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第2話 告白への疑念

上手く時間が確保できたので2話目投稿です。


 


 無風無音。その環境下において遮るものはなく、白船の問いかけはしっかりと蓮の耳に届く。

"なんだって?"と問い返すような誤魔化しが効かない状況で、蓮は反射的に口を開いていた。


「──え、興味ない」

「即答ですか」


 にべもない返答を前に、白船は不満を隠すことなく顔を顰める。


「もう少しこう……せめて考える様子くらいは見せてはくれませんか? 即断即決は好まれやすい考えでしょうけれど、今この瞬間には不適切かと」

「一理あるな」


 蓮はあっさりと頷くと、希望通りに考える様子を惜しげもなく晒し始める。

 その素直な態度からは、自身の本心に対する執着の無さが見て取れた。その本心は反射的に口を突いて出たのだろうに、簡単に切り捨ててしまうのは如何なものか。

 先の問答で話が終わらせられないことを最初から理解していた上で、もしかしたらのラッキー目当てに本心を口にしたのではないか、という疑念すら感じさせた。


 口元を隠すように、掌で顔半分を覆う蓮。

 熟考していることを全面に出した体制だった。促した側である白船は、そのあからさまな態度の変化に思うところはあるものの、下手に追求することもなく蓮からの返答をじっと待っていた。屋上に、自然と沈黙が降り立つことになる。

 先に我慢の限界が訪れたのは、やはりというか白船の方だった。お腹の前で組んでいた両の手、その指先を焦ったそうに遊ばせ始める。


「……あの?」

「もう少し待ってくれ」


 返答を促すように首を傾げる白船に対して、素っ気のない対応の蓮。心ここに在らず、という印象を受けた。

 考えてくれとは言ったものの、まさかこれほどに長引くことになるとは思わなかった白船は、結局待ちの姿勢を継続する他なかった。内心を落ち着かせるためか、肩を落とす勢いで深く深呼吸をしている。


 それから沈黙が続いたのは、2分か、3分か。そんなところだった。その間、白船が再び返事を促すようなことはなかった。微かな困惑こそ滲ませてはいたが、急かす様子もなく、陽から逃れた影の中で蓮の言葉をじっと待っていた。

 サァッと、労わるような優しい風が吹く。蓮の肌に滲み始めていた汗が気化する。それによって生まれた小さな爽快感が、蓮の背中を押した。

 蓮は、考え事に集中していた為に下げられていた顔を上げ直して、白船に向き直る。

 結論が出たのだろうと、そう、白船にも察せられた。


「随分と待たされてしまいましたが……改めて、答えをお聞かせ願えますか?」


 さらりと、白船はそう言った。恥じらう様子はかけらもなく、自信すら感じさせる堂々とした声音だった。先のやり取り──興味がないと言われて不満を表に出した一幕──を感じさせない、強気な態度だ。

 蓮は微かに眉根を寄せる。過剰とも言える自信を滲ませていることもそうだが、告白の返事を待つ側の態度にしては、違和感があった。しかし追求することはなく、待たせて悪かったな、と謝罪を返すに留める。

 続けて開く口から出たのは、白船が期待した答えではなかった。


「返事の前に、一つ質問してもいいか?」


 その質問に答えてくれれば、俺も同じく答えを返そう。そう付け加えながら、許可を求める。思考に集中していた時間で何か考えの変化があったのか、蓮からは否定一色の雰囲気が薄れていた。


 告白における定番質問──"どこを好きになったのか"

 白船はすぐに返答をもらえなかったことに僅かなもどかしさを感じながらも、大凡同系統の質問が来るのだろうと予想する。それは想定の範囲内の出来事で、すでに自分の中に用意していた答えを喉元に待機させながら、どうぞ、と質問の許可を出した。

