁として扱ってくれるようだ。その気遣いがありがたい。


「それで子どもたちは今どこに?」

「はい、それが……」


 秋羽が小声で説明し始めた時だった。


「えーいっ!」

「とやぁっ!!」


 元気の良いかけ声と共に、二つの小さな影が秋羽の背後から飛び出してきた。くるっと宙を回転し、椿の目の前に見事に着地する。さっと顔を上げた二人のことを、椿はよく知っていた。


「椿ちゃん、青斗だよ! えへへ、びっくりしたぁ?」

「よぅ、椿ぃ。赤瑠だぜっ! おれさまのこと、忘れてないよなぁ?」


 椿の前に飛びこんできたのは、何度も天宮家にこっそり遊びに来ていた鬼の子どもたち、青斗と赤瑠だった。


「青斗くん、赤瑠くん? なんでここに?」


 状況を理解できない椿は、妙な声を発してしまった。もう二度と会えないと思った双子の鬼たちに再会できたけでも驚きなのに、まさか羅漢のお屋敷で会えるとは。


「だってココ、ぼくたちのおうちだもん」

「そうだぜ。ココはおれたちのおうち!」

「羅漢様のお屋敷が二人のお家? ということは二人は……?」


 なんとなくわかってきた。だが頭の中が混乱している椿には、言葉がすぐに出てこない。


「こらっ! 青斗に赤瑠。いきなり飛び出てきて椿さんを驚かせるんじゃないっ!」

「あっ、おとしゃん、いたの?」

「とーちゃん、いるならいるっていえよぅ」

「さっきからここにいるだろう? どうしておまえたちは目の前のことしか見えてないんだ!」


 それぞれ呼び方は違うが、青斗と赤瑠は羅漢のことを「父」と呼んでいる。それはつまり、青斗と赤瑠は羅漢の息子ということになる。


「椿さん、申し訳ございません。青斗と赤瑠、二人がわたしの双子の息子たちでして。このとおり、とても元気です。元気すぎるほどに。二人とも、改めて椿さんに御挨拶しなさい。礼儀正しくな」


 父の羅漢に命じられた青斗と赤瑠は、二人同時にぺこりと頭を下げた。


「青斗です! 椿ちゃん、これからもよろしくね」

「赤瑠だぞ! これからもよろしくなっ!」


 きゅるんとした笑顔で愛らしく挨拶した青斗に、片手を上にびしっとあげて元気いっぱいに挨拶した赤瑠。礼儀正しい挨拶かどうかはともかく、二人の性格の違いがよくわかる微笑ましい挨拶だ。


「椿さんはもう、おまえたちの友だちじゃないんだぞ。青斗と赤瑠の継母(はは)になられる方だ。椿さんと名前で呼ぶのではなく、『お母さん』と言いなさい」


 継母となる椿に息子たちが友だちと同じような挨拶しかできないことを、羅漢はお怒りの様子だ。


「羅漢様、どうか怒らないであげてください。青斗くんと赤瑠くんにはこれぐらい元気であってほしいですから。それより二人が羅漢様の息子さんであることに驚いています」


 青斗と赤瑠が羅漢の実子であり、二人は椿の継子となることはわかった。だが椿の元にこっそり遊びに来ていた双子の鬼が、なぜ継子になるのだろうか。


「奥の部屋でお話ししましょう」


 執事の秋羽に案内され、離れにある和式の家屋で羅漢に説明してもらうこととなった。青斗と赤瑠は使用人に世話をしてもらいながら庭で遊んでいると羅漢は話してくれた。


「椿さんにもお話したかと思いますが、青斗と赤瑠の実母はすでに他界しております。二人を産んですぐのことでしたので、青斗と赤瑠は母の顔も知りません。父であるわたしがあの子たちを慈しんで育てているつもりですが、足りない部分もあるのでしょうね。父にも秋羽にも内緒で、こっそり外へ行くことが増えたのです。まさか人間の世界に遊びに行っているとは思いませんでしたが。もちろん危険な行為だと諭しましたが、青斗と赤瑠は人間の世界、つまり椿さんのところへ行くことを止めませんでした」


 青斗と赤瑠はどうしても椿のところへ来たかったようだ。母親がいない二人が寂しいのは理解できる気がするが、なぜそれが椿のいる天宮神社だったのだろうか。


「羅漢様、青斗くんと赤瑠くんはどうして人間の世界にこっそり来ていたのですか? 幽世のお友達は?」


 椿が聞くと、羅漢が急に表情を曇らせた。どうやら話しにくいことのようだ。


「あの、何か御事情がおありでしたら、無理にお話ししてほしいとは思いませんので……」


 継子となる青斗の赤瑠の生い立ちは知りたいが、かといって過去のことを何でも暴きたいわけではない。そっとしておいてほしいことがあると思うのだ。人もあやかしも。


「椿さんにはお話ししましょう。青斗と赤瑠はあやかしの子どもたちとその親に避けられているのです」

「えっ、それはなぜですか?」


 元気すぎるところはあるが、青斗と赤瑠はとても良い子たちだ。嫌われる理由はないように思う。


「青斗と赤瑠の母、美蓮(みれん)が二人を産んですぐに亡くなったからでしょう。母親の命と引き換えに生まれてきた子たち、不吉な双子鬼だと言われているのです」

「そんな……。青斗と赤瑠くんに何の罪があるというのですか? 実のお母様の美蓮さんが命がけでお産みになったから、あんなに元気な男の子たちに成長しているのに」

「我々あやかしは寿命が長く、病にかかることも少ない。そのためか、突然仲間が死んでしまうようなことがあると、あやかしは激しく動揺します。美蓮の死も突然のことでしたから、双子の青斗と赤瑠が生まれたせいだと考える者もいるのです」


