捜索
会議室のコの字に並べられた机の末席で、クルーガーは一人苦虫を噛み潰した様な顔をしていた。嫌な奴の消息が途絶えたと聞いた時は、鎮痛な表情を取り繕ってはいたが、内心では小躍りしたい程の喜びを覚えた。だが、こんな面倒事に巻き込まれる事は予想していなかった。
「ええ、状況は理解しました。こちらからはマシナリィ数機を提供いたしましょう。マシナリィについてはクルーガー君が一番詳しいので、現場の指揮は彼に一任して問題無いでしょう」
クルーガーは隣りに座るアーノルドを横目で睨む。余計な事を言いやがって、という彼の視線の抗議を、アーノルドは気付かない振りでやりすごす。
「それは助かる。我々も回せる機体や機材の都合をつけよう。出発は一週間後 で良いかな。宜しく頼むよ、クルーガー君」
原因不明の通信途絶を遂げたテツロウの捜索会議は、こうしてその第一回目の打ち合わせを終えた。何食わぬ顔で退席しようとしていたアーノルドに、そうはさせまじと呼び止めたクルーガーの声は、かなり尖ったものだった。
「アーノルドさん。こうなると分っていて僕を巻き込みましたね。恨みますよ」
徐に振り返ったアーノルドがクルーガーに掛けた言葉には、憐れむような、あるいは皮肉めいた色が含まれていた。
「おや、叩いたら埃が出る訳でもあるまいし、あれについては君が第一人者だという事に異を唱える者もいるまい。私は、君の手腕をかって推薦したつもりなんだけどね」
アーノルドの目に籠められた、非難とも嘲笑ともとれる感情を当てられたクルーガーは恥辱に耳を赤くし、拳を固く握り締める。
「まあ、最善を尽したまえ」
クルーガーの震える拳を見たアーノルドは、そそくさと会議室を出て行った。退出際に、ガキが、というアーノルドの呟きがクルーガーの耳を打つ。
「やってられるか!」
やり場の無い怒りを籠めた拳が机に叩き付けられた音と共に、吐き捨てるようなクルーガーの怒声が会議室に木霊したのだった。
静止軌道上の、母星から見てアスガルトの前方150°の宙域へと、クルーガーはテツロウの辿った軌跡を追うように航行していた。操縦席の直ぐ外は宇宙空間だ。薄いとはいえそれなりの大気と、防護フィールドに守られたアスガルトから見るよりも近い虚空が彼は嫌いだった。その環境では、全ての事に自分が責任を持たねばならず、常に自分自身が問われているようで、鬱陶しかったのだ。
お前は何者だ……
お前に何が出来る……
クルーガーの心に絶えず湧き出すその疑問を圧殺するために、彼は精神を磨り減らしているというのに、テツロウのような人達はそんな事を歯牙にもかけないらしい。好奇心は猫を殺すと言うではないか。わざわざムーからこんな処まで出向くテツロウは馬鹿で酔狂な奴だ。自分と正反対な、そんなテツロウをクルーガーは心底嫌いだったし、そんな奴の為に出向かなければならない事が、嫌で嫌でたまらなかったのだった。
「もう直ぐ、該当宙域に到達します」
宇宙機のアナウンスが、クルーガーの耳を打った。自分の感情を持て余していた彼は、無理矢理にでも冷静になろうと深呼吸を繰り返した。
「よし。到達後、すぐに探索を開始。どんな小さなものでも良い。痕跡がないか隈無く探し出せ。見つかり次第、マシナリィを向かわせるので、その準備もしておけ」
テツロウの機からの通信が途絶え、その機影が消失した宙域は本当に何も無かった。機の残骸どろこか、その破片さえも無かったのだ。
「本当に何も無いな。交信や観測の記録が無ければ、あいつがここに居たなんて信じられない」
まるで不可視の宇宙の深淵から、得体の知れない何かがあいつを飲み込み、連れ去ったのではないか。そんなオカルト染みた考えが不意にクルーガーにとり憑き、彼に胴震いを齎す。振り払おうとすればする程へばり付いてくるその考えは、彼の宇宙に対する、自分自身さえも欺いてきた感情が齎したものだ。クルーガーは宇宙が嫌いなのではない。怖いのだ。自分ではどうにも出来ない現実が、彼に牙を剥いて迫ってくる事に恐怖していたのだった。
精一杯のプライドと虚勢で守ってきた自身の怯懦な心に、彼は後一歩という処まで近付いていた。不審物発見、という機のアナウンスが彼を自身の心の深層への潜水から急浮上させた。
「……どこだ?」
一瞬で見当識を取り戻したクルーガーは、僅かな遅れで状況を確認しはじめた。
「ディスプレイに表示します。前方五キロメートルの地点、静止軌道より若干高軌道側になります」
眼前のディスプレイに表示されたその光点は、確かに静止軌道を少し離れていたが、誤差の範囲といえた。前方百キロメートルにある宇宙塵からは距離があり、その一部と考える事は無理だろう、とクルーガーは考える。このまま接近するか、マシナリィを派遣するか、少しだけクルーガーは判断に迷った。
「高機動装備のマシナリィAを派遣する。貨物室の扉を開け」
宇宙機胴体にある貨物室の扉が開く振動が操縦室に伝わり、直ぐにM-Aが飛び立った事をディスプレイが知らせてきた。
