5
翌晩、鈴音達が工事現場の入り口を訪れると、すでに紅璃が待っていた。
「やあ、こんばんは」
「おー、早ぇな」
手を上げて答える祥吾の後ろで、猫又達が足を止める。鈴音は成猫姿の2匹を抱き上げた。
「よいしょっと--よう、あかりん」
「……こんばんは」
少し傷ついたような顔で、鈴音に答える。彼に聞こえないような小さな声で「つい、本能で」とあんこが申し訳なさそうに呟くのが聞こえた。
「後は、才蔵が来るのか?」
「ああ。瀧上さん……と--」
「遅くなってごめんなさい」
聞き覚えのある澄んだ声が、鈴音の背後から掛けられた。振り向く鈴音の視界の端で、祥吾が硬直している。
「おー、こんばんは、穂之花」
「こんばんは、すず」
穂之花は鈴音を見上げ微笑む。花の如く、と高校時代に賞された微笑みだが、鈴音の腕の中の猫又2匹は身を固くしている。ちらりと見ると、尻尾が腹に回っている。
鈴音はさり気無く穂之花から離れながら、横にずれた。祥吾の方に振り返る。
「……祥吾なんか、2年ぶりじゃないか?」
「て、てめッ、裏切りも--」
「--あら」
慌てた祥吾の言葉を、穂之花が遮った。口調も表情も変わらない。だが確実に周囲の温度が1℃下がった。
「久しぶりね、祥吾君。もしかして……また、すずの所に下宿しているの?」
「え、あ、お、ま、まあ、当たらずとも遠からず、的な」
「そう。相変わらず仲が良いのね、羨ましいわ…………とても」
愛猫のために親友を差し出した鈴音は、2匹の背中を撫でてやりながら、睨みで蛇が獲物を凍り付かせているような様を遠巻きに見守る。
犬猿の仲と言うわけではないが、穂之花は何故か祥吾にだけ風当たりが強い。祥吾は鈴音のせいだと言っていたが、鈴音に思い当たる節はない。
本能的に戦いているのか、愛猫2匹も彼女を苦手としているが、猫又らには穂之花は優しい。
騒ぎに乗じてそっと猫等を撫でていた紅璃が、不意に上を見た。釣られて鈴音も仰ぎ見る。
「あ、忍者の人ですにゃ」
「いつの間に……」
猫又2匹が呟く。
工事現場入り口の向かい、5階建てのビルの屋上に男の姿があった。闇夜に溶ける漆黒の忍び装束に、風を孕んで靡く長めの首巻き。月光を受けて輝く長い銀髪と、それを纏める朱色の綾紐が見る者の目を惹く。
「……忍んでないな、相変わらず」
「まあ……見た目は大切だよ」
漆黒のロングコートを愛用する紅璃がフォローする。鈴音にしても気持ちが分かる上に、仕事着としてダークレッド色のレザーコートを愛用しているので、人のことは言えない。
黒き忍び装束に身を包んだ男--才蔵が跳躍し、音もなく地面に降り立った。
「待たせたな」
「あッ! てめぇこの蝙蝠忍者モドキ! 俺を騙しやがったな!」
良いきっかけだったと言わんばかりに、祥吾が才蔵に詰め寄った。才蔵は眉一つ動かさず、首を傾げる。
「モドキではなく歴とした忍びだ。それに、何のことだ」
「惚けんな、ワザと伏せてやがっただろーがッ。穂之花が--」
「あら、私が--どうしたの? 祥吾君」
びくり、と祥吾の肩が震える。
視線をさまよわせ、消え入るような声で「何でもないです」と呟いた。
「うふふ、私達は仲間ですものね。支援は任せて」
「おう……」
顔を合わせる度に行われる目に見えない戦いは、今回も穂之花の勝利で終わったようだ。
