第02話 手入れと補給
#手入れと補給
そのあと、作戦が明日になったことで、改めて私たちに指名依頼が出され、案内として同行する話が決まった。
今はお昼を少し回ったばかり。私たちは宿に戻ることを許されて帰路についている。
かなり体が汚れていて周囲の目が気になる。装備の手入れもしたかったので、町中を流れる川に寄って洗うことにした。
川辺に着くと、私たちは胸とお腹でとめた4点式のベルトを外してバックパックを降ろし、木陰に革のシートを広げて身につけた装備を外して並べていく。
「はうぅ、中まで血まみれなのです…… お気に入りのギャンベゾンが……」
ステラは板金鎧の中に着込んでいたインナーチェインメイルとギャンベゾンだけでなく、下着まで血まみれになっている。バックパックから予備の服を取り出している。
インナーチェインメイルは、プレートアーマーの板金の隙間を守るための部分的なチェインメイルで、鎧下の服であるギャンベゾンに縫いつけてある。
「これは水で洗っただけでは落ちないから、宿に戻ったら洗濯を頼みましょ。ステラがここまで怪我をしたのは初めてね。本当に大丈夫なの?」
もういちど、体調が戻ったのか念を押して確認する。ステータスには問題がなさそうだ。
「うん、体はもう全然大丈夫なのです。でも服についた血は、そのまんまみたいなのです」
ステラは着替えをするために、大袋を広げて木の枝に吊るす。
大袋は両端が紐で閉じられるようになっている、2メートルほどの筒状の大きな布だ。荷物入れになるので、冒険者なら誰でも用意している。
普段は背中に背負ったバックパックの上に丸めてくくりつけている。そして、森などを探索して持ちきれなくなった戦利品を入れる。
ただの頑丈な布の筒だが、2本の棒を通せば簡易の担架にもなる優れものだ。上から吊るせば、中に入って着替えもできる。
すぐにでも着替えるつもりだったが、時間帯が良かったのか周りには誰もいない。
「ねえ、誰もいないし、体を洗っていかない? このままでは昼食も食べにいけないわ」
ステラを誘ってふたりでギャンベゾンを脱ぐと、下着のまま川に浸かって体を洗う。心なしか疲れが和らいだ気がする。体の疲れは【ヒール】で癒せても、心の疲れは癒せないのだ。
ステラの右手をスリスリと触ってみる。
負傷は完治していた。出血していたはずの腕に傷ひとつ残っていない。鎧の上からで直接触れてもいなかったのに、すごい治癒能力だ。
「もうミーナ、くすぐったいのです~」
いつか、私もあのようなすごい回復魔法を使えるようになるのだろうか。
レベルが上がると、知らない魔法のスペルが頭に思い浮かぶときがある。それが新しく覚えた魔法だ。何を覚えるかは決まっていない。クラスによって覚えやすいスキルや魔法があるが、結局のところ、運次第だ。
エルンの神殿でも、【キュアポイズン】を覚えられなくて解毒は薬頼みの神官がいたくらいだ。
もちろん数多くレベルアップを繰り返せば覚えるチャンスはあるはず。ただ、レベルはどんどん上がりにくくなる。強い魔獣と戦えば上がるらしいが、そのような魔獣はそうそういない。仮に遭遇したとしても、命をかけて戦うような神官は、私のような冒険者くらいだろう。
◇ ◇
体を洗い終わり、着替えのためにそそくさと大袋に潜り込む。
服を着てさっぱりしたところで、私たちは汚れた装備の手入れを始める。
革のシートに並べたパーツを、ひとつずつ川辺に持っていく。丸洗いできるものは水に浸して、できないものは水をかけながら、ブラシと布きれを使って汚れを落としていく。
洗い終わったら木陰に戻り、革のシートに並べる。そしてまた、別のパーツを川辺に持っていって洗う。
最後にすべての武器と盾、帯剣ベルトを丸洗いする。私のメイスは叩きつける武器なので、少しくらい傷んでも問題ない。だが、ステラのロングソードは刃こぼれがあれば研がなければならない。程度によっては武器屋に持ち込んで修理する必要がある。
ちゃんとブレードを捌けるかどうかは命にかかわる部分だ。木陰に戻り、革のシートの隣に座って、ひとつひとつ丁寧に確認していく。
