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 小さく2回くしゃみをして、桃石ももいし穂之花ほのかは足を止めた。下を向いた拍子に流れ落ちた艶やかな黒髪を背中に戻し、溜息を吐く。


「もう、風邪かしら……」


 瞬きのたびに音がしそうな長い睫と、それに縁取られた黒目勝ちの目。形の良い鼻と瑞々しく柔らかな唇。かつて「学園のマドンナ」と讃えられた美貌は年月を経て衰えるどころか、より磨きが掛かっている。

 穂之花はマフラーを直し、再び歩きだした。目的の場所はすぐそこだ。


「……高層オフィスビルの建設現場、何かの建物跡が見つかったのは昨日の朝、お昼には重機の故障と事故により工事は無期延期が決定--」


 昨日流れたニュースの内容を呟きながら歩を進める。やがて工事現場を囲う白い壁が見えてきた。


「ああ、これは……」


 予想が当たってしまった。穂之花は形の良い眉を顰めた。近付くにつれて空気が冷たく、重くなってくのを感じる。時計を確認するとまだ午後3時を少し過ぎた頃だった。冬とはいえ黄昏時にはまだ早い。


「……あら」


 封鎖された工事現場の入り口に佇む人影を見つけ、穂之花は足を止めた。


「--柳瀬君」


 声を掛けられ人影が振り向いた。短く揃えられた、穂之花と同じ艶やかな黒髪と、静かな輝きを讃える黒い瞳。整った顔立ち故に冷ややかな印象を与える青年--柳瀬やなせ紅璃あかりは、相手が穂之花であることに気が付いたのか、表情を僅かに和らげた。


「こんにちは……久しぶり」


「こんにちは。……あの、柳瀬君も?」


 穂之花の言葉に紅璃は頷き、目前の壁を見上げた。無期延期になったという工事現場の入り口は、固く閉ざされている。


「空気が違う。日が落ちたらここは恐らく……人の世界ではなくなる」


「ええ……胸騒ぎがする。ここは早急になんとかしなきゃ」


 今晩か、明日にでも対処が必要だろう。長きに渡って封印していた「八百の災い招きし紅の鬼」を祓った今も、この地を守護することは百石神社の神主、穂之花に定められた使命だ。しかしそれには、協力がいる。


「瀧上さんには、後で話しに行くつもりだ。後は、鈴音にも」


 かつてのクラスメイトの名が、穂之花の胸に甘酸っぱい痛みを呼び起こす。

 巫女として紅の鬼を封じる事だけを考えて生きてきた穂之花に、彼は自由を教えてくれた。妖の血を引くものと巫女、という立場の違い故に、最初の一歩を踏み出すことなく終わらせた片思いだったが、大切な青春の思い出の一つだ。

 懐かしさに微笑んだ穂之花に、紅璃もまた僅かに笑みを浮かべた。


「また、昔みたいに力を合わせることになるかもしれないね。--さて、そろそろ僕は行くよ。瀧上さんに会ってくる」


「そう。私の力が必要になったら--いえ、私にも、戦わせて」


 静かな、しかし強い意志が込められた穂之花の言葉に、紅璃は頷き背を向けた。動きに合わせて漆黒のロングコートが翻る。

 紅璃の背中を見送ってから、穂之花は工事現場の入り口を見上げ、踵を返して歩きだした。




「--という訳です。恐らく見つかったという建物跡が、掘り起こしてはいけない物だったのではないかと考えています」


 自分の目で確認したことを一通り報告し、紅璃は茶を口にした。その向かいで万屋の店主、才蔵は難しい顔をしている。


「影響が有りそうなのは、その一帯だけなのか?」


「はい。幸い、工事現場の外壁から周囲10m程度に留まってるようでした。……その地に、心当たりはありませんか?」


 問われて才蔵は目を閉じた。記憶を探っているのだろう。

 彼は長きにわたってこの地で生きてきた人ならざるモノ--吸血鬼だ。彼自身が言うには、戦前に故郷のルーマニアから追われ、流れ着いたこの地で安息を得たという。それゆえ彼は、この"第二の故郷"を守ることに力を尽くす。「八百の災い招く紅の鬼」を斃してその魂の一部を喰えたのには、彼が共に戦ってくれたことも大きいと紅璃は思っている。


「……診療所があった所、かもしれん。工事前には小さな社が無かったか?」


「確かに、長らく空き地でしたが、雑草に埋もれた社があったような気がします。--診療所、ですか」


「ああ」


 頷き、才蔵は立ち上がった。棚の中から古地図を出して紅璃の前に広げる。右下に刻印された文字を見るに、明治時代のもののようだ。


「百石神社を基準に見よう--ここだ。合っているか?」


 尺度を確認し、神社からの距離で判断する。確かに、現在工事現場になっているであろう場所には「金井診療所」と書かれている。


「そのようですね。しかし、何故ここが?」


「確か100年程前に火事で全焼したんだ。入院患者も看護士も逃げられず、多数の死者が出てな……。焼け跡を取り壊す時にも事故が多発して、鎮魂の社を建立したと記憶している」


「なるほど……社が破壊されたか、建物跡を発掘したことで、無念の死を遂げた怨念が放たれた、といったところですか」


 頷きながら、紅璃は大福を一齧りした。漉し餡の上品な甘さが口に広がる。


「うむ。--しかし、狭い範囲とはいえ周囲に影響を与えているとすると……」


 才蔵は唸りながら、顎をさすった。眉根が寄っている。


「速やかに全て処理するつもりですが--なにか気がかりが?」


「いや、な。別件ではあるのだが……強い念が籠もった面に取り憑かれた人の救出を、鈴音に頼んでいてな。君が来るほんの少し前まで話していたんだが」


 紅璃共々、鈴音がここに訪れて仕事を頼まれることは珍しくない。彼と紅璃は同じ退魔師協会に所属する者同士で、才蔵は外部協力者という関係だ。


「面を造ったのも、取り憑かれたのも普通の人間なんだが、昨晩恐るべき身体能力で鈴音を撒いたと言う」


「それは……」


 鈴音は半妖、しかも武術を嗜んでる。その身体能力は高く、それを凌駕するというのは尋常なことではない。


「この異変に影響されている可能性がある、ということですか」


「ああ。あくまで可能性だが、それも併せて知らせておこう」


 そう言い、才蔵はタブレット端末を引き出しから引っ張り出す。


「--あ。桃石さんも協力したいと言っていました」


 紅璃の言葉を聞いて、ぴたり、とメールを打つ才蔵の手が止まった。僅かに考え込み、一つ頷く。


「--伏せておこう。久遠寺がゴネかねん」


「戻ってきているんですか?」


「そうらしい、今日にな。例によって鈴音がやしな--面倒をみるようだ」


 養う、でも間違ってはいないだろうが、祥吾のために言い直したのだろうか。


「……嬉しそうだな」


 メールを送信した才蔵が、紅璃の顔を見て表情を和らげた。その言葉に紅璃は素直に頷く。


「そうですね……仲間、ですから」


 また昔のように一緒に戦うかもしれない、と自身が言った言葉を思い出す。

 桃石一族の婚外子として生を受けた紅璃に、母親は一族に認められぬ恨みと妬みから、鬼の呼び名から紅の字を取った。「お前が女だったら巫女になれたのに」と言われ続け、ずっと孤独だった紅璃に生まれて初めて出来た友、それが鈴音達だ。彼らと共に紅の鬼を、その呪縛を祓った戦いは、紅璃にとって掛け替えの無い思い出なのだった。 

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