第16話 捕われの女戦士
#捕われの女戦士
すっかり冷え込んだ深夜の繁華街に出ると、どこからともなく騒々しい雑音がさざ波のように響いてくる。
左から右へと見回した街並みには人通りが少なく、酒場となっている隣の食堂から出てきた客が馬車に乗り込んでいたり、フラフラと連れ立って歩いていたりする程度だ。
街灯があちこち消えているので見通せる場所が限られるものの、その辺の酔っ払いの騒ぎかどうかくらいわかる。
これはもっと遠く、大勢で部屋をひっくり返すような騒ぎだ。連なる建物の反響でどこから聞こえてくるのか釈然としないまま通りを歩いているうちに判明した。どうやら私が向かっている王城のある東の方角からのようだ。
(きっと、ソフィアさんたちが捜索を始めてるんだろうなあ)
それにしても、王宮から内城壁を越えてさらに離れたこの場所にまで漏れ聞こえてくるくらいだ。地下の下水道や坑道を調べる程度でこんな騒音にはならないと思うのだが……
宿に戻っている間に、王宮で起こった騒ぎが王城全体に拡大してしまったのかもしれない。
建物の切れ目がぼうっと明るくなり、それは内城壁の上の空から漏れているようだった。高い城壁の上に篝火や衛兵のカンテラのともし火が見える。側防塔の高い場所に開いた物見窓も所どころ明るくなっては消えている。
それでも、外にいる私を照らし出せるまでには至らない。ちょっとした町のような広さがある王城を囲む長く高い城壁のあちこちで明かりを焚いたところで、地上を漏れなく照らし出すのは不可能だ。
内城壁の西側の麓にたどり着く頃には反響していた音が明瞭になり、向こう側の王城内を走る鎧の足音や扉が鳴る音、物を引きずる音などが聞こえてくる。剣を打ちあう音は聞こえず、争いは起こっていない様子だ。
哨戒の隙をつき適当な城壁を通り抜け、こっそり向こう側の王城内に出た。そこら中に煌々と篝火が焚かれ、昼間のように明るい。
黒色鎧と赤色鎧の騎士に率いられ、小隊ごとに分かれた従士や衛兵が城内の建物を検めてまわっている。
中から連れ出された者が庭に集められ、並ばせられ、座らされており、まるで楽劇を見る観衆のようだ。従士や衛兵がそれを見張っている。
人の数に比べると少ないものの、武器となりそうなものも館内から持ち出されて集められているようだ。
辺りはさながら炎上する城を占領した軍隊が金品を略奪しているかのような騒ぎで、知らない者が見ればそれこそクーデターのように見えるだろう。
忍び込むつもりだった行政府も、今は他の建物と同じく明かりが点いている。
(どうする? あそこに入り込むのは難しそう……)
もうすぐ夜が明ける。捜索できそうな僅かな時間と、彼らに見つかる危険性を比べれば……
(今はあきらめるしかないかな。王城の外に出て、貴族街にあるベルガモ子爵邸に行ってみようか)
と、考えていた時だ。
突然、左手首に着けたバトルブレスレットに亜空間通信が入った。主からだ。便利なもので、自分の声も相手の声もまったく外に漏らさずに会話できるようになっている。
どうやら王都に着いたらしい。待ち合わせ場所に指定された、闘技場近くのとある路地裏に向かうことにした。
◇ ◇
西側の城壁を抜け出て南にある闘技場へ続く細い路地が迷路のように入り組む下町。この辺りはもうどこもかしこも真っ暗で、どの町にもあるような比較的貧乏な市民が住む地区となっている。とはいえ王都内である。ことさら物騒というほどではない。
待ち合わせ場所にいたのは、今はガイと名乗っている主と、その足元に倒れているふたりの貴族の男だった。
「へえ、この人がジローナ男爵なんだ。本人を見るのは初めてだよ。こっちがリュイス?」
「そのようだね」
私がガイに聞くと、彼が肯定しつつ足で彼らを小突いた。目を覚ます様子はなく、硬い物を動かしたときのようにゴロゴロと石畳が固い音を立てる。
「でもなんか凍ってるよ。死んでない?」
「生きてるよ。でも当分目を覚まさないはずだよ。まとめて異層空間で凍らせちゃったからね。護衛がいて面倒だったんだ。護衛は置いてきちゃった」
異層空間は人や動物が生きられるような世界ではない。そこに置いてきたというのは、つまり死んだも同然だ。
「ひ、ひどい。それで主も死にかけたのに」
「だからこそだよ。直ちに死ぬわけじゃないのは身をもって知ってるからね。そして取り残された者がまず帰れないことも」
彼は以前の戦いで自身を異層空間に飛ばされたことがある。その時に右腕が残り、捥がれてしまったのだ。
