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「アナタをぉさっがしてぇ戸塚宿ぅうう〜」


 不安定な音程で歌を口ずさみながら、男が夜道を歩いている。相当に酔っているのだろう、身を切るような寒さを気に留めることなく、コートの前を開けている。その足取りはおぼつかない。


「ん流れぇぇ流れてぇえ保土ヶ谷宿ぅぅぅ--んあ?」


 視界の端に何かを捉え、男は足を止める。右を向くと都会には珍しい小さな畑があった。長ネギらしき葉が並んで街灯に照らされている。そしてその中で、何か大きな固まりが蠢いている。野犬か、たぬきかと思い、酔っぱらいは目を凝らす。

 固まりが、動きを止めて振り返った。


「ひッ……」


 それは獣ではなく、小太りな男のようだった。土に汚れたシャツ、両手に握られた齧りかけの長ネギ。それだけでも異常だが、酔っぱらいの男を恐怖に凍り付かせたのはその顔だ。凄まじき憤怒の表情を浮かべた般若の面で覆われており、ぎらぎらと異常な輝きを湛えた目が覗いている。

 ゆっくりと、般若面の男が立ち上がった。喰われる、逃げなければ--そう思うのに、恐怖が酔っぱらいの足をアスファルトに縫いつけて離さない。


「た、助け……」


 掠れてしゃがれた声が、酔っぱらいの喉から漏れる。じわじわと弄るように般若面の男が近づいてくる。その右手が振り上げられ、酔っぱらいの男は頭を抱えて固く目を閉じた。


「…………大丈夫ですか?」


 衝撃に備えて身を固くしていた酔っぱらいに掛けられたのは、澄んだ涼しげな声だった。その優しい響きに、恐る恐る目を開けて顔を上げる。

 般若面の男は消えていた。凍てつくように輝く白銀の月を背に、青年が酔っぱらいに向かって手を差し出していた。夜風が艶やかな漆黒の髪を揺らしている。長い睫に縁取られた目は金色と表現しても遜色ないほど淡い茶色で、見詰め続けると魂を吸い取られそうな、不思議な輝きを湛えている。陶磁器のように肌は白いが、その手は温かい。


「あの、どこかお怪我を?」


 何も言わず手を握ったままだった酔っぱらいに、青年が訪ねる。その整った顔立ちに惚けていたとも言えず、酔っぱらいは首を横に振った。


「そうですか、よかった」


 にこりと微笑むだけで、酔っぱらいの体が熱を持ち、鼓動が跳ね上がる。それに気付くことなく青年は手を離した。軽く会釈し、走り出す。

 見る見る内に遠くなる青年の背中を、酔っぱらいは呆然と見つめていた。




「--で、結局逃げられたんだよ」


 溜息を吐きながら、白秋しらとき鈴音すずねは羊羹を黒文字で小さく切った。一口食べて目尻を下げる。漆黒の髪と金の瞳、陶器の如き白い肌によく整った顔立ちと人間離れした容姿だが、その仕草は実に俗っぽい。


「ああ、塩羊羹ウマー」


「それはよかった。……しかし、まさか君が撒かれるとはな」


 茶を啜りながら首を傾げるのは、長い銀の髪にダークレッドの瞳を持つ彫りの深い美丈夫、瀧上たきがみドラクア才蔵さいぞうだ。古本から真剣まで手広く扱う万屋「瀧上よろず店」の店主でもある彼は、白人然とした外見ながら和服を完璧に着こなしている。彼ほど日本文化に造詣が深い人間はそうそういないと鈴音は思っている。2人が今いる店と、それに繋がる住居も当然日本家屋だ。

 鈴音は棚に置かれた茶器につけられた値段のゼロを目で数えながら、才蔵に答える。


「しかも”しらたまさん”と”あんこさん”に手伝ってもらったんだぞ。猫又2匹と半妖1人揃って撒くとか、只者じゃないだろ」


「ふむ。面を着ける前は至って普通の人間だったと思ったが」


 そう言う才蔵を、鈴音は疑いの目で見る。鈴音の生業は、人に仇なす霊や妖といった人ならざるモノを祓う退魔師だ。しかも彼には、生気を糧とする妖の血が半分とはいえ流れている。普通の人間に遅れを取ることは、まずない。


