後編 ロマの願い
驚異的な手腕で、寂れた居酒屋であった『雷獣』を人気店に押し上げたロマ。
給料を受け取らず、食事と寝床だけで働くロマには何か目的があるようで……。
どうぞお楽しみください。
ロマが『雷獣』に戻ってきてから一年。
正装に身を包んだロマ、エル、そしてエルの父ビルは、食材、調理、酒、接客、調度品、格、そして料金の全てが超一流という高級店『ブルグント』の前に立っていました。
「お、おいロマ……。ほ、本当にここに入るのか……?」
「エルさん、何を怯えているんですか? 『雷獣』の肝っ玉女将の名が泣きますよ?」
「な、名乗った覚えはないぞ! 常連が勝手に呼ぶだけで……」
着なれないドレスも手伝ってか、エルは心細そうにもじもじします。
「……!」
何かに耐えるように奥歯を噛み締めるロマ。
細く長く息を吐いて表情を戻したロマは、いつもの笑みを浮かべます。
「……大丈夫ですよ。店は貸切にしてもらいましたから、他の客の目もありませんし」
「それは支払いの方が大丈夫か!?」
「お任せください。ちょっとした伝手がありますから」
「貴族ってすげぇな……」
「……」
目を丸くするエルに、曖昧な笑みを浮かべるロマ。
そこに今度はビルが声をかけます。
「……なぁ、俺はやっぱり帰るよ……。こんな店、俺にゃ場違いだし、店も心配だしよ……」
「何を言ってるんですか。エルさんの記念すべき四十回目の誕生日。男手一つで育て上げたビルさんがいなかったら、格好がつきませんよ」
「う、うむ……」
「それにお店なら、サッケ、リクル、ショッチュ、ショコーシュ、ウィスケの五人体制ですよ? 心配なんてありませんって」
「そ、そうだな。わ、わかった」
がちがちに緊張する二人を伴って、
「予約したロマです」
「お待ちしておりました」
ロマは悠々と『ブルグント』の入口をくぐったのでした。
「う、旨い!」
「それは良かった」
前菜を口にしたエルが、思わず小声で叫びました。
その様子をロマはにこにこと眺めます。
「野菜と海老の繊細な味を生かしながらまとめ上げるこのソース! 絶品だな!」
「そうでしょう」
「親父! うちの店でもこんなの出せたら、……親父?」
水を向けたビルが固まっているのを見て、エルは首を傾げました。
「……ロマ、お前……」
「……」
「……そう、か……」
無言で頷くロマにビルはそう呟くと、無言で前菜を口に運びます。
「どうしたんだ親父?」
「すまない、頼んでおいたお酒を」
「かしこまりました」
ビルの様子を気にするエルのグラスに、爽やかに泡立つ白葡萄酒が注がれました。
「な、何だ!? このバカ高そうな酒は!? すごいいい匂い!」
「お祝いですからね。奮発しました。さ、ビルさんも」
「……おう」
三人のグラスにお酒が満ちたところで、ロマがにこやかに宣言しました。
「では、エルさんの四十回目の誕生日を祝して、乾杯!」
「よ、余計な事言うな! ……乾杯」
「……乾杯」
澄んだ音を立てて、三つのグラスが触れ合います。
グラスの口から、まるで小さな拍手のように泡がぱちぱちと弾けるのでした。
「あー、旨かった! さすが高級な店は違うな!」
「楽しんでもらえて良かったです」
「さっきの牛肉、最初は『ちっさ!』って思ったけど、食べてみるとすごい満足感だった! ソースがいいのか?」
「そうですね。肉の脂にバターを加えてコクを増す事で、満足感を高めてますね。それでもしつこくならないように、お酒や柑橘系の果汁で爽やかさを加えています」
「そういう事か! さすが元貴族! 旨いもの食べなれてるな!」
「ありがとうございます」
緊張も解け、満足げなエル。
その様子に心から嬉しそうな笑顔を浮かべるロマ。
そこにお酒をくいっと飲み干したビルが、重い口調で言いました。
「……おいロマ。そろそろ本題に入れ」
「? 何だ親父、本題って……」
「そいつが『雷獣』に来た本当の目的ってやつだ」
「……」
ロマは一瞬真顔に戻り、すぐに柔らかい笑顔に戻ります。
「さすがビルさん、この店の料理だけで、僕の意図を読み取ってくれたんですね」
「……『ビルさん』なんて呼ぶんじゃねぇ……」
「……すみません」
二人の緊迫した空気に、エルは訳もわからず二人の顔を交互に見ました。
「お、おい、何だ二人とも……。何があったんだ?」
「……エルさん、僕は半分嘘をついていました。『雷獣』に来た理由、それには恩返し以外に目的があったんです」
「目、的……?」
今まで共に働き、頼もしく思っていたロマの言葉。
その不穏な響きに、エルはたじろぎます。
「……給料いらないって言ったのもそのためか……?」
「はい」
「『雷獣』を繁盛させたのも……?」
「はい」
「な、何が目的だ! お前、何のためにうちに来たんだ!」
不気味さに耐え切れず叫ぶように言うエルに、ロマは席を立ち、その横に跪きました。
「あなたです。エルさん」
「……は?」
エルの目が点になります。
「十年前、あなたに救われてから、一日たりとも忘れた事はありません。そのために料理を学び、接客を修め、人の動かし方を我がものとしました」
「え、えっと……?」
