第十一話 強くなる
深夜の領域事件から数時間後───。
この日も平日という事で、紗月と飛鳥はいつもの様に大学に出てきていた。
二人が通っているのは森然大学という私立校。
田舎とも都会とも言えない街に存在している───大学内にも幾つかの木が生え並び、自然と建物が調和している学校だ。敷地内には四つの建物が立ち、それの他に二つの体育館と、学食の場として使われる建物が一つ。
今日は午前で講義が終わりな二人は、食堂がある建物の二階───カフェテリアになっている階で、フラペチーノを頼みながら昨日の事について話していた。
ただ、そのテーブル席にはもう一人、二人とは全く違う女性が座っている。
緑色の長い髪を左右で三つ編みにしており、おっとりもした垂れ目に眼鏡を掛けている。服装もその穏やかな雰囲気に合っていて、白い厚手のセーターにふわふわした深緑の肩掛け・紺色のロングスカートに茶色の革ブーツと、静寂と光明が似合いそうな女性だ。
実はこの女性も魔法少女───それも、紗月と飛鳥の先輩に当たる存在だったりする。
その緑色の髪をした女性は、手に持っているブラックコーヒーが入ったマグカップを口につけて傾け、一口 コーヒーを含むと、マグカップを元々あった皿の上に戻して。
「ふぅ……………紗月と飛鳥の言いたい事は伝わったよ。でも………ちょっと信じ難いかなぁ」
紗月と飛鳥は数時間前深夜に潜った領域で起こった事を包み隠さず彼女に伝えていた。
二人が力を揃えても敵わない様な強敵が現れて危機的状況に陥った事・そこから彼女達を救ったのは、領域内に入る事すら不可能だとされてきた男性・しかも、その男性は異世界からの来訪者であった───など、確かに、信じるには無理がある内容が詰め込まれ過ぎている。
「あたしも、別に異世界のくだりは信じていません。ですが、強敵が現れた事と男が領域内にいた事は間違い無いんですって! ほらっ、これがその証拠!」
紗月が、昨日ガララアジャラを倒した少年が投げ渡してきた結晶を証拠として机の上に置く。
飛鳥も隣で紗月を肯定する様に相づちを打っている。
「と言われても………今まで魔獣を倒してきて、そんな結晶を落とした事は無かったし……証拠って言われても……」
上半身を乗り出して強めの主張をする紗月の勢いに押され、マグカップを両手で持ちながら体を気持ち後ろに傾けながらも、やはり緑髪の女性は二人の話に半信半疑なままだ。
当選と言えば当然だろう。これまで、魔法少女が魔獣を倒す過程において、この様な結晶がドロップした事は一度も無かった。それなのに、その少年が倒したら、まるでそれを証明するかの様に結晶を落とすなど、あまりにも説明に都合が良過ぎる。二人が、何とかこの話を信じ込ませようと証拠をでっち上げた、と考える方がしっくりくるだろう。
そんな様子の女性を見て、紗月は少し落ち着き体を戻しながらも、顔を俯かせる。
「あの男の子の力は常軌を逸していた。あの子がいなかったら、今頃あたし達二人は今ここにいません」
そんなあまりにも紗月の真剣な言葉に、流石に女性も無碍に出来ないのか、彼女に向けて口を開けた。
「………ねぇさっちゃん、その領域にいたのは、本当にそれ程強力な魔獣だったの?」
「……………はい、先輩にだから正直に言いますが……全くと言っていい程 歯が立ちませんでした。普段以上の実力を出せていた あたしの全力を軽くあしらって、飛鳥の風にも対応し始めていた。思い出すだけでも、この様です」
そうやって語る紗月の肩は震えている。隣にいる飛鳥も、顔を俯かせて唇を強く閉じながら、膝の上にある両手に力を入れている。
そんな様子の二人を見てしまえば、流石に信じざるを得ない。女性はとりあえず、そんな強敵が領域内に現れた話は受け止める。
