マシナライズ(前)
母星から約38万キロメートル。衛星軌道上の重力均衡点にあるヴァルホルに、一機の宇宙機が吸い込まれていく。テツロウは千年前の記憶から、あの謎の電波を発進していた小天体ではないかと推測していた。相棒のラムーも肯定的だった。
格納庫内で宇宙機を降りたモニターの中のテツロウに、ディアナが告げる。
「テツロウさん。もう一人のお客さまがもう直ぐ到着するので、少しだけそこでお待ち下さい」
格納庫内に流れたディアナの声に、テツロウは一瞬、身を固くするが、すぐに弛緩させ顔を上げた。
「それまで、俺とお喋りでもしなか?」
「うふふ。それも楽しそうですが、もう一人加えて三人の方がもっと楽しめそうです」
モニターの中のテツロウは、両手を上げ、不本意な様子を見せながらも同意していた。
然程待つ事も無く、もう一機の宇宙機がテツロウの機の横に牽引されてきた。あれが、途中からレーダーに映っていた機なのか、とテツロウは興味津々で目を向ける。大まかな形は自機に似ているが、細部の異るその宇宙機はアスガルドのものではない。いや、自分の知るアスガルドのものでは無い、と言ったほうが正しいか、とテツロウは思い直した。
その機から、一人の女性が格納庫内に降りてくる。懸架式の梯子を降りてくるその女性は顔を下に向けており、その容貌はテツロウからは、はっきりとは視認できなかった。しかし、床に降り立ち顔を上げこちらに振り返ったその女性を見たテツロウは、電気が走ったかのように全身を硬直させる。それは、女性も同じようだった。
『テツロウさん。アカネさん。ようこそヴァルホルへ。案内しますので、私の所へ来て下さい』
格納庫内に響くディアナの声に、ようやく我に返った二人は、時々互いの顔をちらちら盗み見ながら、その声の導くまま歩を進めるのだった。
「それで。何で俺達を此処へ呼び出したのか、教えてくれないかな、ディアナ・セレスティルさん?」
「ええ、わたしも知りたいわ。ディアナさん」
テツロウとアカネの二人は、ディアナの待つ部屋へ辿り着くなり、ディアナへと問い質す。それに対し、ディアナは不思議な笑みを浮べる。
「ふふ。その前に、お二人に聞きます。お二人は、ここへ着く迄に色々と調査されてたでしょう? その結論を教えてもらえない?」
テツロウとアカネの二人は互いに顔を見合わせる。互いに困ったような顔をしていた。テツロウが僅かに目を動かすと、アカネはそれに応えるように目を動かす。
「まず、分かった事を述べさせてもらう」
アカネの合図を確認したテツロウが口火を切った。
「ここへ来る迄の間、母星とその周辺の光学観測を継続して行なっていた。その結果、ある筈の物が無かった。パシフィックオーシャンのほぼ真ん中にあるムー・メガフロートと、その上空の静止軌道上のアスガルドだ」
「わたしの場合は、アトランティックオーシャン上のアトランティスとその上空のアスガルドね」
口を挟むアカネにテツロウが驚きの目を向けると、アカネも同じ目をテツロウに向けていた。
「今、彼女が言った軌道上には原因不明の宇宙塵が集まる宙域があって……」
「今、彼が言った軌道上の宙域にも同じだったけど」
「どちらも、現在はアスガルドは亡く、二つとも宇宙塵の集まる宙域になっているわね」
二人の発言を纏めるディアナに、再びテツロウとアカネの視線が向けられる。
「続けて?」
促すディアナに再びテツロウが説明する。
「主星のスペクトルを調べた。俺の知っているそれとは若干のずれがある」
一度言葉を切ったテツロウを、アカネが継いだ。
「わたしの知っているスペクトルと比べると、数千年から数十万年の間で星の進化が進んでいると推測したわ」
アカネの言葉にテツロウは頷く。
「そこで、星図を作り直した。そして既存の星図と比較・同定しどれ位の時間が経過したのか調査した」
「銀河の回転や、その中での主星の公転運動を考慮に入れると、ここは数万年後の世界だと推測されたわ。けれど……」
言い淀んだアカネを見遣るテツロウは、その表情から、アカネもまたテツロウと同じように、ここが数万年後の世界だと思ってはいない事を悟る。
「静止軌道上の宇宙塵が気になる。一つは調べた。そこにはディッシュ状のゴースト重力場があると結論付けた」
「もう一つは、わたしが調べた。やはりゴースト重力場があると結論付けたわ」
「「そして、その形状はアスガルドが発生させている人工重力場と、ほぼ同じ」」
ユニゾンする二人の声が室内に響く。
「そのゴースト重力場、はどうやって発生したの?」
しばらくして、ディアナが静かに問い掛ける。
「保存則が、有り得る全ての世界を含んだ上で成り立つと仮定する」
「単体の世界では厳密には保存していない、と言えるわ」
「だから、ゴースト重力場は別の世界から齎されている筈だ」
「そこから導かれるのは、この世界は、わたし達の世界の平行世界、の一つという事だわ。この世界の静止軌道上のゴースト重力場は、わたしと彼の、二つの世界のアスガルドの人工重力場から漏れでたものなのでしょう」
