第05話 闇よりの使者
#闇よりの使者
またまた高級宿が面している繁華街の大通りだ。今度は貴族街の東、カストロ男爵邸を目指す。
空はもうすっかり星空で、左手に持った小型のカンテラをブラブラさせながら歩いている。街灯も点いているし、私は夜目の訓練をしている。だから、明かりがなくてもこのくらいなんともない。
だが、カンテラを消して全力で走るのは、ここを抜けてからだ。
こんな夜でも繁華街の大通りにはまだ人通りがあり、みんな明かりを持って歩いている。そんなところで走りだ
すのは、ひったくりか指名手配犯くらいのものだ。
数台の馬車が車道の脇に停まっている。横を通り過ぎながら確認すると、御者だけで、ほかには誰もいない。黒い客車には家紋が描かれておらず、どこの貴族のものかわからない。
(どこかの金持ちか、貴族のお忍びの馬車かな)
夜遊びに来た貴族の坊ちゃんの馬車ってとこだろう。
もちろん、人目のつく繁華街の大通りに、正々堂々と停めているくらいだ。この馬車の主人が向かったのは、いかがわしくても合法的なところだ。背徳感あふれる夜の商売も、人々には必要なのだ。
(これで満足してくれたら良かったのにな……)
庭師の自供書には客の名前が書かれている。坑道を使っていた王族はアキレアスと係累が数人。公爵家の息子の名前もあった。王宮内にいるべき住人が、夜間に家紋のない馬車で出ようとすれば目立ってしまう。あの坑道はさぞかし役に立ったにちがいない。
そのほかの王都の貴族街か平民街で暮らす客は、あのような馬車で空き家にやってきていたのだろう。
あそこは中庭に玄関と馬車留めがあった。私では見つけられなかったが、マルティナの小鳥さんが空から見つけた。奴隷を逃がさず、来客の馬車を隠すにはもってこいの物件だ。
王城前通りに出た。ここからは内城壁を右に眺めながら北へ走る。
(さてと、まずはあの空き家に来たという衛兵の様子を見てからかな)
小鳥さんを消してしまったので、カストロ男爵邸を見張る者はいない。あとでそちらにも向かうつもりだ。
◇ ◇
空き家の近くまで来ると、通りに人だかりができていて、その向こうがぼおっと明るくなっている。衛兵がやってきたのが知れて、近隣の住人が歩道に出てきたのだろう。
遠巻きに眺めている彼らに紛れて向こうをのぞくと、そこは空き家の正門前だ。馬車が何台も並び、武器を持った大勢の騎士や従士が屋敷の周りを包囲している。
「珍しいこともあるもんだ。ありゃあ黒鳳騎士団だな」
隣の男が話しかけてくる。
まちがいない。黒鳳騎士団だ。ただ、同じ黒色の鎧でも、騎士と従士のデザインは異なる。
「うん、そうみたい。騎士…… いや、従士が多いかな」
その中にヘルメットをかぶっていない騎士がいる。金髪ロングの青年。確かクリスという十人長だ。
中から白色の鎧の衛兵が出てくる。手枷を嵌められ、鎖で引かれながら連行されるところだ。
(やっぱり衛兵はグルだったかあ。ソフィアさんは信用してたみたいだけどなあ……)
捕らえられているのは白竜騎士団の衛兵だ。例の事件に関与したとされる者は、すでに処刑されている。だから、あれは処分を免れた者たちなのだろうが……
(あ、でも、もしかすると……)
あの庭師を泳がせたように、わざと嫌疑のある衛兵を行かせたのではないだろうか?
処分できる証拠がなければ作らせればいい。
ああ見えてソフィアは、決断すれば容赦がない一面がある。あの衛兵を送り出した時点で、見逃す気などなかったのだ。
とにかく今は、あそこには近づけそうにない。回り道をして、カストロ男爵の屋敷を偵察しに行くことにした。
◇ ◇
ところが、いざ屋敷の近くにやってくると、こちらにも黒鳳騎士団の手が回っている。まだ少ない人数ながら、正門前の詰所にいる誰かと何やら話しているようだ。
いくら同じ王宮騎士団とはいえ、王都の町の所管は青狼騎士団であり、黒鳳騎士団は管轄外だ。貴族街の屋敷に踏み込むのは、迂闊にはできないのだろう。
(でも……)
私はカンテラのツマミを絞って明かりを消し、路地裏に回る。
タンッと地面を蹴って高い塀の上に飛び乗る。
(まあ……)
タンッタンッと塀と屋根を飛び越えていく。
(私には関係ないもんね!)
