その二
さて。
話を戻すが。
こういう男に、ファンタジーを書いてくれというわけだ。
依頼をおこなったのは、ライトノベルの大御所ペディアファクトリーの編集者、川上都貴子である。
普通のおとなしい女性に見えるし態度も控えめだが、その方面での実権はなかなかのものらしい。
沖は、素朴な疑問をぶつけてみた。
「いったい何だって、ぼくにファンタジー小説なんかを?」
こちらの適性は知ってるはずだ。
相手は、要求を押し付けることなく、まず沖の疑念にあわせた応答をする。
ごもっともです。実は……。
川上都貴子は、沖を驚愕させる衝撃の実情を語りはじめた。
本来なら執筆を依頼すべき売れっ子のラノベ作家が行方知れずになってしまった。
ひとりではない。何人もが、相次いで。
いずれも痕跡が残らぬ消え方で、所在が皆目つかめない。
まさに予期せぬ事態に見舞われたと呼ぶしかない状況で、出版界全体が恐慌をきたしているのだという。
ラノベ作家が相次いで失踪?
沖にとっては、小躍りしたくなるほど良いニュースだった。
けれども。
それで狂おしくも気障りなラノベブームがすたれ、沖のようにさっぱりした落ち着きあるものを書く作家に出番が回ってくるかといえば。そうはならず逆に、沖のところにまで忌まわしいライトノベルの注文が舞い込むとは落胆するしかないが。
声を大にして、言いたかった。
いい加減もう、ラノベ中毒から立ち直れよ、日本人。
ともあれ。
川上都貴子によれば、集団失踪の穴埋めのため、めぼしい作家には急遽ピンチヒッターを引き受けてくれるよう打診中だという。
それでか。
だからってやるに事欠いて、この沖栄一にラノベを書かせようとは。
ラノベ……。
題名がだらだら長いばかり、現実逃避に承認欲求とハーレム願望の充足のほか内容もなく、萌え画の挿し絵をつけないと中学生にも読まれない、まさしく最底辺の売り物。
あれを、自分が……。
やたら愛らしいキャラ絵を押し出したカバーに「沖栄一」の名が付いた新刊が本屋に並ぶ。思い浮かべると、ぞっとしない。
何より、みんなの反応が気がかりだ。
「あれほどラノベを貶しまくった、ぼくがだよ。自分でラノベを書いたら、なんて思われるか」
川上都貴子は沖の懸念に対し、何を案じるという顔である。
「いえ、先生の名前が出ることはないんです。ご心配なく」
なんだって?
さらに話を聞いてみれば。
なんと。
なんと、この沖栄一名義じゃない、他の作家の代筆の依頼だったのだ。
俺の書いたものが、あの良野部軽の作品として刊行されるという。
よりによって、良野部軽の代筆とは。
あんな、世界観は陳腐、登場人物は無個性、展開はご都合主義、何の葛藤もなしに出来事が勝手に落着したあとでの喝采ばかり求める、まさにラノベを擬人化したようなヘボ作家。
俺の代筆がつとまるかさえ怪しい奴の本を、俺が代筆させられる。
なんたる侮辱。
しかも。
しかも、だ。印税は、良野部と折半なのだという。
創作にまったくタッチしない、所在不明のまま代筆の件すら知らずにいる良野部とだ。
なんたる侮辱。
これは断らねば。
理由を見つけるのは簡単だ。
「俺とあいつじゃ作風が違うでしょ。文体も。すぐバレちゃうよ」
「それもご心配なく。いかにも良野部さんの文章のように、こちらで修正しておきます」
うわ、なんたる侮辱。
仮にも職業作家に向かって。修正を前提に、執筆を頼み込むとは。
川上都貴子が言うには、良野部はもともと凡庸な書き手で、そのままでは素人臭が強いため、いつも原稿の半分くらいは編集者が手を加えているのだという。
さらに川上都貴子によれば、良野部軽名義だと沖さんの本より何倍も売れるから、印税が折半としてもけっして悪い商売ではない、むしろ自作として出すより稼げるのではと。
沖が喜んで引き受けるのを疑ってもいない様子だ。
これ以上にない侮辱!
しかし。
沖は結局、侮辱を受け入れた。
ローンの返済に追われており、多くの金が入用だった。
彼はまずこの世に生きる身で、ファンタジー世界の住人ではないのである。
(続く)