 なんと不条理なことだろうか。あやかしが人間とは違う価値観をもっていたとしても、いたいけな子どもたちを不吉な双子と決めつけるのは酷すぎる。


「不吉な双子と言われているためか、青斗と赤瑠は幽世の子どもたちと遊びたがらないのです。わたしも無理に仲良くしろとは言えなくて……でも誰かと遊びたかったのでしょうね。人間の世界に度々行くようになってしまったのです」

「そこで偶然見つけたのが私だった、ということですか?」

「はい。青斗と赤瑠は椿さんをとても気に入ったようです。椿さんの境遇に、青斗と赤瑠は自分たちと似たものを感じたのかもしれません。椿さんとこれからもずっと一緒に遊びたい。それなのに椿さんは天宮家の事情で家を出されるという。椿さんと二度と会えなくなるのは嫌だ、椿さんがいなくなるぐらいなら、幽世に連れて来て一緒に暮らしたい……と青斗と赤瑠に懇願されました」


 羅漢の話を聞いて、椿はようやくすべてを理解できた気がした。天宮家の花嫁としての役目を果たせない椿を妻として迎える理由。それは愛する子どもたちのためだったのだ。


「それで羅漢様は私を二度目の妻としてお迎えに来られたということなのですね」

「親馬鹿とお思いでしょう。ですが父への初めての『おねだり』だったのです。だから何としても叶えてやりたかった。申し訳ございません。椿さんとしては納得できない嫁入りですよね……」

「そんなことありません。青斗くんと赤瑠くんが好きなので嬉しいです」


(きっと羅漢様は私を妻にと心から望まれたわけではないのだわ。私は青斗くんと赤瑠くんの遊び相手。ふふ、羅漢様に女性として愛されてると思って、ちょっとだけ期待しちゃった。馬鹿だなぁ、私……)


 だが椿を天宮家から引き取るためには、羅漢の花嫁として迎えるのが一番良い方法だということは椿にもよくわかる。強欲な父が納得できる形が幽世への嫁入りだったのだから。

 椿は姿勢を整えると、羅漢に向けて頭を下げた。


「羅漢様、青斗くんと赤瑠くんの遊び相手兼お世話係として、私を働かせてください!」


 青斗と赤瑠のために羅漢の元へ引き取られたのなら、自分にできることを精一杯やろう。それが羅漢、そして青斗と赤瑠へのせめてもの恩返しだと椿は思った。


「椿さん、わたしはあなたを使用人や乳母にするつもりで幽世に連れてきたわけではありません。椿さんは私の妻。そして青斗と赤瑠の継母です。それだけは忘れないでください」

「はい。お気遣いいただきありがとうございます」


 形式上は羅漢の妻ということなのだろう。羅漢のこれまでの椿への接し方を思えば、妻として大切にするという言葉も嘘ではないように思えた。


(それでも私はきっと羅漢様の契約妻みたいなものね。立場をわきまえて行動しよう)


 羅漢に女として求められているわけではないとしても、役立たずと罵られる毎日よりずっといい。可愛い双子の子守りをできるのだから、椿としては願ってもない居場所だ。


「羅漢様、どうぞよろしくお願いいたします」

「椿さん、そんな堅苦しい挨拶はやめてください。あなたはもうわたしの妻。堂々としていてください」


 羅漢の言葉は嬉しい。だがその妻に敬語で話しかけているのだから、やはりあくまで自分は羅漢にとって形式上の妻であると思ってしまう。


(私にできることを頑張ろう。羅漢様と、青斗くんと赤瑠くんのためにも)


 本当の妻ではないが、辛い世界から羅漢が救いだしてくれたことは事実。ならばせめて恩返ししたいと椿は秘かに決意するのだった。


 *


 翌日から椿はできるだけ青斗と赤瑠のそばにいるようにした。羅漢のお屋敷にまだ慣れていないため、まだ二人の子守りとまではいかないが、青斗と赤瑠のことをもっと理解したいと思うからだ。

 青斗と赤瑠の話し相手をしながら、二人をよく見て感じたこと。

 青斗と赤瑠はとても仲が良く、常に二人で過ごしている。青斗と赤瑠だけがわかる会話を楽しんで、二人きりの世界で遊んでいる。双子だからということもあるのだろう。青斗と赤瑠だけの特別な繋がりがある様子だ。実の母がすでに他界、そして父親である羅漢は仕事で多忙。愛してくれる父と母が近くにいないため、青斗と赤瑠はお互いしかいない状態になっているのかもしれない。お屋敷には執事の秋羽や使用人も多くいるため、大人に放置されているわけではないのだが、一歩距離を置かれているように感じた。


「青斗様と赤瑠様はとても仲がよろしいので、我々使用人はお二人の邪魔をしないように気を配り、少し離れた場所から見守っております。ですが最近はお二人で人間の世界へこっそり遊びに行かれることが多く、我々使用人も悩んでおりました。青斗様と赤瑠様の監視役として誰かをそばにつけても、わずかな隙をねらってお屋敷を抜け出し、人間の世界へ行ってしまわれるのです。不甲斐ないばかりでございます。至らぬ執事で申し訳ございません」


 執事の秋羽は椿に深々と頭を下げながら話してくれた。


「青斗くんと赤瑠くんのことをお話ししてくださってありがとうございます。これからは私がそばにいるようにしますね」


 執事の秋羽には羅漢の仕事を支える仕事もある。そのぶん椿が青斗と赤瑠のことをしっかりと見守っていくことにしようと思う椿だ。


「羅漢様と青斗くんと赤瑠くんの親子関係はどんな様子ですか? 親子で遊ばれるところを見ない気がするんですが」

「羅漢様はお仕事がお忙しく、親子で過ごされる時間が少のうございますね。青斗様と赤瑠様も御父上を困らせたくないのでしょう、遊んでほしいとせがむこともございません」

「では青斗くんと赤瑠くんは、何か買ってほしいと羅漢様にお願いしたこともないんですか?」

「ございません。椿様を羅漢様のお屋敷に連れて来てほしいとお願いされたのが、お二人の初めての『おねだり』でございました」

「そうだったのですね……」


 父と息子たちの間に心の距離はあるが、それでも互いを思い合っているのは確かなようだ。


(思えば私も、お父様に甘えたことがほとんどないわ……。『天宮家の花嫁としてふさわしい女であれ』と厳しく教育されたもの)