呼吸の合ったテツロウとアカネの説明のリレーにディアナは幼女のように笑う。
「付け加えるなら、人工重力はその発生のさせ方から平行世界への漏れが大きいの。アスガルドで1G相当の重力を得ようと思ったら、2Gは発生させないと。残りの1G相当は別世界へと伝播するけれど、平行世界の間にも近い遠いの違いがあっって、遠くなる程指数関数的に伝播は少なくなるわ」
三つの世界しか知らないテツロウとアカネに、ディアナが捕捉を加えたのだった。
喉が乾いたでしょう、というディアナの勧めによって、三人は湯気の立つコーヒーを飲みながら、一息入れていた。思い思いの表情を浮べながら三人はコーヒーを啜る。
テツロウとアカネの気分が落ち着いた頃を見計らってディアナは口を開いた。
「さて、今度は私が二人に説明する番ね」
先程までの幼女のような顔から一変し、妖しい雰囲気を纏わせたディアナは二人に視線を向けた。
「確認するけど、二人には知識や常識以外、夫々ムーとアトランティスで目覚める前の個人的な記憶は無いという事で間違いないですよね」
二人はディアナに頷いた。それを確認したディアナはすまなそうな顔をする。
「では、二人の記憶の封印を解除します。その方が話が早くすみます。私の手を掴んで下さい」
ディアナの言葉に訝し気なテツロウとアカネに対し、ディアナは両手を伸べた。テーブル越しに伸べられた彼女の手を、テツロウが左手で、アカネが右手で握るとディアナは何言かを呟く。その呟きが終った途端、二人は二人は封印されていた記憶を取り戻した。
二人は、恋人同士だった。
テツロウ──榊哲朗は国立科学研究所の所員だった。
アカネ──神崎茜は検査機器メーカーの技術スタッフだった。
あの夜、哲朗は茜にプロポーズし、茜はそれを受けいれた。その日、二人はホテルで一夜を過し、そして唐突に現れた目の前の女性に意識を奪われた。次に意識を取り戻した時、二人は最前までとは全く異る真っ白な部屋に居た。
目を醒した二人にディアナは、伝える。ここは二人が居た時代より数百年後の世界だという事。世界が侵蝕体に蝕まれている事。これから二人に必要な知識を覚えてもらい、いざという時の維持計画を実行して欲しい事。その為に一万年は仮死状態でいて欲しい事。二人は、ディアナの言葉に諾った。ディアナに対する恨みつらみはあったけれど、何故か心底から彼女を恨む事も嫌う事もできなかった。そうして、二人は知識を蓄えてゆき、メガフロートが完成し、眠りに就く。哲朗はムーで、茜はアトランティスで。
「まて。俺が目覚めた世界でアトランティスは既に滅亡していた。茜は一体どうなったんだ?」
「ええ、わたしの世界ではムーは最早、人の住める環境では無かったわ。何故、わたし達は、別々の世界に居るの? わたしの世界の哲朗はどうなったの?」
「それにディアナ。君は、俺達を攫った時のままだ。あれから一万年以上経っているというのにだ。俺達と同様の仮死を繰り返している? そんな筈は無い。何故なら君の名は、歴史に度々名を残しているからだ」
「ええ、全ての活動期間を合わせれば、貴方はもうお婆ちゃんの年齢になってる筈よ。貴方は一体何者なの!?」
二人から手を離したディアナは、ゆっくりと目を閉じる。二人の視線はディアナに固定され、彼女が口を開くのを待っていた。
「ヴァルキリアが、到着しました」
報告を聞いたディアナは、ゆっくりと目を開けた。
「丁度良いタイミングです。一緒にヴァルキリアを迎えに行きましょう」
二機の宇宙機の間に、一体のマシナリィが立っているのを二人は認める。マシナリィに近寄ったディアナは指示を出す。
「クロノストーンを出しなさい」
そのマシナリィは、両腕を前に出し掌を上へ向ける。何事かと見守る哲朗と茜の二人は、嘗て感じた波の連なりが再び自分を通過していくのを感じた。
それが収まった時、マシナリィの両掌に、一辺50センチメートル程の漆黒のサイコロが二つ現れていた。しかし、変化はそれだけでは無かった。ディアナの立っていた場所には、もう一体のマシナリィが出現していたのだ。
口を開けたまま、茫然としていた二人にもう一体のマシナリィが声を掛ける。
「私は、ディアナ・セレスティル。哲朗、茜。これが私の本当の姿です。そして二人をこの世界へ招いた手段はクロノストーン、目の前にある漆黒の直方体です。ムーが滅んだ世界のアトランティスへは茜を、アトランティスが亡くなった世界のムーへは哲朗を、クロノストーンで送り出しました」
二人の目の前で、再び最前までの姿に戻ったディアナは、悪戯に成功した子供の様な得意気な表情だった。
「驚きましたよね? 驚いてくれなかったらどうしようかと思ってましたけど、成功して良かった」
にこやかに話すディアナを、哲朗と茜の二人は只々、茫然と眺めるだけだった。