 それじゃ、遠慮なく。そう、蓮は軽く前置きをし、質問を口にした。


「何で俺のことを好きでもないのに、告白まがいのことをしてるんだ?」


 予想外の質問──というよりかは指摘──に硬直した白船は、用意しておいた回答が喉につっかえてしまい、すぐには返事を返せなかった。

 少しの間を空けて、


「……それは、どういう意味でしょうか?」


 そう、細い声で問いかける。蓮と異なり影に入っているとはいえ、流石に暑さを感じているのか、白船の肌にはいつの間にか汗が浮かんでいた。先程首元を流れていった一雫は、そのせいか。それとも他の要因あってのものだろうか。


 蓮は不思議そうに首を傾げる。


「これ以上ないほどに、分かりやすく質問したつもりだったんだが」

「つまり貴方は、私が好きでもない異性に告白する、頭の可笑しい存在だと言いたいのですか?」

「いやそこまでは言ってないけど……まぁ、大凡その通り」


 そう、肯定を返しながら、うん、そこまでは言ってないよな……と、自分の発言を確かめるように小さく呟いている蓮。対して白船は目を細め、不服そうな様子を見せている。


「待ち合わせ時間を指定しておきながら遅れてきたことに関しては、本当に申し訳ないと思っていますが……この気持ちを面と向かって否定されるほどのことをしてしまったのでしょうか」

「そこを掘り返すつもりはないし、待たされたことと今の質問は関係ない……先に言っておくと、別に白船の対応のどこかが気に障ったとか、何か不快に感じているとかでもないぞ?」

「では、どうしてそう思ったのか……理由が知りたいです。当然、教えてくれますよね?」


 圧力のある笑みを前にして、蓮は困ったように頭を掻いた。

 あっさりと終わらなかった問答に、面倒ごとの気配を敏感に感じ取ったようだった。

 こっちの質問には答えてくれないんだな、と。内心思いながらも蓮が口にすることはなかった。ますます面倒なことになるのが目に見えていたからだ。


 即断即決だろうが熟慮断行だろうが、どちらにしろ面倒ごとを引き寄せた事実に、蓮は世の不条理を感じ取った。


「あー、この話はもう終わりでいいんじゃないのか? このままだと話が長くなりそうだ。あれだ。お互い、今日は合わなかったということで」

「はい、そうですね──とはいかないことを理解されていますよね?」

「まぁ、そうだよな……」


 蓮は肩を落として、諦めるようにため息を吐く。

 簡単には帰れなそうだな、と。その言葉の代わりに口から出ることになったため息は、重く大きなものだった。

 その音をばっちりと拾っていた白船の左目が、ぴくりと小さく痙攣した。


「と言っても、理由ね……」


 こうして諦めの悪さを見せている、それそのものが理由なんだけどな。と、蓮は口には出さずに胸の内で溢す。今それを口にしたところで、あまりにも説得力に欠けた言葉になると、自覚していたからだ。それでは白船は納得してくれないだろうし、煙に巻くように誤魔化される未来が予測できた。

 だから必要なのは言葉を探して、そして組み立てること。筋道を立てなければならない。


 散らかったいくつもの書籍を本棚に戻す時のような感覚で、蓮は考える。

 白船の告白を疑う理由は、いくつかあった。

 差出人の名前のない手紙。屋上での告白というベタベタな展開。何より、度重なる失礼をかましている蓮を相手に、未だ恋人関係を諦めようとしていない事実。


 不自然だ。怪しさ満載だ。中でも3つ目の事実は特に。

 白船からしてみれば、名前どころか、顔すら覚えて貰えていなかった相手。それが蓮という男の筈だ。その印象は強烈で、悪い意味で心に残ることだろう。物語のヒロインのように、どこかで命を救われていたなどの壮絶で劇的なカバーストーリーでもない限り、擁護できるものではない筈だ。


