ゴースト調査〜遭難
テツロウが搭乗予定の調査機を、アスガルト地下の宇宙機格納庫から滑走路へ誘導するための牽引車が、機の前方に移動していた。その様子を横目に見ながらも、テツロウは目の前の二人の人物に意識を向けていた。一人は先日の調査計画の会議に出席していた技術者、アーノルドであり、もう一人は機材搬入中に話しかけてきたクルーガーだった。
格納庫に彼等が居るのは不自然ではなかった。今日はもう一つの宇宙機の発進予定が組まれており、彼等がその実施に携わっている事をスケジュール表で確認していたからだ。それゆえ、今、彼等は発進準備や最終調整等で忙しい筈で、テツロウに会いにくる余裕など無いはずだった。
「何か用ですか? 二人とも、マシナリィの試験計画で今は忙しいと思っていたのですが」
内心の不信感を面に表わさないようテツロウは平静を装った。アーノルドは厳めしい、クルーガーは前と同じ屈託の無さそうな顔をしていた。
「いや、なに。単なる挨拶だよ。いくら忙しいとは言っても、それ位の時間はある」
いや、それは無理があるだろう、と思うテツロウではあったが、それは顔に出さない事にした。
「それは、わざわざ有り難うございます」
では、作業に戻っても、と言いかけたテツロウの言葉を遮るようにクルーガーが言葉を被せてきた。
「テツ、マシナリィはもう直ぐ完成する。そうなればもう有人調査なんて必要なるなる。危い真似をするのは君で最後になるかもね」
そう言う彼の口元が、何とも言えない薄い歪みを持っている事にテツロウは気付いた。それは今迄彼が見せていたものとは事なる、皮肉めいたものを感じさせた。彼は何が言いたいのだろう……という考えが一瞬脳裏を過ったテツロウだったが、何も気が付かなかった風を装う。
「ああ、そちらの試験も成功すれば良いな。他に無ければ作業に戻らせてもらう」
二人を後にしたテツロウは、牽引車と宇宙機の連結を確認し、操縦席へと乗り込んだのだった。
滑走路へと牽かれて行く宇宙機を見ていたクルーガーは、その機影が誘導路の奥に消えるとアーノルドへと顔を向けた。
「何故テツは余計な事に首をつっこむんでしょうね。ここは人の住む場所ではないというのに。ここはマシナリィに任せれば良いんだ」
そう言うクルーガーの顔には嫌悪の表情が浮んでいた。彼はアスガルトでの生活を嫌悪し、倦んでいた。千年前の人は、何もせずともムーで生きていけたと彼は聞いていた。今、人が宇宙に進出したのは、ただ単にムーの維持に必要な物資を宇宙から賄わなければいけなかったから、というのが彼の認識だ。だったら、マシナリィが完成した暁には、人がここに居る必要はなく、またムーに戻ればいい。クルーガーは千年前のムーにユートピアを見ていたのだった。
「彼のような人の考える事は私には解らん。ただ、ここまで来るのには彼のような人が必要だったのだろう。我々の邪魔さえしない限り、好きにやらせておけば良いさ」
そう言いながらもアーノルドの口調は面白くなさそうだった。テツロウのような好んでリスクを取る者──アーノルドにはそう見えていた──の気持ちなどさっぱり理解できない。それがアーノルドの本音だった。
「彼に手を出す必要は無いぞ」
「わかってます。何もしませんよ、僕は」
「なら良い」
微妙な言い回しをするクルーガーをアーノルドは一瞥した。が直ぐ自らの作業へと戻っていった。
「テツ、君の調査も成功したらいいね」
もう一度誘導路の彼方へと消えた機影を追う視線を向けたクルーガーは、肩を竦めアーノルドの後を追ったのだった。
嘗ては海面下に沈んでいたアスガルトの裏に敷かれた滑走路──実際にはリニアモーターによるカタパルトの一種──に誘導された機体の操縦席で、テツロウは発進時のカウントダウンを聞いていた。
「加速開始まで5、4、3、2、1、加速」
