第01話 ミーナとステラ
#ミーナとステラ
「ステラ! このゴブリンは異常だわ! 強すぎる!」
前衛のステラに回復魔法をかけて大声で呼びかけると、前を向いたままの彼女が返事をよこす。
「くっ…… ミーナ! こっちも全然違うのです! 森のオークとは、動きも、力も!」
騎士の彼女は2体のオークを引きつけ、神官の私を守って戦ってくれているが、防戦一方でなかなか攻めに回れないでいる。
ゴブリンが振り下ろす棍棒をスモールシールドで受け流す。すると、かすっただけでも痺れるような痛みが腕と肘に走る。左半身が持っていかれそうな衝撃を受ける。
私の使う盾や武器はこんな武器を打ち合うガチな戦闘には向かない。
スモールシールドは腕を怪我しないように板金をくくりつけているだけで、衝撃の吸収力はほとんど期待できない。かといって、重く大きな盾だと持ち手を握って保持せねばならない。
武器もメイスやウォーハンマー、メイジスタッフなど、特殊な聖木製の柄を握らねばならない。全金属製の武器では魔法が使えない。
魔法は片手や素手でも使えるが、両手でしっかり柄を握れば、より効果を発揮できる。そうして魔法が発動するまで時間をかけて精神力を注ぎ続ける。中断や発動のあとは、しばらく次の魔法を唱えられない。
だから、魔法は体を使って武器を振るうのと同じで、個人の能力や装備によって効果の優劣ができる。
威力のある武器を使おうとすれば魔法が使えず、本格的な盾を持とうとすると魔法の威力が下がる。神官が戦士ほど近接戦闘に向かないとされるのは、そういった理由からだ。
それに、メンバーが負傷していないか確認するときも、手をあけておく必要がある。ステラの鎧を汚している血は彼女自身のものだ。今はゴブリンを押さえつつ、彼女の状態を確認しなければならない。
心の中で念じて、左手にステータスカードを呼び出し、前方にパーティメンバーのステータスを投影する。まあ、持ち手くらいなら握りながらできないこともないが、少なくともこれを表示させながら近接戦闘はできない。
◇ ◇
※脚注:実際には筋力などの数値は曖昧に見えています。
┌────────────────┐
│名 前:ミーナ │
│種 族:ヒューマン │
│年 齢:14 │
│職 業:冒険者 │
│クラス:神官 │
│レベル:10 │
│状 態:良好 │
├────────────────┤
│筋 力:175 物理攻:304 │
│耐久力:211 物理防:330 │
│敏捷性:160 回 避:286 │
│器用度:125 命 中:266 │
│知 力:145 魔法攻:328 │
│精神力:194 魔法防:266 │
├────────────────┤
│所 属:冒険者ギルド │
│称 号:Eランク冒険者 │
├────────────────┤
│状態:良好 │
│右:鋼鉄のメイス │
│左:鋼鉄のスモールシールド │
│鎧:鋼鉄のブレストプレート │
│鎧:ハードレザーアーマー │
│飾: │
│護: │
├────────────────┤
│パーティ:ミーナ │
└────────────────┘
┌────────────────┐
│名 前:ステラ │
│種 族:ヒューマン │
│年 齢:14 │
│職 業:冒険者 │
│クラス:騎士 │
│レベル:10 │
│状 態:重傷 │
├────────────────┤
│筋 力:245 物理攻:455 │
│耐久力:281 物理防:620 │
│敏捷性:189 回 避:224 │
│器用度:135 命 中:260 │
│知 力:109 魔法攻:244 │
│精神力:161 魔法防:215 │
├────────────────┤
│所 属:冒険者ギルド │
│称 号:Eランク冒険者 │
├────────────────┤
│状態:小破 │
│右:鋼鉄のロングソード +2│
│左:鋼鉄のカイトシールド │
│鎧:鋼鉄のプレートアーマー │
│飾: │
│護: │
├────────────────┤
│パーティ:ミーナ │
└────────────────┘
◇ ◇
私はレベル10の神官で、ステラはレベル10の騎士。
その下の『状態』を見る。そこに健康状態が表示されている。
(やはり重傷のようね。【ヒール】をかけてるのに……)
ステラとは、12歳の時に一緒にクラスを授かったあと、地元の城塞都市エルンで冒険者になり、パーティを組んだ。
それからもうすぐ3年。ステラが人見知りするせいもあって、ふたりきりのまま。メンバーが少ない分は、神官の私も魔獣と戦うことで補っている。
Fだった冒険者ランクはひとつ上がってEになっただけだが、レベル10の冒険者は少ない。町の冒険者や城門にいる衛兵は精々レベル5からレベル7ってあたりだ。
一般的な神官の立ち回りは、後衛について回復魔法を唱えることだが、私はこのメイスを振るって何度も死線をくぐり抜けてきた。今ではゴブリンやオークの巣窟もふたりで掃討できるほどになった。
(戦う神官、神官戦士だと自負してきた、この私が……)
◇ ◇
視界の妨げになるステータスを閉じ、目の前の魔獣に向き直る。
見た目は『ただの』ゴブリン。いつも着けている錆びた鎧。どうということはない相手のはず。
だが、普通じゃない。いつものとは違う強敵。
「今度はこっちから!」
気合を入れなおしてゴブリンのブレストプレートにメイスを叩きつける。赤茶けた錆が砕け散り、鎧は脆く崩れる。
ところがその奥の体は頑丈で、まるで岩のようだった。攻撃した私のほうが肩を脱臼するかと思うほど硬い。ゴブリンは、のけ反りも後すざりもしない。ひるんだ様子もない。どっしりと腰を据え、2本の足ががっしりと石床をつかむ。やせ細った病人のような体つきなのに、まるで手練れの重戦士のようだ。
そしてまた、右手に握った棍棒を振りかざしてくるのを盾で振り払い、すぐに手を重ねてメイスを握る。
だが、素人相手ならともかく、この相手は手ごわい。武器を振るい、盾で守りながらでは、魔法を唱えるための隙がなかなか得られない。
◇ ◇
(どうにかして状況を打破しないと! 回復役の私がしっかりしなければ!)
