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第6話 喧騒

こんばんは。 最近やっとコーヒーを飲めるようになった未沱 鯉です。


実験的に、今話より1話分の文字数を減らしてみることにしました。

読みやすい等の感想が頂けたらる様子でしたら、以前の話も修正を加えていこうかと思います。


 


 清潔感のある白塗りの塀に囲まれた瀬戸校は、東館、西館、南館、この三つの建造物によって学舎が形成されている。上から見ると、ちょうどコの字型に囲いを作る形だ。

 囲いの中には円形に整備された石庭と、更にその中心に、円柱の建造物がスラリと立っている。渡り廊下を通して各館に接続している所を見るに、どうやらその円柱が、移動の際の中間地点として活用されているようだった。


 コの字の囲いにおいて、唯一の隙間に当たる北方面には、金属製の大きな門が備えられている。普段は外敵を寄せ付けないように固く閉じられた状態で威圧感を放つそれは、今この時には登校してくる生徒達のために大きく口を開け、沈黙を貫いていた。そこから奥に見える片道2車線の広々とした道路が、学校の専用道路だと言うのだから驚きだ。


 いくらこの島が広いとはいえ、それでも土地の有限性という摂理からは逃れられない。だというのに瀬戸校はこうして潤沢に利用できている。その具体例は、専用道路だけに留まらない。

 西館の隣にある大型体育館やトレーニング施設。南館の背中に広がる広大な運動場。

 保有土地面積というたった一つの視点からでも読み取れる事実が、瀬戸校の資金力を強く見せつけていた。



 ── 6月17日 月曜日



 蓮と白船。2人の屋上での会合から、早2日の時が流れた。

 当たり前のように過ぎ去ってしまった土曜日と日曜日を、多くの者が飽きもせずに、ただただ惜しむ。

 そうして迎える月曜日。瀬戸校の生徒達も例に漏れず、その多くが倦怠(けんたい)感と義務感を混合させながら学舎へと重い足を運んでいた。


 初見の人間ならまず間違いなく圧倒されるだろう荘厳(そうごん)な門構えを、生徒達は実家の敷居を跨ぐような感覚で潜り抜ける。

 4月に入学を果たしたばかりの新入生達からも、作業とも呼べそうな深い慣れが感じ取れた。最初はあった登校への緊張感も、"習慣"の前では姿を消してしまうのだろう。


 スクールバスから降りてくる者。近場まで電車で来たのか、徒歩で来る者。駐輪場まで学校指定の自転車を押していく者。

 多種多様で、そして実に一般的な登校風景が、賑やかな話し声をBGMにしながら広がっている。


 そしてそんな中だからこそ、一際目立つ黒塗りのセダンが姿を表す。シンボルをマッドブラックに塗装したりなど、全体的に光沢を抑える工夫をしているようだが、それでも隠しきれない厳かな雰囲気を滲ませていた。

 明らかに格の違うその車が、駐停車スペースに静かに停車する。よほど高性能なのか、それとも運転手の腕が良いのか、微かな停車音すら響くことは無くその動きを止めていた。


 高級な物特有の存在感に、1人、また1人と生徒達が気づき始める。その空気感は即座に伝染し、玄関口で靴を内履きに替えようとしていた生徒らも、その手を止めて、視線を同じ向きに揃えていた。

 中庭越しに視線を向けても碌に見えない距離だろうに、目を凝らす様は、何らかの強制力を感じさせた。


 そう、まるで。ライブステージにお目当てのアーティストが登場する瞬間を待っているような、興奮と緊張感が同梱する異様な空間が形成されている。

 日常を感じさせていた何気ない話し声は、とうの昔に消えていた。


 そんな、異様な静寂の中。


 視線が集合地には、いつの間に降りていたのか、ピシリと背筋の伸びた運転手が後部座席の扉に手をかけていた。腰まで届く黒いローポニーテールが印象的な女性だ。

 扉にそっと手を添えるその立ち姿からは、確かな貫禄が発せられている。一目で分かる洗練された所作が、年月の重みを錯覚させ、彼女の年齢を30の前半……いや、後半のようにも感じさせた。


 しかしよくよく見てみれば、淡い、抜けるようなブルーメッシュが彼女の黒髪にひと束混じっている。そのワンポイントが、引き締めるような若々しさを想起させる。彼女の涼やかな面立ちと、その髪色が実に似合っていることもあって、第一印象と異なる若々しさが読み取れる。


