人格という名の“仮面”について
【“仮面”は嘘か、それとも――人はなぜ演じるのか?】
「人は、なぜ“仮面”を被るのか?」
その問いに、あなたならどう答えるでしょうか。
恥ずかしいから? 本音を言えないから? 嫌われたくないから?
たしかに、どれも間違ってはいません。
けれど、それだけでしょうか?
私たちが日常で見せる顔の多くは、“素顔”ではなく“仮面”です。
家庭の中、学校、職場、恋人の前――。
人は場面に応じて“求められる自分”を演じているのです。
この演技を、あなたは“嘘”だと思いますか?
それとも、“本音”よりもむしろ“自分の理想に近づこうとする姿”だと思いますか?
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■ 仮面は「演技」ではなく「選択」である
私が執筆しているファンタジー小説『忘れじのデウス・エクス・マキナ』では、多くのキャラクターが“仮面”を持っています。
それは秘密を守るため、過去を乗り越えるため、大切な誰かのため、あるいは自分を守るため――。
ここで重要なのは、「仮面を被っているから偽りだ」と切り捨てるのではなく、“なぜその仮面を選んだのか”という理由にこそ人格の核があるという点です。
仮面とは、本音の隠蔽ではなく、生きるための選択。
どんなに明るく振る舞っていても、それが誰かのための“選択”であるなら、それは本当のその人です。
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■ 仮面を剥がされた時、人は壊れるのか?変わるのか?
物語の中には、“仮面”を剥がされたキャラクターも登場します。
その瞬間、彼らの人格は崩壊することもあれば、新たな覚醒を迎えることもある。
つまり――仮面とは“牢獄”であると同時に、“希望”でもあるのです。
私たちの現実もそうです。
何かのきっかけで仮面が剥がれ、自分の未熟さや恐怖を直視しなければならない瞬間があります。
でも、それは決して終わりではない。
そこから、自分を再定義し、新たな“仮面”を選び直すことだってできるのです。
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■ “仮面”を通して描きたかったもの
この物語で描きたかったのは、『人間の弱さ』と『それを乗り越えようとする意思』です。
仮面を被ることを“逃避”とするのではなく、
むしろ、それでもなお他人と関わろうとする努力の証として描きたかった。
誰もが完璧な“素顔”など持ち合わせていません。
誰かの期待に応えようとして、痛みを抱えて、それでも演じ続ける――
その“仮面”にこそ、人間らしさが宿ると私は思います。
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■ 最後に:仮面も、あなたの一部である
もしあなたが、この物語を読んで「登場人物がわからない」と感じたなら――
それは彼らが“演じている”からです。
けれど、その演技の奥にあるものに気付いたとき、物語は別の顔を見せ始めます。
“仮面”は、偽りではない。
それは、本当になりたい自分の姿でもあるのです。
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あなたはどんな仮面を被って生きていますか?