閑話3 うちのお嬢様がこんなに○○○な訳がなかったらどんなによかっただろういやマジで。
ありえたかもしれない、「もしも」の話。
もしかしたら、どこかの世界線ではあったかもしれない、そんなお話。
サヴィニャック子爵家令嬢、アナ=マリア・マルゲリット・ガブリエル・サヴィニャック付きメイド、ヴェルヘルミナの朝は早い。
夜の明けきらないうちに床を抜け出し、騎士団もびっくりな訓練を終えると、汗を流し、女としてはぬきんでた長身に濃紺のロングワンピースをまとい、バタフライエプロンをつけ、雑な手入れの割りに艶のある長い黒髪にホワイトブリムを乗せる。
……だけでは終わらず、ガーターストッキングに覆われた太腿に、スローイングダガーを収めたベルトを巻いて、一分の隙もないメイドスタイルを完成させると、足音ひとつ立てずに廊下を進み、アナ=マリアの寝室に向かう。
フリフリロージィー&フローラルでスイートな寝室の天蓋つきベッドで、シルクとフリルとレースに包まれ、あたかも御伽噺の姫君のように眠っているお嬢様を……。
「んががががー……ずぴょー……ぐふ、でへへ……」
御伽噺のお姫様のように……。
「うへへ……ギリギリギリギリギリ……」
お姫様の……お姫様、の……。
「……相変わらずお嬢様として致命的だな、これは」
大の字になって丸出しの腹をボリボリ掻きつつ寝ヨダレ垂らしてる姿は、ベースがモテカワキューティなフリッフリのナイトウェアをまとった美少女だけに、一億と二千年の恋も一瞬で凍結粉砕されるシロモノだ。
むーざんむーざんどころの話ではない。
「新婚初夜で離縁されても知らんぞお嬢様っ! とっとと起きんかっ!」
でへでへ笑う筆舌に尽くし難い寝顔に、眉間が地割れを起こす。
「んがー……あと五時間……」
返ってきた寝言に盛大にため息をついて、ヴェルヘルミナは器用に脹脛を掻いてる左の足首に手を伸ばし、小脇に抱え込むと、手首の骨を垂直にアキレス腱に当て――。
「くぁwせdrftgyふじこlp;@:!」
受信した宇宙語を撒き散らしながらばしばしベッドのマットレスをタップするお嬢様に、ヴェルヘルミナはふんと荒い鼻息を飛ばす。
「あ、朝っぱらからアキレス腱固め……ヴェルヘルミナ……恐ろしい子……!」
「白目ひん剥いて美内ってる余裕があるなら速やかにベッドを出ていただこうかお嬢様」
「お嬢様への仕打ちとしてこれはあんまりだァ~! と爆泣きしてもよくね私?」
「そのお嬢様らしからぬ言動をことごとくフォローせねばならんのに、これ以上手を焼かせるなら鳥の手羽折り顔面固めを追加してさしあげてもよいのだぞお嬢様?」
「イエスマム! アナ=マリア・マルゲリット・ガブリエル・サヴィニャック可及的速やかに起床するであります!」
「よろしい。……しかし、本当に大丈夫なのか? 学園生活。全寮制なのだぞあの学園は。私とて四六時中張り付いてはおられん。いくら外面がよいとは言え、うっかり中身が流出したら大惨事だぞ」
「でしょ? でしょ!? ミナちゃんもそう思うよねっ! 行きたくないっ! 学園行きたくないでござるっ! 学園に行ったら負けかなって思ってるっ!」
「ちゃん言うなや」
「じゃあミナたん?」
「やめんか気色悪い! だが、行くしかなかろう。奥方様も旦那様も、大層期待していらっしゃるからな。お嬢様の大物一本釣り」
「そんなん松方○樹にでも任せときなさいよっ! カジキマグロでもシイラでも大物釣ってくれんでしょっ! 私はっ! 玉の輿よりPCとネットとウ=ス異本が欲しいのよーっ!」
「……うわぁ」
「大体潤いがないのよ潤いがーっ! サロンの貴族令嬢とか化粧と宝石とドレスの話以外脳味噌に詰まってないしっ! 二次創作だってロクなもんがないから萌えらんないし、RPSだってどこの誰に萌えりゃいいのよっ!」
「さて、可及的速やかに身支度を整えるとしようかお嬢様」
私の耳は貝の耳、海の響きを懐かしむ。
とはどこぞの詩人の詩の一説であるが、聞いてないことにして全力スルーである。
「大体学園行っても、全員私の好みから外れてるのよっ! 私の好みはねっ、もっとこう、違うのよ色々とっ! 乙女ゲーのテンプレキャラなんて屁のツッパリにもなんないのよーっ!」
