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【神様の死体は、明日も笑う】

作者: 世継
掲載日:2026/10/26

王都では、神様の死体が売られている。

指一本で金貨百枚。眼球ひとつで小さな城が買える。心臓ともなれば、国がひとつ動く。


神様は三百年前に死んだ。

それ以来、人間は神様の死体を切り分けて生きている。

神様の骨で作った剣は決して折れず、血を混ぜた薬はどんな病も治し、皮膚を壁に塗れば、千年は崩れない城になる。


人々は神を崇めていた。

死体になってからも。

そんな王都で、俺は盗みを働いていた。

盗むのは金でも宝石でもない。


神様の歯だ。


「今夜の仕事は、奥から三番目の棚。右の瓶に入った犬歯を持ってこい」

依頼主の老人は、皺だらけの手で報酬を示した。

金貨十枚。

一生遊んで暮らせる額ではないが、妹の薬を買うには十分だった。

「どうして犬歯なんだ?」

「神の歯は、噛んだものの性質を記憶する」

「それで?」

「死体を噛ませれば、その死体が生きていた頃の姿に戻る」

俺は眉をひそめた。

「死人を生き返らせるってことか?」

「違う。死体が、死ぬ直前の姿を取り戻すだけだ。心臓が止まっていれば、止まったままだ」

老人は笑った。

「だから、使い道がある」


王都の地下には、神の死体を保管する巨大な墓所がある。

そこには神の歯だけでなく、指、骨、髪、臓器まで、何万もの部位が眠っている。

盗みは簡単だった。

警備兵は神の墓を守っているが、神の死体そのものが動くとは思っていない。

俺は地下へ潜り、棚を見つけた。

右の瓶。

犬歯。

手を伸ばした、そのときだった。


「……それを持っていくな」


背後から声がした。

振り返る。

誰もいない。

気のせいだと思い、瓶を懐にしまった。

すると、また声がした。


「それを持っていくと、明日の俺が死ぬ」


俺は固まった。

声は、床から聞こえていた。

そこには、ひとりの少年が横たわっていた。

白い服。青白い肌。胸には大きな穴が開いている。

死体だった。

だが、その目は俺を見ていた。

「お前……誰だ?」

少年は答えた。

「神様だよ」

俺は逃げようとした。

「待て」

「待てるか!」

「お前、明日死ぬぞ」

足が止まった。

少年は、胸の穴を指差した。

「俺も明日死ぬ」

「……お前はもう死んでるだろ」

「そうだな」

少年は、少しだけ寂しそうに笑った。

「だから、俺は毎日死んでるんだ」


俺は結局、犬歯を盗んだ。

神様の忠告を信じたわけではない。

妹の薬が必要だった。

地下から出ようとした俺に、少年は声をかけた。

「なあ。ひとつ頼みがある」

「断る」

「まだ何も言ってない」

「神様の頼みなんて、ろくなもんじゃない」

少年は笑った。

「明日、ここに来てくれ」

「どうして?」

「俺が何者なのか、教えてやる」

俺は答えず、墓所を出た。


翌朝。

妹の薬を買うために、俺は街へ出た。

広場では、処刑が行われていた。

罪人は、王に逆らった兵士だった。

首を落とされる直前、兵士は空を見上げた。

「神よ。どうか、明日をお与えください」

剣が振り下ろされた。

群衆が歓声を上げる。

俺は吐き気を覚えながら、その場を離れた。

とてもじゃないが薬を買える気分ではなかった。


そして夜。

行こうか迷ったが、約束どおり墓所へ戻った。

少年は、昨日と同じ場所にいた。

「来たな」

「お前、何者なんだ?」

少年は自分の胸を見下ろした。

「俺は、明日の神だ」

「……は?」

「この世界には、昨日の神もいる。今日の神もいる。そして明日の神もいる」

俺は黙った。

少年は続けた。

「人間は、ひとりの神が三百年前に死んだと思っている。でも、それは違う」

「何が違う?」

「神は、毎日死んでいるんだ

少年は、天井を見上げた。

「昨日の神は、昨日の世界を作った。今日の神は、今日の世界を作っている。そして俺は、明日の世界を作るはずだった」

「……はず?」

「うん」

少年は胸の穴に触れた。

「誰かが俺を殺した」

