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第5話 契約締結



 



 ──時は英弘(えいこう)24年、5月17日金曜日。

 蓮と白船が屋上にて対面する、およそ1月前のことだった。

 場所は、2人の所属クラス。2年1組の指定教室。

 中間テストを乗り越えた間際ということもあり、教室内には緩和した空気が広がっていた。


 英弘島がいくら人工島とは言え、海に囲まれた環境では必然的に湿度は高くなる。人によっては強く嫌うこともある環境特性は、瀬戸校でも変わらない。

 しかし、よほど高性能の設備を備え付けているのか、空調による除湿で、教室内は快適な空気に包まれていた。


 その教室に1人立つ蓮は、つい一週間前まで通っていた以前の高校との違いを、その快適さを通して早くも実感していた。


「佐々波 蓮です。よろしくお願いします」


 淡々と、最低限の情報をただ述べる。

 教員を含めた40名分の視線を感じながら、蓮は教卓の隣でシンプルな自己紹介を行った。

 趣味や好みの話などで飾りつけることのない、実に簡潔なそれ。人によっては素っ気ないとすら感じる個性を感じさせない挨拶が、蓮がこのクラスで最初に発した言葉となった。


 急な転校生の紹介に対して、生徒たちの反応は意外な程に静かなものだった。しかし軍人学校という訳でもないので、チラホラと小さな声での私語も見られた。

 気持ちばかりに口元に手を当てながら、コソコソと短い会話が密かに行われている。


「……けっこう良くない?」「そうかな。ちょっと怖そうだけど……」「私は、クールそうでいい感じだと思うけどなぁ」「へぇ、意外ー。私は無しね」


 そんな、主に女子たちが行う外見的値踏みであったり、


「変な時期の転校だな…なんか訳ありか?」「もうちょっと自己紹介頑張れよ」「これでこのクラスも40人に戻ったな」


 男子たちの、各々の価値観に沿った意見が溢れたり。


 その程度の小さなざわめきが一度起き、そしてすぐに落ち着いた。転校生への無関心さが彼らにそうさせたのではない。ひとえに"分別"によるものだ。

 今は騒ぎ所ではないという共有理解と、その理解に準じた統一された行動。それらは、規則への従順さを強く感じさせた。


 その様子を軽く見渡しているのは、蓮の横に控えていた女性教員──根雪(ねゆき) (さき)だった。

 蓮の自己紹介に感想も文句も言わず、ただ黙って1歩前に出る。


 カツリ、と。靴底が床を叩く音が響いた。


 彼女は、清美(せいび)という言葉がよく似合う女性だった。

 落ち着いた色合いのブルーダークの髪をアップにしてまとめ、パンツスタイルの女性用スーツをキッチリと着こなしている。本人のスレンダーな体格にキッチリと合わされた服の為か、引き締められながらも、女性らしい柔らかさを内包した体付きを露見させていた。

 装飾品は身につけておらず、化粧もナチュラルに仕上げられている。元々の素養の高さ故だろう、飾り気を必要としない本能的な美しさを滲ませている。

 その立ち姿は、働く女性という特集を組まれた雑誌にそのまま載せることが出来そうなほどだった。


 そんな美しき女性教員の踏み出した両の足が隣同士になる頃には、名残惜しげに教室をくすぐっていた囁きすら、沈むように消えていた。

 訓練の成果を確認する上官のように、根雪はゆっくりとした頷きを見せる。


「流石は皆さんです。理解が早くて嬉しく思います。交流は後程、他クラスの迷惑にはならないようにだけ気をつけて下さいね」


 丁寧な口調でありながらも、鋭さを感じさせる物腰。反射的に『はい』という異口同音の返答が生徒達から発せられた。

 その反応に、根雪は今一度の頷きで返す。25才という、教員としては若手でありながらもクラスの担任を任されている彼女は、満足そうな頷きに反して、その硬い表情を崩すことはなかった。


 瞬きを一度挟み、静かに蓮へと振り返る。

 腰から首筋にかけて筋の通った立ち姿をしているだけに、その動き一つ取っても、洗練された印象を見るものに抱かせた。


 どことなく冷たさを感じる目線が、蓮に焦点を定める。


「席は窓際、1番奥の空いてる所です。日差しが気になるようでしたらカーテンを閉めてもらっても構いませんので、ご自由になさって下さい」


 言葉の内容こそ転校生である蓮を案じるものであったが、その声には温度が無かった。先ほど生徒達に向けていた台詞と比較しても、明らかに冷たい。どころか冷たさを超え、痛いとすら思わせる鋭利さすら顔を覗かせていた。