武具が乾いたら、オイルを染み込ませた布で拭いて錆びを防止する。鋼鉄製はもともと錆びにくいうえ、錆防止剤も塗られている。それでも、きちんと手入れするかどうかで、持ちがかなり違うそうだ。
私の装備は手入れがしやすいので、いつも先に終わる。だから、そのあとはステラのほうを手伝うことにしている。並べられているプレートアーマーのパーツをひとつひとつ拭いていく。赤く染まっていた鎧は、本来の白い輝きを取り戻していた。
「ぴっかぴか~ ぴっかぴか~ なのです~♪」
ステラはキュッキュとヘルメットを磨いている。鎧が綺麗になり、ご機嫌の様子。手入れは面倒ではあるが、毎回やっているから手慣れたものだ。ふたりでやれば半時ほどで終わる。
◇ ◇
乾かした鎧をバックパックに固定する。
冒険者用のバックパックには頑丈なフレームが通っていて、大きなフックがついている。そこに上下2本の物干し竿が掛かっており、掛け金で固定されている。
竿は凸凹のついた木製で、鉄の芯が通されている。頑丈で、掛けたものがずれないように工夫されている。
掛け金を外し、2本の竿を取り出すと、『胴鎧』の脇に竿を通して上のフックに掛ける。残りの鎧を革袋に入れて、盾と一緒にもうひとつの竿に通してぶら提げ、下のフックに掛ける。あとは掛け金をとめるだけだ。
こうして長旅や安全な場所での移動のときに、鎧を着けずに移動できるようになる。もちろん物干し竿としてタオルや毛布を干してもいい。移動が多い冒険者には必須の機能だ。
鎧を外して軽装になってしまった。それでも気休め程度の防具にはなる。着替えた服もギャンベゾンであり、重ね縫いされた丈夫な布で作られている。
「これでよし、っと」
バックパックにブレストプレートを取りつけて隣を見ると、ステラは大型のバックパックにプレートアーマー一式を固定している途中だ。
ステラのバックパックは重装鎧用に作られた特注品で、もはや鎧の格納専門に設計されている。フレームも大きくて、ステラの体を大きくはみ出るほどだ。
大きな外カバーを開くと2本の竿に鎧掛けのような上半身の人型がついていて、それに鎧をはめていく。人型の中にはヘルメットなどを入れられる収納スペースもある。
バックパックの中は2層式の収納ボックスが入っていて、取っ手を引っ張って抜き出せる。底のほうに着替えやタオル、靴、道具箱などが置いてある。上のほうに残りの鎧を部位ごとに布袋に入れて収納して中に戻し、外カバーを閉じる。
あとは革シートでぐるぐる巻きにした大袋を枕代わりにバックパックの上に乗せ、盾をカバーにくくりつけると完了だ。
そういうわけで、ステラのバックパックには鎧以外のものはあまり入れられない。そもそも、鎧が重くて余分な物は持ち運べない。
だから、戦利品や入りきらない荷物、野営道具などは私が運ぶことになっている。
「……着け終わったのです。ステラも大丈夫なのです」
できる範囲で手入れをしたものの、ステラの鎧は少し壊れている。プレートアーマーの修理には時間も金もかかる。明日はこのまま城に行くしかないが、そのあとは修理を考えなければならない。
◇ ◇
宿に着いて部屋に荷物を下ろす。
「まずは昼食ね。そのあとはギルドへ報告に行きましょ。明日に備えてポーションとかも補給しないといけないし」
「はいなのです」
1階におりてロビーで汚れものの洗濯を頼み、食堂へ向かう。
もう昼食の時間帯が過ぎてしまったからだろう、食堂は人もまばらだ。夕食時になるとまた賑わうらしい。
「猪肉の焼肉ランチ、大盛りね!」
「ステラもなのです!」
ふたり分で銀貨1枚と大銅貨4枚を給仕に支払う。
しばらく待っていると、料理がやってきた。山盛りの猪肉の焼肉にモチモチしたパンと野菜サラダ、ポタージュスープがついている。
普通のパンよりも、かなり弾力と歯ごたえがある。それだけでもおいしいのだが、香辛料が効いた焼肉に巻いて食べると、硬めの肉が柔らかく感じる。肉汁が染み込んできて、パンにも味がつく。スープに浸けるとまた違う味になって楽しめる。
パンをこうやって浸けて食べるのは行儀がわるいらしいが、どうしてもやめられない。
「この猪すごくおいしいね、森で解体したのを焼いただけではこんな感じにはならないね」