 父に良い娘と認めてほしいから、椿は必死に花嫁教育を頑張ってきた。父の膝に乗って甘えたことも、遊んでもらった記憶もない。

 だが椿が花嫁になれないとわかった途端、冷遇されるようになった。父の理想を叶えられる娘しか必要なかったのだろう。


(せめて青斗くんと赤瑠くん、そして羅漢様には仲の良い親子であってほしい。私のようにならないように)


 青斗と赤瑠、そして羅漢の関係を良くするために何をすればいいのだろう。自分自身が父と良き親子になれなかっただけに、すぐに答えは見つけられない気がした。

 執事の秋羽に教えてもらったことを胸にとどめ、椿は青斗と赤瑠のそばへ駆け寄った。


「青斗くん、赤瑠くん。一緒に遊ぼうか?」

「うんっ! 椿ちゃん、あそぼー」

「おぅ! あそぼうぜぃ、椿」


 羅漢や秋羽にはあまり懐いていない青斗と赤瑠だが、椿には素直に遊んでほしいと言ってくる。そんな二人がとても可愛いと思う。


(私は体が子どものままだから、青斗くんと赤瑠くんも警戒しないのかもしれない。成長しない体に何度も絶望したけれど、まさかこんな形で役立つことがあるなんて)


 大人に素直に甘えられない青斗と赤瑠が、唯一心を開いているのが椿なのだ。


「何して遊ぶ?」

「うんとね~今日はどうしようかな~」


 青斗は腕を組みながら頭を傾け、うーんと悩んでいる。その姿が微笑ましい。


「青斗、かけっこしようぜっ! おれ、走るのだいすき!」


 赤い瞳をきらきらと輝かせながら、赤瑠が元気よく叫んだ。


「椿ちゃん、いいの?」


 椿のことを心配してくれているのか、青斗は遠慮がちに見つめてくる。


「私は走るのは得意じゃないから、二人の後を追いかけていくね」

「うん! 遅れてもいいからついてきて」

「ゆっくりでもいいぜっ!」

「じゃあ、よーいドン! で走ろうね」

「「うん!」」


 椿の提案に、青斗と赤瑠は片腕をあげながら返事をした。


「じゃあいくよ。よーいドン!」


 椿のかけ声を待ってましたとばかりに、一斉に走り出す青斗と赤瑠。二人の後について走ろうと思った瞬間、予想もしないことが起きた。なんと青斗と赤瑠は、まったく逆方向に走り始めたのだ。青斗は椿から見て左側のお屋敷本宅に向かって走り、赤瑠は右側の中庭へと走っていく。


「え……?」


 かけっこと言うのだから、青斗と赤瑠は同じ方向に並走して走ると思っていたのに、真逆の方向へ走っていくとは。仲良しの双子なのに、走る時だけ別行動になるのだろうか。突拍子もない動きに椿は慌てふためく。


「ど、どうしよう? どちらを追いかければいいの?」


 双子兄弟がまったく違う方へ走っていった場合、どちらを優先して後を追えばいいのか、瞬時の判断が求められる。


(本宅には秋羽さんか使用人の皆さんがおられる。ならまずは中庭に走って行った赤瑠くんを追いかけないと。池もあったから落ちたら大変)


 元気すぎる赤瑠が危険な行動をしないよう、最初に赤瑠を追いかけることを決めた。だが青斗も放置するわけにはいかない。


「青斗くーん! あとですぐ行くから、本宅で待っていてね!」


 椿が叫んで伝えると、赤瑠よりも少し走るのが遅い青斗の耳に届いたようだ。


「はーい!」


 青斗の返事を確認すると、椿はすぐに赤瑠の後を追った。すでに赤瑠の小さな背中は、はるか遠くだ。


「待って、赤瑠くん!」


 椿の声が聞こえていないのか、赤瑠はぐんぐん走っていく。キャハハと笑う声が聞こえてくるから、楽しくてたまらないのだろう。

 

「椿が追いかけてきたぁ! 捕まらないぞぅ!」


 椿と追いかけっこになったことが嬉しい赤瑠は、中庭の池のほうへと突っ走る。


「その先は池だよ、赤瑠くん!」


 椿が必死に叫ぶと、池の直前で赤瑠の足がぴたりと止まる。息切れしながらと駆け寄ると、にかっと明るく笑った赤瑠が待っていた。


「椿、やっときたぁ」

「赤瑠くん、足早いんだもの」

「おれ、はやいか? ならもっとはしる!」

「待って、赤瑠くん、そこは池よ!」


 くるりと背を向けた赤瑠が池へ飛びこもうとしている。椿は慌てて両手を伸ばし、赤瑠の体を抱き止めようとした。ところが。

 うさぎのような跳躍力で、赤瑠は池を見事に飛び越えたのだ。ひらりと飛び降り、向こう岸へと着地する。


(え……?)