戦場となった通路を見渡す。このままではジリ貧だ。
「ステラ! もうちょっと耐えて! このゴブリンを倒したら、すぐに応援にいくから!」
「はいなのです!」
2体のオークが小さなステラに襲いかかる。
彼女が左腕のカイトシールドを掲げると、上半身がすっぽりと覆われる。彼女の盾はビクともしない。そうして積み重ねてきた技量で、オーガやトロールのような強大な敵でさえも打ち負かしてきたはずなのだ。
ところが、正面のオークの錆びた鉄の斧が盾に激突すると、途轍もなく大きな金属音が響く。跳ね返った斧頭は完全に錆びが消し飛んでしまい、地金が鈍く光っている。
衝撃を抑えきれなかった彼女の体が左側によろける。
「ステラ!」
続けて側面のオークがステラに斧を振り下ろす。
彼女は正面のオークに姿勢を崩されて避けられない。なんとか右腕の鎧で受け流したものの、隙間から滲み出た血によって、白い鎧がますます赤く染まっていく。
右壁沿いで戦っているもうひとつのパーティは、ゴブリン1体だけで手一杯のようだ。隊列の中央にゴブリンが居座り、下手に場所を移せば倒れている仲間を見捨てることになる。そのため隊列を整えることもできない。
ゴブリンはまるでそれが狙いだとばかりに、見事な立ち回りを見せている。
まともに戦えているのはただひとり。パーティリーダーだと言っていた、あの巨漢の戦士だけ。右手で両斧刃の戦斧を振るい、左腕で大きな円形の盾を構えている。
その彼も痛烈な一撃を受け、羽織っている緑色のサーコートが破け、肩の鎖帷子がいくらかばらけてしまっている。あの斧は大きくて重い。体力がありそうな彼でも片手で振り続けるのは難しいようで、肩で息をするほど疲労している。
ゲラールではベテランのパーティらしいし、私の見立てでも決して彼らが弱いわけではないと思う。ゴブリンが強すぎるのだ。
戦士でもない私がその異常に強いゴブリンにひとりで対峙しなければならず、ステラの回復もしなければならない。
(このままでは全滅する!)
◇ ◇
どうやら、目の前のゴブリンを倒さないことには、状況が好転しそうにない。ステラへの回復魔法をあきらめ、別の魔法を唱えることにする。
じりじりと後ろに下がってゴブリンを釣り出しながら、腰のベルトに吊り下げた革の筒袋に左手を伸ばす。
通路は狭く、《ステップ》もままならない。それに間合いをとりすぎると、他の者が攻撃を受ける可能性がある。
ゴブリンが釣り出されていることに気づいたのか、急に立ち止まる。
(今しかない!)
丸めて差し込んであった紙の巻物を左手の指で挟んでサッと取り出す。そして、軽く振って広げて腕を突き出し、魔法を唱える。
【マジックミサイル!】
魔法が発動し、左手の先からバシュッという発射音がして輝く光の矢が発射された!
