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恋人たちの永い遍歴  作者: のーりみっと
アトランティスとムー
2/20

眠れる大賢者と大聖女

 大聖堂の中は幾つもの高窓から差し込む柔らかな午後の光の柱が立ち並んでいた。何本もの光柱を擦り抜け、神官ヌクレテウスは中央に、光柱と光柱の間に鎮座する聖櫃へと歩いていく。

 聖櫃へと辿り着いた神官ヌクレテウスは両膝を着き両手を合わせ祈り捧げ始めた。若く張りのある声によって紡がれるその言葉は神言(しんごん)と呼ばれ、今となっては理解できる者も無い。

 音楽的な抑揚を持ったその祈りは、光柱の位置がその幅の分だけ移動した時、終りを告げた。

 祈りを終え、再び立ち上がった神官ヌクレテウスは聖櫃の蓋に手を伸ばす。祈りの間に移動した光柱は、今聖櫃の蓋の一部を明るく照らしていた。両開きの小扉になっているその照された部分を、神官ヌクレテウスの両手が静々と開帳していく。自ら発光する、複雑な曲線や直線が浮かび上がる透明な板の向こうに、美しい、眠りに就いた女性の(おもて)が見える。

 この国アトランティスの人びとからは大聖女と尊崇されるその女性は、建国の時からここに安置されていると伝えられていた。事の真偽を知る者も伝える者も遥か昔に失われたこの時代、唯一つ残された言い伝えがあった。

『アトランティスに禍い齎す者現るる時、目覚めし大聖女、これより民を護らん』

 言い伝えの解釈は、時と共に変容を遂げる。今では、禍いが来ないよう大聖女様には心安らかにお眠り下さるようお祈りを捧げましょう、と把えられていた。また人口に膾炙する言い伝えは、変容後のものが殆どだ。

 だが、と神官ヌクレテウスは思う。

 意味は分からずとも神言を残してきた大聖堂が、言い伝えの意味を変える事は無い。ならば何時かは、この国に禍いを齎す者が現れるのだ。それが自分の代の事なのか、それとも後代の事なのかは分からない。なればこそ、神言と言い伝えを歪める事なく、何時か目覚める大聖女様に残す事が自分の役目なのだ。毎日、聖櫃に礼拝する度に心に刻む想いを今日もまた新にする神官ヌクレテウスは、小扉そっと閉じ光柱を擦り抜けながら静かに大聖堂を立ち去った。閉じられた小扉の下の、透明な板に浮ぶ、光る線画のパターンが微かに変化した事に気付くものは、未だ誰も居なかったのだった。


 かつてアトランティックオーシャンと呼ばれた大洋に浮ぶメガフロート国アトランティス。そこから西へ、地峡で繋がる南北大陸を越えた先には、この母星(ほし)の面積の半分を占めるパシフィックオーシャンと呼ばれる大洋がある。メガフロート国ムーはその大洋上にあった。

 ムーの中央地下深くに、訪れる者も絶えて久しい聖廟があった。いや、今となっては聖廟と呼ぶのは適切ではないかもしれない。そして先入観の無い目で見ればそれは、透明な液体の充填された、全裸の男性が漂う円筒形の何かが安置された部屋、としか言えないだろう。『大賢者ここに眠る』と記された入口の文字だけが、この部屋が聖廟である事を示すだけだった。

 聖棺と呼ばれた円筒形のそれには幾つかの装置が繋がれていた。装置には、様々な波形や文字らしきものが映し出されている。その波形や文字らしきものは長い間、一定の形を保っていたのだが……

 その波形に僅かな変化が生じたのは、誰も知る者は居なかったが、アトランティスの大聖女の聖櫃に変化が現れたのと時を同じくしていた。二つの変化は、まるで呼応するかのように、少しずつ、しかし確実に変化の幅を拡げていった。聖櫃と聖棺の男女は、徐々に血の気を取り戻してゆく。やがて、瞼がピクリと震えるようになると、聖棺を満していた液体が抜き出されていくのだった。

 聖棺の男性が完全に目覚め、自分の置かれた状況に茫然自失している頃、アトランティスの聖櫃の前では神官ヌクレテウスが日課の祈りを終え、小扉を開けていた。


 小扉を開けた神官ヌクレテウスは、透明な板の向こうから自分を見詰める女性に驚愕の色を浮べた。

──とうとうこの時が来てしまったのだ

 禍いを齎す者。その出現を告げる大聖女の目覚め。不安と興奮の入り交じった収拾のつかない感情の振幅に神官ヌクレテウスはどのように対応すべきか、迷いに迷った。しかしその迷いは、透明な板の向こうから彼を見詰める大聖女の瞳を見ている内に収まり、ひとつの行動に集約した。彼は両手を合せ神言を唱えたのだった。

