若きゴブリン兵士隊長
それからさらに数年が過ぎた。
神聖暦1248年、ゴブリンの縄張り。
グロッグは、ゴブリン集落の若き兵士隊長という地位に昇り詰めていた。彼の知恵と指導力は、もはや集落中のゴブリンが認めている。
その日の森の境界線には、経験豊富な人間の中級冒険者パーティが侵入してきた。彼らは、過去のゴブリンの戦術、すなわち『単純な数の暴力』と『拙い弓矢』を警戒していた。
しかし、彼らが遭遇したのは、その常識を完全に打ち破る『グロッグの戦術』だった。
グロッグは、部下である十数体のゴブリン兵を、それぞれの身体能力と武器の優劣に応じて配置していた。
「イグノ、前進は三歩まで。ラシャ、次はここから魔術師を狙って」
グロッグは、人の言葉とゴブリンの言葉を瞬時に切り替えながら、的確に指示を飛ばす。
戦闘が始まると、グロッグ自身は常に敵の視線が集中する場所、すなわち最も目立つ白い肌を晒す位置で戦った。彼は、敵の注意を引きつけ、その間に部下のゴブリンが仕掛けたトラップと、クロスボウによる側面攻撃で敵を崩壊させる作戦を得意とした。
彼は、単なる兵士ではない。腰には黒曜石の短剣、手には鋭利な石斧や投擲の槍。
敵の攻撃を受け止めると、瞬時に斧で叩き伏せ、短剣で止めを刺す。しっかり角度を考えて槍を投げ、正確に狙った対象に突き刺す。さらに、体術にも優れ、拳と蹴りによる格闘術まで習得していた。
魔力はない。だが、その一撃一撃に無駄はなく、隙もない。
気づけば、誰も彼の間合いに踏み込めていなかった。
「ちくしょう、なんだこいつらは! 連携が人間以上だ! しかも、あの白いゴブリン、動きが早すぎる!」
「うそっ!?こんなところにゴブリンが隠れてた!に、逃げられな…!」
一人が振り向いた瞬間、背後から矢が喉を貫いた。
もう一人が叫ぶより先に、足元の罠が弾ける。
——視線が、常にグロッグに集まっている。
戦闘後、グロッグは勝利の咆哮を上げる部下たちを制し、冷静に冒険者たちの遺留品を漁った。
彼が選別するのは、本、地図、そして金属片である。特に、冒険者が身につけていた粗末な金属の防具や刃こぼれした短剣は、グロッグにとっては宝の山だった。
集落に戻ると、グロッグはすぐに新しい技術の導入に取り掛かった。
「グロッグ、コレ、でいイのか? でモ、どうイう意味ガ?」
一人の女性ゴブリンが、金属片が胸部や肩部に丁寧に縫い付けられた毛皮の服をグロッグに渡す。金属片は基本、冒険者の防具から剥ぎ取ったものだ。
「あぁ、人間は胸を守る。弱点だからだ。ゴブリンも形は似ているんだ、効果はある」
毛皮を基本とすることで、ゴブリンの素早い動きを妨げない。しかし、要所に石や金属片を縫い付けることで、人間の一撃を致命傷から逸らす簡易的な防具が完成した。
他にも、手先の器用なゴブリンが革をなめしていたり、服を仕立てたりしている。金属片のおもちゃは子どもゴブリンたちにもよく使われる。
そして、その夜。焚き火の周りには、新しい武器と防具を身につけたゴブリン兵から小さなゴブリンまで多くのゴブリンが集まった。
焚き火の周りには、勝利を祝う宴の準備をしながらも、ゴブリンたちがいくつかの班に分かれ、効率よく作業を進めている。
「新しい黒曜石の斧ダ! 格好いいだろ!」
「負けんゾ! このナイフは持ちやすいんダ!」
二人のゴブリン兵が、互いの武器を自慢している。方や黒曜石の斧、方や黒曜石のナイフに木製の柄がついて持ちやすくなったもの……
「これを作れるようにしたグロッグモ、作るみんなも凄いものよナ」
「鍛冶の本、だっけカ。人間ノ」
大量、または大型の石材を運搬する技術はまだないため、まだ作れない施設はあるが、石と金属片を複合させた道具や簡単な木造施設の登場は、彼らの生活を一変させた。
「イカカー!(待てー!)」
子ゴブリンたちが石畳を走る音がする。地面の一部や家の土台にはより頑丈な石が使われるように。
「そロそろ戻っテ? 肉がヤける頃だヨ」
住居から、遊ぶ子ゴブリンたちを呼ぶ母ゴブリンの声が響く。より安全な住処となったので、食事も室内に変化しつつある。
集落の住居も、ただの木の葉と泥の簡易なものや、洞窟の再利用ではなくなっていた。雨風を防ぐための簡易的な屋根が設置され、壁には加工された木材が使われるようになる。
また、食事にも人間の技術が使われるようになり、黒曜石の小型ナイフや土鍋といった調理道具が広まり、生活の利便性が高まっている。
そして何よりも、集落全体が発する言葉が変化していた。幼い子どもから老人まで、ゴブリン語と人の言葉を混ぜて話すことが増えてきた。若い兵士たちは人の言葉を自然に使い、幼い子どもや年長のゴブリンたちも簡単な会話なら理解できるようになっていた。
グロッグは、戦闘後の報告を済ませると、すぐに集落の中心にあるキルガのねぐらへと向かった。
キルガは、グロッグのために獲物の肉を焼いて待っていた。彼女は、息子が帰ってきたのを見ると、安堵と喜びで顔を綻ばせる。
「グロッグ、ケガはなイ? もう、疲れたでしょ」
キルガは、成長して隊長となった息子に対しても、愛情を隠さなかった。そしてグロッグもまた、兵士の隊長という顔を忘れ、ここでは体も心も休める。
戦場では一切の隙を見せない彼が、ここでは無防備に息を吐く。
「はぁ……やっぱり、ここが一番落ち着くなぁ」
そして、グロッグはいつも、冒険者から手に入れた道具、人の本で学んで自分で作った道具をキルガに試してもらう。
これはグロッグにとって、『この道具は全てのゴブリンにとって使いやすいかを確かめる機会』であり、キルガにとっても『成長した息子からのプレゼント』のようなものである。
「キルガ。これは便利だ」
彼は、懐から革袋を取り出し、キルガの手に握らせた。
「この革を使えば、水を持ち運ぶことができる。この調理道具で、肉を焼けば、煙が少なく、もっと美味しい。人の技術は、ワレラの生活を楽にするために使うべきだ」
キルガは、その『人の道具』を警戒するでもなく受け入れた。彼女にとって、それが人間の技術であるかどうかは重要ではない。愛する息子が、自分のために、遠い外の世界から持ち帰ってくれた、愛の証だったからだ。
グロッグが持つ『人の知恵』は、『集落の生存』のためだけでなく、最も大切な『家族の安寧』のために使われていた。
そしてその頃――聖都では、ある報告が上がっていた。
「……ゴブリンが『軍』を形成している」