【マジックミサイル】は、魔力で収束した光の矢を放つ、無属性の攻撃魔法。本来は魔術師系のクラスが覚える魔法で、戦士や神官は使えない。
それを誰でも使えるようにしたのがスクロール魔法。魔法が付与された特殊な紙の巻物で、スクロールホルダーと呼ばれる革の筒袋に丸めたまま差し込んでおく。使うときは引き抜いて広げて魔法名を詠唱する。1回きりの使い捨てになる。
自分の使えない魔法が使えるとあって、非常に需要が高い。銀貨が数十枚も必要なほど高価であるにもかかわらず、多くの店でさまざまな種類のスクロールが売られている。
神官は回復や防御の魔法ばかりで、攻撃魔法は覚えられない。魔術師は逆で、回復や防御の魔法を覚えられない。だから、いざというときのために購入してあった。ゴブリン相手に使うのはもったいないが、今は使うしかない。
本来は遠距離用の攻撃魔法で、弓と違って至近距離でも使える。それに、目標が避けようとしても軌道を修正して命中する。
魔法の矢は白光の軌跡を引いてゴブリンの右肩に突き刺さった!
右肩に怪我を負ったゴブリンは棍棒を振るえなくなり、そのまま体当たりで突進してくる。
迫るゴブリンに対して、私はメイスを振りかぶって正面からぶち当たる覚悟で跳ぶ!
《チャージアタック!》
右手に持ったメイスを渾身の力で振り下ろす!
ゴブリンの硬い顔面にめり込んだメイスの鉾頭が跳ね返され、打ちつけ合った体がはじかれる。のけ反りながらも石床を踏みしめ、さらに追撃する。
《アタック!》
負傷させた右肩の首回りを殴打し、そこに集中して連撃する。
これだけ攻撃してもゴブリンは動きを止めそうにない。ただ、【マジックミサイル】を受けてから動きがにぶくなっている。棍棒がなんとか避けれるようになった。
(魔法に弱点が? 魔獣は火に弱いとは聞くけど、こんな初級魔法で……)
だとしても、残念ながらスクロールは数に限りがある。残りはあと2枚。もっと強そうなオークも残っているし、温存しておきたい。
ステラはまだ持ちこたえている。時間をかけたくないが、ゴブリンの皮膚が硬いので、傷口をしっかり狙っていかねばならない。粘り強く攻撃を重ねていく。
ついにゴブリンが吹き飛ぶように背後に倒れ、動かなくなった。
◇ ◇
倒れたゴブリンに注意を払いつつ、ステラに近づいて【ヒール】を唱える。彼女の体が光を帯び、収まる。少なくともこれ以上の出血は抑えられたようだ。
「ありがとなのです!」
このゴブリンよりも強そうなオーク2体を引き受けながらも、私に感謝してくれる。
だが、彼女が毎日のように磨いて大切にしていた白いプレートアーマーは、今やオークの返り血と自身から流れる血によって赤く染まっている。鎧がオークの斧による衝撃を吸収しきれず、体を傷つけているのだ。この様子では、裂傷どころか骨まで痛めているかもしれない。
彼女に限って、こんな怪我を負うのはありえないことだ。
冒険者ギルドから受け取る報酬の多くをステラの装備の充実に回していて、今は鋼鉄のカイトシールドとプレートアーマーを着けてもらっている。
これがどれほどすごいことなのか。町にいる冒険者の鎧は私と同じブレストプレートが主流で、領主に雇われた精鋭の騎士ですらチェインメイルどまりだ。
プレートアーマーを着けている者など、王都にいる王宮騎士か、AランクやBランクといったひと握りの上級冒険者しか思い当たらないほど、高価な鎧なのだ。
「なんで? 今まではオークどころかトロールだって相手にならなかったし、単眼の巨人サイクロプスでも怪我しなかったのに……」
◇ ◇
私は右横からステラを攻撃していたオークに向かって2発目の【マジックミサイル】のスクロール魔法を唱える。オークの後頭部に突き刺さってブシュッと血が噴き出す。
そして、前のめりになったところに、ステラのロングソードが横に切り払われる。下顎が裂かれ、傷から血が流れだす。
【マジックミサイル】は初心者の魔術師が使う程度で、それほど強い攻撃魔法ではない。ところが、ステラの剣と同等か、それ以上の効果を発揮しているようだ。武器を叩きつけてもなかなか傷つかない硬い皮膚だったが、こいつはおそらく魔法に弱い。それに、神経を麻痺させるのか、動きが目に見えて鈍くなる。
私は背後から迫り、《アタック》で殴りつける。今までは異常に賢く背後をとれなかったのに、すんなり回り込める。このオークの鎧は胸部こそ鉄板で覆われているが、背面はただの布切れだ。やはり、岩を叩くような固い皮膚だったが、背中を殴打されたオークは、膝を突いてフラフラしている。
まだ生きている。こうなったら急所を狙うしかない。
