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怨嗟の声を上げながら、小鬼が崩れて消える。
久遠寺祥吾は愛刀を鞘に納めると、側に置いていた釣り竿用バッグに仕舞った。刀は歯を引いた真剣だ。警察に見つかると確実に銃刀法違反で逮捕されるので、普段は釣り竿用バッグの奥に隠している。
「久々に帰ってみりゃあ、昼間っから人外に遭うとはな……まあ、雑魚だったけどよ」
顔立ちは二枚目ながらその口調は荒っぽい。祥吾は金髪頭を掻いて呟いた。
人に害を為さないような、形無き思念の固まりならば昼間に見かけてもそう珍しくない。だが祥吾がたった今切り捨てたのは、それが小鬼の形を取れるまでに成長したものだ。そうなると人を襲うこともある。だが、人ならざるモノが力を強める黄昏の前に遭遇するのは珍しい。
「ッてか、アイツ等仕事してねぇ--ワケゃねぇよな」
首を傾げて親しい退魔師2人を思い浮かべる。彼らが人に仇なすようなモノを見逃すとは思えない。
「……まあ、聞いてみりゃいいか!」
原因を考えるのも面倒だと、祥吾は足下に置いていたボストンバックを担ぎ上げた。2年ぶりに会う親友を思うと、自然に顔が綻ぶ。
祥吾は小鬼が残っていないことを確認すると、足取りも軽く歩き始めた。
東京都S区御滝地区にあるペット飼育可の20階建てマンション。祥吾の目的地はその最上階だ。
インターフォンで連絡を取ると、可憐な少女の声が答えた。オートロックの入り口を開けてもらい、エレベーターで昇る。
呼び鈴を押すと、小柄な少女がドアを開けた。
「ようこそ祥吾様! お久しぶりですにゃ!」
「ようこそいらっしゃいました祥吾様。どうぞ中へ」
元気よく挨拶をしたのは、黒髪に青目の、色白の少女だ。その後方から、浅黒い肌をした金髪金目の少女が出てきて祥吾を招き入れる。二人が着ているゴシックなメイド服は、恐らく主人の趣味を汲んだ結果だろう。
一見普通の人間に見えるが、どちらの少女にも猫のような耳と二股に分かれた尻尾が付いている。
「よう、元気そうじゃねぇか! すずはどうした?」
「マスターは只今出掛けております。先ほどメールで連絡が来ましたので、直に戻られるかと」
2人の少女の姿を気に留めず、祥吾は招かれるまま家に上がった。ソファに座ると、2人の少女が茶を用意する。
程無く、荷物を抱えた家主が帰ってきた。
「悪い、待たせた! しらたまさんにあんこさん、ただいま」
「おかえりにゃさい、ご主人!」
「お帰りなさいませ、マスター」
家主--鈴音は風呂敷包みをそっと部屋の隅に置き、買い物袋は2人の少女、猫又のしらたまとあんこに手渡した。金髪のあんこから缶ビールを受け取り、祥吾の向かいに座る。
「久しぶりだな。2年くらいか?」
「おう。元気そうでよかったぜ」
乾杯をし、一息付く。久しぶりに見る親友は、半妖故か高校時代から殆ど見た目が変わっていない。
鈴音はじっと見詰める祥吾の視線を涼しい顔で受け止め、何かを思い出したかのように声を上げた。
「そうそう、さっき才蔵のトコ行ってたんだが、ウチに来いってさ」
「あー……話したいことがある、ッてんだろ?」
思い当たる節はある。鈴音同様、見た目が全く変わらない知己を思い浮かべ、祥吾は苦い顔をした。
「前に行ったときは、長々と積み立て型の生命保険を薦められたんだよな……「将来の備えは大事だ」ッて言いやがって--なんで不老不死の吸血鬼が生命保険に詳しいんだよ」
「お前は逆に考えなさすぎだと思う」
長命の半妖にまで言われ、祥吾は苦い顔をした。剣の修行で全国を旅する人間には、およそ無意味な話だと思っている。
「ッつうか、んなこたぁどうでも良いんだよ。それより、なんか人外が増えてねぇか?」
「え? むしろ仕事熱心なあかりん効果で減ってると思ってたぞ」
テレビの電源を付けながら、鈴音が首を傾げる。あかりん--柳瀬紅璃は祥吾と鈴音の友人の退魔師で、女性のような名前ながら長身の男性だ。
「なんか居たか?」
「おう、昼間なのに小鬼がな--お」
テレビでは、事故で工事が中止したというニュースが流れている。それを見て、祥吾はテレビを指さした。
「そこ、いまニュースでやってた工事現場のすぐ近くだぜ」
「ふーん……今晩ついでに行ってみるか」
缶を煽りながら呟く鈴音の言葉に、祥吾は首を傾げた。
「なんだよ、今夜は仕事か?」
「ああ、ちょっと人捜しをな。--あ、そうだ手伝え」
鈴音の口調は有無を言わさない。取り立てて断る理由もないので、祥吾は頷いた。
「今日からまた世話になるからな。いいぜ、相棒」
相棒、と呼ばれて鈴音はにやりと笑った。数年に一回地元に帰ってくる祥吾は、そのたびにこの家に泊めてもらっている。滞在中は今日のように仕事を手伝わされることも多いが、バイト代を貰えるうえに3食出して貰っているので満足している。可愛らしい猫又2匹と親友に世話をしてもらい、贅沢だと感じるほどだ。
「今日は何時に出ますにゃ、ご主人?」
いそいそと鍋の準備をしながら、しらたまが訊ねる。夕食はもつ鍋のようだ。
「んー……飯食って一服して--22時くらいかな」
主の言葉を、猫又は相方に伝えに行く。退魔師の仕事は、人ならざるモノが活発になる黄昏--日暮れからが本番だ。
「真っ昼間に暴れると警察にしょっぴかれるし」
「あー、補導されそうになったことあったな」
高校時代を思い出し笑う。祥吾と鈴音は元クラスメイトで、「八百の災い招く紅の鬼」と言い伝えられた人外を共に斃した戦友だ。
「高校といえば……穂之花のヤツは元気--だよな、当然」
「この前初詣の時に会ったが、相変わらず絶好調だったぞ」
「そうか……」
もう一人のクラスメイトにして戦友の桃石穂之花を思い出し、祥吾は遠い目をした。地元に戻ってきたからには顔を出さねばならないだろうが、非常に気が進まない。
「--まあ、覚悟が決まったら顔出すとすっか……。よし、それまで忘れるぜ!」
そう言い祥吾はビールを飲み干した。丁度支度を終えたしらたまが空き缶を下げ、あんこが日本酒を持って座に着く。しらたまが戻ってくるのを待って歓迎の夕食が始まった。