なんとか生還したものの、彼のバトルウェポンとバトルマシンは異層空間の彼方に消えた。バトルウォッチが壊れてバトルスーツも呼べない状態だったが、先日それらすべてを取り戻すことができたばかりだ。
「そういうわけで、悪いけどこいつらを衛兵に突き出すのを手伝ってよ。早く戻らないといけないんだ」
急いでいて足手まといになるなら殺せば手っ取り早い。だがそれはしない。
私たちは特定の国や地域の法律に縛られずに活動できる。レッドカードになることもない。それでもむやみに人を殺したりはしない。好きだから助け、嫌いだから殺すことも禁じられている。
今回はすでに不正が明るみになっており、証拠もある。ならば裁くのは王の仕事だ。捕まえる手助けをする程度でいい。
「ラジャー! あ、でも……」
前回マルティナの報告した状況から進展があったので、簡単に現状を報告した。
「……だから、本来なら青狼騎士団の衛兵に突き出すとこだけど、もみ消されるかも。今だったら王城で容疑者を絶賛摘発中だし、そっちに連れていくほうがいいんじゃないかな」
「なるほどね……
やっぱり青狼騎士団はダメか……
じゃあ……」
そして主は悪戯っ子のような顔をしてウインクしながら言った。
「……一般門に行こう。青狼騎士団のいる、ね」
◇ ◇
気絶しているふたりを抱きかかえながら、南の外城門である一般門までやってきた。城門は固く閉ざされている。
門衛所の前でかがり火が焚かれており暗くはなかったが、受付窓は内側から木の蓋が下ろされ中を見えなくされていた。
「すみませ~ん」
閉じた窓に向かって声をかけてしばらく待つも、返答は返ってこなかった。どうやらここに人はいないようだ。
仕方なくその横にある側防塔の扉に回る。こちらの窓蓋も閉じている。それでも備えつけの金属製のノッカーで扉を叩いていると窓蓋が開き、男が顔を見せた。
「なんだ? こんな時間に。城門を通るなら受付を通せ」
「お休みのところ、すみませんねぇ。そっちは誰もいなくて」
「いや、今日は俺がここの当直だからな。寝ていたわけではない。あっちは返事がなかったのか?」
「うん」
「それは済まなかったな。あとで叱っておく。それで何か用か?」
「ちょっとそこで暴漢に襲われちゃいまして。こう見えて私、すごい冒険者なんで、返り討ちにしちゃったんです!」
足元に視線を送る。ジローナ男爵とリュイスは凍結状態が解け、見た感じは気を失っているだけのように見える。
「そうか。ここからじゃ見えないな。ちょっと待ってろ」
彼が窓から離れるとふたたび蓋が下ろされてしまった。誰かを呼びにいったようだ。
しばらくして中からゴソゴソと物音が聞こえた。そして扉が開いて中から青色の鎧を着けた騎士と衛兵が出てくる。騎士のほうが先ほど話していた相手だ。
「待たせたな。俺はザック。青狼騎士団の騎士だ。このふたりに襲われたのか? どうやら貴族のようだな……」
(あれ? この人は確か……)
ようやく気がついた。空き家の前でクリスと押し問答をしていたあの男だ。
「うん、確かに貴族なんだけど、連れと私を襲ってきたから仕方なく捕まえたんだ。それって仕方ないよね? セイトーボーエイでゲンコーハンって奴だもんね?」
「それで、その連れはどこにいるんだ?」
「えっ、そこにいるじゃないですかぁ……っていない⁉」
先ほどまでいた主の姿はどこにもなかった。
そして、ボソッと亜空間通信が入った。
――あとは頼んだよ――
「って、ええええっ⁉」
このあとの展開は来るまでの間におおむね聞いていた。しなければならないことはわかっている。それでも面倒事を押しつけられた感が半端ない。
――ひ、ひどいですぅぅぅ!――
――まあまあ、エネルギー充填しといたから――
――やった! ありがと!――
――まあがんばって。役者は残しておいてくれ――
――ラジャー!――
私たちが内緒話をしている間に、ザックはジローナ男爵の服を探って懐から身分証を取り出した。
「これは、つい先ほど回ってきた手配書にあったジローナ男爵じゃないか! するとこっちが息子のリュイスか?」
どうやら手配書は回ってきていたらしい。
「あ、へえ、そうなんだ! あっはは~」
罪を暴いて証拠を盗み、ソフィアに通報したのは私だ。わざとらしくはぐらかした。
「まあとにかく外は寒い。中に入れ」
衛兵が何人か現れてふたりを抱え上げ中に運び入れ、私もそのあとに続く。