 しかし改めて思い返してみると──蓮は普通に、嫌な奴だった。


 とにかく。

 そんな相手へのアプローチを諦めない白船は、タイミング、方法、そして信用や信頼、あらゆるものが足りていないと言えた。2段、3段飛ばしに階段を登ることならまだ頑張りようがあるかもしれないが、10段、20段を飛ばすして登るのは無理無茶以前に不可能だ。

 ここは、一度出直すという選択がいいのではないか。認知はされたわけなのだから、少なくとも一歩は前進しているのだ。本当に小さな一歩からのスタートになってしまうが、この調子で関係を深めていき、再アプローチを行う方が確実性が高いだろう。面倒臭がりでありながらも疑心を隠さない態度を継続する蓮を相手に、どれだけ時間がかかるかは謎だが。


 日を改めるという手段は、白船にとってもメリットのあるものだっただろう。


 なのに、白船がこの場から退出する気配はもちろん、次の機会を作り出そうとする様子もない。愚直でもあり、執念深いとも言える対応だ。蓮を求める理由は色恋から来るものではなく、他に特別な理由があるのではないかと、つい勘繰ってしまいたくなるほどのものだった。


「"これだ"という理由を挙げるとするなら……俺は疑心と不信をまとめて、まずはこう切り出そう。アンタからは、アルものが感じ取れないと」

「……アルもの、ですか」

「モノと言っても、形のあるモノじゃない。でも色恋からは切っても切れない重要なモノ。感情の一つ……欲情だよ」


 自分で言葉に出してみて、改めて納得を得られたのだろう。蓮は小さな頷きを最後に添えていた。

 対して白船は、その言葉を受け止めるのに一拍の間を開けていた。蓮の言葉はとてもシンプルで──同時に言葉足らずで──だからこそ、すぐには言葉を処理することができなかったのだろう。


「よ……欲情ですか?」


 聞き間違いではなかったかと、確認するようなニュアンスだった。

 白船は高校生2年生。華も恥じらう年頃の女の子だ。所謂シモを連想させる言葉を口にするのは、普通に恥ずかしいだろう。小さな形の良い耳も、可愛らしく赤く染まっていた。


「そう、欲情だ。言葉だけなら性欲でも良い。色欲でも肉欲でも劣情でも、とにかく意味はそう変わらないしな」

「いや、あの……」


 しどろもどろな白船に対して、いっそ清々しいほどのキッパリとした態度の蓮。そこに配慮は一切無かった。

 その堂々とした態度は、どこか清々しさすら感じさせる。むしろ"欲情"という言葉から床間に出せないようなシーンを連想する、そんな変に穿った捉え方をしている方が恥なのではないかとすら思わせた。

 いや、普通にセクハラだったが。


「本当は、手早く話を終わらせてしまいたいところだが……時間に関しては今更だろうし、この際だ。少しばかりちゃんと話をしよう」


 蓮は"ちゃんと話をする"と口にしながらも、やる気のなさそうな気配を消すことはなかった。今にも欠伸を噛み殺しそうな、仕方なさげな雰囲気を纏いながら口を開く。


「色恋沙汰で欲情が刺激されない人間はまずいない。生物学的に、心理学的にも、脳科学的にもそれは証明されている」


 他の分野でもそれは変わらないだろうな。と付け足す。


「つまりは"好き"という感情は、大なり小なり、欲情の影響を受けているわけだ。そこに年齢や性別は関係ない。むしろ感情のコントローラー役を担う脳が未発達の子供の方が、その影響はより顕著だろうな」

「それと今の状況に何の関係が?」

「まあ聞いてくれ」


 脈絡の無い話の展開に待ったが掛けるられるも、蓮は取り合わなかった。


「誰かを"好き"になるときの理由は多岐に渡る。力強さ、賢さ、優しさ、コミュニケーション能力、精神力。あとは外見なんかもそうだが……何を魅力として捉えるかは人それぞれだ。そいつの体験、そして過ごして来た環境の違いが、個々人の基準を生み出し、価値観を育む。それは至って普通なことで、同時に、恋人に求める要素に差異が生まれることを肯定している」