 そのことに、生徒達が気づいた様子はなかった。背中を向けられているのだ。声は聞き取り辛くなり、気づけなくとも仕方のないことだろう。

 言葉通りに読み取って、気遣いある対応をしているのだろうと、生徒達は認識している。

 気づいたのは、対面していた蓮だけだ。


 気づいて、そして一度視線を交じらせて。

 一歩、いや半歩だけ、体をズラす。根雪から微かに距離を離す形でだ。

 蓮が見せた反応は、それだけだった。表情にも何ら変化は見られなかった。


「お気遣い、ありがとうございます」


 形式的な感謝を口にして、ノロノロと席に向かう。すれ違いざまに根雪から刺すような視線が送らたものの、蓮は今度こそ何の反応も返さずに足を進めた。

 1歩踏み出すごとに、背中に向けて不躾な視線が増えていく。中には小さく歓迎の言葉を投げかける生徒もいたが、それら全てに欠片の意識も割こうとはせずに、蓮は指定された席に辿り着く。


 これからお世話になる机を、なんとなしに一度撫でる。


 蓮の転入に合わせて新しく仕入れたのだろうか。

 机からは新品特有の軽い木香が漂っていた。


「それでは、本日の連絡事項をお伝えします」


 その声で、生徒達の意識が前に向く。歓迎の言葉を蓮に無視されてしまい小さく動揺していた生徒も、ハッとしたように教卓に立つ根雪へと視線を移し替える。

 淡々と、連絡事項が読み上げられ始めた。


 その声に溶け込ませるように、蓮は静かに、そして深くため息をこぼす。

 転校を繰り返してきた蓮にとって、この後に質問攻めが容易に予想できたからだ。

 面倒くさいという思いのもと、無造作に机に肘を付いて、窓から外に目線を移す。

 透き通った青空を、2羽の鳥が羽ばたいていた。


 隣から、ただ静かに眺める目線があったことを、この時の蓮が気づくことはなかった。



 ★



 過去を思い浮かべるために意識を彷徨わせていたのは、ほんの数秒だった。閉じていた瞳を開きながら、白船は現実への帰還を果たす。

 言葉は汚いけれど、と。彼女は前置きを置いた。


「コイツしかいない! と、その時私は思ったわ」


 胸の前で小さく握り拳を作りながら、当時と同じように左隣に座る蓮を見遣る。

 その瞬間の高揚がぶり返したのか、抑えきれないといったように、溢れるような笑顔を浮かばせている。

 白い形の揃った歯が、唇の隙間からチラリと覗いていた。


「流石に、直感的過ぎやしないか?」

「そうかしら?」

「いやそうだろ」


 対して蓮は冷静な様子を崩さなかった。冷めているとも思えるほどだ。


 とはいえ、もっともな反応でもあった。白船が晴れやかに告げた"確信のタイミング"は、早すぎるほどに早かったからだ。

 最低でも他の男子生徒達を相手にした時のように、情報の精査を行なってから狙いを定めてきたのだろうと、蓮はそう考えていた訳で。

 肝心の理由が見当たらないことは、あまりにも意外に過ぎた。


 "正気かコイツ"というのが本音だったのだ。


「確かに、判断の速さは認めるわ。直感的だと言われても仕方がないし、"考えなし"という(そし)りも甘んじて受け止めましょう」

「自覚はあるんだな」

「これでも、自己分析が出来ないほど、愚かでは無いつもりよ」


 でも、と彼女は続ける。


「"巧遅(こうち)拙速(せっそく)()かず"とも言うじゃない」


 出来が良くて遅いよりも、出来が悪くても早い方が良いという意味の言葉だ。

 物事は素早く決行すべきであると捉えることもでき、"巧遅拙速"という四字熟語にもなっている。

 それは蓮にも既知の言葉だった。


「孫子か」

「あら、博識ね」

「たまたま知ってただけだ……だけど確かに、実りないことに無駄な時間を掛けるよりかは、即断即決のがマシか」

「まぁ、佐々波君の言う通り、些か直感頼りの面は目立つけれどね」


 でも私は、1年以上もの時間を費やしてきたのよ、と。白船はすわった声で付け足した。その声音には、重ねた苦労に対する苛立ちが滲み出ている。


「私はこれでも、それなりに人を見る目は養えている方だと、そう自負していたのよ。特に、私が求めている条件に合致する人間相手にはね」


 彼女の言葉には、しっかりとした重みがあった。

 ベテランの警察官が直感で犯人像を捉えるように、武術の達人が相手の技量を一目で読み取るように、彼女は経験に裏打ちされた直感を備えていた。

