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2次元の物語  作者: 小城
3/9

エンタングルメントの生成

「おばあちゃんお帰り。」

「ただいま帰りました。」

咲愛と理輝が迎えた。祖母の簗絵やなえは今年で86歳になる。もともと内臓に疾患があったからか、数年前に食道がんを患い、手術後、入退院を繰り返していた。

「私、もう一回病院行って来るから、おばあちゃんお願いね。」

母は車に乗って行ってしまった。

「おばあちゃん私のこと覚えてる?」

「咲愛さんね。」

「よかった。」

祖母は認知症だと言われている。しかし、専門的には、軽度認知症という分類で、認知症までには至っていないらしい。

「理輝さんは元気だった?」

「うん。おばあちゃんはどうなの?」

「私は、もういつ亡くなってもいいけど。」

祖母は仏壇にある祖父の遺影を見た。祖父の軍治ぐんじは、戦後、貿易会社に就職して、事務員をしていた祖母と結婚したが、最後に子どもの望が生まれて数年後に、フィリピンで病気にかかり、そのまま現地の病院で亡くなった。

「喉の調子はどうなの?」

咲愛姉が尋ねる。

「柔らかいものしか食べられなくなっちゃって。」

食道がんの手術は成功したが、食道再建に当たり、固い物は摂取不可と主治医より言われていた。

「お粥にもあきちゃったわ。」

祖母は若い頃は、祖父に着いて海外で暮らしていたこともあったという。しかし、ある年齢から海外生活が辛くなって、その後は、祖父の赴任中も、子どもたちと一緒に日本で生活していたらしい。

「仏様にお線香をあげないと…。」

祖母は立ち上がった。

「大丈夫?」

咲愛姉が横に付き添った。

「ありがとうね。」


チーン…。


仏壇の所まで行くと、祖母は線香をあげて、手を合わせる。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。」

実家の仏壇は真宗のものだった。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…。」

祖母は小さい声で念仏を唱えていた。

「さて…。」

祖母は立ち上がった。病院でも手すりにつかまって歩いていたという。

「お義母さん、戻ってくるまでに手すりつけとくか…。」

父の豊久が言った。ただ、介護保険が使えないから自費である。父はホームセンターから簡易手すりを買って来て、土日に家中に取り付けていた。

「私は大丈夫だから、自分のことをやっていてね。」

祖母は台所に行き、水を汲んでいた。

「(レポート作るか…。)」

理輝は部屋に戻った。


伊勢長島の願証寺証意と下間頼旦は名主に触れを出して、人を集めていた。

「長島の輪中は五百人。」

輪中とは中洲のことである。中洲の住民は水害から人と物を守るべく、中洲の周囲を堤防でぐるっと囲みその中で生活していた。それが輪中である。輪中の中には、村々が集まっている。村々には農工がそろっており、輪中の中で生活が完結することもできる。しかし、三兵衛はそれが嫌であった。

「もしものことがあったら、兄を頼れ。」

三郎兵衛の兄は三河国に暮らしている。今日、三郎兵衛と治郎はお触れ通りに名主のところへ行く。そこで武具を受け取り、戦に出る。出始めに織田七郎信興が守る小木江の城に向かうはずであった。

「治郎気をつけて。」

お貞が治郎の顔に手を当てて言った。

「南無阿弥陀仏。」

「南無阿弥陀仏。」

三郎兵衛が念仏を唱えると、家族も皆、念仏を唱えて応えた。

「参ろうぞ。」

「南無阿弥陀仏。」

「南無阿弥陀仏。」

願証寺に集まった人数は3000人程になった。

「南無阿弥陀仏。」

「南無阿弥陀仏。」

一堂は念仏を唱えながら行く。道々、周辺の門徒も合流して行く。門徒たちは、途中で二手に別れた。一方は桑名へ向かう。

「船に乗れ。」

組ごとに船に乗り、何回にも分けて対岸へ行く。因みに、今は深夜である。船に乗った後は念仏は止んだ。

「来たか。」

織田信興籠もる小木江の城の近くには、既に武士たちが陣取っていた。武士たちは、本願寺に合力している織田信長に反抗する領主や美濃浪人衆たちであった。門徒と武士たち合わせて、小木江の城に到着した頃には、その人数は一万に達していた。織田信興の人数は千人に満たない。朝になって、信興が気がついた頃には城は人に囲まれていた。

「かかれ!!」

「おおお!!」


鬨の声と伴に戦が始まった。先陣を駆けて行くのは、服部党の武士たちである。もともと小木江城は、服部党の持ち城であった物を信長に攻め落とされたのである。彼らは城の縄張りはことごとく知っている。

「こっちじゃあ!!」

彼らに続いて武装した門徒衆が付いていく。

「俺たちが攻め入る故、お前たちは櫓に鉄砲を撃ちかけろ。」

「心得た。」


ズドーン!!