 まさか赤瑠が池の上空を飛んでいくとは思わず、両手を前方に広げた形の椿の体は、なす術なく池に落ちていく。激しい水音と共に椿の体は水の中へと沈み、すぐには水面に浮かび上がることができない。


(早く水面へ。でも足が……)


 全力で走ったからか、足に激痛が走る。痙攣をおこしたようだ。必死にもがくが、水を吸った着物の重みが椿の小さな体を水の中へ沈めていく。


(息がもう……だれか、助けて。羅漢様……)


 椿は咄嗟に羅漢の名を心の中で呼んだ。形式上の妻であっても、椿にとっては唯一の旦那様なのだから。

 体の力が完全に途絶えた瞬間、力強い腕が椿の体をつつみ込んだ。


「椿、大丈夫か!?」


 名を叫び、椿を水の中から救い出してくれた御方がいる。最初は誰なのかわからなかった。

 ゆっくり目を開けると、そこにいたのは羅漢だった。椿を抱き上げ、心配そうに見つめている。漆黒の髪が水で濡れ、眩しいほど輝いて見えた。


「大丈夫かい? 息子たちがとんでもないことを」


 椿の小さな体を、羅漢は大切そうにぎゅっと抱きしめる。羅漢の温もりに、椿の目から涙がほろりとこぼれ落ちた。


(羅漢様が助けに来てくださった……うれしい)


「羅漢様、椿様、御無事でございますか!」


 事態に気づいた秋羽や使用人たちが続々と集まってくる。


「暖炉に火を入れてくれ。それから体を温めるものを」

「かしこまりました」


 羅漢の指示を聞いた秋羽が手際よく暖炉を準備する。メイドと呼ばれる女中さんのおかげで濡れた着物を脱ぎ、軽い洋装に着替えることができた。羅漢は着替えの時だけ椿のそばを離れたが、すぐに椿をまた抱きかかえ、暖炉のある部屋へと運んでいく。

 椿がいくら大丈夫、自分で歩けると言っても、羅漢は椿の体から手を離そうとはしなかった。

 薪がくべられた立派な洋式の暖炉の前に下ろされると、椿は毛布でぐるぐる巻きにされ、さらに羅漢の膝の上で背後から抱きしめられる。


「このほうが早く体が温まるから」


 理屈はわかるが、ずっと抱きしめられたままでは、さすがに椿も恥ずかしくなってきた。顔まで暖炉の火のように熱くなる。


「あなたが無事で本当に良かった……」


 椿の背中越しに、羅漢が囁いた。


「妻がわたしの目の前で死ぬのは、もう二度と御免だ……」

「羅漢様……」


 羅漢の最初の妻、美蓮のことは詳しく知らない。だが妻に先立たれることに平気な夫はいないだろう。妻を愛していたのなら尚更だ。その心の痛みを椿は想像することしかできない。だが労わることはできるように思えた。


「私は死にません、羅漢様。青斗くんと赤瑠くんのためにも。だからどうか心配なさらないでください。元気な双子の男の子の子守りを、私は甘く考えていたんだと思います。今後は十分気をつけますから」

「あなたのせいじゃない。いけないのは青斗と赤瑠だ。後でしっかりと叱っておきます」

「叱らないであげてください。私の不注意なんです。あの子たちはきっと遊び方を知らないんです。同世代の子たちと遊んだことがないと聞いてますし、大人にもあまりかまってもらってないようですから」

「それでは父であるわたしの責任だね」


 背後から椿を抱きしめる羅漢のほうへ顔を向け、羅漢を見上げて椿は懸命に伝える。


「誰の責任という話をしたいのではありません、羅漢様。私はお伝えしたいのは、青斗くんと赤瑠くんの心にもっと寄り添ってあげたいということなんです。あの子たちは羅漢様との時間が少なくて、寂しく思っていると思います。子どもというものは親に愛してほしいものなんです。だから必死にいい子になろうとする。私がそうでしたから、よくわかります」


 羅漢は椿の話にじっと耳を傾けている。静かに聞いていてくれる気遣いが嬉しい。


「私は父が望む『天宮家の花嫁』になるため、必死に努力してきました。だって父に、いい子だと頭を撫でてほしかったから。父に認められ愛されることが、私のただ一つの願いでした。その夢は叶わなかったけれど、天宮家を離れてわかったことがあります。父は私のことを、父が望む縁談を運ぶための駒でしかなかったんだって。私と父は良い親子関係を作れませんでしたが、羅漢様と青斗くんと赤瑠くんは違います。だってお互いへの愛情がちゃんとありますから。だからどうか二人の心にもっと寄り添ってあげてください。私も継母として、青斗くんと赤瑠くんを愛し、守っていきたです」


 自分が父にも母にも愛されなかったぶんだけ、青斗と赤瑠を幸せにしてあげたい。それが縁があって継母となった椿の責務であり、生きる目的だと思った。


「椿さん、わたしはあなたのことを見くびっていたようだ。正直言えば、わたしはあなたに継母としては期待していませんでした。あくまで遊び相手であってくれればいいと。でもあなたは本気で継母になろうと考えてくれているんだね」

「偉そうなことを申し上げましたが、二人の良き継母になりたいと思う気持ちに偽りはありません。だってあんなに可愛い双子ちゃんたちのお母さんになれるんですもの」


 体が子どものまま成長が止まっている椿では、可愛い子をもつことは夢でしかなかった。だが羅漢のおかげで継母になれたのだ。今の立場に甘えず、可愛い子どもたちのために努力することに椿は一切迷いはなかった。


「私、もっと頑張ります。だから羅漢様もお力を貸してくださったら嬉しいです。そして少しでもいいから、あの子たちと遊んであげてください。みんなで遊び方を学びましょう」


 子どもの遊びは、ただ共に遊べばいいというものではない。危険がないか周囲を確認し、危険な遊び方をしないよう、子どもに指導していく必要もあるのだ。椿は今日の経験で、それを痛いほど痛感した。


「椿さん、ありがとう。わたしはしっかり者の妻を娶ることができたようだ」

「私はただ青斗くんと赤瑠くんのために、できることを考えていきたいだけです」


 羅漢に守られるだけでは、良き継母にはなれない。心も体も、強くならねばいけないのだ。

 

「椿さん……」

 

 羅漢の赤い瞳が椿をじっと見つめている。視線を感じた椿は、心臓がとくんと跳ねるのを感じた。手を伸ばした羅漢の指先が、椿の頬をそっと撫でる。くすぐったさに椿は思わず目を閉じた。