「………そっか……うん、分かった。一先ず、男の子の話とか異世界の話は置いといて、領域内にそんな凶悪な魔獣が出たって事は信じるね。これはこれからの私達の活動にも影響が出る話題だし」
「「───!!」」
そんな彼女の言葉を受け、紗月と飛鳥の二人は表情を明るくして顔を上げる。
「すぐに協会に確認を取るよ。他の地域でも強い個体が確認されてないか、その確認もしてみるね。とりあえず、私達は魔女協会の命令の元でしか動けない。だから、あっちの判断を仰いでみるよ」
「「あ、ありがとうございます!!」」
「それと………」
そこからの話で三人の表情は暗くなった。
「犠牲者が、一人出たって事も……ね」
「……はい、お願いします」
そう、深夜のガララアジャラの対面時において、奴は一人の魔法少女をすでに殺し・弄んでいた。
何も、この三人の様に魔法少女全員が全員家族の元から離れている訳では無い。自分が魔法少女である事を隠しながら一緒に生活している娘も勿論いる。
もし、死んだ彼女もそういうパターンなら───今も親族は帰ってこない彼女の事を心配しているかもしれない。このまま、帰ってくるかどうか分からないよりは、真実を───そういう事だろう。
「うん……任せて。さっちゃんもあーちゃんも、つらかったね。そんな時に私がいてあげられなくて、ごめん」
「いえ、そんな……! そもそもあれは……飛鳥の忠告を聴かなかったあたしのミスで……」
「───! それは違うって! 私も最後まで反対しなかったよ! お互い様だったって昨日話がついたじゃん! その事を引きずるのは……無しだよ」
「………ごめん」
「………」
二人にも何かしら思う事があるのだろう───場が重苦しくなる。
「と、とにかく! 今日は二人とも仕事無いんだし、講義も終わったんだよね? なら、今日は帰ってゆっくり休んで。また魔女協会から連絡あったら伝えるから。だから、ね? 今日は帰って、ゆっくり体を休めて……さ。そしたら、多分気持ちも……少しは楽になると思うから……ね?」
「………はい」
「……」
少しでも楽になるかもという淡い期待を込め、とりあえず何とかこの空気を変えようと二人を帰す女性。
紗月と飛鳥はその言葉に従い、席から立って、荷物を持ち、その場から去り始めた。表情は暗いままだったかが。
二人が去ってから、女性は改めてコーヒーを一口含むと、溜め息を吐いた。
「………」
女性は改めて二人の話について考える。
何も考えてこなかった事では無い。彼女達魔法少女が相手がするのはこの世界には存在する筈も無かった異形のモンスター達だ。いつ自分が怪我を負うか───いつ自分が殺されるのか、そんな事を考えなかったと言えば嘘になるだろう。
しかし、それにしては領域内の戦闘は簡単過ぎた。領域を創り出したとされるボスモンスターでさえ、少し苦戦する程度で倒せてしまう。そんな事が幾度と───何年も続きていた。だから、思考が麻痺していた。いつしか、自分が『死ぬ』という考えが風化してきていた。
そうやって化石になりつつあった思考が───掘り起こされようとしている。
いつの間にか震えていた肩。マグカップが揺れている事でそれに気付いた女性は、左手で反対側の肩を持つ。
そして、何がある訳でも無いのに顔を上げた。
彼女はこう思ったのだろう───あぁ、怖いな、と。
□□□
彼女が魔法少女になったのは───約七年前。
彼女の家庭環境は決して「良い」とは言えないものだった。
古いアパートで両親二人と三人暮らし───だというのに、彼女の両親は喧嘩ばかり。近所の迷惑など考えず喚き散らし、近くにある物を片っ端から投げ付けて───両親の喧嘩の時は、決まって彼女は押し入れの中へと入れられていた。しかも、喧嘩終わりは決まって両親のどちらかが家を飛び出し、もう一方が溜まったストレスを吐き出す様に彼女に暴力を振るう。
両親の愛情を彼女は感じた事があったのだろうか?