とっさに腰から逆手でダガーを抜き、両手で柄を握って後頭部にできた傷口に突き刺す。グリグリとダガーを突き立てていると、オークは一瞬ビクッと体を震わせたあと、力が抜けたようにもたれかかってくる。それを振り払うと倒れて動かなくなった。
念のために、先ほど倒したゴブリンにもトドメを刺す。反応がない。先ほどの攻撃で完全に倒していたようだ。
◇ ◇
ステラとともにずっと前衛で頑張っている、あの戦士もゴブリンを倒したが、どうやらそれが限界のようだ。
神官の女性が【キュアウーンズ】を唱え、やられた仲間の傷を癒している。あれは【ヒール】の上位の魔法で、ひどい怪我も治せる。私がまだ覚えていない魔法だ。正直に言ってうらやましい。
(ステラにかけてくれてもいいのにな……)
だが、自分の仲間を優先するのは冒険者として当たり前のことだ。それに、彼らは以前の戦いで半数の仲間を亡くしたらしい。倒れている戦士と魔術師はピクリとも動かない。死んでいなければいいが……
そのような状況なので、救援は期待できそうにない。
残る敵はオーク1体のみとなった。ゴブリンやオークは集団で襲ってきて、戦っている最中にやってくる援軍に悩まされることが多い。幸い、まだ敵の増援は見えない。
これで終わることを祈りながら、最後の手持ちとなった【マジックミサイル】のスクロール魔法を放つが、オークは倒れなかった。
まだ手はある。次の魔法が唱えられるようになると、ステラに声をかける。
「ステラ! いったん立て直すわ!」
【プロテクション!】
神官の防御魔法だ。ステラの前に透き通った虹色のバリアが現れ、叩きつけられた斧がはじき返される。
バリアには敵味方の区別がないので、こちらからも攻撃ができなくなる。それでも、剣を振るえなくなるほど痛めている右腕の怪我が心配だ。今は治療の時間を稼がねばならない。
オークは戦い慣れていたのでバリアを迂回してくる懸念もあったが、バリアが透明で向こうからこちらが見えているせいか、気づかずに攻撃してくる。
「しばらくはもつはず!態勢を整えて!」
「はいなのです!」
ステラはこの隙に左腕で顔を拭うようにバイザーを上げ、ヒールポーションを飲んでいる。
右腕は剣を握ったままだらりと下がっている。左腕もどこか痛めているのか、上げたバイザーを下ろせないでいる。結局あきらめて、バイザーを上げたまま盾の持ち手を握り直す。
【ヒール】をかけ続けた結果、なんとかステラの右腕が動くくらいにはできたようだ。やがて、パリンと音がして、バリアに入ったヒビが広がり、崩れていく。
バリアは十分に役立ってくれた。ステラがふたたびオークと戦いはじめる。
形勢が逆転し、全滅は避けられそうだが、油断は禁物だ。
◇ ◇
戦いはじめたステラの調子が上がらない。あれほど回復魔法をかけたのに、ステータスの状態は重傷のままだ。
パーティ魔法を組んでいると、ステータスを確認できる他に、メンバーのいる位置や体力と精神力の消耗具合がなんとなく伝わるようになっている。
怪我や疲労といった体調がわかるのが体力。戦って怪我をしたり、走って疲れたりすると消耗する。死んだ人に話を聞けないので、どのくらいで命に関わるのかは感覚としか言いようがない。
スキルや魔法を使える量がわかるのが精神力。魔法やスキルを発動させるたびに消耗し、やがて限界に至ると気絶してしまう。
どちらも怪我をしないかぎり、寝たり休憩したりすることで回復する。
感覚的なものながら、レベルを上げれば体力や精神力も向上することがわかっている。体は傷つきにくくなり、傷を負っても死ににくく、長距離も走れるようになる。魔法の使用回数も増える。
パーティ魔法で他人の状態がわかるのは『まだいける』とか『死にそう』とか『気絶してる』程度で、本人のように細かく切実に感じられるわけではない。
ステラのステータスは『重傷』で、パーティ魔法で感じる体力は『まだなんとか大丈夫』な状態で、悪化は止まっている。
つまり、総合的な判断としては、死ぬほどではないが、どこか骨折や臓器を痛める大怪我をしている状況だ。毒は受けていない。
向こうのパーティの神官に【キュアウーンズ】をかけてもらえば、治るかもしれない。
(とにかく、今は生き残ることを考えよう)
攻撃に加わるかどうか迷ったが、【ヒール】を連続して唱え、ステラの回復、延命に専念することにする。少し眩暈がする。あと何回か唱えたら精神力の限界になりそうだ。
レベルも上がって相当な回復能力があるはずなのに、それ以上にオークの攻撃が激しい。
それでも、回復の甲斐があってか、ステラの右腕は力を取り戻したようだ。逆にオークの動きは目に見えて遅くなっている。
やがて、ステラのロングソードがオークの腹部に突き刺さり、ゆっくりとオークが崩れ落ちる。
そしてついに、オークの喉元にトドメの追撃が入った。