「羅漢様、失礼いたします。青斗様と赤瑠様をお連れしました。椿様にお会いしたいそうでございます」


 執事の秋羽の声だ。椿と羅漢がいるのは暖炉がある客間のため、ドアを軽く叩いて来訪を告げてくれたようだ。


「秋羽か。二人を通してくれ」

「かしこまりました」


 秋羽に連れられ、青斗と赤瑠がおずおずと客間に入ってくる。二人とも今にも泣きそうな表情だ。


「おとしゃん、椿ちゃん。ごめんなしゃい……」

「とーちゃん、椿、ごめんよぅ~。おれのせいで椿がぁ……わぁ~ん!」


 先に泣き始めたのは、赤瑠だった。おいおいと泣く赤留の横で、青斗もぽろぽろと涙をこぼす。


「椿が死んじゃうって思ったら、おれ、うごけなくて……ごめんよぉぉ~」

「ぼくらのせいで、ごめんなしゃい、ごめんなしゃい~」


 大声で泣きながら、必死に詫びる青斗と赤瑠。そんな幼子二人の姿を見たら、誰が責められるだろう。羅漢は青斗と赤瑠の元へ歩み寄り、二人の頭を撫でた。


「青斗も赤瑠も反省しているようだから、わたしからはもう何も言わない。椿さんは父さんの大切な妻であり、おまえたちの継母ということだけは忘れないように」


 すすり泣きながら、青斗と赤瑠がこくりと頷く。


「青斗と赤瑠が無茶な遊び方をしているのは、おまえたちにかまってやれなかった父さんの責任でもあると思う。だから今後は青斗と赤瑠と過ごす時間を増やそうと考えている。おまえたちはどう思う?」


 羅漢は息子たちの意思を確認したいようだ。青斗と赤瑠は互いの顔を見つめ、不思議そうに頭を傾けている。


「おとしゃん、ぼくたちのこときらいなんでしょ? なのに、ぼくたちとあそぶの?」


 おずおずと青斗が話したことに、羅漢が驚いた表情を見せる。


「わたしが青斗と赤瑠を嫌っている……? なぜそんなことを? おまえたちを育てるために、慣れぬ西洋とも取引して、必死に仕事をしているというのに」


 落ち着いて話しているように見えるが、羅漢の顔が徐々に険しくなっている。青斗の発言に、戸惑いと苛立ちを感じているのだろう。羅漢が鋭い眼光で睨みつけているため、青斗と赤瑠は怯えて、かたかたと震えている。

 椿は慌てて羅漢と子どもたちの間に入り込み、青斗と赤瑠の体を支えた。


「羅漢様、落ち着いてくださいませ。まずは二人の話を聞きましょう」


 椿の言葉で、子どもたちが怯えていることに気づいたようだ。羅漢は子どもたちから顔を背け、ふぅっと息を吐いた。


「すみません、混乱してしまって。椿さん、青斗と赤瑠に話を聞いてみてもらえますか?」

「はい、承知いたしました」


 抱き合って震えている青斗と赤瑠を見つめ、椿はにっこりと微笑んだ。


「青斗くん、赤瑠くん、大丈夫だよ。お父様は怒ってないからね」


 青斗と赤瑠の体を優しくさすってやると、体の震えは止まったが、不安そうに椿を見つめている。


「ほんと? おとしゃん、おこってない?」

「とーちゃん、こわいよぅ……」


 羅漢は怒っているわけではない。ただ悲しく、辛かったのだ。

 愛する息子を育てるため、羅漢は仕事の手を広げ、多忙な生活を送っていた。だが子どもたちから「お父さんは僕たちを嫌ってる」と言われて平気な親などいるはずがない。体は子どもであっても、心は大人である椿には羅漢の気持ちを理解できるが、まだ幼い青斗と赤瑠にはわからないのだろう。


「椿に話してもらえるかな? どうして『お父様は僕たちを嫌い』だなんて思ったの?」


 微笑みながら問いかけると、青斗と赤瑠は互いの顔を見つめ、ゆっくり話し始めた。


「だって、ぼくたちが生まれたから、おかあしゃんが死んじゃったんでしょ?」

「おれたちのせいで、かーちゃんは死んだって、いわれたもん……」

「だから、おとしゃんは、ぼくたちがきらいなんでしょ?」

「おれたち、『不吉な双子』ってやつ、なんだろ……」


 たどたどしい話し方ではあったが、青斗と赤瑠の悲痛な叫び声のように感じられた。


(ああ、この子たちはずっと自分を責めていたんだ。お母様の花蓮さんが亡くなられたのは、二人が生まれたせいだって。だからお父様にも嫌われてるって。そんなはずないのに……)


 幼い彼らの心の痛みを想像するだけで、たまらない気持ちになる。ずっと二人だけで遊んでいたのも、支え合えるのがお互いしかいなかったからなのだ。

 椿は両の腕をめいっぱい広げ、青斗と赤瑠を抱きしめた。


「青斗くん、赤瑠くん。御父上の羅漢様はあなたたちのことを嫌ってないわ。とても大切に思ってらっしゃる」


 椿に抱きしめられた青斗と赤瑠が、目をぱちくりとさせている。すぐには信じられないのかもしれない。


「おとしゃん、ぼくたちのこと、好きなの?」

「そうよ。お父様はあなたたちのことが大好きです。もちろん私もね」

「でもよう、とーちゃんはいつも、おれたちをしかるよ。きらいだから、怒るんだろ?」

「青斗くんと赤瑠くんが心配だから叱るの。危ないことをして傷ついてほしくないからよ。大切に思ってるからこそ注意するの」


 青斗と赤瑠は互いの顔を見つめ合い、きょとんとした顔をしている。まだ完全には理解できてない様子だ。


「青斗と赤瑠、椿さんの言うとおりだ。わたしはおまえたちのことをとても大切に思ってる」

 