そして、2階建ての屋敷の屋上に、音もなく着地する。
例の空き家の方を眺めると、どうやら青狼騎士団の衛兵も騒ぎを聞きつけてやってきたようだ。黒鳳騎士団とひと悶着を起こしている。
遠くてやりとりの内容までは聞き取れない。こちらの家にも黒鳳騎士が押しかけているし、あまり猶予がないかもしれない。
カストロ男爵の次男のデボルと三男のオレアス。できれば奴隷娼館のオーナーだというデボルの居室を調べたい。
住人のいる屋敷だ。潜入すると見つかる可能性が高い。だから、無理はしないつもりだ。
(といっても、いつも無理したあげく、見つかってるんだよね……)
◇ ◇
まずは中の偵察だ。明かりが漏れる天窓から中をのぞき込む。
そこは、天井まで吹き抜けになっている玄関ホールで、召使いが右往左往する騒ぎとなっている。
「ああ、こんな好色オークの家に雇われたばっかりに……」
「親の借金さえなければ……」
「神殿に駆け込みませんか? このまま捕まったら一族郎党、死罪になってしまいます」
召使いのメイドたちが慌てて荷物をまとめている。大半の者の顔には殴られたようなアザがある。普段から主人の虐待を受けているのだろう。
(言いたい放題いわれてるけど、男爵の息子たちはいないのかな?)
外から執事っぽい中年男性が入ってきて、彼女たちに走り寄る。
「おもてにいる騎士は、もう抑えておけないぞ。坊ちゃまはどこに?」
「それが見当たりません。おそらく地下では…… 私たちは入れませんから」
「突然、領地に戻ると言いだして荷物をまとめさせておいて、自分は色事か……」
中は相当混乱しているようだ。使用人たちはデボルたちが屋敷の地下にいて、そこに性奴隷がいると暗示している。
この様子だと、奴隷娼館のことは使用人たちも知っていたのかもしれない。そして、デボルたちが逃げ出す時に置いていかれることも……
そうなれば、彼らが代わりに被害者の報復を受ける可能性が高い。メイドたちが悲観するのも無理はないが……
◇ ◇
屋上をうろついて中に入れそうな所を探していると、2階のバルコニーのガラス扉が外に開き、中のカーテンが揺れている。部屋は真っ暗で、誰もいないようだ。それでも慎重に足を入れて、音を立てずに潜り込む。
やはり部屋には誰もいない。カンテラの火つけ棒を擦って明かりを点け、辺りを見渡す。どうも主人の部屋のようだ。ふたりの息子のどちらかが使っていたのだろうか?
部屋の中は荒らされていて、クローゼットやデスクの中身が乱雑に引き出されたままだ。
(何か、手がかりになりそうなものは……)
デスクの下に金庫がある。扉は開いて中が見えている。
金庫の中も荒らされていて、金目のものはない。ただ、契約書や借用書の類は結構残っている。先ほどメイドたちが言っていた借金とはこれだろうか?
もし領地まで逃げる気なら、この手のものは紙切れ同然だ。持っていても取り立てにいけるはずもないのだから。かえって邪魔な荷物になる。持っていくなら金か魔石、宝石などの直接金に変えられるような金品だ。
「女が逃げたぞ!」
屋敷のどこからか、男の声が聞こえる。この世の終わりのような騒ぎだ。
(最後に慌てるくらいなら、日頃から清く正しく暮らせばいいのにね)
それができない者の末路はいつも見苦しい。
(目ぼしい物は全部持ち出されたあとっぽいなあ。あれ?これは……)
一番上の引き出しに残されていた鍵束を手に取る。それぞれ、違う番号の書かれた札がついている。
その時、扉の外でカチャ、とノブを回す音が聞こえた。
(あっ、誰か来ちゃった!)