 対象とできる相手は、ひどく限定的ではあったが。


 その経験が、一目で蓮の人間性を察知した。

 体の使い方、視線の動かし方、表情筋の反応……。一つ一つは極小さな判断材料を瞬時に拾い集め、過去の経験と照らし合わせ、一つの結論──条件に合致する可能性──を、蓮に見出したという訳だ。


 そういった特技を備えた人間がいることを、蓮は知っていた。だから驚きも、否定もなく受け止めることは出来た。


 とは言え。


「当時の俺は、一目で()()だと判断されるほどに、情けなさが滲み出て見えてたのか……」


 思い返してみても、腑抜けていたという自覚はあった。しかし、他人から見ても"酷い"レベルであっただろう事実に、思う所はありそうだ。

 徐に持ち上げた手で、目頭を押すようにして揉んでいる。


 そんな、僅かに傷心した姿を見せる蓮。

 しかし白船は欠片も気にした素振りを見せず、淡々と話を進めていく。


「直感と共に、確信もあった。それに対する自信もね。でも理由もなく、根拠もなく、直感だけを頼りに行動するほど、私は理性を失っていた訳でもないの……後先考えない行動で誰かに迷惑を掛けるようなことは、したく無いしね」


 付け足すように呟かれた最後の言葉には、痛いほどの実感が籠っていた。

 後先考え無い"告白"と呼ばれる行動で迷惑を被っていた彼女だ。同じような立場には立ちたくはなかったのだろう。

 彼女の言う通り、確かに追い込まれていた身でありながら、その辺りの理性は残っていたようだった。


「だから、今日この日までの1ヶ月の間、私は佐々波君を観察することに時間を費やした訳よ」

「よく俺は一月も気づかないでいられたもんだなぁ」

「おかげさまで、貴方のことをよく見れたわよ」


 彼女の"それ"はほぼストーカー宣言だが、蓮に実質的な迷惑は掛かっていないことも確か。当人は気づいてもいなかったようだし、バレなければ罪には問えないのが現代社会の弱い所でもある。

 そういった意味では、誰かに迷惑を掛けないという白船の理性も、しっかりと守られていた。


 蓮はため息一つで、彼女の行動を流すことにした。


 まぁ、でも、と。白船はいったん区切りを付けて、トーンを落とした声音で言葉を繋ぐ。


「私の人を見る目に関しては、まだまだ未熟と言ってもいいレベルだったようだけれど」

「そうなのか?」

「こうして、アドリブで話をしているのが答えじゃない。それくらいは分かるでしょう。 予想外で想定外の佐々波君?」


 予想が外れた。想定の外にあった。

 それらが示すことはつまり、見誤っていたということ。

 白船は不服そうに顔を顰めながらも、その事実を飲み下そうと努めているようだった。


 ここで気になるのが、過去の白船は蓮のことをどのような人物として捉えていたのか、という点だ。

 条件に挙げられていた、ボッチで、根暗で、オタクだと思われていただろうことは抜きにして。その上で、彼女には"佐々波 蓮"という男子生徒が、どう見えていたのだろうか。


「ちなみに。予想して、想定していた俺の人物像はどんな感じだったんだ?」


 話の本筋からズレないだろうことを見越した上で、蓮は質問を投げかける。

 彼女は視線を彷徨わせながら、当時の印象を語る。

 自分の目から見た、蓮の学校での姿を。


「友人関係にも、学業にも興味を示さない、何故学校に来ているのかすら疑問に思えてしまうほどの堕落者……だったわね」

「辛辣……」

「いえ、これは多分妥当だと思うわよ? きっと、私以外の人達も同じ印象を抱いていると思うわ」


 確信を滲ませる白船の言葉に、蓮は眉を寄せて、自身の、ここ1ヶ月の学生生活を振り返る。


 生徒間のやり取りは最小限。友人もろくに作らず、授業ももっぱらボーと過ごす。教師に目を付けられてもガンスルー。最近では堂々と居眠りをする始末。

 生徒はもちろん、教師達からの評判をも地に落とす、不真面目を形にしたような振る舞いのオンパレードだった。


「あ、これは堕落者だわ」


 頭に浮かんだ答えを咄嗟に口に出したような間抜けさで、蓮は彼女からの評価を肯定した。


「むしろ、何故ここに来て唐突に利発的な部分を出してきたのか……特別隠していた訳でもなさそうだけれど、それが何故このタイミングなのか……あまりにもチグハグで、私は不思議でならないわ」