 三人の様子を見守っていた羅漢が腰を下ろし、青斗と赤瑠の目線に合わせて話しかける。


「おとしゃん、ほんと……?」

「とーちゃん、おれらのこと、きらいじゃないの?」


 羅漢は逞しい両腕を拡げ、青斗と赤瑠、そして椿を大きな体でつつみ込む。


「青斗、おとしゃんはな。青斗のことが大好きだ。赤瑠、とーちゃんは赤瑠のことが大好きだよ」


 父の言葉を聞いた青斗と赤瑠は羅漢にしがみつき、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。


「ぼくも、おとしゃんが大好きだよぉ~」

「とーちゃん、とーちゃん。おれも好きだぁ~」


 泣きじゃくる息子たちの小さな頭を、羅漢は愛おしそうに撫でている。互いを思い合う父子の姿。なんて尊いのだろう。


(良かった……本当に良かった……)


 椿のような不仲な親子にならずにすんで良かった。この場に自分がいられることが、椿はたまらなく嬉しかった。


「椿ちゃんも、泣いてるぅ~」


 青斗に言われ、椿は自分も涙を流していることに気づいた。


「私までもらい泣きしちゃった……」


 羅漢が手を伸ばし、椿の涙を指で拭う。


「椿さん。あなたのおかげで息子たちとの誤解が解けたよ。ありがとう」

「私は何もしてません、羅漢様」

「なんだか椿さんが大きく感じられ……おや? 椿さんの体、本当に大きくなってないか?」

「え?」


 羅漢に言われ、椿は自身の体を手や足、体を見つめた。

 少しだけだが、手足が伸びているように感じる。胸元にも膨らみがわずかにできている。慌てて立ち上がり、周囲を見渡すと、目線が以前より高くなっていた。


「羅漢様、信じられません……私の体、少しだけ成長してるみたいです」


 今の椿の体は十三歳ぐらいだろうか。まだ大人とは言えないが、小さな子どもの体ではない。これまでずっと成長してほしいと切望していたのに、なぜ今になって体が少し大きくなったのだろうか。理由はわからないが、初めて自分の体が愛おしく感じられる気がした。


「椿ちゃん、おかあしゃんって、呼んでいーい?」


 椿を見つめた青斗が、きゅるんとした笑顔で言った。


「おれも、かーちゃんで呼んでいーか?」


 赤瑠が照れくさそうに笑っている。


「青斗くん、赤瑠くん……お母さんって言ってくれるの?」


 少し成長できたとはいえ、まだ大人の体になれたわけではない。それでも継母(はは)として、胸を張っていいのだろうか。


「おかあしゃん」

「かーちゃん」


 青斗と赤瑠が継母(はは)と呼んでくれる。それは椿にとって、新しい家族の一員になれたことを意味する。ずっと夢見ていた、温かな家族に。そして子どもたちの継母(はは)になれた瞬間だった。


「これからは君のことを、『椿』と呼びたいと思う。許してくれるかい? 椿」

「もちろんです、羅漢様。いいえ、旦那様」


 天女の末裔の娘として生を受けながら、不遇な人生を歩んできた椿が、ようやく居場所を見つけた。

 夫の二度目の妻、そして継母(はは)として、大切に家族を守っていこうと誓う椿だった。


***


 天宮家で役立たずと虐げられていた椿が、幽世の羅漢の元へ嫁入りしてから一年あまり。

 今では洋式の洒落たお屋敷での生活にもすっかり慣れ、『羅漢の小さな若奥様』とあやかしたちに噂されるようになっていた。

 一年ほど前に体が少し成長したものの、それ以降、椿の体に大きな変化はなかった。


「今日のおやつはなぁに? お母しゃま」


 椿のことを、「お母しゃま」と呼ぶのは青い瞳をもった青斗だ。


「今日は『ハットケーキ』よ、青斗」

「わぁい、蜂蜜たっぷりかけてね」

「かーちゃん、おれは黒蜜!」


 椿を「かーちゃん」と呼ぶのは、赤い瞳をもった赤瑠だ。


 小麦粉に溶いた卵、砂糖、牛乳、膨らし粉を入れて混ぜ、フライ鍋で焼く丸いハットケーキは帝都のデパートで出されたものが始まりだが、幽世にも洋風のおやつとして伝わっていた。

 青斗と赤瑠は椿を「母」と呼び、甘えるようになっていた。穏やかだけれど、幸せを噛みしめる日々。虐げられていた天宮家での生活が遠い過去のようだ。


(これからも家族と幸せに暮らせますように)


 椿の願いは、夫である羅漢と継子の青斗と赤瑠と共に平和に生きていくこと。

 だが椿のささやかな願いは、羅漢からもたらされた報せで急変することとなる。


「椿、君の御父上から連絡があった。椿に会いたい、帰ってきてほしいそうだ」

「えっ、お父様が……?」


 椿の実父である源太郎は、天女の末裔である娘たちを『天宮家の花嫁』として嫁がせることに執着しており、体の成長が止まってしまった椿を冷遇していた。美しく成長した妹の牡丹ばかりを可愛がり、牡丹の祝言の邪魔になるからと椿を幽世の羅漢に嫁がせた。椿は死んだということにされて。

 生家の家族にはもう二度と会うことはないと覚悟していたのに、なぜ今になって父は椿に帰ってこいというのだろうか。理由はわからないが、あまり良い意味ではない気がした。欲深い源太郎は嫁いだ娘を恋しがる男ではないからだ。


