ヴァルホルの三人とヴァルキリア
複数のモニターが放つ淡い光が、椅子に座るディアナの貌を闇の中に浮び上がらせていた。爛々と輝く彼女の瞳は、これからおこる事への期待が込められている。
「まずは、アカネ」
モニターの一つへ視線を向けた彼女が呟いた。そこにはムーのアスガルトへ接近したアカネの宇宙機が映し出されていた。
「クロノストーン投射」
ディアナは、ムーのアスガルトからアカネの宇宙機へと漆黒のサイコロを投射する。それは、深い海の底から獲物を狙って浮上してくる肉食魚のように、次元の合間からアカネの宇宙機へと忍び寄って行く。
「アカネ機との接触まで後30秒」
精緻な計算によって導き出されたムーのアスガルトとアカネの宇宙機を結ぶ軌道上を進む漆黒のサイコロに、アカネはまだ気付いてはいない。その事を見てとったディアナは、薄く微笑んだ。
「アカネ機との接触まで後10秒。重力推進機関の位置で浮上」
カウントダウンの数字が 0を指す。
モニター上の宇宙機は、その中心から放たれた次元のうねりに巻き込まれ、波打つように何度も何度も大きく歪む。その様は、宇宙機の形をした軟らかい飴が、ぐにゃぐにゃと曲げられているようにも見えた。
宇宙機の歪みは次第に小さくなってゆき、やがて歪みは完全に無くなった。
「次元転移完了。クロノストーンの該当宙域への残置を確認。宇宙機のアトラスへ指示。ここへアカネを連れてきて」
どこへともなく指示を出したディアナは、アカネの宇宙機が動き出すのを見守った。モニターの中の宇宙機は相変わらずムーのアスガルトの近くにあった。だが、その映像は現実のものでは無い事をディアナは知ていた。
それは幾つもの次元に渡る合成映像だった。
然程時を置かず宇宙機が動き出すのを確認した彼女は、隣のモニターへと視線を移す。
「つぎは、テツロウ」
アトランティスのアスガルトの近くに居たテツロウの宇宙機にも同じ手順が繰り返される。アトランティスのアスガルトから投射されるクロノストーン。しかし、テツロウは何を見たのかクロノストーンを回避する動きを見せた。だが、その判断は少し遅かったようだ。次元のうねりに巻き込まれ、大きな歪みに揉まれた宇宙機は強制的に次元を転移させられていた。
「テツロウもここへ」
テツロウの宇宙機の移動を確認したディアナは三つ目のモニターへと目を向ける。手元で何かの操作を行うと、そこに一人の男の顔が映し出された。
「アーノルド。捜索機には例のマシナリィを乗せるように。人員は貴方に任せますが……」
たった今失踪したばかりのテツロウを捜索するために後日開かれた会議に出席しようとしているアーノルドに、ディアナは指示を出す。
「クルーガーに行ってもらいます」
クルーガーの、宇宙への恐怖を直隠しにしているその為人を思い出したディアナは、軽く頷いた。
「そうね、彼ならその適正……いえその不適正な資質から目的に適うでしょう。ではそれで頼みます」
再び手元で何かの操作を行うディアナの目の前の三つ目のモニターからアーノルドの姿が消え、再び視線を戻した二つ目のモニターからはテツロウの宇宙機の姿も消えていた。そこへ、クルーガーの乗る宇宙機が進入して来る。
「宇宙機のアドミニスターに指示。例の機体に船外活動の準備。クロノストーンを回収させるように」
しばらく待つと、一体のマシナリィが貨物室からクロノストーンへと飛び出していく。読み通り、クルーガーの性格ゆえ自身が赴く事はなかった。
クロノストーンに接触したそのマシナリィは、それを自身の裡に組み込んだ。その際、クルーガーからは一瞬消えたように見えただろう。それによって、彼が直ぐ様帰還しようとするのもディアナの計算のうちだった。
計算通り、クルーガーの捜索機が速やかに二つ目のモニターから姿を消したのを確認すると、最初のモニターを見遣る。そこには、たった今二つ目のモニターに映っていた筈のクルーガーの捜索機があった。
「ヴァルキリアに指示。該当宙域のクロノストーンを回収。回収後、ヴァルホルへ次元転移。ここへ来るように」
彼女の指示通り進む映像に満足気な笑みを浮べたディアナはどこかへと告げる。
「アカネとテツロウ、ヴァルキリアが到着したら報告」
椅子の背凭れに身体を預けたディアナの貌には、先程までの満足気な笑みとは対照的に憂いに満ちていた。
突然視界が歪み、自身が飴細工のように曲げられ、伸ばされ、折り畳まれるような気持ちの悪さを感じたアカネは、反射的に目を瞑る。目を閉じても感じられるその気持ち悪さは、暫くすると完全に収まった。
恐る恐る目を開けるアカネの視界には、歪みを感じる前と全く変らない操縦室の光景が拡がっていた。
「アトラス。何が起こったか分る?」
「重力推進機関内に数マイクロ秒、何かが実体化したようです」
アトラスの記録を問い質したアカネに返された答えは、彼女にとっては不十分なものだった。
「変な歪みとか無かった?」
「そのような記録はありません」
「そんな筈……」