 森深くの泉を思わせるミステリアスな雰囲気を纏うその女性は、生徒たちの無遠慮で圧力すら感じさせる視線に囲まれながらも、綽々(しゃくしゃく)とした様子を崩さずにその扉を開く。


 開かれた扉の、その先に背筋を伸ばして座る女生徒を目にして、生徒達の多くが──特に男子生徒が──生唾を飲み込んだ。

 瞬間、校庭の温度が上昇した。

 そんな錯覚をしそうな空気の変化の中で、件の女生徒──白船は、たおやかな所作で、それでいて堂々と車から降りてくる。

 動きに合わせて、膝丈のスカートが静かに揺れた。


「ありがとうございます、四条さん」


 周囲の視線を気にもかけず、白船は側にいる運転手──四条(しじょう) 茉莉(まつり)にお礼を述べた。

 四条は白船に一歩近寄ると、左手に備えていた鞄を差し出す。それを白船が受け取ったのを目視で確認し、また一歩離れる。

 たったのそれだけの動きながらも、洗練さを感じさせる淀ない所作だった。

 その動きに吊られて、彼女の髪が緩く舞う。背の高い草花が風に攫われたような動きを見せてから、静かに落ち着きを取り戻す様は、何とも言えない余韻を残していた。


「本日のお迎えも、いつも通りのお時間に参りますので」

「よろしくお願いします。時間にズレが生じるようなら、事前に連絡しますね」


 四条はコクリと小さく頷いて承諾の意を伝える。そしてそのまま、小さく微笑んだ。

 側にいる白船だけが感じ取れるような、小さな笑み。

 それを受けた白船は、学校に背を向けるように体を動かすと、四条と正面から顔を合わせて同じように微笑んだ。


「行ってらっしゃいませ、月寧お嬢様」

「行ってきます」


 短いやり取り。数秒程度の、ありふれた会話だ。

 しかしその瞬間は確かに、これからの環境に備えて猫を被ろうとする白船から"固さ"を剥ぎ取っていた。

 それだけ四条という女性は白船にとって、心許せる存在だということだろう。


 クルリと反転した白船の顔には、いつものように、人形を思わせる綺麗な微笑みが浮かんでいた。


 ──そしていつも通りであれば、白船は微笑みを携えながら、静寂の人混みの中を海を割ったモーセの如く突き進んでいくのだが。

 今日この日、この時から。その"いつも"が変化を見せる。

 その変化は白船が校門を踏み越えた、その時から始まった。


「──おはよう」


 そう、横から聞こえてきた静かな挨拶が、彼女の歩みを止める。

 同時に、観衆と化していた生徒達に疑念にも似た動揺を走らせた。

 "白船さんに登校の挨拶を行う"という自制によって抑え込んでいた妄想を、知らず無意識に行動に移してしまったのかと誤解して、慌てて自分の口を押さえている生徒もチラホラと姿を見せている。


 そんな彼らの姿は、側から見れば滑稽極まりないものだ。しかしこうして動揺が生まれる程に、登校中の白船に声が、それも男の声が掛かったこの状態は、瀬戸校の生徒達にとっては異常事態だった。


「……おはようございます、佐々波君」


 白船はゆっくりと首だけを振り向かせて、胡乱げな表情を隠しもせずに挨拶を返す。常に微笑みを絶やさない白船が珍しい表情をするものだと、動揺から抜け出せない生徒達は思った。彼女のそれは、ポジティブな表情とは決して言えないが、それでも普段と異なる顔を引き出した存在に、自然と注目が集まる。


 観衆の視線を二分することになった男子生徒──蓮は、先ほどまで目を通していたのだろう本をパタリと閉じて、その本を手にしたまま、白船に向かって片手を上げた。返礼のつもりなのだろう。


 緊張を感じさせない、実に自然な振る舞いを見せる蓮は、校門の接続部に当たる石柱──道路側に『島立瀬戸内高等学校』と銘板が取り付けられている石柱──に預けていた身体を離し、足元に置いていた鞄を拾い上げると、ゆったりと白船に近づいていく。


 ただそれだけの動きに向けられる、周りの男子生徒達からの激しい圧。

 いかに鈍感な人間でも察知するだろうそれに、蓮はまるで気付いていないかのように歩みを進めながら、本を鞄に仕舞っている。ついでに、鞄についていた土埃を緩慢な動作で払っていた。


