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恋人たちの永い遍歴  作者: のーりみっと
アスガルドとゴースト
8/20

衛星軌道上のアスガルド

母星ほしの自転と同じ周期を持つ衛星軌道、静止衛星軌道上にその人工天体はあった。人工天体アスガルト。かつてアトランティスと呼んでいたメガフロートが、宇宙線や母星のバーストを防ぐ防護フィールドを備えた人工天体としてアトランティックオーシャンからここ静止軌道上に移設されてから既に五百年の時が過ぎていた。

 最初は移設計画の従事者しか居なかったアスガルトだったが、母星の大気・水資源、唯一の衛星や重力均衡点にある小天体から採取したその他の資源を活用する事でムーからの移民が促進され、今では宇宙への進出を図る人の橋頭堡としての地位を確立しようとしていた。

 千年振りに目覚めたテツロウは、夜明けのアスガルトの中天に掛かる青白い下弦の母星を眺めていた。次第に欠けてゆく母星の海半球の中央には真円のムーが位置していた。母星の明暗境界線は、やがてムーの上を通過していく。闇に飲まれていくムーは人工の明りを灯す事で、自身を覆う闇に抗っているかのようだ。テツロウの目に映る母星の人の手による明りは、ムーのものだけだった。いや、母星に灯る人の明りはここ数千年の間、ムーのものしかなかったのだ。

 ムーの全てが闇に沈み、アスガルトに昇った陽がテツロウの横顔を照らしだした頃、彼の耳にかかる装身具からラムーの声が聞こえてきた。

「テツ。今日は九時から例の会議があります。後三時間程ですが、遅れないようにして下さい」

 テツロウは母星の右の空に目をやる。防護フィールドによる陽の光の吸収・散乱によって淡い水色に染まったその空の先に()()()()に彼の意識は向けられていた。

「わかった、相棒。今日もよろしく頼む」

 空の一点を見詰めながら返事をしたテツロウは、その先に()()()()について思考を巡らせていた。

 ()()は、現象としてみれば宇宙塵が集まった宙域、としか言いようの無いものだった。アスガルトからは直線距離にして八万キロメートル先、同じ静止軌道上にある宇宙塵の集まった宙域。それ程密度が高い訳ではない()()は、しかし何故そこに集まるのか、理由がわからなかった。現象自体は以前から観測されていた。ただ調査に回す余裕が今迄は無かった。アスガルトの体勢が整いつつある今、ようやくその余裕ができたのだ。今日の会議はその調査に関するものだ。そのために、テツロウは数日前に目覚めさせられ、アスガルトへとやってきたのだった。


「それ程多くはないとはいえ、宇宙塵が集まっているという事はそこにアトラクター(引き寄せるもの)があるという主張はわかります。それが電磁気的なものではなく重力によるものだという事もです。ですが、該当する天体が無いという事も事実です。今迄の観測がそれを裏付けています。これを調査することに反対している訳ではありません。私が言いたいのは、今直ぐ有人調査隊を派遣するのは時期尚早では無いか、という事だけです」

 会議の出席者の一人、オルブライトが穏かではあるが、しっかりと主張していた。

 会議に参加している十二人の出席者は、一人を除いてアスガルトの基礎を築いてきた人達だった。彼等十一人のこの人工天体(ほし)への思いは強い。たとえそれがどんなに不思議な現象だったとしても、緊急性が無い限りアトラクターへの関心はアスガルトへのそれを越える事は無かった。ただ一人、十二人目を除いては。他の十一人の目は唯一人にだけ向けられていた。十二人目のその人はメンテナーという資格でこの場に出席していた。メンテナーは数日前、母星からやってきたばかりであり、他の参加者からの信頼を得るには至ってはいなかった。

「オルブライト氏の発言は、確かに真っ当なものでしょう。わたしはそれでも有人調査を進めるべきだと思いますが……」

 会議はその後も続けられたが、最終的にはメンテナーが一人調査に赴くという結論に落ち着いた。この大事な時機にアスガルトから人は出せない、どうしても行きたいなら(メンテナー)一人でいってくれ。それが、他の十一人の総意だった。

「わかりました。調査項目等の詳細については個別に相談させて頂く事もありますが、計画・実施はわたしとアドミニスターとで行わせて頂きます。それで宜しいですね?」

 メンテナーの発言に沈黙で返答した会議の他の出席者達十一人は、それで終了だとばかりに席を立つ。一人残されたメンテナーは、アドミニスターの一つに母星の映像を映し出させた。

 メンテナーの目には、四つの大陸に囲まれた大洋の真ん中に真円のメガフロートを浮べた母星(ほし)の姿が映っていた。しばらくその光景を眺めていたメンテナーは徐にその視線を母星の左の虚空に移す。その視線の先、八万キロメートルの宙域にあるアトラクターへと想いを馳せていたメンテナーにアドミニスターの一つが声を掛けた。

「これで、良かったのですか? 一人で行くのは早計だったのではないですか? アカネ」

 メンテナー、アカネの表情には会議への不満や、単独調査への不安が微塵も浮んでいなかった。

「アトラス。あなたとわたしには分かっている。あれは千年前に二度遭遇した、ゴースト重力場に違いない。あの時は時間が無くて調査できなかったけど、今自由に動けるのに行かないという選択肢は無いわ。それに今はあの時より観測機材の精度が上がってるでしょう? それで何が見付かるか、期待でわくわくしてるのよ?」

「それなら宜しいのですが……」

 苦笑混りのアトラスの声は、何故かとても人間臭いものだった。


 アスガルト地下の宇宙機格納庫の天井に幾筋も並ぶ照明が、一機の宇宙機を照らしていた。ノルニス型と呼ばれるその機体は、テツロウがゴースト重力場を調査する為に選んだものだ。