「人を好きになる理由には自由が認められている。だからこそ、そこに正解はないということでしょう? 」

「そうだ。だからアンタから俺に向けられている気持ちが本当に"好き"という感情に属するものなのかは、俺には判断できないし、きっと誰にもできないことだ」

「であればやっぱり、私の気持ちを否定される謂れはないのではないでしょうか」


"好き"という気持ちを、他者は肯定は出来ても、否定はできない。そういうことだろう。


「その通り。ここまでの話では、アンタの気持ちが本心かどうか、判断がしきれない。だが、"好き"という気持ちを生み出す、その理由そのものに区分があった場合はどうだろう。一気に見やすくなると思わないか?」

「何を言いたいのですか?」


 ややこしい話になってきたな、と。絡まったイヤホンコードを見つけてしまった時のように、白船は嫌そうに眉を顰めた。

 その気配を察したのだろう。蓮は一つ一つ、道筋を示すような話し方に変える。


「"好き"になるには、相手から魅力を感じなければならない。これは大前提だよな」

「そうですね」

「でも、能動的に恋人に求めていく魅力……つまり理想と、受動的に己が動かされることになる魅力……つまりは欲情。この二つは別物だ。燃料が異なる訳だから、区分が違うと表現できる」


 蓮はゆっくりと、両の手を順に持ち上げる。空いた席を促すような気軽さで、まず持ち上げたのは左手。


「理性と──」


 次いで、右手。


「──本能」


 両手が揃って下される。力尽きたように、パタリと。実に緩慢なボディーランゲージだった。


「燃料はその2つ。前者によって形作られる理想と、後者によって植え付けられる欲情。当然それらは別物で、役割だって異なる」


 蓮はゆっくりと、そして聞き取りやすいようにしっかりとした言葉を発している。一冊一冊、差し込む場所に間違いがないことを確認しながら、手元の書籍を本棚に戻していく、そんな作業のように。


「例えば理想は、判断を下すための基準や規則そのもの。だから、理想と掠りもしない恋が成り立つことは往々にしてある。規則通りに行動できる人間なんて、まずいないだろうしな」


 法律を守ろうとする人間は大勢いるだろう。だが、全くの欠損なく完遂するものはほぼいない。たったの一度も、歩道を無視して道路を横断した経験のない人間がいるだろうか。いたとしても、数える程度だ。

 そういうことだろう。


 理想通りの相手と恋ができる人がどれだけいるだろうか。成し遂げた人が、どれほどいたことだろう。仮にそんな関係性を有する人達がいたとして、実現するのは簡単ではないことは、それこそ簡単に想像できる。

 そも、理想の関係がこの世界に約束されているのなら、離婚も不倫も、そんな言葉自体が存在せず、広辞苑に刻まれることはなかっただろう。


「理想は脆い。対して欲情はどうだと思う? 人間を、地球という星の覇者に仕立て上げた本能を燃料として、種の保存という重要な役割を担う欲情。それが関わらない恋なんて、あると思うか?」


 より優秀な番を求める。味気のない極論ではあるが、恋愛の軸にあるのはいつだってそれだ。種を残すという生命としての使命を苗床にして育つのが、恋愛感情という麗しい花だ。理想を下し、時には理屈を介さないこともあるその感情は、本能に帰属しているとも言えた。


 で。と、蓮は言葉を切る。


「アンタの告白は、どっちに区分されることになるんだろうな?」

「……」

「理想に準じて恋をしている訳ではないだろう。この学校での俺の振る舞いが、少なくとも女性から見た理想像からは離れていることを、これでも自覚しているからな」

「……」


 白船は肯定も否定もできなかった。


「なら欲情によって突き動かされた恋だったのか? それも違うだろ。立場が逆なら、まぁ分かる。ほとんどの男は、あんたの容姿ひとつ取っただけでも本能的な恋をするだろう。でもその逆は、現実的じゃない。本能に振り回されるほどに感情コントロール能力が未発達なようには、とても見えないしな。それに何より、俺とアンタは関わりが薄すぎる。欲情するに足り得る魅力を感じる機会なんて、なかった筈だ」