 そんなことをしている内に、すぐに白船の正面に辿り着く。


 いよいよ、周囲からの無言の圧が怒気に変わり始める。隠すことなくガンを飛ばす生徒も出始めた。

 それら外野の形なき牽制に、やはり蓮はチラリとも目を向けず、彼女に向けて無造作に片手を突き出した。


「……」


 白船はパチパチと瞳を瞬かせて、差し出された手を凝視した。

 この手が"何の手"なのか、咄嗟に理解できなかったからだ。


「……鞄。持つぞ」

「え……ああ。鞄ですね……ええ、ありがとう」


 蓮が(じれ)ったそうに言葉を付け足したことで、止まった時が動き出す。蓮の提案に素直に従って、鞄が手渡された。

 動揺を隠しきれずにいた白船だったが、鞄を差し出しながら付け足した感謝の言葉には、溢れるような小さな微笑みが添えられていた。


 それを目することになった生徒達の葛藤は、今度こそ、押さえきれない絶叫となって天高く響き渡ることになる。


 ワーワー。キャーキャー、と。

 校舎の窓ガラスを震わせかねない喧騒の中心で、2人はお互いの肩越しに、しれっと周りを観察する。

 息のあった品のない合唱団が、それぞれの視界に映り込む。

 このやかましさなら、此方の会話を耳にすることは不可能だろう。その事実を確認すると、改めて目を合わせた2人は、これ幸いと言葉を交わし始めた。


「滑り出しは上々かな?」

「ええ。順調ね」


 彼女は再び微笑む。今度はしっかりと、対面する蓮に向けて。

 目尻が下がった、確かな笑顔だった。


 明らかに蓮を意識した笑顔。その唐突な燃料の投下に、合唱がヒートアップを見せる。


 ふふッ、と。彼女の口から笑い声が漏れた。

 それは、住宅街だったなら間違いなく通報される迷惑行為に晒されていながらも、微笑みを崩さずに発っせられていた。

 対して蓮は、微かに顔を顰めながら嘆息している。周りがうるさい事も確かだが、それ以上に、目の前の彼女に向けた呆れの部分が大きい。


 顔には出さず、声にだけ愉悦を乗せる白船のテクニックは中々のものだったが、この状況に愉悦を覚える彼女の感性には、小さな呆れを覚えずにはいられなかった。

 彼女の声を聞き取れた者が蓮だけだったために、他が知ることにはならなかったが。


 それにしても、と。笑い声を内に押さえ込んだ白船はそう呟いて、探るような視線を蓮に寄越す。


「思った以上にノリノリじゃない貴方。めんどくさがり屋は廃業したのかしら?」

「ここで頑張っておけば、後で楽ができそうだからな」


 蓮の口から出たのは、何とも消極的な意見だった。

 らしいと言えばらしいやる気を感じさせない言葉に、しかし白船が不満を覚えることはなかった。口ではなんと言おうとも、そして彼の主義主張がどんなものであろうとも、事実こうして行動してくれているであれば、文句などなかったからだ。


「そう……なら最初の成果にも期待しておくわね」

「可能な範囲で頼む」

「あら、私のオーダーは絶対よ?」

「どんな女王様だ」

「契約不履行は極刑」

「暴君は寿命を縮めるぞ」


 2人のやり取りには、どことなく気安さが感じ取れた。それは屋上での会合の際には、決して無かったものだ。


 それもその筈。多くの者にとって、当たり前に過ぎ去った2日間の休日。

 その時間を、2人は決して無駄にはしなかった。相互理解の為に有効活用していたのだ。

 流石に、お互いを十全に理解したとは、とても言えない。せいぜいが親友に対するレベルの理解度だろう。しかしアイコンタクトで簡単な意思疎通ができる程度には、その関係性は深まっている。


「さて……」

「ああ……」


 2人は同時に頷いた。

 覚悟はとうに決まっている。


「それじゃあ頼むわよ。精良(せいりょう)私の彼氏君(My Sugar)

「程々に使ってくれ。峻烈(しゅんれつ)俺の彼女さん(My Doll)