「僕の妻になってください。一生幸せにすると約束します」
「あ、えぇ……?」
頭が追いつかないエルは、助けを求めるようにビルへと目を向けました。
「お、親父……、ど、どうしよう……」
「……二十歳そこらの小娘じゃねぇんだ。自分の事は自分で決めろ」
「……で、でも店は……」
「そいつが人を雇って育てて、俺らがいなくても店回るようにしてやがるんだ。何も問題はねぇ」
「そ、そうだよな。うん、じゃあ、……え?」
思考を巡らした結論に固まるエル。
「……ここであたしが『うん』って言ったら、あたしはロマと結婚するってのか……?」
「……」
「そうです」
「〜〜〜っ!?」
現状を理解したエルの顔が真っ赤になりました。
「あ、あたしが、ロマと、結婚……? 四十のあたしと、貴族で若くて美形のロマが……? 何で……? そりゃ確かに行き倒れていたロマを助けはしたけど、でも……」
うわ言のように呟くエルを見て、溜息をつくロマ。
「やっぱり気付いてなかったかぁ……。覚悟はしていたけど辛いなぁ……」
肩を落とすロマに、ビルが顎をしゃくります。
「そのポンコツはしばらく役に立たねぇだろうから、こっちの話を進めようや」
「……はい!」
ロマは立ち上がると、厳しい顔をするビルの前に立ちました。
唾を飲み込んで、覚悟の言葉を放ちます。
「お義父さん! 娘さんを僕にください!」
「よく言った! くれてやるから持って行け!」
「は?」
今度はロマの目が点になる番でした。
「え、あの、よろしいんですか?」
「そりゃこっちのセリフだぜ。四十を迎えた娘なんて、貰い手はいねぇもんだと諦めていたが、貰ってくれるんなら万々歳だ!」
「あ、はい、ありがとうございます。……でも、男手一つで育て上げたエルさんを、そんなあっさり……?」
若干腑に落ちない表情のロマの肩を、立ち上がったビルがばしばしと叩きます。
「別に誰でもいいって話じゃねぇよ。お前だからこそ任せられると思ったのさ」
「えっ?」
「俺に教えたソースのベースはこの店のもんだろ? 秘伝であろうそれを、盗むにしろ知れる立場になるにせよ、貴族の地位を擲っての修行、相当の苦労があっただろう」
「ビ……、お義父さん……」
「そしてその知識と経験を、エルを店から解き放つために使ってくれた。店を繁盛させ、人を雇えるようにして。そうだな?」
「……はい!」
「そこまでしてくれた男に、これ以上文句がつけられるかよ! 普通なら一発殴らせろと言うとこだが勘弁してやる! とうの立った四十の娘、貰ってくれるだけ御の字よ!」
「あ、ありがとう、ございます……!」
深々と頭を下げるロマ。
悪態をつくビルの瞳に光るものを見たロマには、ただただ頭を下げる事しかできませんでした。
顔を上げるロマ。
涙目で見つめ返すビル。
義理ながら父と息子の心通じる瞬間。
しかしそんな余韻は長くは続きませんでした。
「なぁにをしみじみ語り合っとるんだこらぁ……」
「おぉ、エ、ル……?」
「エルさん! 気が、付い、て……?」
そこに神ですら震え上がるような怒りをたたえたエルの顔があったからです。
「あたしがこの歳まで行き遅れたのは親父の甲斐性がなかったからだろーが! なぁにが『一発殴らせろと言うとこだが勘弁してやる』だ! こっちは勘弁ならないんだよ!」
「ろ、ロマ! お、落ち着け! こんなめでたい席でがはぁ!」
「落ち着いてくださいロマさん! その格好で暴れると、その、色々、見えて、しまうので……」
「照れてないでぎはぁ! 止めてくれロマぐはぁ! 酒樽を運んでるからげはぁ! 腕力やばくてごはぁ!」
積年の怒りと照れ隠しとが混ざった鉄拳は、ビルがノックアウトされるまで続いたのでした。
この三ヶ月後。
エルは『ブルグンデ』での披露宴の打ち合わせの際、『決して父親に暴力を振るわない事』という旨の誓約書を書かされる事になるのでした。
読了ありがとうございます。
最初はロマが貴族の立場をフル活用して「結婚してください!」って突撃し続ける話でした。
しかしそんな貴族チートでゴリ押しは趣味じゃなかったので、十年の修行の旅に出てもらいました。
ロマの青春がそうなったのは私の責任だ。
だ が 私 は 謝 ら な い 。
その苦労を我がものとして、必ず幸せになってくれると信じているからな。
ごめんなさいごめんなさいエルさんその拳を下ろしてください私が悪かったですごめんなさい。
さて恒例の名前紹介。
ロマ・アーネック・オンティ……最上級ワインから。
エル……エールから。
ビル……ビールから。
『雷獣』……角から雷出すドス◯ルビさんから。
ショッチュ……焼酎から。
サッケ……日本酒から。
リクル……リキュールから。
ショコーシュ……紹興酒から。
ウィスケ……ウイスキーから。
お酒縛りで頑張ってみました。
甘々オチばかりも何だなと、コメディー風に締めてみました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
長岡更紗様、再びお邪魔いたしました!
重ねてになりますが、素晴らしい企画をありがとうございます!