「きっと調味料とかソースが凄いのです。そう言えば、この前の狩りで調味料が切れてしまっているのです。買っておかないといけないのです」
「前は結構そのまま食べてたけど、たまたま見つけたアレを買って使うようになったら、今は下味なしだと食べられないね~」
「なのです。あんなに小さい瓶なのに凄いのです。魔法の粉なのです! でもこの町でも売ってるのか心配なのです……」
焼肉はかなりの量が盛られていたが、私たちはすぐに平らげてしまい、おかわりした。
◇ ◇
お腹いっぱいになった私たちは、身軽な服装のまま宿を出る。
南の外城門から中心部の内城門まで伸びる南通り。冒険者ギルドは、その中ほどにある。扉をあけてギルドホールに入ると、受付のお姉さんが声をかけてくる。
「あなたたち大変でしたね! リカルドのパーティから報告がありましたよ」
どうやら彼らは報告する約束を守ったようだ。お姉さんに依頼の受注時に受け取っていた依頼書の半ピラを手渡して、途中経過を報告する。
今回の依頼は地下通路の『警備』で、1回やっただけでは達成にならない。依頼書には複数の押印の欄が並んでいる。そこに、警備した時間や発生した戦闘の内容に応じて、評価された分だけ印が押される。その押印の数で依頼の未達・完了がわかるようになっている。
私たちの依頼書には全体の半分ほどの印が押されている。
「まあ、たった1日でこんなに進んだのですね。この依頼が完了になればCランクですよ。がんばってくださいね。怪我をしたと聞きましたが大丈夫ですか?」
「ステラが骨折したんだけど、居合わせた司祭の方が治療してくれて、驚くほど完璧に治ったわ。今回の事件で怪我をした他の冒険者も治療してくれるみたい。聞いてる?」
「確かに城から案内が来ています。いま確認しているところです」
「あんなに強い魔獣は久しぶりらしいけど、森の魔獣とは比較にならないほど強かったわ。怪我をしてる人も多いんじゃないの?」
「そうですね。重傷の冒険者もいます。オウガ=トロールやオーク=ジェネラルと戦った人たちは特に。今日の魔獣はそのオーク=ジェネラルに匹敵するほどの強さだったとか。よく倒せましたね。あれはギルドの冒険者や騎士団が数十人がかりでようやく倒したのですよ」
「見た目は普通のオークだったから。『錆鉄のアックス』に『錆鉄のブレストプレート』の装備だったし」
「あの日は調査が目的でしたので、非戦闘要員の私たちもあの大広間にいました。オーク=ジェネラルは5体現れて、あとで調べたら『聖銀のバトルアックス』に『鋼鉄のチェインメイル』の装備でしたね」
その場にはBランク冒険者のパーティがいたと聞いている。さすが上級ランクだ。そんな武器を持った巨大なオークが5体で襲ってきたら、ステラと私ではとても敵わない。
だが魔獣が町にあふれ出せば、町は壊滅するかもしれない。だから彼らは逃げださず、必死に戦ったのだろう。
「なんとか地下通路内で死守して抑えましたが、騎士団を中心にかなりの死傷者が出ました。冒険者たちも、無傷の人はひとりもいませんでした」
「もう埋めちゃえば良かったんじゃないの? 無理して討伐しなくても……」
「それが、王都からここの領主に指示書が届いて、探索を続けるように命令があったそうなんです。だから、ゲラール騎士団から冒険者ギルドに依頼が来たんですよ。近隣の町から優秀な冒険者を集めて防衛・探索に当たらせて欲しいと。騎士団はまったく歯が立ちませんでしたからね」
「それが私たちが受けた依頼だったのね」
「ごめんなさい。詳しく説明しなくて。あれからもう3週間ほど経っていて、最近は比較的安全な状態でした。ローテーションでパーティを送り出しているうちに作業的になり、ついつい詳しい話をしなくなってしまったのです」
地下通路で、もうひとつのパーティの冒険者からも話を聞いていたが、受付のお姉さんにも話を聞くことにした。事件のあらましから、オウガ=トロールとオーク=ジェネラルの出現と攻防、その結末について。
被害の状況は、聞けば聞くほど惨憺たるものだった。
生き残った冒険者の多くは治療院送り。Bランク冒険者は全員亡くなった。他の者も亡くなるか、引退してしまったそうだ。最終的に無事なのは数人で、ゲラールを拠点にしている高レベルの冒険者が足りなくなっている。
