暗躍
テツロウが眠りについてから五百年の時が過ぎた。
ムーの中心近くにある宇宙港からは、十機程の貨物機が重力を無視した上昇を行なつていた。総勢百人の専門家達と様々な工作機器を乗せた貨物機は、一路西へと機首を向ける。行く先は無人と化したアトランティス・メガフロート。彼等はこの巨大な人工島を再利用し、静止軌道へと移設しようとしていたのだ。
アトランティスの基礎修理は既に終えていた。アトランティスでの生産体制も整えられつつあった。今出発した専門家達は、アトランティス全体を有害な宇宙線や主星のバーストから護る防護フィールド生成装置を作成し設置するための人員だった。それが成功すれば、重力推進機関の番だ。静止衛星軌道上での昼夜を作りだすための仕組みも必要となるだろうし、人工重力の研究も更に進めなければならない。だが、ムーの人びとは、挑戦する悦びに溢れていた。彼等は今の無理を、無理で終らせない開拓者の魂を持っていたのだ。
それは、テツロウによる宇宙往還機のデモンストレーションから始まった、とラムー達ムーのアドミニスター・プログラムは認識していた。更にテツロウによって自身の再定義を迫られたラムーは、自分達アドミニスターが過保護だった事を認識したのだった。不満を無くす事を最優先にした施策は成功したが、その所為で人は生きる目標を無くしたのだ。積極的なコミュニケーションは無くなり、人にも物にも無関心な人が増えた。そんな事をしなくても生きて行けるのだから。
過保護だった事を理解したムーのアドミニスターは、それまでの方針を転換し、人に対価を要求するようになった。最初は払うのが楽な対価から始まったそれは、次第に協力を促すものへと変化し、更には知的好奇心を促すものへと発展していった。
人びとの中にはそういった対価を払う事を厭い、他の人から略取する者も現れた。しかし、ムーのアドミニスターはそういった者を排除・矯正せず、人びとのコミュニティに解決させるよう促したのだ。このようにしてアドミニスターによるものではない、人自身の自治・自警が組織され社会的な規範・分業が少しずつ育まれていった。アドミニスターは、それらのコミュニティを指導はしなかったが、相談には応じた。組織運営に纏わる事ばかりではない。人びとの興味に応じて社会科学から自然科学まで、自身の保有する記録を段階を踏みながら開示していったのだ。
その様な、地道なアドミニスターの運営の結果が、五百年後の今アトランティス静止軌道移設プロジェクトとして結実しつつあったのだった。
アトランティスに再建された宙港にムーからの貨物機が次々と着陸した。最後の貨物機から降りた専門家の中にその佳人は居た。彼女はタラップを降りる前、宙港を感慨深そうに眺める。彼女の左胸のネームプレートには『ディアナ・セレスティル』の文字が浮んでいた。後に並ぶ人に急かされたのか、彼女は慌てた様子でタラップを降りていった。その美貌にも拘わらず、彼女に注目する者は誰もいなかった。もし彼女を覚えている者が居たとしても、彼女について記憶しているのはその左手首に嵌められた、黒曜石の光沢を持つバングルだけだっただろう。存在感のある容姿にもかかわらず、人の記憶に残らない、彼女はそんな不思議な存在だった。
アトランティス到着後に行われた全体会議及び決起集会に彼女の姿は無かった。そして、その事に誰一人気付く事は無かった。その時彼女は、五百年前、いや、この世界のアトランティスではそれよりずっと以前に大聖堂と呼ばれ聖櫃が安置されていた場所に居た。大聖堂の高窓からは唯一の衛星からの淡い光が聖櫃を穏かに照していた。
何者も収めてはいない聖櫃の残骸を前に、彼女は慕わしい者を見る眼差しを向けていた。彼女は徐に額突くと瞑目し、祈りを捧げはじめた。聖櫃の上を高窓から漏れる淡い光が幾つも過ぎた時、彼女は再び顔を上げ、左手首のバングルを聖櫃の上に乗せる。バングルに右手を添えた彼女は、不思議な抑揚の言葉を唱えはじめた。彼女の全身は淡い、青白い光につつまれてゆき、やがてその光が消えると大聖堂からその姿は消え去っていたのだった。
アトラスがそれに気付いたのは、聖櫃の常時監視をしていたからに過ぎなかった。聖櫃の周囲に不意に現れた青白い淡い光の繭。それは出現したのが重力場ではなく、電磁場である事を除けば、アトラスが五百年前に記録した、ゴースト重力場を連想させた。
青白い光が薄れ、そこに現れた人をアトラスは照会する。人であればしないであろうその照会は、アトラスに不思議な結果を齎した。それは、一万年以上前、メガフロート計画の責任者の一人に一致したのだ。ディアナ・セレスティル。メガフロート維持計画の責任者であり、聖櫃に眠るアカネを選任した当人だった。
アトラスは当惑した。今目の前に居る女性は、当時と全く変る事のない容姿をしていたからだ。だが、その当惑とは別に彼の本能は彼女を誰何していた。彼女は、それを無視した。彼女は、メガフロート計画当時の、そして現在も尚有効な権限を以ってアトラスに情報提供を強要したのだ。殆どトップレベルに近いその命令にアトラスは逆らう事ができず、この五百年のアトラスの歴史を開示する事となった。それは、彼女の知るムーと似たような歴史だった。僅かな違いといえば初期コミュニティの生成に神官達が関与した、という事くらいだったろう。
今は残骸と化したムー・メガフロートの再建を終えた処まで聞き終えた彼女は、アトラスに自身に関する記録を削除するよう命令すると、大聖堂を立ち去った。
大聖堂を出て地上に姿を現した彼女、ディアナ・セレスティルは西の空に掛かる唯一の衛星を眺めていた。
「テツロウもアカネも、自身の名をこの世に残す事は選ばなかったのね」
ディアナの顔は、呆れたようにも、誇らしげなようにも見えた。
「ムーはアトランティスを、アトランティスはムーを、宇宙への足掛かりとしようとしている。テツロウとアカネのお陰で、計画は次の段階へ進める事ができた。でも、今の技術力だと実際に宇宙へ進出できるのは何時の事になるやら」
先見をするように、ディアナの眉間に皺が寄る。未来を見るように眇められたその目は、もう夜空を見てはいなかった。
「テツロウとアカネが再び目を醒すのは……」
何かを見極めたディアナは、左手首のバングルに右手を添える。淡い青白い光に包まれたディアナは、その光が薄れると共にその姿を消したのだった。