とっさにカンテラのツマミを絞って明かりを消し、急いで部屋の隅に滑り込む。
扉がこちらに向けてすうっと開き、ほの暗い光と何者かの黒い影が部屋の床に差し込んでくる。
そして、影の主が薄暗い扉口から部屋の中に入ってくる。細い足のシルエットから判断すると、どうやら女性のようだ。こちらに背を向けて、扉横の壁を探っている。
今のうちに、もっと身を隠せる場所に移らねばならない。そぉ~っと足を忍ばせて、あけっ放しのクローゼットの中に潜り込み、引き寄せた戸の隙間から様子をうかがう。ここからは視界が遮られて、扉と彼女の姿は見えない。
じっと待っていると、やがて扉の閉まる音がして、部屋がだんだん薄明るくなる。天井に吊り下がるシャンデリアの明かりではない。壁に掛けてあったカンテラを取ったようだ。
明かりがゆらゆらと視界に入ってきて、それに照らされた侵入者の姿が見える。シーツにくるまった半裸の女性。首輪を着けている。奴隷だ。
(うわぁ、着けてるの首輪だけだよ…… あれが性奴隷ってやつかな?)
首輪とシーツの下のなまめかしい裸身で、どうしても想像力が働いてしまう。
彼女の首輪。あれは『奴隷の首輪』だ。
◇ ◇
罪人。世の中にはどうしても悪さをしてしまう人がいる。ある者は窃盗。またある者は強姦。挙句の果てに殺人。犯罪ではないが、借金を踏み倒す者もいる。そしてついに、騎士団などの公的機関に捕まる。
商業ギルドに奴隷組合という組織がある。そのような罪人を国や貸主から身請けして、職業奴隷として労役や借金の弁済をさせている。
奴隷の首輪は、奴隷を強制労働させるために作られた魔道具。【スレイブコントラクト】という奴隷契約の呪いが常に発動している。主人の命令に逆らったり、わざと害する行為をしようとすると、首輪が絞まり、最悪は窒息死する。
組合と罪人の同意のもと、首輪を着け、鍵をかけることで発動する。組合が弁済を済ませたと判断すれば、首輪を外されて釈放となる。
基本的に国と同じで、鉱山で抗夫として労役に就く。だが、奴隷組合の場合は一般求人もあり、もし双方が合意すれば、鉱山の代わりにそこで働ける。
若い女性は抗夫になるのを嫌がり、そのような民間で働く者も多い。たとえ、それが性接待であったとしても。
◇ ◇
彼女が手をかけているのは、先ほどまで私が調べていたデスクだ。同じように引き出しの中をあれこれと物色している。
そして、膝を突いてうなだれ、すすり泣きはじめる。
「ない、ないわ…… どうして……」
私にはなんとなく探しものの察しがついた。それは私がいま手に握っている鍵束だ。
(どうしよっかな。助ける? 話も聞けそうだし)
ただ、私は侵入者。親切心でクローゼットから出たとして、誰かに見つかって捕まるのは私だ。
それに、ここは犯罪者の住む屋敷。そのうえ、奴隷は本来、何かをやらかしてなるものだ。その彼女が善良な者だという保証はどこにもない。
部屋の外は、ますます騒がしくなってきている。悲鳴のようにも聞こえる。いよいよ騎士か衛兵が踏み込んできたのかもしれない。
その時、ドンッと扉が乱暴に叩かれて開く音がする。また別の何者かが入ってきたようだ。
「ウウゥ……」
全裸の男の姿が戸の隙間の視界に入った。彼女のもとに向かっている。
「ヒィィィ!」
彼女はドタバタと室内を走り回るが、明かりが暗く、視界も限られ、どちらの姿もはっきりと見えない。
「ウウゥ……」
男は呻きながら奴隷の女性に襲い掛かり、彼女は泣き叫んで逃げ惑う。
「助けて! 誰か! 助けて!」
カンテラを落としてしまったようだ。一気に部屋が暗くなる。
(う~ん、逃げ時を失っちゃった。仕方ないなあ)
懐からダガーを抜き、クローゼットから躍り出る。外や廊下から差し込む程度の光でも、私なら大丈夫だ。
男の背後に迫り、右肩に鋭い突きを放つ!
ところが、ダガーの刃先に刺した手応えがなく押し戻される。
おかしい。確実に決まったはずだ。
気を取り直して、もういちど後頭部や背中を突き刺す。やはり皮膚を破り、肉を貫く感触がない。
(ん? 何これ?)