M-Aは近距離への移動という事もあってか、経済軌道を取らず最短で目標へと接近していった。M-A搭載のカメラが逐次送信してくるその映像をクルーガーは操縦室のディスプレイ越しに見詰めていた。最初の数分は一向に代わり映えのしない、時間が停止したかのような映像が続いた。目標とする物体が小さく、比較とする物が遠くにあるため仕方の無い事だった。だが、実際はM-Aも自機も、秒速3000メートルを越える速さで移動しているのだ。この、自らが培ってきた常識が通用しない数字だけの世界もまた、クルーガーの嫌悪する処だったのだが。
やがて映像の中心に、キラキラと瞬く光点が現れると、突然映像の時間が進み始めたような錯覚に陥る。減速しながら接近するその映像内の物体は、少しずつ大きさを増していき、回転するサイコロ状の形をしている事が、はっきりとしてきた。回転する物体の面が、主星や母星からの光を反射する度にキラキラと瞬いていたのだった。
やがて、映像内での大きさが変化しなくなったその回転体を、クルーガーはじっと見詰めていた。漆黒のサイコロ。それが彼の第一印象だった。その光沢は、黒曜石にも似ていると彼は思った。M-Aのカメラが自動的に映像に重ね合わせたスケールから、その一辺が五十センチメートルにも満たない事が分る。
「光学映像から成分分析はできそうか?」
「無理です」
「放射線は?」
「ありません」
どこから来たものなのか、テツロウの宇宙機由来のものなのか、判断するための試料が欲しい、とクルーガーは思った。
「周囲に同種と思われる、破片等は無いか?」
「……赤外からX線までの波長で周囲の空間を走査しましたが、該当物は発見できませんでした」
打つ手の無くなったクルーガーは思案する。このまま持ち帰るべきか否か。できればこのまま持ち帰りたいが、安全かどうか分らない物を持ち帰るリスクをはかりかねていた。
暫く悩んでいたクルーガーは先ずM-Aに接触させてみる事にした。
「掴まなくていい。ただ触れるだけにしろ」
ディスプレイには、指示を下されたM-Aの右腕が右側から漆黒のサイコロに伸びていく映像が映し出された。その動きは非常にゆっくりしたものだった。やがて、その指がサイコロに触れる。と同時に映像が揺らぎ、一瞬途絶えた。そして、再び映し出された映像からは漆黒のサイコロは消えていたのだった。
クルーガーには何が起きたのか理解できなかった。M-Aに故障でもあったのか? だが、通信断は秒にも満たない一瞬の事だった。その間に物が消えるなんていう事が起り得るのか?
「報告します」
宇宙機の声が、クルーガーの耳に届く。
「なんだ」
クルーガーの声は掠れていた。
「映像が途切れた瞬間、M-Aの存在も途切れたものと推測されます。機体からの反射光および排熱が確認できませんでした」
クルーガーの背中にぞわぞわとする怖気が走る。そんな怪談めいた話は止めてくれ、と心が叫んでいた。だからこんな処は嫌なんだ。もう帰る! アスガルトへ戻ったらムーへの転属願いを出してやる!
そんな心の喚きを必死に堪えながら、クルーガーは指示を出した。しかし、その声は酷く掠れていたのだった。
「M-Aに帰投指示を出せ。捜索は中止。帰投完了後、直ちにアスガルトへ戻る」
「しかし……」
「これ以上は何も出ん! 時間の無駄だ!」
「……了解しました」
帰投指示を出されたM-Aが何故か名残惜しそうな様子を見せた事を知っているのは、宇宙機のアドミニスターだけだった。
クルーガーの宇宙機がアスガルトへ帰還するにあたって選んだ軌道は、奇しくもアカネが調査に出た時の軌道と同じものだった。一度アスガルトの後方に出てから、追い越すようにアスガルトへ接近、捕獲してもらおうとしていたクルーガーを予定外の振動が襲ったのは、まさに追い越し加速を開始しようとしていたその時だった。
「何だ! 衝突か? 故障か?」
不意の出来事にクルーガーは慌てふためいた。一瞬何をすれば良いのか分らなくなっていた彼を落ち着かせたのは、宇宙機の報告だった。
「貨物室の扉が開いたようです。貴方と私以外の第三者からの指示が記録されていました」
「そんな奴、居る訳ないだろう……もういい! 直ぐ扉を閉めてアスガルトへ向う!」
宇宙機のアドミニスターは、一瞬口籠るような素振りを見せたが、結局は指示通り、アスガルトへの帰還手順を実行したのだった。
クルーガーの機が去っていくのを、一機のマシナリィが見送っていた。それは先程までM-Aと呼ばれていた機体だった。
宇宙機が見えなくなるのを確認すると、M-Aはアスガルトとは反対の方向へと移動を開始する。M-Aの向った先には、漆黒の、黒曜石の光沢を持つ、一辺五十センチメートルに満たないサイコロが浮んでいた。それはテツロウの失踪した宙域で見付かったものと同じものであり、アカネが失踪したこの宙域にも残されたものだった。
M-Aがそれにそっと右手を触れると、M-Aとサイコロは瞬く間にその存在をこの宇宙から消し去った。
クルーガーがM-Aの消失に気付くのは暫く後の事だった。そして、今この時、M-Aがどこへ消えたのか知るものは、一人を除いて誰も居なかったのだった。