 前日までは無反応だった聖櫃が音も無く開かれていく。そして神言が終る頃、完全に開かれた聖櫃から大聖女が起き上がり、その上半身を現した。

「ここは何処でしょう? 貴方は?」

 大聖女の第一声を聞いた神官ヌクレテウスは彼女の前に跪拝した。大聖女の声音は、ヌクレテウスには繊細な楽器の音色のように聞こえた。

「ここは、メガフロート国アトランティスの中央にある大聖堂にございます。(わたくし)は大聖堂に籍を置く神官、ヌクレテウスと申します」

 大聖女にまみえた緊張からか、彼の微妙に震えていた。再び声が掛かる迄、彼は膝を着き(こうべ)を垂れつづけた。

「顔を上げて下さい、神官ヌクレテウス。お願いがございます。先程の祈祷? でよろしいでしょうか。それをもう一度聞かせて頂けませんか?」

 神官ヌクレテウスは恭しく頷くと、再び神言を繰り返す。神官が神言を終えるまで、大聖女は目を閉じて黙って聞いていた。

「どうやら私の名前はアカネと言うようです。これからはアカネとお呼び下さい。神官ヌクレテウス」

「では、私の事はヌクレテウスとお呼び下さい。アカネ様。だたいま神官長をお呼びして参りますが、何か必要とされるものはございませんか?」

 アカネは暫く考える様子を見せた。神官ヌクレテウスに見せるその表情は感情の起伏を表さず、何を考えているのか全く読ませなかった。

「では、お水を下さいませんでしょうか」

 恭しく頷いた神官ヌクレテウスは、今すぐに、と言い置いて大聖堂を出ていく。後に残されたアカネは誰も居なくなった大聖堂で一人呟いた。

「わけがわからない。祈祷の句には一万年前に眠りに就いたってあったけど、眠る前の記憶も全く無いし。その割にヌクレテウスとの会話に問題は無いみたいだし。しっくりくるのはアカネという名前だけね」

 その言葉は、先程迄神官ヌクレテウスが唱えていた神言にとても良く似ていたのだった。


 聖廟で目覚めた男性は、眼前の様子に全く見覚えが無く途方に暮れていた。手掛かりを求めて記憶を探ろうとしたがそこには空白しかなかった。その事に更に自失した男性は、ぼんやりと呟く。

「俺、誰? 此処、何処だ? 何でこんな所に居るんだ?」

 誰も居ない部屋に向って放たれたその呟きを拾う者は無い筈だった。だから、応える者の声が天井から聞こえた時、男性は酷く驚き慌てふためく。

「お目覚めですね、テツロウ。貴方の今の状況について説明しましょか? それとも何か必要なものはありますか?」

 突然の声に天井を見回す男性、テツロウは、自分の狼狽えぶりに耳を赤くした。そして、不意に自分が全裸である事に気付き更に顔を赤くした。

「あー、色々聞きたい事はあるけど、まずは何か着るものが欲しいかな」

 天井の声に従い部屋の隅にあった扉を手前に開くと、何着かの服が掛けられていた。服の下には何段かの引き出しがあり、引いてみると下着のような物も見付かった。適当にみつくろって着用し、人心地着いたテツロウは、気力を取り戻し天井に声を掛ける。

「まずは、ありがとう。君は俺をテツロウと呼んだけど、それが俺の名前という事かな?」

 天井の声は、その通りです、と応えた。

「それで君は?」

 天井の声が即座に応える。

「私はラムー。貴方が眠っていた聖棺の維持・管理、および貴方が目覚めた後の支援を行う環境適応・自律思考型プログラムです」

 テツロウは天井の声、ラムーの言葉の前半には先程まで自分がいた場所にある機器を眺めて頷いていたが、後半に驚きを見せる。

「環境適応って自ら学習するって事だよね。そして自律思考だから、自分で選択し行動する、つまり意思表示する事ができる……ん?」

 テツロウは自分で喋っておきながら、何に驚いたのか分らなくなっていた。環境適応も自律思考も、聞き覚えの無い言葉の筈なのにその意味する処が理解できる。何故? 更に言えば、それに驚くという事は、それが当たり前ではないという知識がある筈だが、それは何時何処で得たものなのか? 記憶を探ろうにも、そこは未だ空白のままだ。テツロウは空白の中になんらかの残滓が無いか必死に探し始めた。

「混乱されるのは当然です。もしよければ私の知る全ての経緯を話しますが、どうでしょう」

 自分の記憶と格闘していたテツロウは、無益な闘いを諦めた。ここは今迄面倒を見てくれたというラムーを言う事を一旦は信じなければならないと観念したのだ。

「頼む」

 ラムーは淡々と語り始める。

 一万年前、この母星(ほし)の全ての大地が侵蝕体と呼ばれる未確認活動体に汚染されていた。当時も今も、侵蝕体について解明された事はとても少い。侵蝕体は増殖するという意味では生命体とも言えるが、その生態は全く不明だった。何故なら調査の為に出された観測機器からの情報が全く得られなかったからだ。大量破壊兵器以外の兵器による攻撃も、侵蝕体には効果が無かった。こうして打つ手が無くなった人類は、海上へと逃れる事となった。そのために建設されたのがメガフロート国、ムーとアトランティスだ。

 自分はどこでどう絡むのか、早く聞きたいテツロウだったが、そこはじっと我慢したのだった。


 大聖堂に残された全ての神言の収められた書物の写しを、アカネは一頁一頁丹念に読み込んでいた。その写しは、何故か見覚えのある神言文字の上に現代のアトランティス語による音を割り当てたものだった。音が一致しているだけなので、現代のアトランティス人にとって神言の内容は意味の分らないものとなっていた。

 だが神言を読めるアカネにとっては貴重な情報源となった。書物は言わばアトランティスとムーの歴史書だった。と同時に両方のメガフロートの整備マニュアルでもあった。

「結構やばいかも」

 アカネから不穏当な言葉が漏れる。まだざっと眺めただけだが、メガフロートに使用された材料の耐用年数は一万年位だった。

「一万年も耐えるというのも大したものだけど。でも、この国はゆるやかな崩壊に向っているのは確かな事ね。今すぐにでも対処しないといけないけど、問題は原料よね……」

 海洋国家であり全ての大地が侵蝕体に汚染された今、メガフロート修復のための原料をどこから手に入れればよいのか。アカネは頭を悩ませるのだった。



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