俺は背筋が冷たくなった。

「神様を殺せる人間なんているのか?」

「いるよ」

「誰だ?」

少年は、俺を見た。

「お前だ」

俺は少年を殴ろうとした。

もちろん、死体を殴ったところで意味はない。

「ふざけるな。俺がお前を殺せるわけがない」

「そうだな」

「じゃあ、何で俺なんだよ!」

少年は、しばらく黙っていた。

やがて、こう言った。


「お前は明日の神の歯を持っている」


俺は懐の瓶を取り出した。

「これか?」

「それは俺の犬歯だ。俺が噛んだものは、明日の世界に持ち越される」

「どういう意味だ?」

「例えば、お前が今日、花を摘んだとする。明日になれば、その花は枯れる。でも、俺がその花を噛めば、明日も咲いている」

俺は瓶を握りしめた。

「つまり……」


「俺は、明日を作るための神だった」


少年は目を閉じた。

「だけど、俺が死んだせいで、明日が作れなくなった」

「そんな馬鹿な話があるか。明日は来てるだろ」

「来ているように見えるだけだ」

少年は静かに言った。

「お前、今朝、広場で処刑を見ただろ?」

俺はうなずいた。

「兵士が死んだあと、誰かが泣いていたか?」

「……いや」

「家族は?」

「いなかった」


「そうだ。あの兵士には妻も子供もいた。でも、明日の世界が作られなかったせいで、彼らは昨日の世界から消えた」


俺は言葉を失った。


「明日が作られない世界では、昨日までに失われたものしか残らない。人間はそれを、少しずつ忘れていく」


俺は震える手で瓶を握った。

「……じゃあ、どうすればいい?」

少年は、初めて笑った。

「俺を噛ませろ」

「何を?」

「その犬歯で、俺を噛ませるんだ」

俺は少年を見た。

「そうすれば、明日が戻るのか?」

「戻るよ」

少年は、少しだけ間を置いた。

「……戻る」

俺は瓶を開けた。

少年は最後に言った。

「ひとつだけ、約束してくれ」

「何だ?」

「明日が戻ったら、俺のことを忘れてくれ」

「どうして?」

少年は、答えなかった。

ただ、目を閉じた。

俺は犬歯を取り出した。

そして、少年の胸に当てた。

世界が、ひっくり返った。

音が消えた。

光が消えた。

俺は、自分がどこにいるのかもわからなくなった。

やがて、目の前にひとつの光景が浮かんだ。

広場。

処刑台。

首を落とされる兵士。

その横で、泣き叫ぶ女。

兵士の妻だった。

彼女は夫の名を呼び続けていた。

俺は、泣いていた。

なぜ泣いているのかはわからなかった。

ただ、悲しかった。

そして次の瞬間。


俺は自分の部屋で目を覚ました。

窓から朝日が差し込んでいる。

隣では、妹が眠っていた。

顔色はよく、呼吸も穏やかだった。

「…夢?」

俺は起き上がった。

外から声が聞こえる。

パン屋の主人が客を呼び、子供たちが走り回っている。

いつもの朝だった。

だが、なぜか俺は、昨夜のことを何ひとつ覚えていなかった。

何もかも。


それから数年が経った。

妹は元気になり、俺は盗みをやめた。

王都では、神様の死体が相変わらず売られていた。

俺は時々、地下墓所のことを思い出した。

だが、なぜそこが気になるのかはわからなかった。

ある日、俺は王都の市場で、奇妙な瓶を見つけた。

中には、小さな犬歯が入っていた。

値札には、こう書かれていた。


『明日の神の歯。効能不明。金貨十枚』


俺は、なぜかその瓶から目が離せなかった。

すると、隣にいた老人が言った。

「おや、それが気になるのかね?」

俺はうなずいた。

「昔、これを持っていた男がいてね」

老人は、懐かしそうに笑った。


「そいつは世界を救ったんだ」


俺は笑った。

「そんな馬鹿な話があるか」

老人は答えなかった。

ただ、瓶を手に取り、俺に差し出した。

「持っていきなさい。金はいらん」

「どうして?」

「そいつが、そう望んだからだ」

俺は瓶を受け取った。

そして、家に帰った。

妹が出迎えてくれた。

「おかえり!」

俺は笑った。

「ただいま」


その夜。

俺は夢を見た。

真っ暗な部屋。

胸に穴の開いた少年が、ひとりで座っていた。