「白船を納得させられるような理由はこれと言って無いんだが……でも、黙ってホイホイと誘いに乗っていたら、その時は俺、ロクな目に合わなかったんだろ?」

「話を戻しましょうか」


 白船は明言を避けて話を進める。

 それは無言の肯定でもあったが、お互いの立場をリセットしたことが邪魔をして、蓮に追求という名の追撃を許さなかった。


「佐々波君という、三つの条件に見事適合したエリートたる堕落者が現れた。観察してみたところ所感とそう違いはなさそうだし、これ幸いと、私は取り込みに掛かったわけね」


 エリートたる堕落者ってなんだ。という反射的疑問には静かに蓋がされた。

 その代わりなのか、微かな皮肉を込めて蓮は指摘する。


「もはや告白とも言わなくなったな」

「取り繕っても意味のない段階にきたもの」


 悪びれもしない態度に、蓮は小さな苦笑いを溢す。

 取り繕っても意味がないというのは、そのまま、取り繕う必要がないとも受け取れる。


 彼女の話を聞けば聞くほどに、深みにハマっていく感覚が強くなっていく。

 蓮はその確かな感覚から目を逸らして、続きを促す。まだ口にされていない、最後の要点に関して問いかける。


「とりあえず、動機と条件は理解した。最後に残った、対応を変えてきた理由の部分を教えてもらえるか?」

「そうね。そこが一番重要なところだものね」


 白船は庭園へと視線を移す。夕陽に照らされることで暖色の強まった草花が、静かに風に揺れている。

 顔を正面に向けたまま、瞼を閉じた彼女はスッと背筋を伸ばし、両手を添えるようにしてスカートの上で組む。伏せられていた長いまつ毛が再び天に向き直った頃には、常に表に出ていた嗜虐的な雰囲気が、その色を確かに薄めていた。


「対応を変えようと──いえ、変えなければならないと思わされたのは、実のところ、ほんの十数分前のことだったわ」


 十数分前というと、蓮の周りをぐるぐると回りながら観察を行なっていた、ちょうどその辺りだ。そのタイミングで心変わりが起こっていたのだと、彼女はそう言っている。

 あの時の観察を通して、何か感じるものがあったということだろうか。


「屋上で最初に貴方を目にしたその時は、正直、印象が変わるようなことはなかったの。条件を見事にクリアした逸材だと確信していたし、思うがままの結果を掴み取取るのは目前のことだと、疑いもしなかったわ……結果的にではあるけれど、直感に従って盲目になっていたのね、私は……何せ、影に隠れて笑うのを堪えていたくらい慢心していたのだもの」


 屋上の扉が開いてからも、なかなか顔を見せなかったのはそういうことかと、蓮は遅れながらの納得を得た。


「でも予想外にも、貴方は疑問を疑問のままで放っておかなかった。私を前にして、欠片の動揺も見せずに冷静に頭を回してみせた。それどころか想定外にも、告白が偽物であることすら見抜いてきた」


 微かに響く、息を吐く音。

 白船が自嘲気味な笑顔を溢した音だった。


「あの時は最初に驚きが、続けて苛立ちが胸に湧き立ったわ。当然よね。思い通りになるとばかり考えていたのに、実際は何一つ上手くいかなかったのだから……けれど、その時ふと気づいたのよ……これはむしろチャンスなんじゃないか、って」

「チャンス?」


 蓮はおうむ返しに先を促す。

 そう、チャンスよ。と白船は肯定の言葉を持って話の繋ぎとした。


「話をしている内に、私の中で貴方の見え方が変わっていくのを強く感じたのよ」


 庭園に向けられていた視線が、蓮に移される。真剣味を孕んだ視線だった。

 向けられた側の蓮もそれを感じ取り、肘を着いていた姿勢を無意識に正す。


「私は……貴方のことを、周りに受け入れてもらえなかった人間なのだと、そしてそのことを諦めた人間なのだと、そう思っていたわ。孤独を受け入れて、その現状を改善しようともしない弱い人間なのだと、そう思っていたの」


