第13話 アクウ空間の戦い(1)
#アクウ空間の戦い(1)
一瞬、目の前が真っ暗になり、気がつくと私たちは峡谷の荒れ地に放り出されていた。
地面はすぐそこだが、地に足が着かない。
「うわっ」
慌てて受け身を取って転がり、立ち上がって周囲を見回す。
エリスが肩を抑えている。
「痛ててて……」
「怪我した? いま治療するわ」
【グレーターヒール】
ところが、いつもなら湧き上がってくるはずの回復魔法の手ごたえがない。
「あれ、発動しないわ。ステラはどう?」
ステラが【キュアウーンズ】を唱えようとエリスに手を向けたが、ゆっくりとその手を下ろす。
「……ステラも使えないみたいなのです」
「もしかしてここ、魔法が使えない?」
それを聞いてエリスがポーションを取り出して飲む。
「ミーナちゃん、ポーションは使えるね」
「そう、それなら良かったけど……」
辺りを見回す。
地平線は見えず、四方は赤茶けた崖で覆われている。
「峡谷は峡谷だけど、迷宮の入口に戻ったんじゃないわ。洞穴も森も見当たらないもの」
辺り一帯には荒れ地が広がり、私たちが抜けてきた森も無かった。
「空もおかしいのです。カンカン照りなのです」
「そうよね、雨が降ってたのに……」
「ミーナさま。私の魔法も発動しないようでございます」
「メーベルも? それにしても困ったわね。照明魔法が使えないとなると……」
このままいつまでも日が暮れない、ということはありえない。
「……暗闇の中で行動するのは危険だし、早く従士のみんなに合流しないと」
すると、エリスがポーチから何かを取り出した。
「これは使えるっぽいよ」
エリスが取り出したのは照明の魔道具。以前、フォースシールドがうまく使えなかった彼女のために渡していたものだ。
「エリス、まだそんなの持ってたの?」
「だって、明かりがないと困るんだもん。そりゃミーナちゃんたちは要らないんだろうけどさあ」
エリスの握る照明の魔道具がキラキラと光を放つ。ランタンとどっこいどっこいの明るさではあるものの、灯りが無いよりよっぽどマシだ。
「なるほど、魔道具ね…… うん、ヴァルキリーシールドも使えるわ。どうやら使えないのは魔法だけみたい」
だが、【ディテクトエネミー】が使えなくなったのは痛い。どんなに危険な時でも私を守ってくれた魔法だ。他の人からすると普通になっただけなのだが、目隠しをして綱渡りをするような、絵も知れぬ不安に苛まれる。
「ミーナさま。召喚魔法は使えるようでございます」
メーベルが指先に小さな炎を灯していた。【サモンファイア】だ。
◇ ◇
――キヒッ、キヒッ、キヒッ……
突然、不気味な男の声が辺りに響き渡る。
「ソノ通りダ。ココでは召喚魔法シカ使えン」
崖上にマーフが姿を見せた。だがおかしい。尋常な大きさではない。まるで空にかかる虹のようだ。
「ココはワシの内ナル世界。オマエたちのチカラは制限サレ、ワシのチカラは数倍ニモナル」
「内なる世界……」
そう言われてみれば、空は不自然に真っ青で雲一つない。
(私たちのいた世界からは隔絶された場所、ということなの?)
ペンペン草すら生えていない。
荒れ土だらけの地面を≪鑑定≫してみる。
「……どうやらここは異層空間の一種みたいね」
(出口はあるのかしら。ブリュンヒルデのいた『宝物庫』のような場所なのだとしたら。おそらく、あの空も、この地面も、元の世界には通じていない)
宝物庫に『転移』すれば助かるかもしれないが、その代わり、元の場所に戻ってくるには数日を要するだろう。
(私たちのいない間に、あのミスリルゴーレムや他の階層主が迷宮から溢れ出したら大変なことになるわ)
「オマエたち、諦めル準備はデキタカ?」
マーフは律義にも私たちが考えを纏めるのを待ってくれていたようだ。
(妙ね。なんで攻撃してこないのかしら)
崖上のマーフにセイントソードの剣先をビシッと突きつける。
「あきらめたりしないわ。あんたを倒してここから脱出してみせる!」
「無駄なアガキを。では苦しンデ死ヌがイイ!」
地面に魔法陣が描かれ、5体の板金鎧を着けたオークが浮き上がってくる。
◇ ◇
「オーク=ロード? でも小さい」
現われたオークの身の丈はどれも2メートルほど。だが、それぞれ鎧の色と手にしている武器が違う。
赤いオークはグレートソード。
青いオークはブロードソードとラウンドシールド。
黒いオークはロングソードの二刀流。
緑のオークはアークメイジスタッフ。
最後の5人目、一番奥にいるオークだけは佇まいが異なっていた。
特徴的な三日月のような飾りの付いたヘルメットと黒いラメラーアーマー。
(あいつが一番強そう。そういえばリカルドのパーティにあんな感じの女性がいたわね)
腰に提げた長いサーベルの柄と鞘の雰囲気が、彼女の使っているショートサーベルに似ている。
――ダダダッ
召喚されたオークが集まって整列する。
「オークレッド!」
赤いオークが高らかと名乗りを上げ、青いオークが続く。
「オークブ……」
全員の名乗りを待つほどバカではない。向こうの準備が整っていないのなら、今が好機だ。
「突撃! 私は赤いのをやるわ!」
「青なのです!」
「お姉さんは黒だよ!」
「私は緑でございますね!」
「ちょっ、おまっ!」
文句を言っているオークレッドに猛然と≪ダッシュ≫し、セイントソードを袈裟斬りにする。
――ガキィィン!