 歓迎には程遠い喧騒をバックに、瀬戸校を舞台にした2人の物語が、今始まった。



 ★



 ここ瀬戸校には3つの館があることは、既知とされていることだろう。

 東館が、教職員や事務員、学校運営に関わる一切を管理している教員棟。西館が、この瀬戸校に2つある図書館の1つを内包し、芸術分野の修練設備を備えている文化棟。そして最後の南館が、全校生徒を収容する教育現場であり、学生棟と呼ばれている。


 各館は5階層に分かれており、その内学生棟は1階層に5つの教室が割り振られている。

 珍しいことだが、瀬戸校は屋上を除いた最上階の5階に1年生の教室、3階に2年生、1階に3年生の教室が整備されていた。間の4階と2階は空き教室がズラリと並び、移動教室や特殊講義の際に用いられている。


 移動は階段に限らず、全階層に完備されたエスカレーターと、館の両端に備え付けられた各2基、計4基のエレベーターを用いることが可能となっている。

 凄まじい設備投資には圧巻の一言だが、これだけ堕落の誘惑が身近にある生活の中でも、健康的に階段を使用する生徒が多くいることが、ここ瀬戸校の生徒達の意識の高さを感じさせた。


 なんて事のない日のこの時間であれば、生徒達は従順に教室への道を歩き進んでいた事だろう。しかし今日は、学校一の美少女とも呼ばれる白船と、悪い意味で有名になっていた転校生である蓮を中心に添えた話題が、狙い澄ましたかのように投下されている。

 学校とは、社会の縮図とも表現されることがある。同時に、閉ざされた世界とも。


 縮まり、閉じている。


 だから必然、噂が広がるのは一瞬だった。


 蓮達が石庭を越え、南館の昇降口を通り抜けた頃には既に、全校生徒のおよそ7割が情報をキャッチしていた。

 そして流石の若さと言うべきか。情報を手に入れた彼らの行動は早かった。


 バタバタ、ドタドタと。せっかく登った階段を逆走する足音が響く。

 教師の目に止まったの場合は罰則を免れなかっただろう勢いだった。


 しかしどちらにとっても幸いなことに──生徒は罰則を受けなくても済み、教師は大量の罰則執行書を作成しなくても済んだ──校庭の喧騒がカモフラージュしてくれていた。そのおかげで、昇降口での人混み生成は迅速に執り行われた。