 的外れも良いところよね。白船はそう自分のことを(あざけ)る。


「貴方は周りに受け入れられなかったんじゃない。周りを必要としないだけ。そして、高い共感力と観察力を兼ね備えているからこそ、協調することが煩わしさを感じている。そして何より、この短時間でも理解させられる優れた知性を備えている」


 自身を"見る目がなかった"と評していたとは思えないほどに確信を感じさせる口調で、蓮への人格分析に修正を加えていく。

 その内容は、100%完全に合致している、と言える程ではなかったが、しかし決して掛け離れたものでもなかった。


 想像以上に自分のことを見られていたことに、そして理解されていたことに、蓮は密かに衝撃を受けていた。

 その衝撃から身を守るように、肩に僅かな力が入っている。そのことを即座に自覚した蓮は、意図的に力を抜きながら腕を上げ、困ったように頬を歪めて、ポリポリと頭を掻いた。


「ベタ褒めだな」

「ええ。何せ私は、貴方を逃すつもりがないもの。褒め言葉程度、いくらでも口にしてあげるわよ。そんなことで手に入れられるのなら、安い買い物よ」

「怖いわ」


 捕食者というか捕縛者というか。とにかく狩る側の者の目を向けられて、蓮は素直に恐怖を口にした。

 冗談よ、と。彼女は可笑げに小さく笑う。しかし、その身に纏う空気感はそのままで、弧を描く瞳も笑っているようにはとても見えない。

 え、怖ッ……。蓮は心の中でもう一度、より真摯にそう呟いた。


「佐々波君は、ちゃんと自覚を持った方が良いわね」

「何に対してだよ」

「貴方が私にとって、どれだけ魅力的な存在なのかという事実に対してよ」


 恋愛的な意味で口にした訳ではないことを、蓮は理解していた。白船も、蓮がそう理解することを分かった上で言葉にしている。

 既に、2人の間に色恋の空気感は死滅していた。勘違いすら起こり得ないほどに念入りに擦り潰されていた。


 "どう魅力的なのか"を、白船が語る。


「先に、今の私の気持ちを伝えておくと、そうね……思っても見なかった掘り出し物が、唐突に目の前に現れたような気分なのよ。さっき貴方が挙げた例を参考にするのなら……殺虫剤を買いに行ってみれば、センサー機能付きで高い効力も併せ持つ自動撃退型の最新機器に出会ったようなものよ。しかもお値段は目当てにしていたものと同額。コスパ最高を超えて、もはや眉唾物よ。これは買うわよね」


 確かに買うわ、と。蓮も頷いて納得を示す。

 目の前に既存品と完全上位互換の商品、その二つが同じ値段で売られていれば、どちらを手に取るかなんて分かりきったことだ。誰だってそうするし、白船だってそうしたまでのことだった。