「まぁ、とにかくだ。これで全員揃ったな」
「ああ。8年ぶり、かな」
5人で揃って戦いに挑むのは「八百の災い招く紅の鬼」を斃した時以来だ。ちょっとした同窓会のようにも思える。
「とんだ災難だぜ・・・・・・中の様子は分からねぇんだよな?」
「うむ。先ずは立ち入ってみなければな」
そう言って才蔵は工事現場の入り口を見上げた。
「--飛び越えるか」
言うなり才蔵は跳躍した。軽々と壁を乗り越え、紅璃がそれに続く。
「おう、穂之花。運んでやるよ」
ぶっきらぼうな口調ながら、祥吾が手を差し出した。
穂之花はしらたまとあんこを抱いたままの鈴音を一瞬見たが、素直にその手を取って抱きついた。祥吾は壁を踏み台に、穂之花とともに壁の向こうに消える。
「じゃ、俺らも行くか」
2匹を抱き直し、地を蹴る。
壁の向こうは、朱色に染まっていた。
「幻の炎、かしら……」
ゆらゆらと景色が揺らめいて見える。至る所で炎が上がっているが、熱は感じない。
「恐らく、皆が命を落とした時の光景なのだろうな」
陽炎の向こうには、半ば崩れ落ちた建物があった。それが恐らく「金井診療所」の最期の姿なのだろう。
「マスター、ここは理から外れた異界と化しているようです。それも膨大な陰の氣のせいかと」
「怨念の固まりが、うようよしてますにゃー……」
鈴音の腕から降りて大型犬サイズになった猫又が告げる。言われてよく見れば、陽炎の向こうで人型の黒いモノが何体も彷徨いている。
空を見上げると、月が赤く染まっていた。血が疼くような色だという才蔵に、鈴音も同意する。
「こんなデケェ規模で異変が起こってるッてこたぁ、親玉もいんのかねぇ」
「恐らくは、あの建物の所に。--先ずは周りを片付けてからだね」
「うむ、そうだな」
頷き、才蔵が穂之花を見る。穂之花は札を取り出して掲げた。
「我奉りしは大山津見神が女二たり。恒に石の如くに堅はに動かずまさむ。木の花の榮ゆるが如榮まさむ」
古事記の一節、石長比賣と木花の佐久夜毘賣の話を元とした加護の言霊だ。穂之花の言葉に応え、札が光の粒子になって5人と2匹に降り注ぐ。
「ッしゃぁ、行くぜ!」
祥吾が駆け出し、近くにいた黒きヒトガタを斬る。それは塵のように霧散し、それを合図に周囲の敵が祥吾に向かって押し寄せた。
祥吾は不敵に笑い、刀をだらりと下ろした。飛び掛かられる寸前まで黒きヒトガタを見据え、その攻撃を躱してから右腕を跳ね上げた。逆袈裟に切り上げた勢いのまま振り返り、背後の黒きヒトガタの脳天に刀を振り下ろす。竹の如くに分断され霧散した様を視界の端に捉えながら右足を滑らせ、身を沈めて刀を鞘に納める。黒きヒトガタの腕が空を切った刹那、鞘走った神速の一閃がその胴を分断した。
黒きヒトガタの群の一角が、纏めて消え去った。突然の斬撃に反応できぬまま、さらに黒きヒトガタが小太刀による一閃で崩れ去る。2度駆け抜けた才蔵は高く跳躍し、印を切った。
「瀧上流忍術、旋風斬!」
嵐の如き風が黒きヒトガタを引き裂き散らす。
吹き飛ばされて風の刃から逃れたモノがよろよろと立ち上がり、黒き咢が喰らいついた。影からソレを伸ばす紅璃に、黒きヒトガタが向かっていく。
紅璃は軽く鼻で笑い、自身の影に手を突っ込んだ。飛び掛かってきた敵を蹴り飛ばし、引っ張り出した和弓で射抜く。
「行け」