両親がそんな人達なのだ───勿論他の人など信じられる筈が無く。
彼女は軽度の人間不信に陥っていた。
人は一人で生きていけないという。
しかし彼女は、一人になる事を───解放される事を望んでいた。
そんな折に現れたのだ───とある女性が。
姿は人間の筈なのに、まるで実体は持たないかの様に半透明で、どこか現実味の無い。
また何の変わりの無い両親の喧嘩中───なのに、彼女が入っている押し入れの中の光景は変わっていた。
『魔法少女になりませんか?』
そこから、彼女の人生は変わったのだ。
彼女が魔法少女になる交換条件として叶えた願いは───『一人でも生きられる様にして欲しい』。
誰かの力を借りなければ生きていけないこの人間社会から抜け出したい───彼女が願ったのはそんな思いだった。
事実、彼女の願いは叶った。
一人で住む為の住居も用意され、食料も定期的に送られてくる様になった。お金もまとまった額がいつの間にか口座に振り込まれる様になり、一人で住む分には困らなくなったのだ。しかも、両親含め親族等から彼女の記憶は消え、介入される可能性さえ排除されていた。
だけど………だからこそ、彼女は気付く事になる。人は一人では生きられない───この本当の意味を。
彼女は一人で暮らす様になり『孤独』を知った。そして、『孤独』がどれ程つらいものなのかも、知る事となった。
人は暗闇の中に長時間いると正気を保てなくなるという。それが関係しているかは分からないが、一人の生活が数ヶ月も続いた頃、彼女に異変が生じ始める。気温は低く無い筈なのに寒気を感じる様になり、妙な息苦しさに加え、暗闇を異常に恐怖する様になったのだ。
全ては『孤独』からの精神障害。一人でいる心細さ、その負の感情の蓄積により生じた脆さ。
ここで初めて、彼女は自分がした願いがどれ程 愚かだったかを知る事になる。あのまともとは言えない両親でさえ、彼女の心の安寧を支える重要ファクターになっていたのだ。
彼女は本当の意味で『一人』を知った。
『孤独』の恐ろしさを知った。
故に彼女は『一人』を嫌がる様になった。
でも、もう両親の元へは戻れない。自分でその縁を切ってしまったから。
だから、あれ程 嫌だった学校にも彼女は通い───高校に進学し、大学にまで出た。
他にも、魔女協会内で魔法少女としての地位が向上し、新人の指南を提案された時も、彼女は迷わずそれを受け入れた。
───全ては、『一人』にならない為。
故にこそ、彼女は『死』をも恐れる。
『死』とは、暗闇の中に一人で落ちる事を意味する───と、彼女は考えていた。
だから恐れる───『死』を・『孤独』を。
これが、彼女が魔法少女になった全て。
これこそが彼女の───緑坂孤織離の弱さである。
□□□
帰り道、飛鳥と紗月の二人は重苦しい雰囲気を抱えたまま歩いていた。
「………あ、あのさ」
そんな雰囲気に耐えられなくなったのか、飛鳥が口を開く。
「良かったよね、孤織離さんに信じてもらえて。今までに無い事だったからさ、信じてもらえなかったら どうしようって話してたもんね」
「………」
場を変えようと飛鳥が笑顔で話し掛けるも、紗月は何も反応を示さず無言のまま俯いている。
「そ、それにしてもさ、凄かったよねぇ昨日の男の子。どうやってあんな力を手に入れたんだろ? ちょっと中二病くさかったけど、そんな態度が取れるのも力あってこそだよねぇ」
「……」
若干顔を引き攣らせながら喋り続ける飛鳥。その頬には汗が見える。
また無言で返すのだろうと思っていた紗月だった、が───
「あのさ、飛鳥」
顔を上げて、真剣な顔で飛鳥の方を見据え出す。
「な、何? 紗月ちゃん」
お茶を濁そうと話していた所で紗月が真面目なトーンで話し掛けるものだから、若干戸惑いながらも飛鳥はその言葉に反応する。
「昨日は本当にごめん」
紗月が腰を曲げ頭を下げた。
「紗月ちゃん!?」
「……」
飛鳥が驚く声を上げるが、尚も頭を下げ続ける紗月。
「ちょ、ちょっと! 顔を上げてよ紗月ちゃん!! ごめんって昨日の事言ってるの!? それならもう話は着いたじゃん!」