「一目惚れだとは思わなかったのですか?」


 目を細めながら、白船はそう問いかけた。


「一目惚れ、ね。それこそまさに、欲情によって突き動かされた衝動的な恋のことだとも思うけど、とにかく俺はその存在自体を否定はしない」


 でも、と。蓮は付け加える。


「一目惚れではないことを、口にした本人であるアンタ自身が確信しているようにも感じるんだが? それに、感情に振り回される人間には見えないと、さっき言った筈なんだけど……違ったのか?」

「否定しても肯定しても、私に得がない質問は辞めてくれませんか?」


 否定は即ち、感情に振り回される未熟な人間であると告白することになる。そして肯定は、一目惚れによって恋をしているわけではないことを示してしまう。

 確かにこれは、回答者に負債を押し付けるタイプのいやらしい質問の仕方だった。

 あ、ごめん、と。

 流石によくないと感じたのか、蓮も素直に謝った。


「それで、どうする? 理性に準じて恋をしたわけでも、本能に引きづられて恋をしたわけでもないと分かった今、アンタの告白が恋心なく執り行われたものだと俺は確信を持ってしまっている訳だが」

「佐々波君に恋人になって欲しいという気持ちに、嘘はないんですけどね」

「まだそう言えるのはすごいな」


 うーん、と。蓮は顎に手を添えて、振り返るように考える。


「ずっと、引っ掛かってるんだが」


 顎から手を離し、指を一本ピンと立てて、かき混ぜるようにゆっくりと動かしながらの前置きだった。


「今の言葉もそうだが……どうも、アンタが俺との"恋人関係"を求めてる……その点は間違いなさそうなんだよ」

「ええ、何度も言っていますよね。最初から、今の今まで変わらずに」

「そうだったな」


 白船はここぞとばかりに、食い気味の肯定を見せた。対する蓮の反応は、実にそっけないモノだった。元から答えなど期待していなかったような態度だった。

 気分を害されたように、眉根を寄せる白船。しかし蓮は目を向けることもなく、半分腕を組んだような──左手を右の二の腕に置き、右手を顎近くに寄せる──状態で、右手の親指と人差し指を擦り合わせている。宙に視線を彷徨わせながら、頭の中で先程までのやり取りを再生していた。


 この屋上での一件において、白船が恋人関係の成立を目的に設定していることはまず間違い無いだろう。それは最初から、提案されていた事項だった。


 ──"恋人という関係に、興味はありませんか?"


 彼女は確かにそう言っていた。ハッキリとした姿勢を見せていた。

 蓮からの──"告白かどうか"などの──失礼な質問に対して多く見られた、捉え方と解釈を相手に委ねるような玉虫色の返答とは異なり、その姿勢だけは一貫していた。

 だからこそ、蓮は違和感を感じたのだろう。緑一面の山肌に、季節外れの桜が咲き誇っている時のように。実体を掴ませない会話の中に存在した、たった一つの不動の意思は、強い存在感を放っていた。


「……ああ、そういうことか」


 そう、溢れるように言葉を落としたと思ったら、間髪おかずに小さな頷きが添えられる。蓮の頭の中で、一つの疑問が紐解かれた瞬間だった。

 導き出された回答を、今一度確かめるように口にしていく。


「普通なら恋人が独占したいと思うもの、欲するもの……つまりはパートナーが持つ心技体。そのどれにも、アンタは目を向けてないんだな。必要とも感じてない……違和感の正体はソレか」