ところが、私だけがあれよあれよという間に尋問室に連れていかれるのだった。
◇ ◇
およそ5メートル四方の石壁で囲まれた密室。
1箇所しかない固く閉ざされた扉。
中央の床に固定された丸椅子。
壁際にある質素なデスク。
それが尋問室という所だ。ちなみに取調室というもう少しマシな部屋と、拷問室というもっとひどい部屋もある。
念入りに身体検査を受け、買ったばかりの聖銀のダガーは部屋の外のどこかに持っていかれてしまった。得物を近くに置いておく庭師のようなヘマはしてくれないようだ。
(あの衛兵、まだ若いのに目がエロ親父みたいだったわ…… ま、慣れてるけど)
あの衛兵はギルティだが、ここはまだ健全な行為を行なう部屋のはずであり、ムチとかペンチとか痛そうなものが壁に掛かってたりはしない。
武器以外の没収品は壁際にあるデスクの上に置かれている。ソフィアが書いてくれた王宮の通行証と護衛の依頼書、それに私の腰ベルトと靴、コートやバトルブレスレットなどの装飾品だ。
私はというと、手枷こそされなかったものの、ワンピース1枚で中央にチョコンとある小さな丸椅子に座らされている。服のボタンが外され前がはだけたまま、留め直そうと思えばできるがしていない。もちろんワザとだ。
眼前に先ほどの騎士、ザックが怖そうな顔で立っている。
「えっとぉ、私、何かやっちゃいました? こんなとこに座らされるようなことはしてませんって」
「あきらかに挙動不審だったからな。相手は貴族だし、手配書がなければお前のほうを捕まえていたところだ」
「こう見えても冒険者なんですって。言いましたよね?」
「それは聞いた」
「王宮の通行証もほらそこにあるでしょ! 依頼書だって!」
「確かに本物のように見えるな。ただ生憎と現場業務のほうはさっぱりでね。真偽はわからん」
「そ、そんなぁ。怪しいなぁ。ほらほらぁ、本当はわかってるんでしょ? 本物だって」
「怪しいのはお前だ!」
「ないです! ぜんっぜん怪しくないです!」
「ではこれはなんだ。行政府が作成した王宮の上下水道地図じゃないか。『持ち出し禁止』の印が押してあるぞ。それにこれ、スケルトンキーだろう! 盗んだのか?」
ザックの右手にはその地図、左手にはベルトに挟んでおいたスケルトンキーが握られている。
「あ」
(はい。確かに行政府に忍び込んで盗みました……とは言えない)
「身分証は持ってないのか? 王都民ならみんな持ってるぞ。ああそうか、冒険者だったな。ならステータスカードでどの国でも行けるしな」
「そうそう! ほらこれ見てよ! すっごくホワイト!」
あまり見せたくなかったステータスカードを表示する。
これはCランク冒険者を示す赤褐色だが、一般向けは真白色だ。重犯罪者は赤色になるのでレッドと呼ばれ、そうではないという意味でホワイトという表現がよく使われる。
「なるほど。ただレッドカードにならない場合もあるしな。そのような輩を摘発したこともある。ホワイトが指示してレッドに実行犯をさせるんだ」
レッドカードになる条件は開示されておらず、実は違法行為との間に直接の因果関係はない。創造神とも呼ばれ、ステータスカードを与える『顕現』の神水晶柱が善悪とは違う基準で判定している。
「だからそれは明日ギルドで聞いてくれればいいんですって」
「わかった。じゃあ聞いてくるまで待ってくれ」
とんだ堅物だ。確かに騎士団の規則では裏を取るまで不審者を返してはいけないのだろうが……
(早く帰って寝たいんだけどなあ。仕方ない、またあの手でいこっか)
昨日も夜遅くまで働いたのもあって、かなり眠たい。そこでいつものように少し服をはだけさせて誘ってみた。
「そんなこと言わないでほらぁ~」
ところが、この真面目人間には逆効果だったようだ。彼が丸めた地図を棒のようにして私の肩をビシビシ叩く。
「あ、それ重要証拠なんですけど……」
「やかましいわ! いいか! 俺たちの騎士団が町で色々言われてるのは知ってる。遺憾ながらそのような輩もいるのは認めよう。だがな、それでも真面目にやってる者のほうが多いんだ!」
「じゃあ解放してくださいよぉ~」
「ダメだ。朝になれば王城とギルドに使いを出すから、身の証が立つまで留置所に入っててくれ」
「困りますぅ! 明日は王都を出るんですぅ!」
下着丸出しで彼の腕にすがりついて胸を押し付けるも振りほどかれる。
(あ、やっぱりダメだこいつ。不能なんじゃないの?)