オークレッドが私の剣をグレートソードの腹で受け止め、両手で押し返してくる。
(片手のハンデがあるとはいえ、筋力は向こうの方が上か)
すくい上げられるように私の剣が上に跳ね上がり、奴が柄頭を突き出してくる。
≪プロテクションバリア!≫
――バチッ!
ヴァルキリーシールドに弾かれ、オークレッドが態勢を崩す。
≪バッシュ!≫
盾を打ちつけて間合いを取り、構えを整えてキッとオークレッドの目を見据える。
「なかなかやるな!」
オークレッドが満足げに吠え、お互いに離れてはまた剣を打ち合う。
――ギィィン! ギィィン!
鍔迫り合いになるたびに、オークレッドから何かしらの声がかかる。
「お前たち、騎士じゃないな。冒険者、それもAランクと見た!」
「Bランクよ」
「はっ、これがBランクなわけあるか!」
自分の剣の腕前がAランク相当なのかどうかはわからないが、そう言われると悪くない気分だ。そこら辺の冒険者に負けないという自負はある。
「ありがとう、買いかぶってくれて。人の言葉を話すオークとは初めて会ったわ」
「俺たちも元冒険者だ!」
「なんですって⁉ そう、あんたたちも獣人にされたのね」
モント=レヴァンにいたリザードマンやオークと違い、誰かに従属したり操られている感じはしない。正気を保っているようだ。
「あの野郎どもにこんな姿にされてしまったが、『カルテット』というパーティを率いていた」
「Bランクパーティの『カルテット』? ゲラールで死んだって聞いたわ」
間違いない。ゲラールに到着したその日に冒険者ギルドで聞かされた。オウガ=トロールとオーク=ジェネラル5体との戦いが元で死んだと。
「そのはずだが、俺もわからない。気がついたらここに閉じ込められていた」
「なら、一緒に逃げましょうよ」
「残念ながら、俺たちはここでしか生きられないらしい」
「そんな、酷い……」
崖の上のマーフが苛立たしげに叱責する。
「コラッ、モット真剣に戦わヌか!」
「戦うさ! 戦士として生きた証を遺すために。さあ、勝負を続けるぞ!」
レッドオークが笑みを浮かべた。
◇ ◇
その意味が最初はわからなかったが、打ち合ううちにだんだんとわかってきた。
(そう、技を伝えようとしてるんだわ)
だからといって、手心を加えたりはしない。彼らは本気で私たちを殺そうと剣を繰り出してくる。
(エリスの正当派剣術とはまた違った実用的な剣だわ)
私はエリスから学んだ、いわゆる対極の構えをとる。相手の姿勢と剣先の向きなどから剣筋を予想し、構えを柔軟に変え続ける。
対してオークレッドは剣を下段に構え、それですべてに対応しようとしている。構えを変えず、じっと私の視線を追っている。
それは以前の私たちに通じる部分があった。
(剣をどう構えようが、狙っている箇所さえわかればそこを守るだけで良い……か)
しかしながら、良く練られた型というのは、どのような打ち込みにも最短で対応できるよう考慮されている。だからこそ私は我流に限界を感じ、エリスに師事しているのだ。
「やあっ!」
私が上段から剣を振り下ろすと、オークレッドは肘と手首を返して剣を振り上げブレードを合わせてくる。
だが、そうなることはわかっていた。私は手首を引いて剣を寝かせ、奴の剣を空振りさせる。そして身を乗り出し、すれ違いざまに胴にブレードを叩きつける。
ここまでの一連の流れが1つの型であり、私は繰り返し訓練を重ね、最速で最高の威力を発揮できるようになっていた。
「見事! だがっ!」
オークレッドの胴に当てた私の剣は、ガツンと派手な音が響いただけで傷を付けられなかった。
「それっ、それっ!」
オークレッドがグレートソードを振り回す。無謀そうに見えて、最高のインパクトで的確に当ててきている。それが彼の持ち味なのだろう。
私はブレードを添わせて受け流すのだが、いくつかは力で押し切られて、せっかく直したばかりの右腕と胴の板金が凹まされてしまった。
「その太刀筋、使わせてもらうわ!」
私のよく使う武器はどれも重心位置が遠く、奴の大剣に通じるものがあった。