「面が身体能力を上げてるのか? ってかなんだアレ」


 般若の面を被った小太りの男を捕縛して欲しい。それが才蔵からの頼まれ事だった。

 昨晩酔っぱらいを襲う寸前の標的を発見した鈴音は、脱兎の如く逃走した般若面の男を僕の猫又達に追わせ、自身も少し遅れて追跡に加わった。だが般若面の男は驚くべき素早さで鈴音達を引き離し、忽然と姿を消したのだった。


「あれは、とある職人が彫り上げたものでな……強い念が籠もっている」


「念……?」


 才蔵は頷き、遠い目をした。


「その彫り師には、結婚を考えていた相手がいた。だが、彼女はクリスマス前に、彫り師に酷い言葉を投げかけて姿を消したという……「体重を半分に落として、標準体重になって出直してこい」と」


「それ、告って振られただけじゃね……?」


「彫り師はその言葉に深く傷つき、絶望した。そして、絶望は怒りへと変わり、彼はその怒りに駆り立てられるまま面を彫った」


「完全に逆ギレだろ」


 再三の鈴音の指摘を無視し、才蔵は続ける。


「--彼は三日三晩、不眠不休で面を彫り上げた。世の中全ての恋人、特に痩せている男への恨みを込めて。そうして彫り上がったのが例の面だ。食への強い執念と、恋人を持つ男への強力な恨みが籠もった面は、着けた者の意志を塗りつぶすほどの力を持ったらしい」


「あー……「リア充爆ぜろ」的な。でも、んな面がなんでこんなコトに?」


 鈴音の湯呑みに茶を入れてやり、才蔵は再び視線を余所にやった。


「彫り師が自ら処分して欲しいと、取引したことがあるウチに持ち込んできたんだ。とんでもないものを作ってしまった、と。……どうも面を彫り終わってから少し痩せて、別の女性と上手くいったらしく、改心したようだ」


「……」


 顔も知らぬ彫り師を殴ってやりたい思いに駆られながら、鈴音は茶を啜った。目だけで話の続きを促す。


「とはいえ、非常に出来の良い面だ。価値があるものをそのまま処分するのは惜しい。--と言うわけで、元々は君に面に籠もった力を吸い取ってもらうつもりだった」


「掃除機か、俺は」


 鈴音の抗議の声に、才蔵は眉一つ動かさない。


「しかし昨日、常連の一人が止めるまもなく面を着けてしまってな。面に取り憑かれて今に至る、と言うわけだ」


「なるほどなー……それで「捕まえろ」なのか」


「うむ。--当然、タダとは言わん。もともと渡すつもりだった報酬を渡そう」


 友人価格と称してタダ働きさせられることもあるのだが、気前の良いことだ。鈴音が内心で首を傾げていると、才蔵は店の奥から箱を引っ張りだしてきた。鈴音の目の前で、その中身を出す。


「こ、これは--」


 鈴音は息を飲んだ。

 風に靡く翡翠色の髪と衣装、生命力すら感じる躍動感あふれる肢体。顔、指先、手にしている武器と全てが精巧に作られているフィギュアだ。


「遅れてハマったからグッズが無いと君が嘆いていた作品のヒロインだろう。もしよければ、持ち帰ると良い」


 先日、確かに鈴音は茶飲み話で「プレミアがついてフィギュアが高い」と話した。ネットオークションで付けられた値段は7万円と、出せるものの躊躇う価格だったのだ。


「ま、マジで? いいの?」


「ああ。君にはいつも世話になっているからな…………これで尻拭いを頼めるなら安い」


「最後の一句まで聞こえてるぞ。--まあ、報酬サイコーだし、放っておくワケにも行かないしな。昼間は隠れてるみたいだから、また今夜にでも捜すわ」


 そう言って鈴音は何気なく店内を見回した。歴史を感じる振り子時計に目を留め、声を上げる。


「やべ、もうこんな時間か」


「む? 何か用事でもあるのか」


 いそいそとフィギュアを箱に仕舞うと、才蔵が風呂敷で包んでくれた。それを受け取り、鈴音は立ち上がり、高校時代からの親友の名を口にする。


「久々に祥吾が来るんでな」


「なるほどな。--そうだ、話したいことがあるので、今度ウチに寄るように行っておいてくれ」


「ああ、備えの件? 伝えとく。あ、お茶ご馳走様」


 ひらひらと手を振り、鈴音は店を出ていく。彼が乗るバイクのエンジン音が離れていくのを聞きながら、才蔵は温くなった茶を飲み干した。茶器を片づけるために腰を上げる。


 戸が開く音に振り返ると、旧友が敷居を跨ぐところだった。

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