もう一度操縦室内をじっくりと観察するアカネ。どこをどう見ても、以前と変った所は無いように見える操縦室に、アカネは自分の感じた事は、何だったのかと悩み始める。
何度も見直す内に、ディスプレイの映像の些細な変化に気づく。
「ねえ、アトラス。母星の中心から15°右側、静止軌道上に何があるか、確認して……」
了解、という返事の後、アトラスは暫く沈黙する。
「宇宙塵の密集が見られます。推測となりますが、前方100キロメートルにあるそれと、同じ原因によって形成されたと思われます。それ以外は何もありません」
アトラスの報告に、アカネは混乱する。
「アスガルトは!? どこえ行ったの!?」
「なあ、ラムー、相棒。アスガルトはどうなったと思う」
混乱しながらも、テツロウは冷静さを保とうとしていた。
「現状情報が少なすぎて、推測の余地すらありません」
「そっか。とりあえず、なにができるか考えよう。まずは真下にある母星の観測からかな」
上弦の青い半円を見せる母星に、テツロウは目を向けた。観測の準備を始めたラムーが、突然それを中断する。
「テツ、たった今、ディアナ・セレスティルからの緊急指令を受信しました。これからヴァルホルへと移動します」
聞いた事の無い場所への移動を告げられたテツロウは驚き訝しむ。
「ディアナってあの計画責任者のディアナか? ヴァルホル? どこだそれ。そこにディアナが居るのか? その指令は解除できないのか?」
矢継ぎ早に繰り出されるテツロウの最後の質問にだけラムーは答えた。
「最上位の指令なので、解除する権限がありません」
ラムーの返答にテツロウは溜息を吐く。
「他の質問は、ヴァルホルとやらに着いてから俺自身で確かめろ、という事か?」
「その通りです」
宇宙機内の二人の様子を見ていたディアナは、楽しそうに口元を緩めていた。一時の混乱を乗り越えた二人は、持ち前の前向きさで事態の把握しようとしていた。更に追い討ちでディアナからの取り消し不可の指令が下されても、自分に出来る事をしようとしている。ディアナは二人を選んだ自分を誇りに思い、またそんな二人を誰かに自慢したくなったのだった。
今二人は、それぞれのパートナーを相手に星図の作成に取り組んでいる処だった。その前は主星の光度とスペクトルを観測していた。調べられる事自体が少いので何れはそこへ手が届くだろうと予測はしていたが、それはこの世界を理解する上で大事な事だった。
主星の光度とスペクトルは、彼等の世界のそれより若干年齢を経たものになっている筈だ。そして星図に至っては、若干ずれた星や大幅にずれた星、見えなくなった星や新たに輝きを放ち始めた星等、かなり異なっている筈だ。
「隣合う平行世界だというのに、この世界は彼等のそれより数万年は先行しているのよね」
ディアナは呟きながら、二人を見詰める。
「彼等はこれを、どう解釈するかしら。時間跳躍が一番ありうる解釈だけど……」
彼等が来たら答え合せしようと企むディアナの表情はとても柔らかい。
主星のスペクトル分析結果を見たアカネは宇宙機のデータと比較する。
「若干だけど、機内のデータとのずれが見られるのよね。単なる短期的な変動と考えても良いんだけど……」
「ニュートリノの観測が出来れば良いのですが」
「積んである機材じゃ無理よね」
宇宙機に積んである機材では、ニュートリノは殆んど捕獲できない。すり抜けてしまうからだ。数万トンの水に匹敵する検出装置があれば別だが、有限の宇宙機にそんな物を持ち込める筈もなかった。
「これが、恒星の進化によるものとして、数千年から数十万年後の私たちの主星と言えなくもないんだけど……」
「断定するには、矛盾のあるデータが静止軌道上にあります」
「新たに作成した星図だけど、手持ちの星図とは結構違うな。同定作業はどれ位進んだ?」
二つの星図を比較しながら、テツロウはラムーに尋ねる。
「ほぼ完了してます。銀河の回転と、主星の銀河内の公転運動を考慮に入れると、数万年後の我々の世界といって良い程、一致しています」
「だけど、そう断定する事はできない、という事だな?」
「はい、あの母星の静止軌道上の二つの宇宙塵の密集する宙域が説明できません」
「そう、何も無い筈の宙域に、何故謎の重力源があるのか。それも一つは、ムーのアスガルドが、もう一つはアトランティスのアスガルドがある位置に。それを説明できない限り、貴方達の夫々の世界と、この世界が同一のものだと言う事はできない」
ちょっとだけ悪い貌になったディアナは、薄く笑ったのだった。
アカネの宇宙機がヴァルホルへ向けて移動してから数日後、同じ宙域に船外活動装備の一体のマシナリィが突如出現した。
ヴァルキリア、それがその機体の機体名だった。その機体は、推進剤を一切使用する異なく姿勢を制御してみせる。その人の目に良く似た機械の双眸が見据えるのは、ヴァルホル。
噴射炎も無く、推進剤も無く、その機体はヴァルホルへ向けて加速を開始する。その軌道は経済性を無視した軌道を選択していた。そう、その機体は、宇宙機並の出力の重力推進機関を備えたものにしか為し得ない機動を行っていたのだった。