ズドーン!!


相手を銃撃で牽制しているうちに武士たちが斬り込む。そのようなことを続けているうちに6日もすると、城は落ちた。信興はわずかな兵と伴に、こちらへ斬り込んで来たが、門徒衆が放つ弾雨に撃たれて死んだ。


「南無阿弥陀仏。」

「おばあちゃんさっきからずっとやってるけど大丈夫かな?」

咲愛と理輝が台所で昼食を食べていた。

「おばあちゃん。」

咲愛が呼びに行った。

「はあい。」

「ご飯できてるよ。」

「ありがとうね。」

お粥とポテトサラダにゼリーである。

「それだけでいいの?」

「お腹もあまり減らないから。」

それでも飲み込むのが大変なのか簗絵は30分以上かけて食べていた。

「ごちそうさま。」

理輝が立ち上がった。

「今日何時に帰って来るの?」

母の望が聞いた。

「シフト遅いから10時過ぎだと思う。飯は買って向こうで食べるから。」

理輝は駅前のコンビニでバイトをしている。

「おはようございます。」

「おはよう。」

店長の廣木はもともとここで酒屋をやっていたが、理輝が中学生のときに、酒屋をやめてコンビニ店長になった。

「理輝君、晩御飯の牛丼、冷蔵庫に入れといたから。」

「ありがとうございます。」

店長はコンビニで余った物を賄いとしてくれる。

「1570円になります。」

理輝がバイトを始めたのは高校生のときである。大学受験の際に一度辞めたが、大学に入学してから、また働くようになった。

「大学の授業とバイト大変じゃない?」

「大丈夫です。」

駅前ではあるが、客足はそれほどでもない。良いのか悪いのか分からないが、郊外の田舎なのでそれが普通なのだろう。理輝は大学へはこの駅から電車で通っていた。向こうの駅に自転車が置いてあり、それに乗って10分くらいで着く。

「お疲れさまでした。」

10時30分頃にバイトは終わった。時給は950円。1日8時間で、今は週に3回くらいである。

「ただいま。」

「おかえり。」

咲愛がソファでテレビを見ている。理輝は咲愛が家で課題をやっているところを見たことがほとんどない。しかし、博士課程ではないが、大学院に行っているのだから、多分、課題をこなすのが早いのだろう。

「皆は?」

「おばあちゃんは寝てる。お父さんは部屋で仕事、お母さんも書類書いてる。」

「何の書類?」

「病院の保険とか市役所のとかじゃない?理輝、ご飯食べたの?」

「いちおう。」

「晩御飯の残り入ってるから食べな。」

「先、風呂入るから。」


「よう帰られました。」

小木江の城が落ちたあと、門徒たちは城の取り壊しを行った。小木江も輪中のひとつであり、以前は、この城は服部党が住んでいたが、今後は使う必要もなく、守る余裕もないので、門徒たちの手で破却する。その間、服部党は織田の残党を狩って行く。同じくして、桑名の城も落ち、織田の武将、滝川左近一益は尾張へ逃亡した。城の取り壊しが終わると、門徒たちは、それぞれの家へ帰って行った。

「得物はそのまま持って帰れ。」

弓、鉄砲、鎧などはそのまま家に持って帰られた。

「これが鉄砲か。」

三郎兵衛の持って来た鉄砲に三兵衛は興味津々だった。

「暇ならば筒の掃除をせい。」

火縄銃は筒掃除をしないと、内部が煤で汚れてしまう。それを放って置くと、撃ったときに暴発して撃ち手は死ぬ。

「こうやるのだ。」

三郎兵衛は、子どもの頃、父親に鉄砲の撃ち方と掃除の仕方を教えてもらったことがある。父親はもともと三河の百姓で門徒であり、足軽でもあった。鉄砲という物は、力の強弱に関わりなく、撃ち方さえ覚えれば、当てるのは難しいかもしれないが、撃つことはできる。門徒の多くは弓、鉄砲を渡されている。城攻めでは、彼らが弾雨で城の櫓や壁に張り付いている兵たちを牽制しているうちに、刀槍の武士たちが乗り込む。