漆黒の矢は黒きヒトガタを貫き霧散させ、さらに突き進む。その軌跡から無数の影の茨が生まれた。茨は黒きヒトガタらを捉え、地面に引きずり込む。
「あんまり何でも食ってると食中りするぞー」
紅璃の上空から鈴音が声を掛けた。自身の妖気で宙に張った極細の金糸を足場に跳躍し、紅璃の側に降り立つ。穿いている革手袋の具合を確かめ、再び跳躍した。背後を取られた黒きヒトガタが反応するより早く、拳を叩き込む。身を翻しつつ蹴撃、踏み込んで掌底と流れるような体捌きで黒きヒトガタを霧散させていく。その頭上を、白黒2匹の猫又が飛び越えた。巧みに飛び跳ねて、黒きヒトガタを翻弄しながら鋭い爪で引き裂いていく。
その様を見守っていた穂之花にも黒きヒトガタが襲いかかる。穂之花は札を構え、言霊を紡いだ。
「吾が符は速須佐之男命が十拳劒、敵切り散りたまひし」
言葉が札の姿を剣に変えて、黒きヒトガタに襲い掛かる。霧散した黒きヒトガタを踏み越え、新手が迫る。穂之花はその様を冷めた目で見、角の欠片を放った。
「面倒だわ……下がらせなさい、紅き下僕」
「八百の災い招きし紅の鬼」、その角に残った力の残滓が穂之花の力によって3m程の大きさの戦鬼を象った。振るった腕は風を起こし、地響きを鳴らしながら黒きヒトガタを蹴散らす。
その忠実な仕事ぶりに、穂之花は満足そうに微笑んだ。改めて辺りを見回す。周囲の敵はこれで終わりのようだ。
「よし、次は本丸だな」
「おう。とっととケリつけようぜ!」
周囲を警戒しながら紅蓮を纏う診療所に近付く。
建物の殆どは焼け落ちた後なのか、残っているのは1階部分の床と壁だけのようだ。その壁も殆どが崩れ落ちており、視界や行動が制限されるほどではない。
「あれか……」
鈴音は炎の中に異変の大元の姿を見つけ、呟いた。
黒きヒトガタと似ているが、穂之花の戦鬼を越えるほどの巨体だ。体の所々で炎が燻っている。
「しらたまさん、あんこさん。毛皮が焼けるかもしれないから、ちょっと下がっててな」
「はいですにゃ」
「いつでもご助力出来るよう、待機します」
主の言葉に猫又2匹は素直に従う。
「さて、どう行こう」
「先ずは私が行きます。--我が符は上つ瀨--」
穂之花の言霊に反応したのか、黒き巨体が咆哮した。怨嗟が篭もったその吼え声は、只人ならば耳にしただけで失神するだろう。
「--瀨、速く禍押し流さむ!」
札が濁流となって黒き巨体に襲い掛かる。
水は燻る炎に触れ、水蒸気となって辺りに立ち込めた。それを吹き散らしながら、紅の戦鬼が黒き巨体に肉薄する。
その背を追い抜き、黒き矢が巨体の腹に突き刺さった。影の軌跡から伸びた茨が、黒き巨体の足を戒める。動きを止めたその背後に、才蔵が一瞬で回り込んで切りつける。
よろめきながらも黒き巨体は、振り下ろされた戦鬼の拳を辛うじて受け止めた。その膝裏に、重い打撃音を伴って鈴音の蹴りが叩き込まれる。
鈴音は身を翻して間合いを取りながら手を伸ばした。虚空に張られた金糸を踏み台に、祥吾が高く跳躍する。落下の勢いを刀に乗せ、戦鬼の拳を抑えていた黒き巨体の腕を切り落とした。
片膝を付いた巨体の左胸を戦鬼の拳が打ち据えた。黒き巨体は大きく姿勢を崩す。
「よっしゃッ、これで--」
祥吾が刀を構え直した刹那、黒き巨体が大きく爆ぜた。
「きゃあっ」
「くっ……!」