 観測機材や、調査期間中の食料・飲料水をテツロウはカーゴに積み込んでいた。手元の操作端末でマニピュレータを操作し、開放した機体上部から一つずつ機材を搬入しては、端末でマニュアルを見ながら機体へ固定・各種コネクタの接続を繰り返していく。作業を一つ終える度にラムーへの確認が行われるため、その進捗は決して捗っているとは言えなかった。だが、会議のでテツロウ一人が調査の専任と決定したため、進捗については仕方の無い事だった。

 貨物室が半分程埋まった頃、一息入れようとテツロウは、操縦席の後外壁の梯子を登って貨物室から出てきた。梯子の天辺に辿り着いたテツロウは翼に降り立つ。テツロウの足下から貨物室に沿って機体後方へと姿勢制御用のスラスターが直線上に並んでいるのが見えた。翼の裏側にも同じものが在った。

 右の方へ目をやると、光発電用のパネルが敷き詰められた翼は、断ち切られたかの様になっていた。その断面にもやはり機動用スラスターが並んでいる。

 これらのスラスターは重力場を成る可く乱さず機動するために設置されたものだ。翼内にも推進剤を充填しないといけない──テツロウがそう記憶にメモを記していたとき、後から声が掛けららた。

「何の準備ですか? 良かったら手伝いますよ」

 落ちないよう開放した貨物室のドアに掴まりながら、後を振り返ったテツロウは、若い屈託の無さそうな男を認める。

「いや、いいよ。休憩しようと思ってた処だし、皆忙しいって聞いてるから。だが、そう言ってくれた事には感謝する」

 そう言いながら翼前縁に引っかけた梯子を、テツロウは降りていった。

「僕はクルーガー。人型宇宙船外活動機、通称マシナリィの研究をメインにしてる。でも、まあここの連中は大抵が何でも屋だけどね」

 目の前に立ったテツロウに、クルーガーは爽やかな笑顔で自己紹介する。一言で言えば好青年というやつだな。テツロウの第一印象はそんなものだった。

「俺はテツロウ。テツでいい。ムーから来た調査員だが、まあ同じく何でも屋だな」

 曖昧に返すテツロウだったが、クルーガーは詳細には頓着しないようだった。

「よろしくテツ。ムーからですか。アスガルトはどうです? ムーに比べて過ごし易いですかね。僕アスガルト生れのアスガルト育ちなんでムーに興味あるんですけど」

 少しだけ考えるテツロウ。

「まあ、来たばかりで何とも言えないが、空が違うという事を除けば暮らし向きに大した違いは無いと思う」

「でも、どこまでも続く青い空とか変化に富んだ雲とか、防護フィールドに邪魔されない開放感とか、良くないですかね?」

 テツロウは思わず苦笑を漏らしそうになった。多分最初は感動するかも知れない。だが、直ぐに飽きるだろう事は想像に難くない。防護フィールドは無いが、開放感は全く無かった。どちらかというと陸から締め出され、海上に閉じ籠らざるを得なかった閉塞感しか感じないだろう。

「まあ、何事も経験だな」

 苦笑を堪えたテツロウは鹿爪らしい顔を取り繕ったのだった。


「ねえアトラス。先刻の彼女、コニーの言った事、どう思う?」

 アスガルト地下の宇宙機格納庫、ノルニス型宇宙機の着陸脚の横で、アカネはティータイムを取っていた。先程フラっと現れた少し会話を交したコニーの言葉に、彼女はふとした疑問を覚えたのだった。

 アカネの曖昧な言葉にアトラスは、一瞬沈黙する。

「どう、とは? アスガルトは窮屈だという発言についてですか?」

 今度はアカネが沈黙する。どの様に伝えるべきか、じっくりと纏めているようだった。

「彼女は、アスガルトと比較してアトランティスの方が良いと思っているのかどうか。もしそうだとしたら、彼女と同じ考えの人がどれ位いるのか、かしら」

「彼女の口ぶりからは、アトランティスへの、というより母星への憧憬が感じられました……」

 そこ迄言って、再びアトラスは沈黙する。アドミニスターへの照会や、統計情報の参照を行なっているのだろう。そう思ったアカネはアトラスが返答するまで紅茶の味と香を楽しんだ。

「……同じ考えの人は、僅かずつではありますが増加傾向にあると言えます。特にマシナリィの開発が進展したここ数十年に見られる傾向です」

「マシナリィか……」

 人型宇宙船外活動機。文字通り、船外の宇宙空間で活動する、遠隔操作も行える人型の探査機体。宇宙空間での人への悪影響を無くするために作られたものだった。

「最近開発が進展したってゆうけど、開発自体は何時からあって、何がブレイクスルーになったの?」

「開発計画は五百年前に開始されています。ムー・メガフロート静止衛星化計画と同時です。高出力・高反応・高耐久性を持つ人工筋繊維や人工骨、耐候性に優れた人工皮膚の開発など課題は様々ありましたが、一番の問題となったのは、高エネルギー密度の動力源でした。五十年年前に要求を満たす動力源が発見された事で開発が一気に進展し、まもなく完成する予定です」

 ふーん、と鼻を鳴らしながら、アカネはこれも介入の一種なのかしら、と考察していた。介入者の動機は分からない。しかし、その意図は人を宇宙へ飛び立たせないようにしているように、アカネには思えた。人という存在自体を抹消しようとしているようだ、とも考えていた。だが、マシナリィの何が、介入者の気に障るのだ。アカネにはその関係が、今一つ理解できないのだった。

「アトラス。ちなみに、マシナリィ開発計画の最初の推進者と、その動力源の発見者を教えてくれない?」

「開発計画の最初の推進者と動力源の発見者は同姓同名で、ディアナ・セレスティルです」


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