少年は俺を見て、笑った。

「やっと来たな」

俺は尋ねた。

「……お前、誰だ?」

少年は答えた。


「明日の神だよ」


俺は目を覚ました。

窓の外は、まだ暗かった。

けれど、東の空が少しずつ白み始めていた。

俺はベッドから起き上がり、窓を開けた。

冷たい風が吹き込んでくる。

そして、ふと思った。


明日って、誰が作っているんだろう。





それからさらに三百年後。


人類は滅亡した。


最後の人間が死んだとき、世界には誰もいなかった。

祈る者も、願う者も、神を必要とする者も。

ただ、神様の死体だけが残っていた。


王都の地下墓所。

何万もの瓶が並ぶ棚の奥で、ひとつの棺が開いた。

中から、少年が起き上がった。

胸の穴は塞がっていた。

彼は長い眠りから覚めたように、目をこすった。

「……あれ?」


周囲を見渡す。

誰もいない。

彼は立ち上がり、地下墓所を歩いた。

壁には、古い文字が刻まれていた。


『神は三百年前に死んだ』


少年は首を傾げた。

「そうだったっけ?」

彼は考えた。

考えて、考えて。

やがて、ひとつのことを思い出した

自分は、明日の神だった。

明日を作るために生まれた神。

けれど、明日を必要とする人間は、もういない。

少年は、長い時間をかけて地下墓所を出た。

地上には、草原が広がっていた。

かつて王都があった場所には、木々が生い茂っていた。

鳥が飛び、風が吹き、雲が流れていた。

少年は空を見上げた。

そして、初めて気づいた。


人間がいなくても、世界は続いている。


太陽は昇り、夜は訪れる。

明日は、誰かが作らなくてもやってくる。

少年は、しばらく黙っていた。

それから、ゆっくりと笑った。

「……そっか」

彼は草原に腰を下ろした。


「もう、俺の仕事は終わったんだ」


風が吹いた。

遠くで、花が揺れた。

少年は目を閉じた。

三百年前、自分を噛ませた男のことを思い出そうとした。

けれど、顔も名前も、何ひとつ思い出せなかった。

ただ、ひとつだけ。

誰かが、自分を抱きしめていた気がした。

それが誰だったのかは、わからない。

少年は空を見上げた。

「……ありがとう」

誰もいない世界で、彼はそう言った。

その瞬間。

空の向こうで、何かが動いた。

雲が逆向きに流れ始めた。

枯れた花が、つぼみに戻った。

鳥が空から降り、卵の中へ戻っていった。

世界が、ゆっくりと巻き戻り始めた。

少年は立ち上がった。

「……え?」

草原が消えた。

森が消えた。

王都が現れた。

人々の声が戻ってきた。

そして、地下墓所の奥。

少年の棺の隣に、もうひとつの棺が現れた。

その蓋には、こう刻まれていた。


『昨日の神』


少年は、息を呑んだ。

その棺が開いた。

中から現れたのは、少年と同じ顔をした人間だった。

その男は少年を見て、静かに言った。

「お前が、明日を止めたのか」

少年は首を振った。

「違う。俺は、明日を作っていた」

男はうなずいた。

「そうか」

そして、少年の肩に手を置いた。

「なら、今度は俺が明日を作ろう」

少年は、ようやく理解した。

神様はひとりではなかった。


昨日を作る神。


今日を作る神。


明日を作る神。


三人は、世界をつないでいた。

だが、明日の神が死んだとき、昨日と今日だけが残った。


今日が終わっても、明日は来ない。


昨日が終わっても、今日が来ない。


世界は、終わりのない一日に閉じ込められていた。

そして今。

少年の前に、昨日の神が立っている。

少年は尋ねた。

「……じゃあ、明日が来たら、俺はどうなる?」

昨日の神は答えた。

「消える」

少年はうつむいた。

「そっか」

しばらくして、彼は顔を上げた。


「それでも、明日を作ってくれ」


昨日の神は、微笑んだ。

「わかった」

少年は目を閉じた。


その日、世界に明日が戻った。


そして、誰も知らない場所で。


明日を願うひとりの神様が、静かに消えた。

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