「そんな猫なで声で媚びても無駄だぞ! おい、俺は門衛隊長に報告してくる。さっきの奴とは別の独居房に入れておけ」
門衛隊長は城門の衛兵隊を取りまとめている十人長の騎士だ。配下は騎士9人と衛兵100人。計110人が規定の人数になる。
「あなたの上司なの? その人と話をさせてよ」
「違うぞ。俺は別の隊で、隊長はほかにいる。それに奴には会わないほうがいい。恥ずかしい目に合いたくなければな」
「へえ~ そうなんだぁ」
「結構ガラの悪い奴でな。寝ているところを起こせば小言のひとつふたつは言われるだろうし、実はあまり気が乗らない」
「堅物だねぇ。じゃあ朝にいけば?」
「確かに堅物だとよく言われる。それでも今回は王宮の手配書だ。無視はできん。送致するには門衛隊長の判が要るので、平の騎士の俺はこうするしかない」
「騎士の世界も大変なんだねぇ」
結局、ダガーと鍵あけ道具が没収されただけで、依頼の為に必要だと説明すると、それ以外の持ち物は禁制の書類や地図を含めて返却してもらうことができた。囚人服も着ないでいいと言うし、しかたなく独居房に入るのに応じた。
◇ ◇
ここは塀の中、もとい城壁の中。冷たい石壁に囲まれた狭い部屋。通路に面する側だけが鉄格子で仕切られている。置いてある物といえば、鉄格子の反対側の壁に板を組んで藁を敷いた簡素なベッドとトイレがあるだけだ。高い位置に鉄格子窓があり外と繋がっているが、今は星明りすら見えない。
とどのつまり典型的な牢屋である。
壁と扉で塞がれた独房だと汚臭が酷く精神的にキツかったはずだが、鉄格子のおかげで通気性が良い分まだマシだ。通路の様子も把握しやすい。
カンテラを持った衛兵が去る際に向かい側の雑居房が照らされ、ジローナ男爵とリュイスが寝かされているのが見えた。一応分厚い毛布を掛けられ、暖を取られているようだ。衛兵の足音が遠ざかるにつれて辺りは闇に包まれ、やがて真っ暗で何も見えなくなった。
しかたなく手探りで固いベッドとゴワゴワした毛布の間に潜り込む。
しかし、このままでは明日の駅馬車に乗り遅れてしまいそうだ。そうなるとあの4人組を見失う可能性がある。マルティナに連絡しておかねばならない。亜空間通信を使うことにした。普段は着信のみで緊急時以外の発信は禁じられているのだが。
(いつ使うの? 今でしょ!)
◇ ◇
マルティナにはすぐに連絡がつき、簡潔に状況を報告した。そのあとは、せっかく寝床があるんだし悪いことばかりではないと毛布をかぶって横になり、ぐっすりと寝ついてしまった。
ところが、ふとした拍子に何かの気配で目が覚めた。いや、起こされたようだ。くすぐったい。
「チュチュッ」
鼠さんだ。マルティナが送ってくれたのだろう。小さな前足でカリカリと頭を掻いてくる。
「ちょっと…… もう起きたから。ね?」
小声で答えたにもかかわらず、鼠さんは尚もしつこく掻いてきて、止みそうにない。鼠さんをあやすように指で撫でていると、何者かがこの留置所にコソコソとやってくる気配を感じた。
(……何?)
泥棒ではなさそうだ。時おり金属鎧の擦れる音がする。
よく考えると真っ暗で見えないはずの鉄格子が見える。その向こうの通路が徐々に明るくなってきて、ようやくそれが絞られてやや薄暗くなったカンテラの明かりであることがわかった。
ここは騎士団が詰める門衛所なのだから、衛兵が見回りにきてもおかしくはないが、忍び寄るように鎧の音を抑えながら歩くのはおかしい。
私が寝ているふりをして壁際に寝返りをうち鉄格子に背を向けていると、目の前にある壁にぼやけた鉄格子の影が流れてきてピタッと止まった。
すると今度は影が逆方向に動きだし、気配が静かに遠ざかった。どうやらどこかにカンテラを床に置いたようだ。
そしてふたたび僅かに鎧の擦れる音と足音がする。首筋にゾクゾクと凍えるような悪寒が走り、本能が身の危険を伝えてくる。
振り向きたくなるのを堪えて寝たふりを続けていると、ガチャッと鍵の開き、ギギィィィと鉄格子扉の開く音が聞こえてきた。
「誰!」
私が体を起こして鉄格子のほうへ顔を向けた時には、誰かの黒い影が鉄格子の扉をぬうっと抜けて中に入ってきた後だった。
黒い影が空中に伸び、何か鋭いものがギラッと光った!