「とはいえ、佐々波君は物品ではなくて人間な訳で。お金を払ったからと言って手に入れられるとは限らない」

「まぁ、明らかな厄介ネタを引き受けようとは、普通思わないわな」


 蓮は、面倒くさような顔を隠しもしない。

 目元を前髪で隠していながらもしっかりと伝わる、実に嫌そうな雰囲気をここぞとばかりに表に出していた。


 分かってますと言わんばかりに、彼女は小さく頷く。


「だから私は、こうして胸の内を恥ずかしげもなく晒しているのよ。ちょっとでも情を感じてもらえれば儲け物だしね」

「そういうことは普通、言わないもんじゃないのか」

「これでも私、必死なのよ。それに既にバレているのでしょうし、いっそのこと正直に白状したほうが、誠実な対応になりうるでしょう?」

「……」


 情に訴える作戦に気づいていることを肯定してしまえば、ますます蓮を狙う理由が増えることになる。だから蓮は沈黙を選択した。

 優秀な能力を一つでも多く持っていること。彼氏役に対してそんな条件を設ける白船にとって、ここでの肯定は商品価値を上げる行為だ。


 かと言って、下手に否定もできない。高校生活の半分を観察に費やした彼女の目は、その誤魔化しを容易に見抜くだろう。

 沈黙を選択したと言うよりは、それしか出来なかったと言うべきだろう。


 こうして沈黙が返ってくることを、白船は予想していた。

 だからこれ幸いと、言いたいことを気兼ねなく口にしていく。


「こうして話をすることで、まずは私の目的と手段を明確にできたと思うのよ。誤解なく、誤魔化しようもないようにね」


 白船が口にした動機を『殺虫剤』という形で表現し直したのは、蓮自身だった。

 比喩というものは、使う本人が本質を理解しなければ行えない表現方法だ。その表現を用いた上で相互理解が生まれた以上、今更知らぬ存ぜぬは通じない。

 迂闊な口を縫い付けてやりたいと、今までお世話になってきたよく回る口に対して、蓮は人生で初めて不満を抱いた。


「何をさせられるのか分からない仕事では、貴方は首を縦には振らないでしょうし」

「誰だってそうだろ」

「私のお願いに限っては、その『誰だって』は少数派(マイノリティ)なのよ」


 実感の籠った言葉に、蓮の負け惜しみ染みた呟きは押しつぶされた。

 なんら拡張無く学校一の人気もである彼女のお願いに対して、首を横に振れる人間は決して多くなかった。


 一般論では部が悪いことを察して、蓮はアプローチを変えてみる。


「確かに、何をさせられるのかはなんとなく予想はできるが……仮に引き受けたとしても俺にメリットがないんだが?」

「花の高校生活で、私と一緒の時間を過ごせるというのに、不服なの?」


 ゆっくりとした流し目と共に視線を合わせながら、ニコリと。実に魅力的な笑顔が向けられる。

 学校生活に限らず、日常のあちこちで振りまいている(有効活用している)のだろう、磨き抜かれた魅惑の微笑み。


 蓮はそれを目前にして、ピーマンを前にした小学生の様に顔を顰めた。


「その笑顔辞めてくれよ。確かに綺麗だけど、普通に気持ち悪い」

「ちょっとっ、気持ち悪いとは何よ!」

「俺が疑って掛かった一番の理由は、その綺麗すぎる笑顔だからな? 人形みたいで……正直どうかと思う」


 面と向かって言われた酷評に、白船はムッと顔を顰める。同時に、学生らしい幼さが滲み出る。今の表情と比較してみれば、確かに先ほどまでのそれは、あまりにも綺麗が過ぎていた。


 白船は顔を表面に戻し、顎に手を添えてブツブツと不満を垂れる。

 その横顔はボーと見ながら、今の方がずっと魅力的なのに勿体無いと、胸中で溢す蓮だった。


「この笑顔に好意的じゃない男子はこの学校にはいなかったのに……見る目がないわね……いえ、むしろあるのかしら? 作り物だってこと、ちゃんと見破っているわけなのだし」


 そう言ってチラリと目線をよこす白船に、意外にも不機嫌な様子はなかった。むしろどこか、満足気ですらある。

 二度、瞬きを挟んだ彼女は、顎に添えていた手をヒラリと解いて、小さく肩を上げてみせる。


「……ま。流石にさっきのは冗談よ。上手くいけばラッキーとは思っていたけれどね」「おい」


 ふふ、と。陽気な笑い声が彼女の口から漏れる。


 コホン、と。小さな咳払いを挟み、そのままワンテンポ置いて、蓮の目前に指が突きつけられる。白くてほっそりとした、白魚のような指が、蓮の顎先に向けられていた。


「めんどくさがりの貴方にも刺さる確固たるメリットと言う奴を、ちゃーんと準備しているから、安心しなさい」


 指を突きつけたまま、自信ありげに片頬を上げる白船。

 お断りモードを継続していた蓮も、その自信に感化されて俄然興味が湧いてくる。

 聞くだけならタダ。そんな言葉が脳裏を過ぎる。

 無意識に、蓮は頬を歪めていた。楽し気に。


「教えてくれよ。モノグサな俺を動かす、そのメリットってやつを」


 白船は指を静かに下ろしながら、ニヤリと、一度微笑む。

 潤んだ桜色の唇が開く。


「──」


 緑のカーテンに覆われた空間で、蓮はしっかりとその言葉を聞き届けて。


「いいな、それ」


 そう呟きながら、頬を緩める。

 体温が上昇した、そんな気さえする興奮を、蓮は感じ取っていた。


 白船もまた、確かな手応えを実感していた。大きな達成感が胸に湧き立つ。


 抱く気持ちに差異はあっても、まるで鏡写の様に同じ表情浮かべる蓮と白船。そんな2人を祝福するように風が吹き、花が舞った。


 まるでレースのような形をした、白い淵の赤い花びら。

 百日紅(サルスベリ)が、天高く舞い上がった。







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