咄嗟にしらたまとあんこを抱えてしゃがみ込んだ穂之花に、紅璃が覆い被さって庇う。
衝撃をやり過ごして紅璃が振り返ると、爆ぜた破片が再び黒き巨体の姿を取っていた。切り落とされた部分は戻せなかったのか、左腕は失ったままだが、右腕は燃え上がった炎に覆われている。
その傍らでは、傷だらけになった戦鬼が消えつつあった。
紅璃は素早く視線を走らせた。黒き巨体の背後で才蔵が片膝を付いており、鈴音は少し離れたところに蹲っている。祥吾は崩れかけた壁まで飛ばされ、愛刀を握ったまま倒れて動かない。皆爆ぜた礫が直撃したようだった。
「フシャアアアアアァァァァッ!」
凄まじき鳴き声を上げ、猫又2匹が駆けだした。軽自動車ほどの大きさに巨大化し、黒き巨体に飛びかかる。炎が掠る度に毛が焼けるが、怯まずに攻め立てる。
「--っ、ぐっ……」
愛猫の威嚇を聞いて鈴音は目を開けた。肋骨と左足が酷く痛む。息を止めて痛みに耐えつつ、丸まっていた体を伸ばして身を起こす。
「鈴音、具合は?」
紅璃が駆け寄ってくる。黒き巨体を挟んだ向かいを見ると、穂之花が倒れた祥吾の側でしゃがみ込むのが見えた。視線を巡らせ、膝を付いて動けないらしき才蔵の様子を確認してから、鈴音は紅璃を見上げた。
「わりと良くない。--悪い、あかりん。力貸して」
「ああ、どうぞ」
あまり気は進まないが背に腹は代えられない。
鈴音は素直にひざまづいた紅璃の後頭部に右手を回し、引き寄せて口付けた。舌を紅璃の歯にゆっくりと這わせ、舌に絡める。更に深く舌を入れかけ、吸うように離れた。
名残惜しさを頭を振って振り払い、鈴音は立ち上がった。生気を吸わせて貰ったおかげで、傷が癒えただけでなく倒れる前より体が軽い。
「--あーっと……うん、全快。えっと……借りは今度返すわ」
「そう? じゃあ、猫カフェで奢って貰おうかな」
涼しい顔で紅璃が答える。その動じなさに大きな安堵と一抹の詰まらなさを感じつつ、鈴音は才蔵の元に駆け寄った。猫又2匹を応援してから、じっと黒き巨体を見据える才蔵に声を掛ける。
「傷は、再生しそうか?」
「いや--やはり火は克服できんな」
破れた忍び装束から、酷く焼け爛れた肌が覗いている。吸血鬼にとって火は弱点の一つだ。
鈴音は手袋を外し右手を差し出した。才蔵は一瞬鈴音を見上げ、その指先を咥えた。牙が皮膚を破る感触が分かったが痛みはない。舌で愛撫されるように優しく舐られ、くすぐったいだけだ。
「……あー、えっと--回復した?」
鈴音が10秒数えて声を掛けると、才蔵は小さく唸って口を離した。
「…………あの紅い月は、種の本能を煽るようだな」
「ああ--俺もさっき、スイッチ入りかかってヤバかった」
相手を魅了して糧とする人外2人は、お互い余所を向いて呟く。
「--うむ、まだまだ修行が足りんな」
若干気まずい空気を振り払うように、才蔵が勢い良く立ち上がった。吸血したことで傷が完全に消えている。
祥吾の方も穂之花が傷を治し終わったようだ。身を起こすのを確認し、鈴音は黒き巨体の元に走った。手袋をはめ直しつつ、敵に蹴りかかる。
「ご主人!」
「マスター!」
「グッジョブふたりとも、お陰で全快した--っと!」
振り下ろされた腕を回避し、鈴音は労いを込めて猫又達の背を軽く叩く。
再び腕を振りあげた黒き巨体は、突如生じた雷光に打たれて怯んだ。
「瀧上流忍術、雷龍。そして口寄せ!」