「………」
「私は気にしてないよ! 私も紗月ちゃんの言葉に納得してついていった訳だし……非は私にもあるんだから!」
「それじゃあ気が済まないの!!」
飛鳥の言葉を、紗月は大声を出して遮り、顔を上げる。
「あたしは……あたしは! 飛鳥に助けてもらった……アナタに救ってもらったの! あの時から……アナタはあたしが助けるって……決めてたのに。なのに! 肝心な時にあたしは何も出来ない!! 昨日だって……あの時だって!あたしに力が無いから! あたしは……あたしは!!」
「紗月ちゃん……」
自分の言葉で自分を責め立てる紗月。あの時というのは、今より前、二人が幼少の頃の話だろう。その時 紗月の身に何かがあり、飛鳥がそれを救った。それで、紗月からしたら一生を使っても返しきれない様な恩を飛鳥に感じた、という所だろうか。
そうやって自分を追い詰める紗月に何て言葉を掛ければいいのか分からない飛鳥は、ただ彼女の名前を呟く事しか出来ない。
「あたし……決めたよ」
そうやって一通り自分を責め立てた所で、今度は何かを決めた様な目で飛鳥の方を見据え、紗月は誓う。
「あたしは───強くなる。あの魔獣よりも・あの男の子よりも───誰よりも強くなる! そして、絶対に飛鳥を守って見せるから!」
「……」
「もうあたしは諦めない!! 出来ないって諦めたりしない! 勝てないって諦めたりしない!! 強くなって・橘家の技も全部使える様になって! あたしは───誰よりも強くなるから! だから───」
決意のこもった瞳で、彼女は最後の言葉を放った。
「これからのあたしを、見てて」
それだけ言って、紗月は飛鳥の前を歩いていく。その行動きっと「これからは一番にあたしが前に立って、アナタの事を守る」という意味合いも含まれているのだろう。
それを見た飛鳥───彼女はワナワナと肩を震わせて顔を俯かせると、
「紗月ちゃん!!」
今度は彼女の方から紗月を呼び止めた。
その声に驚き、紗月は後ろを向く。
「………ずるいよ……紗月ちゃんばっかり、言いたい事言って」
「飛鳥……?」
「私だって! 紗月ちゃんには感謝してるんだから!!」
「───!」
飛鳥は涙を流し、その胸の内に感じていた思いを伝え始める。
「ずっとずっと、隣にいてくれた事に感謝してた! あの家にいた時だって、居づらさだってあったのに……それでも! 紗月ちゃんは文句も言わず私の傍にいてくれた!! 家を出る時だって、あたしの為に願いを使ってくれて……感謝してもしきれないのはっ私も同じだよ!!」
「───っ」
あの家というのは、おそらく飛鳥が元住んでいた彼女の実家だろう。彼女の実家はそれなりに大きな名家で、縛りの強かったその家を出る為に願いを使って魔法少女になった飛鳥を、紗月もまた何かしらの願いを飛鳥の為に使って彼女を追い掛けた、という所か。
「だから……だから! 私も強くなるから!! 紗月ちゃんを失わずに住む様に、強くなるから……だから、だからぁ!!」
泣きながら、飛鳥は叫ぶ。
「そんな『一人で行く』なんて事っ言わないでよ!!」
涙を拭う飛鳥の嘔吐きが辺りに響く。きっと彼女は、一人で抱え込み・一人で解決しようとする紗月の言動で、このままだと紗月は一人どこか遠くへ行ってしまうのではと錯覚したのだろう。だから、泣きながら紗月に訴え掛けたのだ。
彼女の言葉に何かを気付かされた様にハッと目を見開き顔を俯かせる紗月。
「ごめん……あたし」
「ヒック……えぐっ……」
「そうだよね……そうだよ、飛鳥の言う通りだ。ちょっと先走り過ぎちゃってた、あたし」
「……っ、紗月ちゃん……」
「一緒に強くなろ、飛鳥。二人で、これからも一緒に頑張ろ」
「───! ……っ、うん!」
紗月の言葉に、涙を拭って頷く。
二人はまた思いを新たにして進んでいく。
魔法少女として、これからはもう命の心配もしなくてもいいぐらいに強くなって、生きよう───そう決意して、二人は帰路に帰る。
夕焼けによって映し出される彼女達の影は、長く長く伸びていた。