「旦那様、椿はお父様に会うつもりはございません」

「わたしもそのほうがいいと思うよ。秋羽に調べさせたが、君の妹君の嫁ぎ先が揉めているらしい」

「何があったんでしょう?」

「詳しいことはまだわからない。牡丹さんの姿を見た者が最近いないそうだから」

「牡丹の姿が? そんなはずは……」


 華やかなことが好きな牡丹のことだから、嫁いでからも、あちこちにお出かけしていることだろうに。


「慎重に調べさせるから、椿は心配しないでくれ」

「はい、旦那様にお任せいたします」


 羅漢に任せておけば無事に解決してくれる、椿はそう思っていた。妹の牡丹のことは少し心配だったが、椿に何かできるとは思えなかったからだ。

 だがしばらくして、青斗と赤瑠が忽然と姿を消してしまった。


「青斗、赤瑠! どこに行ったの?」


 椿のことを母と呼ぶようになってから、許可なくお屋敷を出ていくことは一切なくなっていた。危険な遊びはしないこと。それが父と継母との約束だからだ。だから二人が椿に知らせることなくお屋敷を出ていくことはありえない。

 仕事から急ぎ戻った羅漢、執事の秋羽や使用人たちとも必死に探したが、どこにもいない。途方に暮れながらも、椿は必死に探し回った。


「青斗、赤瑠、お母しゃまはここよ……」


 目眩を感じた椿は近くの岩に腰を下ろした。ほど良い高さの岩がちょうどあったのだ。


『ミツケタ……』


 聞き慣れぬ声。ぞくりと悪寒が走って立ち上がると、背後から何者かに口を封じられた。必死に抵抗したが、手刀で首元をぶたれ、椿は気を失ってしまった。


「ん……」


 椿が意識を取り戻すと、目の前にあったのは天宮家の座敷牢だった。椿はかつて何度かここに閉じ込められた。役立たずの娘として。


「だれ……?」


 座敷牢から女の声が響く。その声に聞き覚えがある。忘れたくても忘れられない相手のものだ。


「お姉様……? いやぁ! お姉様の幽霊よっ!」


 座敷牢の中で震えながら土下座しているのは、椿の妹、牡丹であった。美しかった妹が、見る影もなくやつれている。


「牡丹、どうしてここに? 新堂家に嫁いだのではなかったの?」

 

 椿の声が聞こえていないのか、牡丹はがたがたと座敷牢の中で震えている。


「お姉様を虐めたりしたから罰があたったんです……許してください、お姉様ぁ! わたしを呪わないでぇ!」


 父親から椿は死んだと本当に聞かされていたのか、目の前にいる姉を幽霊だと思い込んでいる。


「牡丹、落ち着いて。事情をゆっくり話してちょうだい」


 驚いた椿が問うと、背後から二度と聞きたくない声が響いた。


「牡丹はな、役立たずの娘だったのだ。新堂家に嫁いだのに一年経っても才華の子を授からなかったゆえ、離縁された」


 振り返ると、そこにいたのは椿の父、源太郎だ。不気味なほど優しい笑みを浮かべている。


「美しくなったな、椿。やはりおまえこそが天女の娘だったのだ。天宮家の花嫁として新堂家に嫁いでおくれ」


 父はいったい何を言っているのか。幽世に嫁いだ娘を強引に呼び戻すとは正気とは思えない。


「お父様……まさかとは思いますが、青斗と赤瑠、私の息子たちを攫ったのはお父様ですか?」

「あいつらは椿の本当の子ではない。あやかしを雇って連れてこさせたが、おまえさえ戻ってくれれば、無事に返すと約束しよう」

「お父様っ……!」


 実の父がこれほど卑劣だったとは。強欲な男ではあったが、無謀なことはしなかったはずなのに。


「新堂家からの援助を打ち切られた。牡丹の支度金も返せという。だが椿が新堂家に嫁げば、すべて解決する。椿、おまえはいい子だ。父の願いを聞いてくれるだろう?」


 血走った眼でふらふらと椿に近づいてくる源太郎も、げっそりとやつれている。金策に尽きて、正常な判断ができない状態なのだろう。


「お父様、青斗と赤瑠を返してください。牡丹も座敷牢から出してあげて」


 椿はできるだけ冷静に、要求だけを父に伝えた。


「だから実の子ではない鬼の子と、役立たずの牡丹など必要ないと言っているだろう!」


 父のあまりに身勝手な発言に、椿の体が震える。それは恐怖ではない。純粋な怒りだった。

 子どもたちの命を、そして女の一生を何だと思っているのか。


「お父様、女性は、天宮家の娘は、才華の子を産むために嫁ぐわけではありません。嫁ぎ先で夫と共に新しい家族を作るために嫁ぐのです。天宮家の娘はあなたの道具ではない。今すぐ息子たちを返しなさいっ!」


 怒りに震える椿の体に異変が起きていた。手と足がするりと伸び、顔立ちも体も、少女から大人の女性へと変化していた。丸みを帯びた女性らしい体つき、驚くほど長くなった髪は椿を守るように波打っている。神々しいまでに美しく成長した椿の姿。源太郎はごくりと唾を飲み込んだ。


「おお、まさに天より降り立った天女様だ。やはり椿こそが天宮家の花嫁。さぁ、父の元へ帰ってこい」

「私は帰りません。子どもたちは返していただきます」


 ちらりと座敷牢を見ると、施錠された鍵が外れ、座敷牢の戸が開いた。閉じ込めれていた牡丹が、不思議そうな表情をしている。

 次は子どもたちだ。父の横を素通りしようとすると、源太郎が椿にすがりついた。


「待てっ! 父の許しもなく、どこへ行くつもりだ」


 椿は無言で父の手を振り払ったが、なおも源太郎はすがりつく。


「椿ぃ、実の父を見捨てるつもりか?」


 恥も外聞もなく、源太郎はおいおいと泣き始める。椿が優しい娘であることを誰より知っているのだ。

 

「お父様、なぜ私の体が今になって成長したのかわかりますか? 私は守りたいんです。愛する家族を。青斗と赤瑠を守るために、私は変わったのです。あなたのためではありません。金輪際私をあなたの娘と言うのはお止めください」


