帰宅祭
笑い声。それは長い階段を登り切ったところにある神社、その周りに広がる林の中から聞こえるらしい。その笑いは楽しげとも、悲しげともとれる不思議な声であるそうだ。
一説では、人の暮らしを見て、その楽しさを受け取って笑っていると云われている。
一説では、人の暮らしを見て、その愚かさを蔑んで笑っていると云われている。
いずれにしてもこの神社に響く幽かな笑い声の持ち主は、この神社に祀られている犬神であると村の者は噂した。
今日は年に一度の祭りだ。祭り自体は神の怒りを鎮めるだとか、秋の豊作を祈るだとか、そんな意味があるそうだ。
小さな村の、小さな祭り。
夜店がぱらぱらと神社の前に並び、電飾や提灯でわずかに彩られるだけのささやかに行われる祭り。
それでも、少なくない人数が祭りへと赴き、いつもは誰も訪れない神社がごった返し、活気に満ち溢れた。
そのおかげで俺は友人とはぐれてしまったわけだが。
携帯で連絡を取ろうにも、携帯の画面は無情にもここは圏外だと訴える。そんな画面を睨みつけながらため息を吐き、オレンジに塗られた鳥居に寄りかかった。
携帯をしまい、空を見上げる。そこには田舎の象徴であろう、満天の星空といっても過言ではない量の煌びやかな星々が瞬いていた。
「あ、あのー」
不意に声をかけられて目線を下げる。そこには藍色の浴衣を着て、頭にぴょこんと獣の耳をつけた少女が立っていた。普通なら耳に突っ込みを入れるところだが、今日は犬神を祀る祭りだ。犬の仮面や耳の装飾はいくらでも売られている。ただ、彼女のは猫耳にしか見えないのだが。
「あ、あの、どうしました?」
どうしたのか聞きたいのはこちらである。
「えと、寂しそうでしたので」
少し驚くが、はあ? というのが正直な感想だ。実際口に出していたようだ。びくっと彼女が一歩後ずさる。
「あ、わりい」
ぼりぼりと頭を掻きながら謝るが、なんで誤ったのか疑問だ。それでも少女は安心したようで、また一歩詰め寄った。
「なんでそう思ったんだ?」
実際はぐれている俺はそりゃあ寂しいのかもしれない。独りで祭りに来ていて空なんて見上げてりゃ、寂しそうに見えるかもしれない。
少女はくりくりした瞳を俺に真っ直ぐに向けて言う。
「においが、そんな感じでした」
「はあ!? あ、すまん。こわくないから、な?」
今度は鳥居の陰までトテトテと走って行ってしまう。転んでしまいそうなくらい危なっかしかった。陰からじっと見つめられても困る。俺が悪者みたいじゃないか。
「で、お前はどうしたいんだ?」
「寂しくなくなるまでくっついてます」
謝り続けたら彼女はひょこひょこと出てきて腕にぶら下がった。離れろと言ってもふるふると首を振って離れない。気が弱いように見えて実に頑固なことだ。
「お前、俺のこと怖いんだろ?」
「えと、ちょと、こわ……くないです」
「ってことはだ。すんごく怖いんだな?」
「ち、違います。怖くないです」
「あたあ!」
俺の後ろに隠れた。何の意味があるんだか。
妹がいればこんな感じなのだろうとも思うが、彼女は赤の他人である。しかも今日は友人と祭りにきたのだ。見つかってはことだ。何を言われるかわかったものではない。だが。
「こ、こわくないです、ないったらないのです」
再びぶら下がる彼女を置いていくほど、俺は無情ではないようだ。あらあら仲の良い兄弟ね、という視線を向けられると非常に逃げたくなるのだが。
そんな心情を知ってか知らずか、彼女はぶら下がることが楽しいようできゃっきゃ、と年相応の笑い声を上げている。そんな笑い声に幾分か、何か別の要素があるように思うのは何なのだろうか。