「……私が佐々波君に興味を持っていないと、そう言われたように聞こえるのですが」

「そう言っている」

「興味も関心もない。そんな相手と恋人関係になりたいと思う女子が、本当にいると思いますか?」


 蓮は腕を組んで考える素振りを見せた。


「夢を見た回答をさせて貰えるのなら"いる筈がない"と口にしたい所なんだが……いるんだろうなぁ」


 語尾が消え入りそうなほどに、力弱い言葉だった。心なしか、蓮が遠い目をしているようにも思えてくる。


「……」


 白船は複雑そうな顔をするだけで、否定の言葉を口にはしなかった。自分で問いかけておいてなんだったが、蓮の懸念と同種のものが頭を過ったようだった。


「……せめて反論しろよ」

「……いえ、すみません」


 気まずい沈黙が舞い降りた。

 その微妙な空気を振り払うように、白船が被りを振って話を戻す。


「でも、それって可笑しくないですか?」

「おかしいって、何が?」


 蓮は顎をしゃくる事で、言葉の続きを促す。

 白船は少しばかり言葉をまごつかせながらも、自身の疑問を形にしていく。


「恋心を必要とせずとも成立する……そんな恋人関係の実存を認めてしまえば、貴方の論理は根っこの部分から破錠してしまうのでは?」

「確かにそうだな」


 意外とあっさりと、蓮は肯定を返した。

"好き"という感情が動機として存在していることを前提にしていた蓮の論理。それは確かに、白船が指摘した通りに破城する可能性を内包していた。

 前提そのものが間違っているという、致命的な欠陥を備えていた。

 ただし。


「でも、それをアンタが認めた時、恋心もなく俺に告白していますと、懇切丁寧に教えてもらっているような形になってしまうんだが……アンタはそれでいいのか?」


 そういうことだ。

 重箱の隅をつつくような指摘によって蓮の揚げ足を取ろうとしたのだろうが、返って自分が転ぶことになってしまった白船。

 あっ、と。小さな声を漏らす。今気づいたとばかりに、驚きに開いた口を隠すように手のひらを広げている。


「──ち、違いますよ? あくまでそういう指摘もできますよねという、それだけの話ですからね?」


 慌てたように、早口で捲し立てる。

 掌を蓮に向け、胸の高さで小刻みに振られる小さく細い両の手が、その動揺を形にしていた。


「そうだよな。いや、びっくりした……いきなり自白し出したのかと驚いたぞ」

「自白だなんて……聞き捨てならないのですが?」

「なら、拾わずを得ない主張をしないことだな」


 グッ、と。怯んだように、白船が顎を引く。

 しかし負けじと口を開く。健康的な唇を通って出てきたのは反論ではなく、負け惜しみにも似た批判だった。


「……本当に、佐々波君は疑い深いんですね。それに言葉のチョイスもキツイです。自白なんて言葉、ニュースで耳にすることはあっても日常で、それも直接向けられることなんてありませんよ。貴方ちょっと可笑しいのでは?」


 その感想を口にするのは今更ではないだろうか。そう思わなくもない。

 自覚があるのか、それとも他者の評価を気にしていないだけなのか。言われた側の蓮も、どこ吹く風といった様子だった。


「今のこの状況こそが可笑しなもので、非日常的だと、俺は思うけどな」


 やれやれ、と。口にこそ出さなかったが、蓮は軽く肩を竦めることで胸中の思いを形にしている。


「それに、可笑しいのはアンタも一緒だろうに」

「ちょっと、どういう意味ですか」

「これだけ疑われているのに、弁明は最小限。もっと怒ったり悲しんだりしても良いと思うし、むしろそうあるべきだとも思う。なのにアンタは冷静さを崩さないじゃないか」

「冷静だなんて……」

「少なくとも、取り乱したりはしてないだろ。自分で言うのもなんだが、これだけ重ねた失礼に対して、返ってくる反応が淡白過ぎじゃないか?」

「……本当に、どの口が言っているんでしょうね」

「そうやって怒ってそうな口調こそしているが、どうせ格好だけだろ? けっこう分かるもんだぞ……本気で取り繕うつもりなら、体を背けるなり、顔を強張らせるなり、所作にも気を使った方がいいと思う。普通、心が動けば、もっと行動に現れるものだからな。今のアンタ、違和感しかないぞ」


