第二話 女王と王子
時は数日前に遡る…
鉄とコンクリートで作られた立方体の塔、アスファルトで舗装された道を走る時計仕掛けの車。一見すると我々の住む世界と変わらない、何の変哲もない近代的な街。
しかし、大きく異なるのはその住民だ。
「…やべえ、そういや今日だった」
一見すると性別が判断できない端正な顔立ち、細身の体を黒い服に包み真紅の両目と青の長髪を持つこの若者。
その髪の頂点には大きな獣の耳を、腰に同じく大きな尻尾を携えていた。
「いつもは近所でしか使ってないけど人通りの少ないところなら…まあ大丈夫だろ」
しかし若者を特徴付けるのはそれだけではない。
「せーの…」
若者が構えを取ると体に蒼白い炎のようなものが集まり始める。
「…GO!」
そして若者が前方へ駆け出した瞬間、その体は見えない何かに引っ張られるようにして宙へと投げ出された。
「間に合ってくれよ…あと万が一にでも事故になりませんように…!!」
若者は人目につかないところを通っているので誰とも目が合わないが、周囲の通行人も何かしらの獣の耳や尻尾を生やしていたり鳥のような下半身を持っていたりと特異な姿をしていた。中には直立二足歩行する獣と形容するしかない者もいる。
どうやら若者の容姿はこの世界においては普通のようだが、超常の力に関してはその限りではないようだ。
「よしっ、間に合った…ここからは普通に歩いても大丈夫だろ」
宙を駆け、建造物を乗り継ぎ若者が向かっていた先は書店だった。
「すみませーん、まだ在庫ありますかー!?」
若者は扉を開けて店内へと入っていった。
「…やっぱ予約しとけばよかった…」
どうやら目当ての品は既に売り切れていたらしい。若者は落ち込みながら店内から出てきた。
するとどこかから携帯の着信音らしきものが鳴る。
「…何だよこんな時に…ってシエルか」
若者が腕に巻いていた端末を操作すると、端末から半透明のモニターが投影される。
「ねえリーフ、今度やるアニメだけど…って、元気なさそうだね…大丈夫?」
「お察しください」
モニターに映っているシエルという少女は紫のショートヘアにリボンのような触角、そして大きな黒縁眼鏡が印象的だ。まるでフクロウのよう…というより、人間で言うところの耳の位置からフクロウの翼が生えている。
そして若者の名前はリーフというようだ。
「そういや今日が発売日だったね…まあ気にすることはないよ、あたしなんてこの前…」
「待ってその話は聞いた、あまりに悲しすぎるから二度目はいい」
「そうかな、元はと言えば私の自業自得なんだけど…まあいいや、それより…」
2人の話は数分続いた。
「さてと、帰りは普通にバスで行くか…」
この街にも普通にバスは走っており、リーフは座席に座りながら外の景色を眺めていた。
「…でよ、トリステーザの方で不穏な動きが…」
「…でもあそこは不可侵条約があるから心配ないと思うぞ…」
後ろの座席から何やら話し声が聞こえてくる。
(最近毎日法皇国の話を聞くけど…まあ姉さんなら何か考えがあるだろ)
リーフは少し、眠る事にした。
「ただいまー」
リーフが帰ってきた自宅。それは豪勢な作りの城のような建物だった。
いや、比喩ではなくこれは本当に『城』なのだ。
「おかえりなさい、リーフさん」
「全く…今日は少し遅かったじゃない」
「ごめんカレン。アリサ、姉さん心配してた?」
出迎えたのはリーフと同じく黒い服を着た2人の少女だ。女性にしては高身長で熊耳が生えている金髪の少女がアリサ、リーフとほぼ同身長で左目に眼帯を付け猛禽類の翼を耳のように生やした赤白メッシュ髪の少女がカレンらしい。
「ジャスミン陛下ならいつものことだと仰ってましたよ。きっと帰りのバスで寝過ごしてしまったのだろうと」
「うわ、バレてる…」
「立場上あんまり言いたくないけどさすがはあんたの姉ね…」
「いいだろ?自慢の姉さんだ」
リーフの姉…ジャスミンはこの城の、いやこの国『ディスフルテ王国』の国王である。
そしてリーフと呼ばれるこの若者、本名を『リーフ・フィリップス・ディスフルテ』といい王位継承権第二位の歴とした王族である。
「その姉さんはまだ忙しいから夕食までは来ないわ、先に風呂にでも入ってなさい」
「へーい」
リーフは風呂場へと向かっていった。
「…ふぅ」
リーフは広い浴場に一人で浸かっている。本来なら家来達もここを利用するのだが、どうやら既に全員入ったあとらしい。
「…それにしても、ボクの体は…」
リーフは湯の中に見える、自身の体を覗き込んだ。