テツロウの身体が軽く前へと引っぱられる。宇宙機はテツロウから見て後へと加速を開始したのだ。左右に等間隔で並べられた誘導灯が、後ろから前へ、最初はゆっくりと、次第に速度を増しながら流れてゆく。その誘導灯が切れた時、宇宙空間へと飛び出したテツロウは、直径百キロメートル厚さ十キロメートルの巨大な円盤であるアスガルトを真横から眺める事になった。
アスガルトは次第に遠ざかると同時にテツロウの視野の上の方へと流れていった。宇宙機は、アスガルトを離れた地点を遠点とする楕円軌道に乗って母星へと接近していった。
「アスガルトとの安全距離を確保しました。これより最小の加速を行い、中軌道へ遷移します」
宇宙機の航法全般を制御するため搭載したムーからの相棒、ラムーのアナウンスと、機の下部と後方からの推進機の加速による慣性力が操縦席のテツロウの意識を現実に戻した。
それまで彼はクルーガーの発言の内容について考えを巡らせていたのだ。彼は、どうもアスガルトや宇宙開発に含むところがあるようだ。それがテツロウの受けた印象だ。より端的に言えば、ここが嫌いなんだろう、と彼は考えていた。
「了解、相棒。こちらでも軌道要素を確認した。……ところで、確認したい事があるんだが、時間はあるか?」
「テツ、大丈夫です。次の軌道変更までまだ数時間はあります」
ラムーの応答に、テツロウは自分の考えを纏め、言葉に出す。
「ムーとアスガルトの人びとの意識について聞きたい。懐古主義的な人の割合は、この千年どのように推移してるんだ?」
「現在私が、保持しているデータは概算ですので正確なものではありませんが、五百年前アトランティス静止衛星化計画が本格始動した頃が最小で、1%を切りました。その後かなりの期間、1%以下を維持していましたが、百年前には1%、五十年前には5%を越え、現在では20%に迫ろうしとている様です」
それは問題だな、とテツロウは呟く。現在ムー、アスガルト合わせて約二百万人の人口だが、四十万人は以前のムーが良いと言っている事になる。
「彼等は無気力という訳では無いんだろう。見た感じでは、そんな人に会った事が無い」
「はい。どちらかというと、興味のある事に対しては貪欲。それ以外には受け身。自分のしている事を敷衍する事には興味を持ちません。なので懐古主義というより、やりたい事だけやって、他はアドミニスターのお世話になりたい、という感じでしょうか」
テツロウは口をへの字に曲げる。自分達の生存の根幹をシステムに丸投げする事に危機感を覚えないその感性に苛立ちを覚えていた。しかし、こうなる切っ掛けを作ったのは自分自身だったことをテツロウは思い出す。
「俺は大賢者ではなかったな……」
嘗て自分が目覚めた聖廟に掲げられていた尊称を思い出し、テツロウは苦笑した。そして、勝手に大賢者呼ばわりするなよ、と心の中で悪態を吐いたのだった。
アスガルトを離れ、高軌道へ遷移したアカネの宇宙機は、再び静止軌道へと遷移する為の加速を行っていた。邂逅点は宇宙塵密集宙域の後方百キロメートルの静止軌道上だ。
「邂逅点へ向うための楕円軌道に乗りました」
「こちらでも軌道要素を確認したわ。問題ないようね、アトラス」
マルチインフォメーションディスプレイに表示された予想軌道上を寸分の違いも無く進む宇宙機の様子を確認したアカネは、邂逅点で静止軌道に乗るための、作業リストを呼び出した。勿論、実際に操作するのはアトラスだが、アカネは何かあった時のイメージトレーニングを行うためリストを確認したのだ。
暫しの静寂が過ぎた後、邂逅点が近付いて来た。
「静止軌道へ遷移する為の加速を開始します」
翼下部と後方の推進機が稼動し、斜め後ろへの荷重をアカネは感じた。数秒後、荷重が消えると同時にアトラスのアナウンスが聞こえる。
「静止軌道上への変更完了。現在、目標宙域後方百キロメートルです」
アカネもディスプレイで、自機の軌道を確認した。問題は無いようだった。