 蓮はアドバイスを口にするような気軽さで、違和感の指摘を行った。的を得ていたのか、白船は思わずといったように身を下げる。兎が巣穴の奥に隠れるように、影に潜むように、ビクリと反射的に一歩下がった。警戒心が、無意識に体をそう動かしたのだろう。その咄嗟の動きを、蓮は見逃さない。

 言わんこっちゃない、と。白船の動きを目にすることで、疑念を確信に変える。


「ほらな。心が動けば体も動く。ギクリとしたから、アンタは逃げた」

「……」


 白船は言葉を返さない。その沈黙は、図星を突かれて生まれたものだった。

 蓮の指摘が正しいことを、明実に物語っていた。


 思い返してみる。これまでの2人のやり取りを。

 白船が本当に恋をして、ただ1人のパートナーとして蓮を求めていたのであれば、この屋上での時間は耐え難いものだった筈だ。何せ、意中の相手である蓮本人の口で、"恋"あるいは"愛"という感情を否定された訳だから。それも、心の中を土足で踏み荒らすような無遠慮さで。

 そんなことをされて、冷静でいられる女性がいるだろか。白船の淡々とした、そして取り繕った態度は、蓮でなくとも、首を傾げずにはいられないのではないか。


「なぁ、白船」

「……なんでしょうか、佐々波君」

「最初の質問に戻ろうか」


 その、空気を切り替えるような言葉に、気付かされる。

 白船は、蓮の最初の質問に対して明確な回答をいまだ口にしてはいなかった。


「なんでアンタは、俺のことを好きでもないのに、告白まがいのことをしてるんだ?」

「……」


 黙して耳を傾けていた白船は、さらに一歩、沈むように後ろに下がった。必然生まれた2人の距離が示すのは、拒絶か驚嘆か、それとも恐怖か。前髪で表情を隠し、唯一覗かせている固く結んだ口元からだけでは、その胸中は伺えなかった。


「いいかげん、答えを聞かせてくれ」


 たたみ掛ける蓮。その勢いに気押されたように、白船は視線を、更に下に逃した。吊られて頭が下がり、前髪が完全に顔を覆う。距離と角度の関係で、蓮からは表情が隠される形になった。その変化は、白船の体を一回り小さく見せていた。

 沈んだ、ともすれば弱々しく見えるその姿。その様子に、次は女の武器である涙でも見せるのか、と。そう蓮が冷たくも予想した所で、白船にまた別の変化が起こる。華奢な印象を持たせる緩やかな撫で肩が、小さく震え始めた。カタカタと。火に掛けられたヤカンのような、内から出てくるものに影響を受けている、そんな動きだった。


「……んふ、ふふ」


 肩の震えに留まらず、笑い声まで出始めた。漏れ出たような、薄い笑い声だった。

 蓮は眉を顰める。予想していた反応──罵倒、困惑、涙腺崩壊etc──とは、違っていたからだ。じっと、白船を視界に収め続ける。細められた瞳からは、未知に対する少しの警戒も感じ取れた。

 訝しげな蓮の様子に気付いたのか、顔を上げた白船は、


「……あら、ごめんなさい」


 そう、謝罪を口にした。そして吐き捨てるように、大きく息を吐く。

 その一息で意識を入れ替えたのか──ガラリと、雰囲気が変わった。肩の震えも、そして漏れ出る笑みも同時に掻き消える。

 顔を上げたことで露になった、楽しそうに歪められた頬。その表情が、寸前の謝罪の重さをシャボン玉にも劣るものに変えていた。


 蓮は怪訝そうに白船を見遣る。


「……随分と楽しそうだな」

「貴方のせいよ、佐々波君」


 不服そうなに顔を歪ませる蓮。その反応の何が面白いのか、白船がまた小さく笑い声を漏らす。

 今度のそれは、すぐに落ち着きを見せた。


「仕方ないじゃない。本当に予想外、いえ、想定外だったのよ。まるで爆発寸前の爆弾を目の前にした爆発物処理班のような大仰な警戒をしてくる貴方のこともそうだけれど……軽く考えていた少し前の自分のことが、なんだか可笑しくって……ふふっ、つい笑ってしまったのよ」