才蔵が印を切り、蝙蝠の群を呼び出す。鈴音と猫又らが飛び退くのと同時に、蝙蝠の群が黒き巨体に襲いかかった。
「しかし、どう倒せば--」
蝙蝠達から逃れようと暴れる巨体を睨み付けながらあんこが不安を口にする。確かに、再び爆ぜられたら堪らない。
「--心臓だ」
構えたまま、黒き巨体を見据えていた祥吾が呟いた。
「心臓、ですにゃ?」
「ああ。アイツが爆ぜる瞬間、左胸の部分に赤い塊が見えた。いかにもじゃねぇか」
「ふぅん--」
祥吾の言葉を聞き、紅璃が考え込む。祥吾はこと戦いにおいては優れた観察眼を持っており、直感も鋭い。
「お前がそう思うんなら、正解なんじゃね」
「お、乗るか。さすが相棒」
鈴音の同意を受けて祥吾は嬉しそうににやりと笑う。
「--桃石さん、鬼は呼べる?」
「え? そうね、もう大丈夫よ」
穂之花の返事を聞いて紅璃は頷いた。策が思いついたようだ。
「……あいつが爆ぜる直前、丁度紅の鬼が左胸を殴っていた。同じ様に左胸に衝撃を与えれば、もう一度爆ぜるんじゃないかな? その隙を狙えば--」
紅璃の言葉を聞いて、穂之花はその意図を理解したようだ。紅の戦鬼を創り出し、嗾けずに待機させる。
「しらたまさん、あんこさん、足止め!」
「はいですにゃ!」
「イエス、マスター!」
蝙蝠を振り払った黒き巨体に猫又2匹が飛び掛かり、じゃれるように翻弄する。鈴音は印を切るように腕を動かし、頃合いを見て指示を出した。
「よし、退避!」
主の命令通り2匹が間合いを離すと同時に、無数の金糸が黒き巨体を締め上げ、その自由を奪う。燃え上がった右腕の炎が衰えていくにつれ、その力を吸い上げる金糸は強固なものとなっていく。
「行くよ--貫け!」
「此の矢は天若日子に賜れし天之波波矢。惑し我らが敵に邪き心有らば、この矢に禍れ!」
紅璃の矢に、穂之花が言霊の力を乗せる。漆黒の矢は吸い込まれるように、黒き巨体の左胸に突き立った。
「瀧上さん!」
「うむ、承知」
紅璃の声に応え、才蔵は一気に間合いを詰めた。瞬間移動にすら見える速さで黒き巨体の前に回り込み、漆黒の矢のすぐ横に小太刀を突き立てる。
戦鬼の背後に鈴音達が隠れるのと同時に、黒き巨体が爆ぜた。高熱の破片が、勢い良く飛んでいく。
「へッ、2度も同じ手喰らうかよ」
祥吾の声が頭上から振ってくる。戦鬼を踏み台に高く跳躍したのだ。
覆う物が無くなり剥き出しになった赤い塊めがけ、下降する。
「これで終ぇだ--黄泉に逝きなぁッ!」
鋼の刃が赤い塊に深々と突き刺さり、ガラスが割れるような音とともに崩れさった。飛散していた破片も黒き塵となって消え、巨体がいた場所には白い霧だけが残っている。
霧は密度を上げ、才蔵の姿に戻った。
「ふ……瀧上流、空蝉」
「--前から思ってたが、ソレ吸血鬼としての力じゃねえか?」
「何を言う、久遠寺。紛れもなく忍術だ」
疑惑の目を向ける祥吾にきっぱりと否定してから、才蔵が空を見上げた。紅く染まっていた月は、徐々に白銀に戻りつつある。
「終わったのね……」
戦鬼を労うように撫で、穂之花が息を吐いた。猫又2匹の傷を癒してやり、続いて鈴音の前に来る。知らぬ間に破片が掠っていたらしき右肩にそっと触れた。
「"今度は"、私が癒すわね」
「お、おう」