ゲラール騎士団はもっと深刻で、最初に防衛にあたった30人の騎士は全員が戦死。いま残っているのは城外で衛兵をしていた者や非番だった者、専従ではない騎士だ。
騎士団の戦死者が多い理由は、地下通路の暗闇が原因だ。
冒険者パーティには神官や魔術師がいて【マジックライト】が使える。一定時間のあいだ頭上に明かりが灯され、動いても追従し、消えることはない。
対して、戦士ばかりの騎士団員が用いる明かりはランタンか松明。乱戦の中で落とせば消えてしまう。暗闇でも魔獣の多くは夜目が効く。だから、彼らは絶好の獲物になってしまったようだ。
もちろんそれは初日だけの話で、以後は町の神殿から神官が派遣されている。
ゲラールどころか、周辺の町を巻き込んで壊滅してもおかしくない災害級の魔獣だ。足元にそのような魔獣がいることがわかれば、市民はパニックになる。
だから、それは公には伏せられている。『現れた魔獣を倒せませんでした。騎士団は壊滅状態です。冒険者に頼んで出てこないようにするのが精いっぱいです』とは、責任者である領主には口が裂けても言えないのだ。
「まあいいわ。なんとか討伐できて生き残れたし、結果的に予想外の収入もあったわ。飛び級で冒険者ランクを上げてもらえるなんて、普通は絶対ありえない。何かあると思ってたもの」
エルンの冒険者ギルドでも、ゲラールでも、事前にあまり情報が得られなかった。
もちろん、こうして対策を打っているし、聞かれることには答えてくれる。だが、本当に深刻な状況のときには、どうしてもそのような心理が働いてしまうのだろう。
「城で指名依頼を打診されて、明日は王都から来た騎士団を大広間まで案内することになったわ。おそらくオウガ=トロールと戦うことになると思う。あとでギルドに依頼書を出しにくるはず」
「わかりました。来たら受理しておきますね」
「それじゃ行くね。いろいろ準備をしないと。明日また受注しにくるから」
「オウガ=トロールには気をつけてくださいね。隣の道具屋ではポーションやスクロールも売っています。最大限の準備をお願いします」
受付をあとにしてギルドホールに併設されている道具屋に行く。まずは【マジックミサイル】のスクロールを買い直さなければならない。
道具屋の壁に、主要な販売品の価格が掲示されている。魔法のスクロールの価格は銀貨20枚からで、付与される魔法によって変わる。
銀貨1枚が庶民の1日分の食費。銀貨10枚もあれば食事付の高級宿で泊まれる。それを考えれば、スクロール魔法はかなり高級な消耗品になる。
「こんにちわ。【マジックミサイル】のスクロールはある?」
「いらっしゃい。えっと…… 今あるのは10枚だね。あまり置いていないんだ。【ファイアーボール】なら結構な枚数があるけど」
【ファイアーボール】は狙った方向にまっすぐ飛ぶ火球の攻撃魔法。威力があり、ゴブリンやオークによく効くので人気がある。ただ、外せば銀貨20枚は無駄になる。だから、私は威力が低くても命中しやすい【マジックミサイル】を選んでいる。
「いえ、それは要らないわ。【マジックミサイル】のほうを6枚ね。あと、ヒールポーションを20個、解毒剤6個、万能薬を4個。治療キットを1セット。メンタルポーションを5個」
「あいよ。メンタルポーションは高いけど大丈夫かい? 1個で金貨1枚になるよ」
メンタルポーションは精神力を回復できる。だが高い。だから、今まで買ったことがなかった。
「大丈夫。合計でいくら?」
「金貨7枚と銀貨48枚だよ」
代金を支払って道具屋を離れ、今度はギルドホールにあるテーブル席で、ステラに分配しながら格納する。ポーションと薬はバックパックの両横のポーションケースに、スクロールは帯剣ベルトのスクロールホルダーに丸めたまま差していく。
すべて格納が終わったら、消耗品は満杯になった。
特にポーションは帯剣ベルトの左右に提げている携帯用のポーションケースだけでなく、バックパックに積んであるのも含めてすべてのスロットが埋まっている。
ポーションは飲まなくても、傷口にかけるだけでも効果がある。出し惜しみしないようにしよう。