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姫花と一咲と彼女のお付き合い・弐

 


 近況報告があまりにも盛り上がり過ぎて、少し遅れた3時のおやつの後。


 食器の後片付けを終えたばかりのキッチンに、深妙な面持ちの一咲がひっそりと来た。




「ねえ、お邪魔ついでに相談してもいい?」




 真剣な話をする時の彼女は、いつもの自信ありげに整えられた眉が、わずか下がって見える。


 男性2人は昔話で盛り上がっているようで、今は他校生の同学年だった朋彦さんの逸話で爆笑している。


 内緒話のように声を潜める彼女に合わせ、わたしもそっと頷いた。




「うん。わたしは良いけれど、2人とも時間は大丈夫なの?」


「大丈夫。このあとの予定はない。同棲してる家に帰るだけだから」




 一応毎日拭いているキッチンマットに座り、一咲も同じように座ってシンク下収納の扉にもたれる。


 彼女は今も勤めている会社近くの社宅に住んでいたのだが、彼と付き合って半年ほど経ち、ひと月前に同棲を始めたと聞いたばかり。




「私、結婚したいの」




 居住まいを正すわたしに、一咲は細々と言った。


 ……結婚、かあ……。


 それは、なんというか……とても喜ばしいことではあるけれど。


 ただ、それを口にした本人は、目の前で悩みを抱えたように息をこぼす。


 手放しにおめでとうを言える雰囲気じゃない。




「……でも、言い出す勇気がなくて」


「言い出す勇気……」




 わたしと違って、人に頼られることも多かっただろう意思のはっきりした物言いをする一咲にも、こういう一面があるんだな。


 美人のお姉さんが可愛らしいところを見ると、近頃はゾワゾワするようになった。


 自分は美人でもないし、可愛らしさがあるとも思えないから。


 ずるい、という思いと、愛おしさの狭間で心が揺れる。




「自分でいいのか、相手でいいのか分からなくなる。正直、今では分からないって気持ちが大きい。姫花はどう?」


「わたし?」


「うん。珋二さんと結婚しようと思ったキッカケとか……どうやって決めたのかなって」


「わたしは、たぶんあんまり考えてなかった気がする」




 わたしの思いは、すんなり出てきた。


 一緒にいたいって気持ちに気付いた時には、もう好きだったと思う。


 迷ったことはある。


 悩んだことも。


 でもそれは、わたしが彼の隣にいていいのか、相応しい人になれるのか、という思いだった。


 どれも、自分のことばかり。


 そこは一咲と同じ。



 だけど。


 相手が自分に合ってないんじゃないか、なんて考えたこともなかった。


 その部分は、彼女とは違う。



 わたしは、珋二さんが与えてくれる想いを疑ってなかった。


 ああ、この人こんなに好きでいてくれるんだ、という思いはずっと持っていた。


 ただ自分に自信がなくて、どうしようもなく情けなくて、好きになってもらえる価値なんかないと思ってたけれど。


 でも、彼の言葉や気持ちそれ自体を、疑ったことはなかった。


 自分に気持ちを向けてもらえる理由が、ただただ分からなかっただけで。



 紆余曲折ばかりだったけれど、今では、彼のそばを離れるなんてことは考えられない。




「なんていうか、気持ちの整理とか他に考えたいこととかもあって、自分のことで精一杯だったせいもあるけれど」


「うん」


「だから、参考にはならないかもしれないの。……それでも、聞いてくれる?」


「うん。聞きたい」




 すべてを話す必要はなくて、彼女もたぶん上手くいく方法を知りたいわけじゃないと思う。


 わたしと珋二さんの関係が、上手くいってる一例に含まれるかはともかくとして。


 すう、と一呼吸おいて体から緊張を追い出してみる。


 ……うん、なんとか言葉を紡げそうだ。




「えっと、わたしはね。わたしは……たぶん、自分の苦しみを珋二さんが分かる日は来ないし、珋二さんの抱えているものをわたしが理解する日も来ないと思ってるの」


「うん」


「同じ怨みを持ったからって同じ怒りとは限らないし、同じ傷を負ったからって同じ痛みとも限らない。言葉って、それ自体がもう広義だと思うのね」


「うん」


「同じ言葉でも、それに当てはまる人はたくさんいて、だけど全部に細かく分けられる理由とか事情があって」


「うん」


「だから、わたしも珋二さんといつか分かり合えるなんて思ってないんだ」


「うん」


「そんな日を待つより、今、聞いて話して知りたいって思う。それにね、お互いに相手が苦しかったこと、つらかったこと、痛かったことを知ってる」


「うん」




 静かに聞いてくれるから、いつのまにか自分の感情に集中しすぎてたらしく、目頭が熱くなる気配がした。




「どうしたら苦しくなるとか、どんなことがつらいとか、何をされたら痛いとかを知ってる」