 椿の毅然とした態度に、源太郎は力なくしゃがみこんだ。娘がとっくに父の手を離れたことを、ようやく理解したようだ。

 椿が再び歩み始めると、可愛らしい声が響いた。


「お母しゃま!」

「かーちゃん!」


 青斗と赤瑠だった。双子を抱いているのは、椿の夫、羅漢である。


「旦那様! 青斗! 赤瑠!」


 可愛い息子たちに夢中で駆け寄った椿は、泣きながら二人を抱きしめた。


「無事で良かった、青斗と赤瑠……」


 青斗と赤瑠も椿にしがみつき、ぽろぽろと涙をこぼしている。


「怖かったよぅ、お母しゃま」

「お、おれは怖くねぇもん。ちょびっとぶるぶるしてた、けどさ」


 素直に恐怖を訴える青斗と違い、赤瑠は強気なことを言っている。だかその体は震えているため、強がっていることがよくわかる。


「遅れてすまない、椿。まずは子どもたちを救うのが先だと思ったのだ」

「ええ、青斗と赤瑠のほうが大事ですから。それより私の父が……申し訳ございません」

「君が謝ることじゃない。むしろわたしのほうがこの事態を予測しておくべきだった。青斗と赤瑠を少し任せてもいいか?」

「はい」


 青斗と赤瑠を羅漢から受け取ると、羅漢は呆然と座り込む源太郎に歩み寄った。


「わたしの妻だけでなく、子どもたちにまで危害を加えたことは到底許せない。二度とわたしの家族に近づくな!」


 文字とおり鬼の形相で怒鳴られた源太郎は、「ひぃ」と惨めな悲鳴を上げて震えあがった。


「せめて椿の妹君だけは大事に看病してやりなさい。それさえもできないのであれば、即刻つぶす。家もおまえもだ!」

「は、はいっ! お許しください」


 地に這いつくばった源太郎は頭をこすりつけるようにして詫びた。どこまで反省しているのかわからないが、二度と椿に近づくことはないだろう。


 椿と子どもたちの前に戻ると、羅漢は優しく微笑んだ。


「さぁ、帰ろう。我が家へ」

「ええ、帰りましょう」


(今度こそさようなら、お父様。そして牡丹)


 血の繋がった家族に心の中で永遠の別れを告げると、椿は羅漢に寄り添った。

 愛する夫、そして可愛い息子たちの温もりに包まれながら、椿は幽世へと帰っていった。



 *


 お屋敷に着くなり、青斗と赤瑠はこてんと寝てしまった。慣れ親しんだ我が家に戻ったことで、ようやく落ち着いたようだ。

 椿は二人を布団に入れてやると、そっと頭を撫でた。


「無事で本当に良かった。この子たちだけは守りたい……そう思ったら、私の体がこんなことになりました」


 椿はあえて悪戯っぽく微笑んだ。椿とて、攫われた恐怖を思うと、心がどうにも落ち着かないのだ。


「椿、無理して笑わないでくれ。あなたを守ると言ったのに、不甲斐ない夫ですまない」


 羅漢は椿の体をそっと抱きしめる。羅漢の体も、かすだが震えている。もう二度と妻を失いたくない羅漢にとって、愛妻が攫われることは何より辛いことなのだ。


「旦那様はご立派でした。凛々しくて誰より素敵でしたわ」

「嬉しいことを言ってくれる。それにしても、ずいぶんと変わったね、椿は」


 二十一歳の大人の女性、しかも誰もが見惚れるほどの美女へと成長した椿の姿を、羅漢は眩しそうに見つめている。


「そんなに変わりましたか?」

「ああ、とても。今の君なら、口づけぐらいしてもかまわないかい?」

「旦那様……」


 これまでの羅漢は決して椿に無理強いはしなかったのだ。

 羅漢の指先が椿の頬に触れる。椿は静かに目を閉じ、羅漢の愛を静かに受け入れることにした。


(私、羅漢様の本当の妻になるのかしら……なんだか怖い……)


 緊張と恥ずかしさで、心がどうにかなりそうだ。椿は体をぎゅっと縮めた、その瞬間。

 ぽん! という奇妙な音と共に、椿の体は少女の肉体に戻っていた。


「え……?」


 二人同時に声を発した。

 短い手足に戻った自らの体を確認した椿は、泣きそうな表情で羅漢を見上げる。


「羅漢様ぁ……体が子どもに戻ってしまいました……」


 目を丸くしていた羅漢だったが、やがて楽しそうに笑い始めた。


「なぜ笑うんですか? 羅漢様。私はやっと大人になれて嬉しかったのに」

「きっとたぶん、君の心はまだ大人になれていなかったということなんだろう。でも焦ることはないさ。わたしはいくらでも待つからね。君の心と体がわたしを受け入れてくれるまでね」


 大人の余裕の微笑みを浮かべた羅漢は、椿の頭を優しく撫でる。子ども扱いされているとわかるが、今は大人しく受け入れるしかない。


「天女、幽世へ降り立つ、か。君は幽世で伝説になるかもしれないね」

「私はそんなものいりません。羅漢様の妻でいたいだけです」

「可愛らしいことを言って、わたしを誘惑するのはやめてくれないかな?」


 羅漢の言葉の意味が理解できないのか、椿は不思議そうに頭を傾けている。


「可愛い椿。子どもの姿であっても、麗しい美女になっても、君はわたしの妻だ。これからも一緒に生きてくれるかい?」

「はい、旦那様」


 二人は互いの思いを確認するように、ひしと抱き合った。


 天女の血を受け継ぐ椿は幽世の鬼である羅漢へと嫁ぎ、数奇な運命に導かれ、鬼の継母となった。

 そしてこれからも温かな家族を夫と共に作っていくのだ──。



   了




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