力を込めて言われた「今度は」という言葉に底知れぬ畏れを抱きつつ、鈴音は大人しく回復してもらった。穂之花の迫力に関係なく、癒しの光は暖かく優しい。
「……ここは、直に元に戻るかと思います」
「お仕事コンプリート、ですにゃ」
あんことしらたまは、さりげなく祥吾の背後に隠れている。その様を紅璃がどこか羨ましそうに見ていたが、思いを断ち切るように頭を振った。和弓を影に戻し、僅かに微笑む。
「僕はそろそろ帰るとするよ。--久々にみんなと一緒に戦えてよかった」
「おう、お疲れさん! 今度ウチでメシ食おうぜ」
「お前それ俺の家のことだよな? まあ、すき焼きでもふぐチリでも用意するけど。--じゃ、またな」
皆に一礼して、紅璃は背を向ける。その袖を穂之花が力強く引き留めた。
「柳瀬君。今度、ウチにも来てね--聞きたい話があるの」
にこやかな、しかしどこか剣呑な穂之花に、紅璃は涼しい顔で頷く。
「ああ。初詣がまだだったから、今度行くよ。--じゃあ、これで」
そう言い紅璃は立ち去った。祥吾がどこか尊敬の眼差しをその背中に送る。
紅璃を見送ってから才蔵も踵を返した。
「では私も帰ろう。夜が明けては困るしな」
穂之花が口を開くよりも早く、その姿は忽然と消え失せた。
「…………なあ、なんで穂之花のヤツ、柳瀬と瀧上まで威嚇してんだ?」
「えーっと……さあ?」
何となく思い当たる節が無いことも無い。だが正直に言うと面倒なことになりそうなので、鈴音ははぐらかしておいた。話の矛先を変える。
「あー、穂之花。俺この前交通安全のお守り買い忘れたんだよ。今度、買いに行くから」
「え、そうだったの? --うふふ、いつでも来てね」
にこり、と今度は朗らかに微笑む穂之花。機嫌はすっかり治ったようだ。
穂之花は艶やかな黒髪を軽く払い、優雅な仕草で会釈をした。
「私もそろそろ帰らなきゃ。2人とも--あんこちゃんも、しらたまちゃんも、またね」
戦鬼の肩に乗り、穂之花は異界の境を跳び越え去る。その背を見送っていた祥吾はぽつりと呟いた。
「なんつーか、急に静かになった気がするぜ……」
しみじみ、といった口調だ。鈴音はその背中を軽く叩いた。
「祭りの後、ってか? 安心しろ、まだ一大イベントは残ってるから」
「にゃ?」
成猫姿に戻ったしらたまとあんこを肩に乗せてやりながら、鈴音はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「初詣、まだだろ? 一緒に百石神社に行かないとなー」
「なッ? さっきの話俺も行くのかよ!」
鈴音の言葉に祥吾は顔色を変えた。しかし鈴音は気に留めず、愛猫2匹に話しかける。
「今週中くらいならまだ出店もあるだろうけど--しらたまさんとあんこさんは?」
「焼き鳥食べたいですにゃあ」
「……私は、人形カステラが良いです」
尻尾をゆらゆら振りながら答える2匹を、物言いたげに祥吾が見る。しかしすぐに、観念したように天を仰いだ。
「あー、ッたくしょうがねぇ……。どうせ今日顔合わせたし、行きゃいいんだろ、行きゃあ」
「今ならたぶんヘイトが分散中」とアドバイスする鈴音をじと目で見、嫌そうに頭を掻く。
「よーし、じゃ明日の昼飯は屋台メシだな」
「やった、焼き鳥づくしですにゃ!」
「イエス、マスター」
「いや、早ぇよッ!」
賑やかに騒ぎながら、2人と2匹は我が家に戻るのだった。