三十一章
「漆黒と黄金の物語」の続きとなります。読んでいない方がいましたら、そちらからお読みください。
王都から東に馬で半日ほど走った場所にアクィナスはある。
水資源が豊富で、様々な農作物を作ったりと、古くから豊かな文化が発達していた。
今は、『燃える石』があるという鉱山のある町に勢いとしては負けているが、綺麗な湖や川を使った産業を始めたのではないか、と周辺の村々では噂されていた。
しかし、それよりも恐ろしい噂が流されていた。
何でも、アクィナスでも一番大きく、綺麗なカルム湖という湖に霧がかかった日には、白い鳥が現れ、湖に迷い込んだ人間を狂わせると言われていた。その人間らは、『水が、水が!』というらしい。何があったのかは、未だに分かっていない。
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「そ、その話…ほ、本当ですか…?」
ウェンディは乗っている栗毛のロメルにしがみついていた。
「そのための調査活動だ。まさかとは思うが、怖いのか?」
後ろからついてくるジョージアは、落ち着き払った声で呆れた様子だった。
「まっ、まさかー。何でそんな、ゆ、ゆゆゆ幽霊みたいな噂話なんて信じなくちゃいけないんですかー」
棒読みで声をはりあげる。
「そっか、それはよかった。じゃあ、今日から調べられるね」
「ええぇぇぇっ?!」
墓穴を掘ってしまったウェンディは、ロジャーのいつも以上の爽やかな笑顔を見て愕然とした。
「そのための『調査』だし」
「わ、わざわざ今日からじゃなくとも…」
「では、到着し次第始める」
ウェンディの前方で、スッと背中を伸ばしたまま馬上にいるリチャードの一言で決定事項になったようだ。
(う、ううう嘘でしょ…)
真っ青になったのに気がついたのは、肩に乗っているジンだけだった。
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アクィナスに着くと、責任者としてリチャードとロジャーは町の長に会いに行ったようだった。その間、騎士達とウェンディ達は湖に近い拓けた場所にテントを張っていた。
一段落したところで、ウェンディは、紫色の小さい花がたくさんついている植物の茎を持って、揺らしていた。
「ジン、何で私はこんな不運なんだろ」
何だよ急に、とジンは、振り回している花に当たらぬように少し離れたところで座っていた。
「だって、今日は、オバケに会わなきゃいけないし。昨日は王子にからかわれるし、よく分からない男にベタベタされるし――」
ジンは難しい顔でいた。
そのよく分からない男に何されたんだ、とジンは不機嫌そうに少し低いトーンで尋ねた。
「何って…いきなり至近距離に近づいてきたり、私の名前を何故か呼んだり、首に…」
ウェンディは、首に手をあてて少し青ざめた。
彼奴…ぜってー許さないぞ、とジンは呪うような声色で唸っていた。
「じ、ジン…?」
そこにジョージアが近づいてきた。
「ウェンディ――…何をしているんだ…」
ジョージアがウェンディを見つけると、少し青ざめた虚ろな表情で振り回している『花』に注目していた。
「東の遠国で、こういうふさふさしたものでお祓いをするんです。だから、無事に帰ってこられます様にって、行く前にお祓いを―――」
「分かった、分かった。但し、その花は、捨てろ。サワギキョウは有毒だ」
えっ、とウェンディの手が止まると、投げ出した。
ジョージアは、呆れるような表情で腕を組んでいる。
「そんなのに頼って…恐いんだろ。今回は、仕方がないから此処に残っていてもいいが」
「そんなのって何ですか。東国では、悪い霊や悪いことを追い払うのに使う神聖なものだって言って……って、残っていて良いって、ほ、本当ですか?」
毒がついてやいないかと、手を一生懸命にほろっていたのを止めた。
「あぁ。騎士が行ってくれるテントの見張りなら出来るか」
「はい!!」
満面の笑みで元気よく返事をしたが、次の言葉に顔が凍った。
「一人で」
「い、行きます…行かせてください…」
項垂れ気味なウェンディだった。
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「綺麗…」
それまでの不安はどこに行ったのか、目をきらめかせて、幻想的なカルム湖見ていた。
後ろにいるであろうジンに話しかけようとふと振り返る。だが、目があったのは、至近距離で少し屈んでいるロジャーだった。
「そう?君の方が綺麗だよ?」
「ふぎぁ!!」
可愛いげのない悲鳴をあげ、尻餅をついてしまった。
「そんなに驚かなくとも…。―――殿下ぁー、やっぱり昼間に大人数で来ても出てきてくれないんじゃないんですか?」
水の中を見つめながら動こうとしないリチャードに飽き飽きしたような声で言う。
加えてジョージアも口を開いた。
「殿下、私もそう思います。いくら今が日暮れ時でも、噂からすると、霧が出る日でないと出ないようですし。…第一、聖霊の起こしたものなのか、人が起こしたものなのか分からない今、分からないまま動くより少し調べないと」
何かをじっと見ていたリチャードの目はやっと離れた。
「…そうだな。また後程にしよう」
一時撤退の声を騎士達に伝えると、皆、野営地に戻ろうと足を向けた。
ウェンディもそれについていこうと、地面に手をついて起き上がろうとした。
その時だった。
ウェンディの耳に何かが聞こえた。
〈…助けて………《光》が消え……〉
「な、何?」
ジンかと思い、振り返ったが、首を振られた。
「違うの。じゃあいったい誰?」
〈…私達の《光》が消える……助けて……黄金の…め〉
「待って!!」
薄れていく声を追おうとしたが、誰かに手を引かれているのに気がついた。それと同時に、ウェンディは、湖に足を浸けていた。
ウェンディの手を引いていたのは、リチャードだった。そのままグイグイ引っ張って水から出された。
パシャパシャと水音をたてながら、出ると、手の痛みにウェンディは顔を歪めた。
「で、殿下!て、手が痛いです」
ウェンディの手を力任せに握っていたからだった。言われてからやっと気が付いたのか、パッと放すと、腕組をして、背を向けた。
「……勝手に湖に入るな。此の季節の水温は低い」
無愛想に言い捨てると、騎士らしい、シャンとした姿勢で野営地に帰っていった。
「…何なの、あの王子」
きょとんとしたウェンディの顔に茜色の夕陽が写っているだけなのかは分からないが、真っ赤に火照っていた。