エピローグ
跋
『我々の住む世界が3次元だろうと4次元だろうとホログラフィックであろうとも、我々は毎日、飯を食べて、排泄をしないと生きてはいけない。仮に我々の住む世界が、ホログラフィックだとすると、毎日、我々がしている食べ物を食べて、排泄をするという能動的な行為は、2次元上ではどういった意味を持っているのだろうか。それは2次元上の何らかの動きが反映された結果なのだろうか。それとも、あくまで能動的行為の主体は3次元世界の我々であり、それが2次元世界に影響を与えているだけなのだろうか。もし、能動的行為の主体が3次元世界の我々だとすると、我々の住む3次元世界の上位に位置する4次元世界との関係はどうなるのだろうか。そして、3次元世界と4次元世界の行為の主体はどちらにあるのだろうか。我々の他に異なる次元には生命はいないとされる。なので、それらの問いは成り立たない。
量子力学における不確定性原理の発見は、決定論を否定した。量子が確率的にしか存在しないのならば、我々の住む世界も可能性としてしか存在しない。物理を究明していくと、人間の自由意志とは何か、意識とは何か、人間とは何かという問題を抱えることになるのかもしれない。しかし、それらの答えはすべて、可能性である。言い換えると偶然。我々がここにいるのも偶然。私とあなたが出会ったのも偶然、3次元世界に生命が生まれ、人間に進化したのも偶然でしかない。そして、知的生物であるヒトは、その世界のあり方を記述しているに過ぎない。我々の住む世界は3次元である。次元は9次元まであり、我々の住む3次元世界では、残りの6次元はカラビ・ヤウ空間として、小さく畳まれているという。そして、それらは、それぞれ超弦理論で結ばれている。
1、2、3次元情報が人間の脳に知覚され、生体反応を生起させる。次元などというものも、しょせんは人間の理解でしかない。理論上の空想といっても良いかもしれない。それは物語の世界が存在しないのと同じである。1987年。愛知県三河一宮。組紐今屋倅。朝比奈軍治自著。』