 この暑い中、ご苦労なことだ。


 隣の生徒と肩がぶつかる事も気に留めず、事実確認に精を出す思春期学生達。靴箱の前で内履きを取り出している2人を、興味深げに観察している。

 蓮に向けて嫌悪感や疑念を隠しもしない視線が大量に混じっているのは、ご愛嬌というやつだろうか。


 蓮という()()が、()()()白船さんとどういった関係なのか。

 彼らはその点が、気になって仕方がないらしい。


「……人気者って、ロクなことがないんだな」

「芸能人が心を病みやすいって言われている理由が、理解できるわよね」


 決して周囲にバレないように小さく会話する2人は、やるせない表情を一瞬浮かべた。

 期待、崇拝、特別視。文字面は美しくとも、過ぎればただの強要だ。それらは圧力を生み、無自覚かつ無責任に人の心を押し潰そうとする。


 まだ教室にも辿り着いていない、そんな段階にも関わらず、蓮は察する他無かった。慣れた様に周りに目を向ける隣の彼女が、想像以上の精神的負荷に耐えてきたという事実を。

 例え小さくとも、同情的な意識が生まれたことを、蓮は否定できなかった。


 とはいえ、それで蓮のやるべきことが変わる訳ではない。

 既に契約は交わされている。であれば、粛々と執り行われるべきなのだ。


 靴を履き替えようとする白船に向けて、静かに蓮の手が差し出される。

 先ほどと同じようなシチュエーションを前に、踵に手を添えるために屈もうとしていた彼女の動きが止まった。そして不思議そうに、目の前にある手に対して首を傾げる。


 契約を履行するために事前に決めておいた対応と異なるのか、彼女の不思議そうな様子に作為的なものはなかった。

 唐突な蓮の行動に疑問を感じたのは周囲も同じようで、やり取りへの関心が一気に強まる。そのことを肌で感じ取った白船は、即座に仮面を被った。


「この手は、なんでしょう?」

「床に手を突きたくはないだろ」


 実に見事な外殻を纏いながら丁寧に紡がれた問いかけに対して、蓮は端的に答えを口にした。

 支えになると。つまりはそういうことだろう。


 知らないかもしれないが、と。蓮は前置きしてから。


「俺はこれでも、彼女は大切にする派なんだ」


 なんてことないように、そう付け加える。

 淡々と口にされたその言葉は、まるで狙ったかのようによく響き、野次馬たちの耳を打つ。


 一瞬の静寂。


 周囲の生徒達が体を硬直させたことによって、昇降口から音が消える。そうして生まれたばかりの無音の空間は、実に儚く、即座に砕け散ることになった。


 ──はぁッ!?、と。


 驚愕一色に染め上げられた叫びが空間を満たす。

 未だ校庭にて活動中の合唱団にも劣らない、新規の合唱隊の出現。

 昇降口とはいえ校舎内だ。彼らの声は当然反響、拡大した。


 教員達の出動が決まった瞬間である。


 好き勝手に喉を震わせるガヤに対して、彼らの急な絶叫に反応したものとは異なる驚きを、白船は露わにしていた。


 このタイミングで暴露するなんて予定にないわよッ!


 胸の内で咄嗟に叫ぶ彼女は目を見開き、ポカンと顎を落としている。

 活動に夢中の合唱隊にはそのお間抜けな表情を見られることがなかったのは幸いだろう。


 蓮の予定外の行動によって、白船は動揺を隠せない。

 しかし長年の猫被りは流石と言うべきか。この事態にも彼女の頭はしっかりと働いているようで、最適解を選び取る。


 この事態をチャンスとして有効に利用する為に──周囲にとっては確実に辞めて欲しかっただろうが──差し出された手に、己のそれを、そっと添えた。

 ついでとばかりに、頬を染めて見せる。


 恋人であることをバラされた&彼氏の気遣いに恥じらう美少女の完成だ。

 背景に光すら幻視できる姿だった。


 蓮への拒絶感をカケラも感じさせない彼女の姿が、合唱隊の熱気をより一層高めることになった。もはや半狂乱だ。


 そして、この混乱に乗じてコソコソと会話をする下手人たち。


「佐々波君……貴方ねッ」

「言った筈だろ。俺はモノグサなんだ」


 事はさっさと進めるに限る、と。蓮は眠気すら感じさせる、ゆとりある口調で呟く。

 小さく片頬を上げているのを見て、白船は察する。2人の予定にはなくとも、この行動は蓮にとってアドリブではなかったのだろう。


 もはや手を繋いだような状態のままで、彼女は驚きの代わりに迫り上がってきた呆れを滲ませながら嘆息した。


「相変わらずの、めんどくさがり屋ね。変わり無いようで安心したわ……」


 でも、と続けて。


「予定にないことはしないで頂戴。私にも、心の準備というものがあるのよ」


 そう短く不満を漏らして、靴を履き替える作業に戻る。

 しゃがんだ姿勢の彼女を上から見下ろしながら、蓮は言う。


「でも、効果的だったろ。なぁ、女王様?」

「……」


 靴の履き替えに集中することで、白船は蓮の言葉に無言を返した。

 ただしそれは、肯定と納得を示している証拠でもあった。


 彼女の無反応を気にもせず、手を差し出したままに蓮は口を開き続ける。


「疑われないためには、嘘を使わないことだ。おかげでインパクトは絶大だ。俺たちの関係はすぐに広がるだろうな」


 周囲の喧騒が、蓮の言葉を事実たらしめている。

 白船は知らなかったからこそ、備えができなかった。だから素の反応が引き出され、演技を超える効果を齎している。


 "2人の恋人関係を周知させる"という白船のオーダーを、蓮は見事に完遂した。


 しかし、一杯食わされたような格好になったことがどうにも納得しがたくて、白船は返事はせずに無言を貫く。外履きを摘み上げた流れで、繋いでいた手を離し、そのまま蓮に背を向けた。

 小さな反抗心を、そうして発散しているようだった。側から見れば、恥ずかしがって顔を見れない、といった風に偽装することは忘れずに。


 芸が細かいことだ。


 そう、偽装に注力していたこともあってだろう。

 蓮が誰とも知れずに楽しげな笑みを見せていたことを、そしてその笑みにどんな意味が込められていたのかも、彼女は知らない。


 バタンッと、少しばかり力強く、靴箱が閉じられる。

 この環境だからこそ選択できた荒っぽい動きは、白船の狙い通りに騒音にかき消された。



お読み頂きありがとうございます。


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