 おなじ人間じゃないからこそ出来ること、やれることがある。




「これからも、そうやって知っていくんだと思う」




 異なる部分が多いから、対立するわけでもない。おなじ部分が多くても、相居れないことはある。




「でも、それだけじゃあないんだよね。……何をしたら喜ぶとか、どうされると嬉しいのかとか、どんなことで幸せを感じるかとか」




 自分の思いも伝えて、相手の思いも聞いて、受け入れて認める。


 共有はできなくてもいい、共感しなくても大丈夫。


 大事なのは一緒にいることで、同じになることじゃない。




「そういうこと、これまでにたくさん知ることが出来たし、これからもたくさん知るんだよ。そうやってお互いを知っていくんだよ」




 受けた傷、与えた傷、感じた喜び、満たした喜び。


 どれも切り離せない要素で、どれも大切な自分の一部だから。


 異なる部分があっても、多くても、愛を持つ人で、心を知る人で、傷を抱える人だ。


 互いに、そこだけは理解している。




「傷は尊重して、喜びには関心を向ける。それが、わたしと彼の間にはあるんだと思う。珋二さんを見てるとね、そういう自分でいようって思えるの」




 珋二さんといると、優しくて穏やかな心でいられる。


 そうあろうとすることに、息苦しさを感じない。


 自然体のまま、自分を律することが出来ている気がする。




「なんか、わたしの話はあんまり使えないかも……。あ、一咲は? 彼と出会って変わったこととか、これからしたいと思ってることはある? わたし、一咲のことも聞きたいな」




 わたしと違って、たくさん考えて、考え続けることを躊躇わない人だから。


 きっとすごく悩んで、すごく迷ってるはず。


 何も助けにならないかもしれないけれど、散らばった思いや考えを口に出すことで纏める手助けになるのなら。


 いくらでも話してほしい。


 話したい。


 わたしに話したいと思ってくれたら、とても嬉しい。




「ふふ……」


「ん?」


「あ……笑ってごめんね。真剣に答えてくれたのに」


「それは別に……でも、どうして?」


「……親に同棲するって話した時にね、結婚も考えてるって、つい勢いで打ち明けちゃって。それで言われたんだよね。どっちもまだ早いんじゃないかって」




 表情は暗くない。


 でも声には重苦しさがある。


 彼女自身、複雑な心境だと分かっているのだろう。




「こういうのに、遅いとか早いとか関係あるのかって……言いたかったのに、言い返せなかった」




 後悔してるんだ。


 自分の心が揺らいでしまったことに。




「そうかもって、自分でも思っちゃったんだよね」




 一咲、分かるよ。


 わたしも、その気持ち分かるんだ。


 自分の思いを、いちばん疑ってしまう。


 なによりも真っ先に、信じられなくなる。


 他人なら、真偽の振り分けがしやすいのに、自分だとそうはいかない。


 自分を信じたいけれど、でも自分をこそ疑わなくちゃいけない。


 そんな思いに囚われる人もいる。


 表面化するタイミングが違うだけで、みんなが抱えている難問だと文さんも言っていた。




「でも、姫花は言わないんだなって。たぶん、ホッとしたのかも」




 気丈に微笑んでみせる表情が、よけいに辛さを際立たせている。




「よく言われてたの。事を起こすのに時機を図ってる猶予はないって、うちの親もね。それに親戚も、ちいさい頃から親と喧嘩して家出したときとか何ヶ月もお世話になったことがあって。私が勝手に感謝してる人なんだけれど」




 今のお仕事のことも、その親戚の人が仲介してくれて就くことになったけれど、やり甲斐も感じているという。




「親も親戚も心配してくれてるのを感じる。でも、やっぱり背中を押してほしいんだって。色々言われて、聞いてみて分かった」




 一度は目を伏せた彼女に、再度まっすぐな眼差しで見つめ返される。


 もう大丈夫。


 誰が見ても気分が晴れたと分かる、いつもどおりの穏やかな笑みが目の前にはあった。




「姫花のおかげでスッキリしたよ。ありがとうね、彼にもちゃんと話してみる」


「それがいいよ、一咲」





 玄関から珋二さんと見送った来客者ふたりは、来た時よりも距離が近い気がした。


 一咲のほうから、おしゃべり男さんに寄り添ってる感じがする。


 彼女は、素晴らしい人だ。


 自分でも考えて、周りの話も聞いて、その上でまた考えて。


 自分のことも、自分を想ってくれる人のことも、いつでも真っ直ぐ受けとめて。



 彼女は幸せになるだろうと思った。


 わたしに予知能力なんてないけれど、一咲は心から幸せになれる人だ。




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