「俺はダチを探すんだ。だから、な? 親の所に帰れ」
彼女に合わせて優しげな口調で言ってやる。彼女は瞼をパチパチと開閉してから言う。
「ダ、チ、に会っても寂しいままだよ」
「なんで、だよ」
「だって、寂しいでしょ? きゃあ」
気が付いたら彼女を振り落としていた。尻餅をついてきょとんとした様子の彼女。そんなこと言うんじゃねえよ。わかっちまうじゃねえか。俺が、独りだって。
「あなたは、寂しいよ。だって」
「わかってるさ! ダチにだって無理して付き合ってんだ。今日だって俺は乗り気じゃなかった。それに」
まだ合流できてないなんて、おかしいもんな。
夜店は明かりを消し、祭りの人々はほとんどが去り、辺りは闇が一層深まっている。残っている人々がやっている花火の明かりが点々と灯っている。その明かりは手の届かないもののように思える。
「可哀想だね。せっかく街に降りたのに。結局寂しいまんまなんだね」
少女は俺の手の甲に頬を擦り付ける。暖かい。
「せっかくお祭りにきたのだもの。帰りなよ。寂しいのは嫌でしょう?」
「お前は、誰だ?」
ぴくっと、猫の形の耳が動いた。
「私はね。はぐれなの。私が居た所はね。燃えちゃって、ね。守れなかったから、ほんとは、死んじゃうべき、なんだけどね。寂しくなっちゃったから」
ぽろぽろと、こぼれ始めた涙は止まらず、嗚咽を漏らしながら、それでも少女は笑顔を形作る。
この子は、強い。俺なんかと全然違う。
「だから、歩いたの。いっぱいいっぱいいっぱい」
噂を聞いては北の山へ。希望を捨てず東の山へ。追い出されては西の山へ。巡り巡って南の山へ。
「もう疲れてきたの。今日のお祭りを最後にしようと思ってたの。そうしたら」
「俺がいた」
「……うん。ヤな匂いがいっぱいついてたから違うかと思ったけど。でも、違くない」
俺の手をぎゅっと握る。その力は思いのほか強い。
「もう、ね。独りはヤなの。独りは、ヤなの!!」
握られている手には爪が食い込み、笑顔なんか吹き飛ばして必死になって訴えてくる。これが人にものを頼む態度かと思うと可笑しくて仕方なかった。
なんだ。俺と同じじゃないか。
少女は帰る家を失い彷徨って。
俺は帰る家を捨てて彷徨って。
結局、寂しくなって耐えられなくなって。
俺は弱い。こんなに弱った彼女を見て安心している。わんわんと泣く少女にほっとしている。
本来、俺たちは寂しいなんて感情は持たないはずだから。社を守る存在にそんな感情は邪魔だから。でも、俺は持ってしまった。普通でない、異端だ。
俺だけじゃ、なかった。
「俺んとこは狭いし汚いぞ」
「……え?」
普通なら、まず断る。他の奴なんて邪魔だから。
「それでもいいなら」
でも、俺は、普通じゃない。
「まあ、上がってけよ」
ぼりぼりと頭を掻きながら懐かしの我が家へ。久しぶりに出した耳が邪魔だ。後ろでぼーっとしてる少女をわあ! と驚かすと、ぐちゃぐちゃの顔で笑顔を返される。それを見て、にやっと苦手な笑顔を返した。
笑い声。それは長い階段を登り切ったところにある神社、その周りに広がる林の中から聞こえるらしい。その笑いは楽しげとも、悲しげともとれる不思議な声であるそうだ。
一説では、人の暮らしを見て、その楽しさを受け取って笑っていると云われている。
一説では、人の暮らしを見て、その愚かさを蔑んで笑っていると云われている。
いずれにしてもこの神社に響く幽かな笑い声の持ち主は、この神社に祀られている犬神であると村の者は噂した。
とある村の若者が言う。
「犬神様、二人おったんよ」
しかしその若者は犬神様が二人もおるはずがないとお叱りを受けることとなるのであった。
寂しいのは嫌いです。