「そうしてくれ! では次いくぞ!」
正統派剣術は、相手の体格と装備が自分と似通った条件で戦うからこそ効果がある。
私は闘技場で試合をする剣士ではない。魔獣と戦う冒険者なのだ。
(綺麗な戦い方だけでは魔獣に勝てない。これもまた真理)
オークレッドは自分の腕前を見せようと、矢継ぎ早に技を繰り出してくる。
(なんてバケモノじみたスタミナなの。まあ魔獣の体なんだからそうなんだけど)
隙を見て≪鑑定≫してみると、衝撃的な事実が判明する。
(レベル40! 基礎的な身体能力が高すぎる)
人間がどうこうして到達し得るレベルではない。おそらく獣人化した際にそうなったのだろう。
(それに鎧が無茶苦茶硬い……)
奴の武具はアダマンタイトという材質でできていることがわかった。
ヴァルキリーソードは結構な質量がある。たとえ鎧に防がれたとしても、体に与えた衝撃はボディブローのようにジワジワと効いてくるはずだ。
(でも、持久戦になるとこちらが不利か)
相手が音を上げる前に、こちらの体力が尽きそうだ。
私の疲れを察したのか、オークレッドが勝負を決めに来た。
「これを防げるかな!」
大技を仕掛けるつもりのようだ。
「必殺技か!」
「その通り!」
全身から白いオーラを迸らせるオークレッドに対し、私は盾を地に着けて≪フォースフィールド≫を全開にする。
(よしっ、決めた!)
私は剣を握ったまま、左腕のレバーに親指を引っ掛けてこじあけた。
オークレッドの必殺技が炸裂する。
≪必殺剣、撃刃十字斬!≫
突進してきたオークレッドが剣を横に払う。
――バキィィィン!
奴の剣が障壁を破壊し、その勢いでヴァルキリーシールドをも弾き飛ばす。
そしてギロチンのように、上段から真下に剣を振り下ろす。
「⁉」
だが、そこに私はいない。ブロードソードが空を切り、地面すれすれで静止する。
「かかったわね!」
私はヴァルキリーシールドを取り外して置き盾にし、後方に≪バックステップ≫していたのだ。
奴が斬り飛ばしたのはセミの抜け殻だったというわけだ。
「今度は私が見せてあげるわ!」
すでにセイントボウを構え、矢を放つ寸前。
≪マジカルシュート!≫
光の矢がオークレッドの眉間に突き刺さり、貫通して抜けた!
ついに、お互いが硬直したまま決着を迎えた。
オークレッドは心なしか晴れやかな表情を見せている。
(しかと見せてもらったわ。あなたの生きた証を)
◇ ◇
いつでもフォローできるようにステラが私の様子を気にかけてくれていたが、硬直の隙をついてくる者はいなかった。
ヴァルキリーシールドを拾って装備し直す。
「よかった、壊れてないみたい」
障壁を張っておけたおかげで盾本体にダメージはない。タイミングがあと少しでも遅ければ、込めていた精神力が尽きて障壁は消えてしまっていた。
(みんなは…… メーベルがちょっと押され気味か)
召喚魔法しか使えない今、彼女の魔法使いとしての能力は封じられたも同然。
オークグリーンが【サモンファイア】を放ち、メーベルがサモンウィンドブレスレットで応戦している。魔道具に頼っているのは、召喚魔法がまだスペルの詠唱を必要とするからだろう。
メーベルのもとに駆け寄り、声をかける。
「メーベル、大丈夫?」
「は、はい、なんとか。早く習熟しとうございます」
「……ステラの方も決着がついたか」
ステラが盾でオークブルーを地面に抑え込み、右肘で首を圧迫している。
「いくら鎧が頑丈でも、あれなら……」
すると、オークグリーンから声がかかる。
「よそ見をする余裕などあるのですか?」
「そっちもちゃんと見てるわ。女性だったのね」
「大勢は決したようですね。では全力でいきますよ!」
【メテオ!】
オークグリーンの頭上に複数の隕石が出現する。
咄嗟にセイントソードを地面に突き刺して手放し、矢を召喚する。
剣を突き刺した地面が不自然に揺れた。
(ん? いや、余計なことを考えてる場合じゃない)
≪セイントシュート!≫
炎を吹き上げ迫ろうとする岩の塊に矢が突き刺さり、上空で爆発する。
――ドォォォン、ドォォォン、ドォォォン!