「……乙女ゲームのヒロインが言っていい台詞ではなかろうが……」
「未来から来た殺人サイボーグメイドがまたまたご冗談を」
「生憎マスケット銃とフレシェット弾は所持しておらんがな。それより、身支度を整えるぞ」
「……つーかさ、これって色々手遅れな状況じゃなくね? ヒロインはこのザマ、悪役メイドなんか別キャラってレベルじゃねーぞだし。どう考えてもスタート前にゲーム終わってね? これ。安西先生も試合終了宣言レベルで」
「ならば、蝶の羽ばたきにでも期待するか? 案外、ヒロインや悪役メイドの代役ができているやもしれん」
「だったら助かるわー。王太子妃ルートとか無理だから。マジで。ガチで。大体未来の王妃とかムリムリムリムリ無い無い無い無い。そんな重責背負えないから」
「ほほう?」
「……昔読んだラノベにさー、あったのよ。王が奢侈を許されるのは重い責任を負ってるからだ、って。民に対して責任を負っているから奢侈が許される。自慢じゃないけど豆腐メンタルの私にそんな責任負えません」
「ドヤ顔をして言うことか。……だが、それは確かに正しい認識であるな。覚悟もなくなれるものでも、なっていいものでもないものだ」
「もっと褒めてもいいのよ?」
「……だから、その一言をだな」
「あーっ! ねえねえミナちゃん! バタフライエフェクト狙うならさ、もっとこう、ガッチョリやっちゃわない!?」
「は?」
「そうよ、そうだわ、そうなのよ三段活用っ! あーもう何で思いつかなかったのっ! そーよここにあるじゃない、萌えの素材が……ふ、ふふふふふ、ふ腐腐腐腐腐腐……あーっはっはっはっはっは、そうよなければ作ればいいのよ……何で気付かなかったの……!」
その時お嬢様に電流走る……!
「……お、お嬢様?」
「うん、ミナちゃん……いいえ、ヴェル。私、やっと見付けたわ。私の青い鳥を、今、ここで……!」
「戻ってこいお嬢様っ、そっちは逝っては……ええい、逝くのは勝手だが私を巻き込むなッ!」
「ねえ、ヴェル? あなたって……とっても……そう、とっても……」
その日。
一人の令嬢を苗床に、一柱のお腐れ神が、ケレンディアの地に腐海を誕生せんと降臨した。
さて。
サヴィニャック子爵家令嬢、アナ=マリア・マルゲリット・ガブリエル・サヴィニャック付きメイド、ヴェルヘルミナの朝は早い。
夜の明けきらないうちに床を抜け出し、騎士団もびっくりな訓練を終えると、汗を流し、白いドレスシャツの肩にナイフのショルダーホルスターを下げ、手首足首にプッシュダガーを仕込むと、女としてはぬきんでた長身に鉄板を打ち出したような硬質なラインの燕尾服をまとい、雑な手入れの割りに艶のある長い黒髪をベルベットの黒いリボンでまとめ、白手袋をはめる。
一分の隙もない執事スタイル(ややビジュアル系)を完成させると、足音ひとつ立てずに廊下を進み、アナ=マリアの寝室に向かう。
フリフリロージィー&フローラルでスイートな寝室の天蓋つきベッドで、シルクとフリルとレースに包まれ、あたかも御伽噺の姫君のように眠っているお嬢様を……。
「きた、きたきたきたっ! ネタがキターっ! 暗殺者執事×俺様主人! イケる! これはイケるっ! これであと十年は戦える!」
御伽噺のお姫様のように……。
「ふっふっふ、圧倒的ではないか我が萌えは……ああっ、でもこれリバでもいいかもっ! いいえ、このカプ前提で執事の好敵手……いいえ、元師匠×暗殺者執事とかよくね? やだ私天才っ!」
――お嬢様は――。
二度と堅気へは戻れなかった……。
お腐れ神となり、永遠にびーえる空間をさまようのだ。
そしてヴェルヘルミナは、マジこの仕事辞めてぇと思っても辞められないので、考えるのをやめた。
うちのお嬢様がこんなに○○○な訳がなかったらどんなによかっただろういやマジで。
頭に腐が憑くといったら後はわかるな?
お嬢様に憑いたのが○○○だったもしもの世界。
学園編開始と共に被害者と感染者が増えて……いったら絶望以外のナニモノでもない。
被害者が鷹さんというすさまじいレアケース。
なお、この世界の鷹さんはひんぬーの鬼○院皐月様である。