思い切って手を押しつけるくらいで、やっと手応えを感じる。だが、やはり中から肉が盛りあがってくる感触があり、ナイフが押し出される。
「わっ……」
奇妙な感覚に嫌な予感がしてナイフを引くと、そこにつけたはずの傷がたちまち塞がってしまう。
「これ…… アンデッドだよ!」
思わず声を立ててしまった。悲鳴があがるような騒ぎになっているのは、これのせいだろうか。
◇ ◇
ホラー物の本に出てくることがあるが、アンデッドは大まかに分けて2種類ある。『死霊』と『屍者』だ。
こいつには肉体があるので、ゾンビになる。よく死者が蘇ってゾンビになると勘違いされるが、一度死んだ者を蘇生できるのは【リザレクション】だけだ。
実際には死んだのではなく、死病に侵され、死ぬ寸前という微妙な状態。その直後から自我や記憶が失われていく。それとともに狂暴になり、痛みで苦しみだす。血色が悪くなり、体が腐りはじめる。
一番重要なのは、アンデッドには通常の武器が効かないことだ。腐った体を傷つけても、腐ったなりに元に戻るだけ。やはり殺せない。
そうして体が自壊し、死に至るまでの数日間、苦しみながら生き続ける。それまでに優秀な神官の治療を受けられれば助かる場合もあるが、実際はかなり難しい。
首を飛ばすなり体を潰して、致命傷を与えれば殺せないこともない。
ただし、剣を突き立てても、棒でつついたくらいにしかならない厄介な体だ。人間であれば、よほど力のある戦士が、身の丈をはみ出すくらいの大剣をぶつけるくらいでないと無理だ。
そのようなアンデッドに傷をつけられるのが、銀かミスリルでできた武器だ。
「ちょっとそこのキミ! 何か銀製の武器持ってない?」
「えっ? えっ? 私?」
彼女は恐怖のあまり気が動転していて、話がすぐに伝わらない。
「そう! 武器じゃなくても、銀かミスリルならなんでもいいよ!」
「あ、そ、それならデスクにあるペン立てに、封切り用のナイフが…… 確か高価な銀製だと言ってました」
「あれか!」
すばやく身を翻してデスクのペン立てに手を伸ばす。そしてナイフを抜き取り、振り返りざまに鼻柱から左頬にかけて《バックスラッシュ》で振りぬいた!
「グアァァァ!」
すると、頬にズバッと深い傷が入り、ナイフの先端が皮膚を抉るようにして抜けた!
あきらかに、先ほどとは違う痛みを与えている。
(やった! でもこれ、あまり斬れない!)
当然のことながら、このナイフは戦闘用にできていない。強く握っても手が滑る。研いでいないのか、ナイフの刃が入らない。
なんとか頬を傷つけられたものの、あれは抉った、という感じだ。もし私のダガーで同じように斬りつけて、本来の力を発揮していれば、とてもあの程度では済まないはずだ。
◇ ◇
部屋に明かりはなく、廊下から差し込む僅かな光源だけが頼り。そのような中で戦わねばならない。
暗がりの中、よく確認もせずに手に取ったナイフを見る。刃渡り10センチもない、ろくにグリップもない食器のようなナイフだ。
「ウウウウッ!」
ところが、ナイフに気を取られすぎていたようで、いつの間にか目の前に奴が迫っていた!
(肩が!)
掴まれた左肩がミシミシと鳴る。握り潰されそうなくらい強い力だ。
とっさに首元にナイフを突き立てて差し違えるも、それは鎖骨を削っただけだ。
暗闇にうっすらと浮かぶ、今にも死にそうな表情で苦悶する青白い顔。奴は顔や首の傷に構うことなく、その顔を私に向ける。
そして、グワッと口をあけながら、ガバッと覆いかぶさってきて、体重差で押し負けた私は床に押し倒され、仰向けになってしまう。
(ちょっ、噛まれる!)
ゾンビが噛みつこうと迫る!