結論から言うと、リーフの体は男性だ。線は細く身長も高くはないが、それなりに鍛えているため腹筋は割れている。
だが、彼の体は先天的な病によりホルモンバランスが崩れており完全な男性の肉体をしていない。そしてそれが、リーフに王位が継承されない理由に繋がっていた。
「…いや、だからってそんな事考えちゃ駄目だ。しっかりしろリーフ」
だが、リーフが悩んでいた理由はどうやら違うようだった。
風呂も終わり、夕食の時間。リーフは姉ジャスミンと2人で食卓を挟んでいた。
ジャスミンもリーフに似た容姿をしてはいたが姉弟にしては歳が離れているようで、お淑やかな大人の女性といった雰囲気だった。
ただ、リーフと異なり顔は人間のようだが首から下は体毛に覆われ関節も獣のようになっていた。どうやら彼らの種族は齢に応じて姿が変わるようだ。
「…リーフ」
「反省しておりますよ、ボクは人目につかなければいいと魔法を無駄遣いしました」
「いや、怒ってはいないのだけど…」
リーフが昼間に使っていた超常の力。その正体はディスフルテ王族に代々伝わる『魔法』の力。
かつてこの星…惑星『ユゴス』が神の手によって生み出された時、神は人々に4つの『国宝』とそれを守護する3柱の『天使』を与えた。
海のジャバウォック、地のクリカラ、天のファフニール。しかし国宝の数に反して天使が1柱不足していた。
そこで神は国宝のひとつ『死神の鎌』を持つ者に魔法の力を授け、王座に就かせた。
こうして天使に守護された国はそれぞれの天使を、そして魔法を授かった王族は神を『死神』として信仰し、世界は4つの国に分かれて発展した…
そしてその死神を信仰する王国こそがこのディスフルテ王国である…とされている。
「むしろもっと自由に生きてもいいんだよ?今日買いに行ってた本って政治の参考書でしょ」
「姉さんなら知ってると思ったよ。でもボクは自分にできる事をやりたい」
リーフは真剣な眼差しで言った。
「姉さんだけに無理をさせるわけにはいかないんだ…ボクはあの時、何もできなかった」
「リーフ…」
「…姉さんこそ、何か辛いと思った事があったら…ボクだけじゃなくて、元帥達だっている。誰かに相談してほしい」
「そうだね…でも、これも王としての責務だから…」
ジャスミンが物憂げな顔で言うと、リーフがそれに応える。
「…姉さんの政策はすごいと思う、ボクには真似できない。財政面でも技術面でも高水準だし犯罪どころかいじめだってほとんど起きてない。キメラ差別すらなくなったも同然だし、そりゃみんな姉さんを歴代一の名君と称するよ。でも姉さんは王であると同時にひとりの人間なんだ。だからこれ以上無理はしないでほしい。それに…」
リーフは何かを言いかけるが、すぐに飲み込む。
「…なんでもない。」
「…わかった、わかった。じゃあ、本当に困った時はリーフに助けてもらおうかな」
ジャスミンは少し呆れたような笑顔で言った。
「何度目だよ、それ…」
「まだ困ってないからしょうがないよ」
「はあ…傍目からはそうは見えないんだけどなぁ…」
事実、ジャスミンは王としての責任感に駆られるあまり無茶をしている。人一倍勉学に励み、民の声を直に聞き、時には自身の魔法を人助けのために使う事もある。そのくせ滅多に他人に頼らずなんでも一人で物事を解決しようとするため、リーフはもちろん城の家来達もその事には手を焼いているようだ。
そうなったのは幼い頃に両親を失い、若干17歳にして王位を継ぐ事になったからだ。
当時のリーフは6歳であり、その時から姉が血反吐を吐いて馬車馬のように働く姿を見続けている。
「ところでそのパスタ…味はどうかな?」
「これ?めっっっちゃ美味い。いい感じに塩胡椒が効いてるしアルデンテだし隠し味にボクの好きなサルサソース入ってるし…控えめに言って最後の晩餐でもいいレベル」
「よかった!実はこれ私が作ったんだよね」
「…そういうとこだよ姉さん。まさか全員分作ったんじゃないだろうね」
「まさか、リーフの分のそのパスタだけだよ。カレンの作った料理には敵わないしね」
「そのカレンの料理で肥えてる舌を狙ってくるんだからなぁ…」
それ以降は他愛のない普通の会話が続き、夕食の時間は終わりを告げた。
「なんだよ姉さん…いつもいつも誤魔化して…」
夜。リーフは自室のベッドに潜り込みながら寝言を言っていた。
「あのままじゃ遠くない内に死んじゃうよ…」
完全に眠りに落ちる前、ぽつりと一言だけ呟いた。
「…ボクは…姉さんの事を…愛しているのに…」
続く