前編 寂れた居酒屋と貴族の青年
長岡更紗様主催『ワケアリ不惑女の新恋』参加作品です。
不惑ネタでもう一つと書いていたら筆が暴れる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか(時候の挨拶)。
……短編のつもりだったんです! 信じてください刑事さん!
前中後編となりましたが、読んでいただけましたら幸いです。
居酒屋『雷獣』。
開店前の店はしんと静まり返り、女店員が一人、黙々と開店準備に勤しんでいます。
「エルさん! 僕をここで働かせてください!」
「はぁ?」
そこに響いた突然の言葉に、開店準備をしていた女店員エルは思わず手を止めました。
店の入口に立っていたのは、歳の頃なら二十四、五。
美しく整えられた金髪と高級感と品位に溢れた服が、身分の高さを物語っています。
「……あんた、貴族だろ? 何馬鹿な事言ってんだい? まだ日の高いうちから酔っ払うなんて感心しないね」
「酔っ払っているわけではありません! 僕は真剣に言ってます!」
「ならなお質が悪いね。初対面の町娘をからかうのが貴族様のお遊びなのかい?」
「しょ、初対面!? 違います! 僕です! ロマです!」
「ロマ……?」
その名前にエルは首を傾げます。
聞き覚えのある名前。
じっと青年を見つめたエルは、はたと手を打ちました。
「あ! 十年くらい前、うちの前で倒れてた家出少年ロマ!?」
「そうです! そのロマです!」
「いやー、立派になって!」
「その節はお世話になりました!」
エルはうんうんと頷きながら、十年前に思いを馳せます。
家出をして路銀が尽き、店の前で座り込んでいた当時十代前半のロマ。
それを介抱し、回復したロマを店で散々こき使い、家に帰る決意をさせたのが、当時から肝っ玉女将の風情を漂わせていたエルでした。
「あんた貴族だったんだねー。そりゃ皿洗いも料理もできないわけだ!」
「あはは……。その節はお世話になりまして……」
「それで今日はどうした? まさかそんな図体になってもまだ家出をしたりないのかい?」
「ち、違います! 僕はこの店の店員になりたいんです! ちゃんと親の了承も取ってきました!」
「は?」
再び目を丸くするエルに、ロマは輝くような笑顔から泣きそうな顔に変わりました。
「だ、駄目ですか!? ちゃんと料理も皿洗いの修行も積んできました! 決して足手まといにはなりません!」
「え、そんな、何で……?」
「だってあの時僕が三十近いエルさんに結婚について聞いたら、『この店回せる人がいないと結婚どころじゃないね』って言ったじゃないですか!」
「……あー、そんな事言った気も……」
「だから任せてください! 僕頑張ります!」
両手を力強く握りしめるロマに、エルは溜息をつきました。
(この店は私が抜けた後人を雇うような余裕はないし、こんな貧乏居酒屋に婿に来る物好きもいないから、結婚は諦めてるって話だったんだけど、ロマはそれを真に受けて……)
自分の言葉が幼いロマにそれほどの影響を与えていた事に、エルは若干の申し訳なさと、わずかに嬉しさを感じます。
「ありがとよ。気持ちは嬉しい」
「じゃあ!」
「でも雇うのは無理だ」
「な、何でですか!」
「金がないんだよ。親父とあたしが食っていくのでやっとの状態だ。ロマがいた時だって、賄いと寝床だけで散々働かせただろ? ちゃんと給料払うなんて無理無理」
「あ、お給料はいりません。昔と同じご飯と寝床だけで十分です」
「は?」
エルの目が三度丸くなりました。
「え、あんた、何を……?」
「恩返しがしたいんです。あの時行き倒れた僕を助けてくれた事、家出の理由を話したら『甘ったれんな』と叱ってくれた事、子ども扱いせず働かせてくれた事……」
嬉しそうにロマが語ります。
「それがあって僕は家族と向き合う事ができました! 家は弟が継ぐ事になり、胸を張って自分の夢を追う事ができるようになりました!」
「……夢って、ここで働く事が?」
「はい!」
「貴族の立場を捨ててまで?」
「はい!」
「……」
自分の行動がここまで影響を及ぼすとは思わなかったエルは、若干目眩さえ感じました。
しかし輝くような満面の笑みは、ちょっとやそっとでは諦めそうにありません。
(またしごくか……)
そう決めたエルは、ぐっとお腹に力を込めました。
「よく言った! ならばりばり働いてもらうよ!」
「はい!」
すぐさま振り返り、厨房の奥で仕込みをしている父親へと声を飛ばします。
「親父! 十年前に行き倒れていたロマの坊やが働きたいって戻ってきたよ!」
「あぁ? おー、あの時の小僧か。でっかくなったなぁ」
「ビルさん! ご無沙汰しております! その節はお世話になりました!」
「こんな小綺麗な服じゃ仕事になんないから、親父の作業着一着貸してやって!」
「おう!」
「よろしくお願いいたします!」
こうしてロマはエルと共に働く事になりました。
痛みそうになる頭を、エルは小さく振ります。
(ま、長続きはしないだろう。前は帰りたくない気持ちで必死にやって三ヶ月……。大人になったとはいえ貴族の生活に十年浸かってたんなら、半年ってとこかな……)
エルはそんな目算を立てているのでした。
読了ありがとうございます。
給料がいらないだなんて、一体ロマの狙いは何なのでしょう……(すっとぼけ)。
中編は半年後になります。
ですが投稿はお昼の予定です。
よろしくお願いいたします。