「できた。」

もともと器用な三兵衛は、二、三度やり方を教えると、手早くに分解して、掃除をし、油を挿して、組み立てる。

「16になったら、お前には鉄砲の撃ち方を教えてやろう。」

「約束だぞ。」

この子には鉄砲撃ちが合っていると思った。

「信長はいずれ長島へ攻めて来る。」

今回の一揆たちの先制攻撃により、信長は長島一向一揆を敵と見なしただろう。

「砦の普請をすることだ。」

軍監として、願証寺に派遣されている石山本願寺坊官、下間頼旦がそう言った。翌日から門徒たちは、それぞれの輪中にある砦で堀が埋まっていたり、塀が壊れている所は修繕した。

「輪中の堤も直しておくことだ。」

中洲を囲む輪中の堤も崩れているところは土を盛り直した。

「砦には鉄砲、弾薬を運んでおけ。」

大坂から届いた武器、弾薬、食糧などを砦や輪中の蔵に運び込んだ。


「今日休み?」

「午後から一限だけある。」

咲愛と理輝がリビングで話している。その横では父の豊久が新聞を読んでいた。

「父さん何でいるの?」

「中学生、今日休みみたいよ。」

「ふうん…。」

冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注ぐ。

「ほう、ほほう…。」

父は、大方のことには興味を持たない。しかしその中でも新聞で興味がある記事を見つけると、そのように唸る。

「何かあったの?」

咲愛も父のその癖のことは知っている。

「うん…。遺物。戦国時代の。」

「ふうん。」

理輝は自分の牛乳を飲み終えると、新しく父のコップに牛乳を注いだ。

「はい。」

「ありがと。」

ソファで咲愛が雑誌を見ている。理輝は父が新聞を読んでテーブルの前に座わると、朝食のパンを食べ始めた。

「うん。伊勢のね。今の三重県の長島で工事中に遺跡があったらしくてね。そこで、戦国時代の一向一揆の城があったところみたいなんだけど。当時のいろんな物が出て来たみたい。」

「ふうん。」

理輝はクロワッサンを食べている。横から咲愛が口を挟む。

「その何がすごいの?」

「当時の人たちの生活が分かるんだよ。」

「ふうん。」

皆、馬鹿にしている訳ではなく。家族は豊久以外は皆、理系なので、いまいちぴんと来ないのである。

「現地説明会行けないかな…。」

豊久は時折、ふらっとどこかに出かけて戻って来る。聞くと発掘調査の現地説明会に行っていたという。

「行って来ます。」

午後になり、理輝が家を出た。大学で『力学概論』という講義に出席する。

「波動関数は通常、拡張した値を取っており、それが観測によって、対応する値が確定したとき、波動関数も収縮します。…。」


「ただいま。」

「早かったわね。」

「すぐ帰って来たから。」

「晩御飯まだよ。」

「いいよ。」

母が晩御飯の支度をしていた。

「(レポート書くか…。)」

量子力学において、波動関数は一定の値を取っていない。それは確率的に表される。時間とエネルギーのように、一方の値が観測によって確定されると、もう一方の値は無限大になる。その確率的性質を原理として表したのが不確定性原理である。不確定性原理と巨視的世界の関係を述べたものがシュレーディンガーの猫である。コペンハーゲン解釈の支持者は箱を開けた瞬間に波動関数の収縮が起きるとする。多世界解釈の支持者は箱を開けた瞬間、世界が分岐するという。

「(世界が分岐するって、世界が拡張しているということだよな…。)」

可能性が無限大に分岐すれば、それは無限大の拡張となる。

「(一方が拡張すると一方が収縮する。それは時間とエネルギーのように対応した値の関係と似ている…。)」

故に、量子力学の世界では、確率的にしか値を取れない。

「(収縮=拡張と考えるとどうなる…?)」

シュレーディンガーの猫における、収縮による世界の確定と分岐による世界の拡張。じつはそれが、時間=エネルギー=質量のように、同じことだとしたら。

「(やはり、世界は確率的でしかないということだ。)」

世界が確率的でしかないということ。それは、ひとつの世界が存在すると同時にあらゆる世界が存在しているということ。

「(そして、その世界同士は、エンタングルメントしていると、同時に干渉し合う…。)」

ある一方が収縮確定(分岐拡張)すると、もう一方が分岐拡張(収縮確定)する。この場合において、収縮確定=分岐拡張であるので、それらは同時に成り立っている。

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