まるで夢のようだった
作物の実りが悪い年が続いた。
天候、というものを前にしては人間はどうすることも出来ず、ただ、神に祈るしかなかった。
――人身御供という方法で――
「良いか、美緒。お前はな、皆のために神様に捧げられるのじゃ。そのような顔をするでない。これは誇らしいことであるのだぞ」
……何が誇らしいのよ。私はただ単に生け贄として死んでしまうだけじゃない。
勝手なこと言わないで欲しいわ。
そう思ったのが顔に出てしまったのか、高齢の婆様が怖い顔をした。
「とにかくじゃ、皆のためだと思っておくれ」
古い社の扉が開けられ、私はその中に連れていかれた。
そしてそのままギギギ、と嫌な音がして、扉が閉められる。その直前、婆様の目尻からぽとりと一筋、水滴が流れたのを見た。……泣いてるんだ。それを見ただけで気力が削がれたというか、あぁ、どうしようもなかったんだなってぼんやりと思う。
「まだやりたいことたくさんあったのにな……」
私の何がいけなかったんだろう。なんでこんな役に選ばれたのか、助かるばすも無いのに考えてしまう。
捨て子だった私は婆様に育てられた。少しでも恩返しがしたくて、仕事も手伝った。勉強もした。誰かのために、困ってる人の力になれるようにって頑張ってきた結果がこれなのだ。
「……これも人の為だって言うの?」
人身御供、そんなものに頼らなければならないほどに、切羽詰まっていたということなんだろう。
私一人の命で満足してくれるものなの?
そもそも、神様なんているのかしら……
罰当たりなことを考えてしまうのは許してほしい。
社の中は真っ暗で、扉の向こうでは婆様達がお祈りしている声が聞こえる。
怖い。
逃げ出すことも出来ないし、かと言って一思いに死ねる訳でもない。
床が冷たいから一気に体温が奪われる。
寒い。
助けて、誰か。誰でも良いの、助けて。
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「あれ? あれあれ? 人間の女の子だぁ!」
「ん? 何言ってんだよ。こんなところになんで人間がいるんだよ。って……いるな」
「でしょでしょ!」
眠ってしまっていた私は2つの声が聞こえてきたことで目を覚ました。
目の前には小さな女の子と男の子。
「あ、気付かれちゃった! 黒、どうする?」
「鈴が大声出すからだろ!」
どうしてこんなところに子供がいるの?
「私、もしかして死んじゃったのかな? 実感ないんだけど……」
ぽつり、と漏らせば2人は大きな目でぱちぱちと瞬きしてからお互いを見あった。
「えっとね……。たぶん、生きてるよ?」
「あぁ、生きてる」
よくよく見れば、2人の耳が、
「獣……?」
の様な、私とは確実に違う耳だった。
「獣じゃないやい! いいか、人間!
俺達はな、狐だぞ!」
「そうだそうだ! 私達は妖狐なんだぞ!」
えへん、と威張る姿は可愛いけれど、ちょっと待って。
…………妖狐?
もしかしてもしかしなくても、この子達は人間じゃないってこと……?
そんないきなり言われても……。でも、耳、言われてみれば狐だし……
「黒、鈴。何をしている」
凛とした声が辺りに響いた。
「桐様だ!」
「桐様!」
狐の子供達が見つめる先を同じように見つめれば、先程までは誰もいなかったはずの場所に、一人の若い男性が立っていた。
桐様、と呼ばれたその人は白い髪をしていて、上等そうな着物を着ていた。
まるで、人ではないかのような美しさだ。
見目麗しいどころじゃない。作り物のように整っている。
暗みのかかった、濃い紫色の瞳。
その目が私を捕らえたようで、ゆっくりと近付いてくる。
「人間がなぜ、このようなところにいるのだ」
「……わ、私は、作物が育つようにと神様に捧げられて……」
間近で覗き込まれ、緊張で声が震えてしまう。
見れば見るほど、美しい。男の人相手に失礼かもしれないけれど、美しいとしか言い様がない。
「桐様、可哀想だよ。連れてってあげようよ」
「鈴、お前が見つけたのか?」
「そうなの。倒れてたから、大丈夫かなって思ったの」
どうやら女の子の方が鈴という名前のようだ。
ということは、もう一人の男の子が黒というのだろう。名前の把握をしていてふと視界に入ってきたのは桐と呼ばれている青年の腕。もっと言えばその腕の怪我。
「あの、貴方、怪我してるの?」
「……だったら何だと言うのだ」
面倒だと言わんばかりに溜め息を吐かれたがそんなことは気にしてられない。怪我のことで精一杯だ。
「止血しなきゃ! そんなに深くは無さそうだけど菌が入ったら大変よ」
「放っておけば治る。お前が気にすることではない」
「でも……!」
「助かりたいからと言って媚びるつもりか?」
「違う!」
カッとなってつい叫んでしまった。助かりたいからなんて理由じゃない。
「……誰だって損得勘定だけで動く訳じゃないでしょ?」
「では何だと言うのだ」
先程よりも鋭く細められた目が私を睨むようにして見つめてくる。
「誰かのために、って思うときは貴方にだってあるはずよ。……それと一緒なの。深い理由なんて無いわ」
ただ、怪我をしていたから。今までの癖なのか何かしてあげたいって思ってしまっただけなのだ。そう言えば紫色の瞳が僅かに見開かれた。驚いた様にも見えるし、呆れているようにも見える。
「……お前たち人間とは違って俺たちは回復が早い。この程度ならあと数時間もせずに完治する」
だから治療も必要ない。お前で言う、掠り傷程度だ。と、彼は付け加えた。
そこまで言われたら引き下がるしかない。ほんの少し心配ではあるものの、これ以上の問答は無意味だとまで言われ、怪我の止血は諦めざるを得なかった。すると丁度、それまで黙っていた子供が恐る恐る口を開いた。
「桐様、やっぱり人間には関わっちゃ駄目ですか?」
「……お前、名は?」
心配そうにする黒という男の子を安心させるみたいに、その子の頭に手をやり、私に問いかけてきた。
「美緒、です」
「桐」
「え?」
「俺の名だ」
「あ、なるほど。……桐さん、ですね」
様を付けろよ! と、先程まで不安気だったのに急に騒いだ黒を鈴がなだめる。
「桐さん、私を助けて下さい」
「助かりたいのか?」
「当たり前じゃないですか!」
「なぜ俺に頼む」
「だって……あなたたちは人間じゃないみたいで、私を助ける手段がありそうなんだもの」
「だから助けろと? 図々しい女だな」
「必ずお礼しますから!」
声を張り上げれば、桐さんは私にとって夢みたいなことを言った。
「お前を助けてやっても良い」