「さて、早速調査を開始しましょう。まずは宙域を漂う宇宙塵の軌道を確定しましよう。光学望遠鏡と、レーダーの準備をお願い」
「了解。準備でき次第、観測を開始します」
こうして、アカネとアトラスの調査が始まったのだった。
宇宙塵の軌道要素を一つ一つ確定するために丸一日を費したアカネとアトラスは、次に観測データを満足させるためのモデル構築に移る。宇宙塵の軌道データから力の方向を割り出し、塵同士に働く引力を考慮に入れ、主星からの輻射による圧力を考慮に入れ……
モデルを作っては破棄しを繰り返し、更に二日かかって構築されたそのモデルを見たアカネは、うーむ、と唸る。
「ねえ、アトラス。予想してなかった訳じゃないけど、本当に予想通りになるとは思わなかったわ……」
構築されたそのモデルは、直径約百キロメートル厚さ約一キロメートルの円盤状、というよりは、底の浅いディッシュ状の重力場だった。
「不審な電磁波は認められなかったから、宇宙塵に働いた力は全て重力由来のものと見て間違いないわよね、アトラス」
「はい、そう考えて99.99%間違いないかと」
アカネはディスプレイに移し出されたモデルを見ながら、口を開いた。
「このパターン、実物は一つしか知らないけれど、とても見慣れたものよね。とても弱いけど、アスガルトと同じだもの……」
アトラスもアカネに同意する。
どれだけ不思議であろうとも、そこにそれが存在する事は否定できない。であれば……
「何故、こんなものが此処に在るのか……だけど、アトラス、何か説明できるもの、仮説でもなんでも良いんだけど、そういうものってあるかしら」
「すみません、今、此処にある記録だけでは、何とも言えません。ただ……」
機械知性なのに、この知性体は人間の様な反応を示す事が多い、とアカネは思う。
「ただ?」
「逆二乗の法則を、現在の精度以上に精査しなければならない、と言う事は言えると思います」
「それは……」
「重力が、あるいは人工重力が厳密な逆二乗に従わないのなら、重力の影響はどこかに漏れる筈です。その漏れが、目の前に現れているのでは、とい推論は不可能ではありません」
その説明にアカネは頷く。
「そうね。点光源がある瞬間に発したエネルギーを、光源を中心とした球面全部で捉えたら、光源が発したエネルギーと面全体で捉えたエネルギーは同じになる筈。だから、球面上のある一点が受けるエネルギーは球面の面積の逆数に比例する。つまり逆二乗の法則が成り立つ。でも本当は成り立っていなかったら? そのエネルギーはどこかに漏れている。それはこの空間では無いから、別の空間、別次元? に漏れたと考えたとしても、全く間違っていると判断する事はできない。そして今目の前にある重力パターンは、その別次元の重力場の漏れかもしれない。そう言う事ね」
そう言う考えを否定する事はできません、とアトラスは返答した。あくまで推論に過ぎず、確定的な事は何も言えないからだった。
「何か、検証する手段は無いかしらね……」
手持ちの観測機器で何ができるか、アカネとアトラスは思考を巡らした。それは、周囲への警戒を忘れる程深く思考を巡らした。もし注意深く観察していれば、その予兆に気付いたかもしれない。何かが宇宙塵の間を縫ってアカネ達に接近していた事を。宇宙塵が先程迄の観測データに無い軌道を描いていた事を。だが、アカネ達はそれに気付く事は無かった。そして、その何かはアカネの宇宙機への衝突コースを描き、宇宙機の重力推進機関を直撃し、アカネの宇宙機もろとも消滅したのだった。
テツロウはその軌跡を、確認してはいた。そしてラムーには回避命令を発してはいた。だが、回避は間に合わなかった。その相対速度が、回避速度を遥かに上まわっていたからだ。それは、テツロウの宇宙機の重力推進機関を掠めるようにしながら衝突した。衝突後、テツロウの宇宙機の居た宙域には残骸一つ残ってはいなかったのだった。