つっかえ棒のように両手を胸に押し当てて阻む。相手は全裸で服を着ておらず、襟や袖などの掴めるところがない。首か脇、腕くらいだ。
だが、首や脇を掴もうと手を伸ばせば噛まれそうで、腕を掴めば頭が私に届いてしまう。それが対処をより困難にしている。
ゾンビと格闘するのは悪手だ。噛みつかれると死病に感染し、自分もゾンビになってしまう場合があるからだ。
奴は私の左肩を掴んだまま離そうとしない。このままなんとかするしかなさそうだ。考えなしに逃れようとすれば、どこかを噛まれてしまいそうだ。
片膝を立てて腰をひねり、もう片足を相手の背中に絡ませ、腰の前後を挟みこんでギュウッと絞めあげる。そして、胸を押していた手をずらして肩を開かせるように脇を掴む。
左肩を掴まれているので、リーチの問題で左手は相手の上腕を握るに留まる。右手は相手の左脇をガッチリと掴んだ。
これでもう、奴がいくら暴れても密着できない。ガチガチと歯を鳴らしながら噛みつこうとしても、脇の下を押さえているので肩をこちらに寄せられない。首を動かしてもどこにも届かない。
(うう、逃げるべきだったなあ……)
つい条件反射で応戦してしまったのが、窮地を招いてしまった。人間相手ならそれでいいのだが、今は下がって距離をとるべきところだった。
生前…… 適切ではない表現かもしれないが、ゾンビは生前の強さを引き継ぐ。こいつは素人同然なのがせめてもの救いだ。
うまく型にはまったので、このまま抑え込みに回れそうだ。挟み込んだ奴の下半身を持ちあげながら、グイッと捩じって横に倒し、今度はこちらが馬乗りになった!
その拍子に左肩の拘束が解けたので、すかさず型を変え、足で右腕を抑え込み、左手で喉を押して首を床に押しつける。
そして、ナイフをくるりと逆手に持ち替え、奴の胸を拳で打ちつけるように、グサッグサッと刺す!
「グアァ!グアァ!」
奴もこちらに噛みつこうと、何度も頭をあげようとする。その首を押さえて床に後頭部を打ちつける。
そのうちに、奴の胸からガチッという音とナイフを握った右手に硬い手応えを感じた。
(やった!見つけた!)
体内の魔石を突いたのだ!
人間の体内には魔石は存在しない。アンデッドになるとそれが生まれ、唯一の弱点になる。
そこを集中して何度も突き続けると、奴は次第に暴れるのをやめ、やがて動かなくなった。
こうして、魔石に直接打撃を与えれば、ゾンビを殺せる。攻撃魔法を使えばもっと楽なのだが、私は使えない。
(こんなナイフじゃなかったら、もうちょっとマシな戦い方ができたんだけどね……)
◇ ◇
薄暗い室内に、ようやく平穏が戻った。
あけ放たれた扉の向こうの廊下がわずかに明るくなっている。そこからは依然として喧噪や悲鳴が聞こえてくる。
ゾンビは噛みついて仲間を増やす。やはり、この騒ぎはほかのゾンビが暴れている可能性が高い。
これ以上ゾンビが部屋に入ってきたら、大変なことになる。扉口まで行って部屋の外を見渡し、廊下の様子を探る。
どうやら、ほかに誰かが来る様子はないようだ。
カンテラを取りにクローゼットのある部屋の奥へ向かう。戦いの邪魔になるので消したまま置いてきたのだ。
(と、その前にステータス……)
こんな暗闇でステータスを投影しても、光源がないと見えにくい。先にカンテラを取りにいく方が正しい。
ゾンビに引っ掻かれたり、返り血に触れる程度なら感染しない。噛まれて傷を負った覚えはないので、おそらく大丈夫だ。
それでも。だとしても。
やはり、先に状態を確認し、無事を確かめずにはいられない。
なんの逡巡も葛藤もなく愛する者に自ら手をかけ、生きながら腐っていく。生者が本能的に抱く、知性と肉体を失うことへの恐怖が、激しい嫌悪感をいだかせる。
(……うん、だいじょうぶだ)
ステータスを閉じ、先ほどまで隠れていたクローゼットに戻る。カンテラを拾って明かりを点ける。すると、周囲に明るさが戻った。
感染の心配がなくても、返り血を放っておくのは気持ち悪い。
クローゼットの中にあったハンカチで、血まみれのナイフと手や服にかかった返り血を拭う。腕の袖口に返り血が染みていたが、外套で袖を隠せばごまかせるだろう。
いつも読んでいただきありがとうございます。
第8章の説明不足の点などを考慮して再投稿しています。
しばらく不定期で最新話まで投稿していこうと思います。
大きく展開が変わることはありません。
よろしくお願いいたします。