「的中! 的中! 的中!」
オークグリーンは【メテオ】を唱え続け、私は矢を射続ける。
――ドォォォン、ドォォォン、ドォォォン!
「的中! 的中! 的中!」
どうやら、術者が詠唱を止めない限り、あの隕石は際限なく召喚され続けるようだ。
オークグリーンが詠唱に集中している隙をついて、メーベルが前に飛び出す。周囲に転がる隕石の成れの果てを避け、軸足を交互に変えながら3回転。
≪ジャイアントスイング!≫
ポールハンマーを勢いよく叩きつけられたオークグリーンが吹き飛ばされて地面に転がり、メーベルが追いかける。
私も地面からセイントソードを引き抜いて後に続く。
◇ ◇
トドメを刺すメーベルを横目に、残っている敵を確認する。
(マーフを除けばあと2人。ラメラーアーマーのオークはなぜ戦わないのかしら)
エリスとオークブラックはどちらも二刀流で、目視が困難なほどの速度で剣を交わしている。お互いに傷だらけだ。
駆け寄ろうとする私たちを、エリスが声で制する。
「待って、ミーナちゃん! 何か閃きそうなんだ!」
オークブラックの剣戟に剣を突き入れて躱しながら、エリスが全身に白いオーラを纏わせ始める。
「はあぁぁっ! ≪高速剣! 二刀乱れ咲き!≫」
エリスの双剣がオークブラックの剣をすべて弾き返しつつ、不可視の連突を見舞っていく。まるで早回しの剣の舞を踊るかのようだ。
オークブラックがエリスの剣を必死に防ぎながら叫ぶ。
「先生! あとはお願いします……!」
おそらく後ろにいる最後の1人へ向けた言葉だろう。
エリスの手が止まるころには、もうオークブラックは絶命していた。胸に風穴を空けて立ったまま。
「ステラは最後に残ったあいつを!」
「はいなのです!」
エリスを護衛しながらステラに指示を出すと、ステラはもう1人の黒鎧の戦士へタタタッと駆けていった。
「必殺技よ! やったわね、エリス……」
エリスに祝いの言葉をかける。彼女はまだ動けないが、声は聞こえているはずだ。
彼女の鎧が傷だらけになっているので、状態の確認のためにステータスを開く。
「……怪我は大したことないわ。クラスチェンジしてる。双剣士だって」
鎧も見た目ほど傷んではいない。
続いて、倒れたオークブラックを見る。
「こいつの死に顔も安らかで嬉しそう……」
彼らはゲラールの筆頭冒険者だった。当然人望も厚かっただろう。
「こんな出会いと別れになってしまったなんて、残念だわ」
◇ ◇
メーベルは先にステラのもとへ向かった。
エリスが動けるようになり、彼女と私の2人であとを追う。
「あれ、戦ってないの?」
「……揃ったようだな」
私がステラの隣に立つと、最後のオークが重々しく口を開いた。
「我が名はフェルディナンド。ヤーパンという町の生まれだ。剣術指南役として彼らのパーティに加わっていたのだが、このようなことになってしまってな」
フェルディナンドが腰のサーベルをスラリと抜く。刃渡り1メートルほどの曲刀だ。
「こういった曲刀は祖国ではカタナと呼ばれている。銘を『村雨』と言う」
すると突然、フェルディナンドはブレードを逆手で握り、自分の腹に突き刺した。剣先がラメラーアーマーの隙間に埋まり、剣を伝って血が滲み出てくる。
「ちょ、ちょっと何してんのよ!」
「剣豪のスキル、≪自刃≫だ。なに、傷は浅い。直ちに落命する恐れはない」
「直ちにじゃなければどうなのよ……」
フェルディナンドが柄を握り直し、斜め下に剣を構える。
「1つ頼みがあるのだが」
「何よ」
「ヤーパンに残してきた我が子たちに何か遺してやりたいのだ。もし、おぬしらがここから脱出できた暁には、この村雨を渡してやってくれんか?」
「ヤーパン、ヤーパンね……」
私が知らないほどかなり遠くの町だと思うが、確かゲートがあったはずだ。あれを使えば造作もない。
「……わかったわ。で、名前は?」
「タイガーとエミリーだ」
「えっ、その2人ならゲラールに来てるわよ」
まさかの父をたずねて三千里だったとは。
「そうか……」
フェルディナンドがしばし口を閉ざす。
(本当は直接会って渡したいだろうに)
もはや親子の再会は望めない。
「……では、頼めるか?」
「任せておいて。必ず届けるわ」
「では、我の最後の舞、天もご照覧あれ! ゆくぞ!」
フェルディナンドが村雨を一閃すると冷たい凍気の風が巻き起こり、地面に霜を走らせた。