 明確に、口調が変わっていた。お淑やかさが鳴りを顰め、代わりとばかりに、傲慢さが湧き出している。その口調の影響もあってか、その笑顔も、今までのものとは異なって見えた。

 白船が一貫して見せていた、凛としながらも、親しみやすさを感じた雰囲気。それが幻のようにアッサリと姿を決して、代わりに、どこか冷めた雰囲気が頭を(もた)げる。その変化は、白船の笑顔を温度を感じさせないものに仕立て上げていた。夏から飛んで、急に冬が訪れたかのような強いギャップを、否応にも感じさせる。

 しかし蓮は不思議と、その変化を不快とは思わなかった。白船が纏い始めた冷たさとは矛盾しているようだが、初めて血が通った姿を見せているような、そんな印象を受けていた。


「ねぇ、佐々波君。さざなみ れん君」


 冷たい微笑みを携えて、静かに蓮の名前を口にする。その声音に、どこか圧迫感を感じ取ってしまうのは、白船が口を開きながら距離を詰めているからか。屋上の出入り口ままで下げていた足を、勇よくズンズンと踏み出して、蓮に近づいていく。顔を合わせてからここまで、一歩も踏み出すことの無かった影を抜け出した。

 カツカツという力強い音を響かせながら、歩き、歩き。ただ黙って立っている蓮の手前で、止まった。手を伸ばせば体に触れてしまいそうな、そんな近い距離。

 その急接近を見納めた蓮は、ふと思った。初めて目があったな、と。それは彼女の変化がそう感じさせるのか、それとも、影という覆いが無くなった物理的な影響か。

 そんな不思議な感覚を抱きながら、蓮と白船は、視線を交差させた。


 |凪いだ夜の海を思わせる暗く静かな〈磨かれた黒曜石のような〉瞳と、|稀に空に浮かぶ青き月のように澄んだ神秘的な〈霧に浮かぶブルームーンのような〉瞳が、お互いの顔を写し込んでいた。

 その状態のまま、恥いる様子を欠片も見せない白船が口を開く。


「貴方は、私の想定以上に賢いようだから、そんな貴方の疑念と疑心を肯定した上で、ちゃんと答えを教えてあげましょう」


 蓮のものより15cmは低い位置に、白船の頭はある。自然と見上げることになる筈なのだが、その身長差を感じさせない上から目線な声音で言葉が紡がれる。


「私が欲しかったのは、恋人関係という事実だけ」


 そう、アッサリと答えを口にした白船は、顎を上げたかと思えば、クッと張った胸に右手を添えた。大きな胸が、制服を窮屈そうに押し上げる。そしてそのまま、さらに1歩踏み込んだ。触れ合ってしまう、その寸前まで体を近づける。

 大胆にも距離を詰めた白船は、圧するような空気感をより強くして、目前にある蓮の顔を下から掬い上げるよう見上げている。叩きつけるように、その鋭い眼差しで睨みつける。

 そうして、ニコリと微笑んだ。


「お察しの通り私、貴方にはこれっぽっちも興味がないの」


 おめでとう、と。そう嬉しそうに言葉を付け足す白船の、嘘のように綺麗な笑顔が、蓮の目前で陽に照らされていた。















読書さんの視点だとどう伝わっているのか、とても気になっています。

独断も偏見も無問題ですので、評価・感想、是非お待ちしております!


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