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50ccの旋律

作者: ゆっか

哲学カフェという言葉を知ったのは2年ほど前だ。

 哲学という抽象が魅力的な学問と、街の中に点在するカフェの組み合わせ。

 都会的で、なんとなく議論の町パリを彷彿とさせる。

 照れ屋の日本人にとってはちょっぴり「柄にもなく背伸びしますが」といった風情かなと思う。



 もっとも、若い人にとっては、照れている場合ではないのかもしれない。

 生き方の模索はどの年代にも必要だが、若い人にはひとしお切実なもの。

 私のように遊び心に誘われて訪れる人は少数派かも。

 いや、やはり、ほとんどが遊び心、お洒落心かな。

 哲学講座、哲学教室とは言葉の色合いがかなり違うもの。



 さて、カフェと言う言葉が世の中に出始めたころ、カフェと喫茶店の違いはお酒が出るか出ないかだと説明され、お昼からお酒を飲む習慣が根付くのかとかなり抵抗を覚えた。

 でもカフェはどんどん立ち、それほど問題になっている様子もない。

 世は移り変わり、日本人がカフェの存在に馴染むほど、おしゃれになったかどうかはわからないが、クールだと言われるようになった。

 さらに、今度は貧しくなると言われている。

 そういえば、今、街の中で見かける人々の服装がずいぶんお金のかからないものになってきた。



 これからは心意気が問われる時代ではないかと思う。

 心のお洒落である。

 哲学をお洒落と言っては顰蹙を買う恐れはあるが、でもそんなものではないかと思う。



 日常は決して格好いいものではない。

 問題が起こってなりふり構っていられないとき、変わり映えのない日常に重苦しさしか感じないとき、他者と比べて自分の在り方にうんざりするとき、そんな時、一言、二言、哲学の視点を持っていると、無意味に見える時間にささやかな価値を見出すことが出来る。



 誰もが主体的に人生を選び、生きていることが見えてくる。

 問題を抱えた人もそうではない人も、生を輝かせていることが分かってくる。



 どのような人生もおそらく味わいがあり、美しいものではないかと思う。

 たとえ糾弾されるような人生であっても、その人の魂の奥底は、その人生の意味を分かっている。



 哲学カフェに行って、美味しいワインを頂いて、何となくそういう気分になった。

 ワインの効果は大きいと思うが、その余韻がまだ続いていることを思うと、あながち的外れではないと思う。

 



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― 新着の感想 ―
[一言] 哲学カフェ、名前の響きだけでもう素敵ですね……。 哲学の授業は学生の時少し受けたことがありますが、そもそもの世界を見る視点自体が変わっていて、それに慣れる前に終わってしまった記憶が……。 ゆ…
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