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戦場のハッピーバレンタイン

そぉーれ、ハッピーバレンタイーン

 腹の底に響く砲声が止むと、破裂音の連符がその隙間を埋める。

 地下資源豊富ではあるが、独裁政権下にある発展途上国を親米国家にすべく、NSAのクソッタレが仕掛けた革命騒ぎのお陰で、こちとらえらい迷惑だ――と、苦虫を1グロスほど噛み潰しながら、市川いちかわようは、雨に濡れた前髪をかきあげた。

 被っていたモスグリーンのポンチョは、レインコートを兼ねたスリングにしているので、前髪どころか下着までずぶ濡れになっている。 両手が使えるようにと、すっぽり包んでくくりつけた“荷物”の震えは、物理的な寒さのせいではなく、取り巻く世界の冷たさのせいなのだろう。

 聡明かつ極めて人道的な独裁者は、私利私欲のためではなく、豊富な資源を安価に吸い上げるための政情不安を求める大国のせいで、貧苦に喘ぐ国民のために前政権を転覆させた。

 独裁体制は、腐敗し大国の傀儡となった各機関が機能不全に陥っていたから。

 厳戒体制は、政情不安を煽るため大国の非合法な援助を受けたカルテルを根こそぎ駆逐し、犯罪の温床を一掃するため。

 富を政府に収束させたのは、インフラと社会的ライフラインを整備し、全ての国民に文化的で安全な生活を提供する基盤を構築しなければならないから。

 それが、あの国の一握りの“高貴なクソ”の気に障った。

 停滞した経済、改善しない失業率、下手に首を突っ込んで以来、慢性的な疾患と化した某地域での対テロリスト作戦と、抱え込んだ山積する問題に自縄自縛に陥っている目と鼻の先で、強力な指導力を発揮し、的確で実際的な政策で次々と国内の問題を解消していく独裁者は、あの国の国民にとって、理想的で魅力的な指導者に見えたことだろう。

 一部の富裕層にしか恩恵に預かれない政策と、進まない犯罪発生率の抑制も、低迷する支持率を後押しする。

“大統領に独裁者を!”

 そんな声すら聞こえるようになり、“高貴なクソ”どもはこう考えた――偉大なるアングロサクソンの我々が、有色人種かラード山猿インディオに劣ると思われるなど、あってはならないことであり、奴らはおとなしく搾取されていればいいのだ、と。

 何様のつもりでいやがるのかねあの腐れ白豚どもは、と吐き捨てて、ようは抱えた包みをそっと撫でる。

 聡明な――聡明過ぎた独裁者は、この未来すら予測していた。

 予測して、W・O社に依頼を出した。

自らの身の安全ではなく、独裁者とその同士たちが、自らの持てる知恵と知識のありったけを分け与えた、この国の未来となる子供たちの保護のために。

 自分たちの国に何が起きたのか、なぜそうならなければならなかったのかを理解し、彼らの終わりから学ばせ、二度と同じ轍を踏むことのないように。

 今、この腕の中にあるのは、あの聡明な独裁者たちの希望なのだ。

 ふ、ふ、と息を整え、脱出ポイントへと再び走り出す。

 大統領府の方角からは、いいように踊らされた奴らの歓声が響いている。

 大丈夫だ、あんたらが託した希望がある限り、あんたらが望んだ国の姿は、その理想は死なないし、死なせない。

 泥水を撥ね飛ばしながら、ようは奥歯を噛み締める。

 脱出ポイントまでは、あと少し。





 父と慕い、母と慕ったひとたちの元を離れる、その事情を理解できてしまえる程度にはさとくあったが、その心はまだまろく幼い。

 大国のエゴに踊らされる国民の姿に失望し、何度もなぜと問いを繰り返す。

 払い下げだと言う水上機の窓から、ぼんやりと、用意された革命の熱気に酔う祖国を見下ろす。

 あの熱気は、いつまで続くだろう。五年――いや、三年と続きやしないだろう。

 熱気が覚め、自分たちがあの国の家畜に成り下がったと気付いたら、彼らはどうするのだろう。

 きっと、自分たちがぶち壊しにしたことを棚にあげ、不平不満を垂れ流し、昔はよかったなどと言いながら、それでも結局何もせず、誰かがなんとかしてくれるのを待っているだけ。

 そんな連中のために、どうして――どうしてあのひとたちが。

 揃えた膝の上に置いた手を握りしめ、唇を噛む。

 どれだけ、そうしていただろう。

 気が付くと、子供とは言え数十キロある荷物じぶんを抱え、ほぼ不眠不休で十時間を走り通したひとが、隣に腰を降ろしていた。

 濡れた野戦服からラフなカーゴパンツとカットソーに着替えた姿は、驚くほど普通だった。

 凛とした、猛禽めいて鋭利な容姿や、黄色人種の中でも淡い色をした肌から察せられる人種の平均を逸脱した長身、鍛えられた体躯は普通とは言い難いが、まとう空気は、確かに日常の延長にある“普通”の匂いがする。

 髪にはまだ湿気が残っているが、気にした様子もなく、ステンレスのカップを、握りしめた手に持たせる。

 甘く優しい、なくした日常の香りに、ひく、と喉の奥がひくつく。


「……許さなくても、理解してやらなくてもいい」


 穏やかに、訥々とした声で語られるのは、寛容からは程遠い言葉だった。

 躊躇いがちに伸ばされた手が、頭に触れた。

 厚くはないが、力強く、温かい手だと思う。


「だけど、生きてることを、悔いたら駄目だ」


 あの優しく聡明な独裁者は、君らと一緒に死ぬことより、君らが生きることを、心から望んでいた。

 猛禽の名前を持つに相応しい目が、静かにこちらを見つめている。


「……冷めたら、美味しくないぞ?」


 そう言ってカップに口を付ける仕草につられるように、持たされたカップを持ち上げ、口を付ける。

 ほんの少しの苦味を隠した、柔らかな甘さ。

 日曜の朝、皆で囲んだ朝食のテーブルにあったものとは違う、ホットチョコレート。

 あの日々は二度と戻らない。

 そうしてやっと――悲しんでいいのだと、悲しむことを許していいのだと、大事なひとをなくしたただの子供になっていいのだと、言われた気がした。


「……しょっぱい」

「そっか」






 後にバレンタイン革命と呼ばれる革命の結果は、惨澹たるものとなった。

 治安と衛生環境の悪化はカルテルをのさばらせ、革命政府がしたことと言えば、地位の安堵と富の収集と引き換えに自国の資源を大国に貢ぐことだけ。

 現政権の能力を疑問視する声は治安維持の名目で弾圧され、放送、出版、思想の自由も次々に失われ、五年もしないうちに最貧国に転げ落ちた。

その状況が変わったのは、革命から十年後のことである。

 世界的に知られたジャーナリストにより、バレンタイン革命がNSAによる国家転覆と経済的植民地化であることがすっぱ抜かれたのだ。

 これにより、窮地に立たされた政府は当時の政府に責任を被せるべく奔走し、どうにか最小限のダメージで切り抜けることに成功したが、革命が起きた当事国は、そうはいかなかった。

 大規模な暴動からは内戦状態に突入し、国連の介入によって暫定政府の成立まで三年を要した。

 国連監視のもと行われた選挙で、ようやく政府が“暫定”でなくなったのが、革命から二十年後のバレンタインであったのは、皮肉としか言いようがない、とは、国連査察団のある一員の言葉であった。

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