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白い海泡石のパイプでいつものように一服し終わると、ドクター スケルトンンは、研究室の片隅に据えたステンレス製のテーブルにおもむろに向き直った。
首から紐でつるしている老眼鏡をかけ、遺体に目を凝らす。
スミソニアン国立博物館の法人類学科で、FBIの顧問として仕事をする主任研究員は、代々ドクター スケルトンと呼ばれた。
四代目のドクター スケルトンは当時すでに六十代。
三階の法人類学科のフロアには、彼のパイプ煙草の芳香が染み付いていた。
ゆらりと立ち上がると、六フィート三インチ(約一九〇センチ)の長身痩躯。白髪に頬骨のとび出た独特の風貌は、歴代の中でもその呼び名にふさわしかった。
テーブルは白布で覆われ、茶色に変色した骨片が、半ば人間の形に整然と並べられている。
人体を構成する骨の数は二百六ある。
郡警察の鑑識が送ってきたダンボール箱入りの骨は、すでに洗浄された状態で、足りない部位が多々あるものの、ほぼ一体分で、後に羊か鹿の骨がいくつか混じっていることが判明した。
ダンボール箱には骨のほかに、郡鑑識課の報告書と、遺体発見現場である湿地帯の写真、発見時の写真などが添えられていた。その写真をみても、すでに筋肉やじん帯などはなく、遺体は泥の中にほぼ白骨の状態で発見されている。
通常、人体が白骨化するには、三年から五年を要する。水中ではその倍の時間がかかり、地中では八倍も遅くなる。写真に見るような湿地帯なら、土中であってもより短期間で白骨化することは充分考えられた。
また、白骨が周辺に散乱していることから、野犬、狐、鷲、カラスなどによる破壊があったと推定され、それがさらに白骨化を速めたことも考えられた。
郡鑑識課が行った死後経過の化学分析結果を見ると、下顎付近の沈泥がPH3.5。
暗室内で紫外線を当てると、骨は白く反射し、蛍光反応が強く出た。十年を越えない骨の特徴である。
ドクター スケルトンはさらに、切歯の磨耗度、頭蓋骨や口蓋の縫合具合や形状を調べ、年齢を推定した。
白骨は、死後一年半から三年を経ており、推定年齢は十歳から十五歳くらい。白人女性と鑑定された。
ジョーンズビルのスケート場付近で三年前行方不明になった十二歳のチェルシー バーンズの資料がただちに集められた。
損傷の激しい遺体の確認は、飛行機事故などで知られているように、通常は歯科の治療記録で比較的容易に行われる。ところが、チェルシーの歯科記録は、行方不明時すでに廃棄されていた。
州法では歯科記録の保存年限は三年と決められている。チェルシーのカルテが廃棄されたのは治療後三年を経ており、これは違法ではない。しかし、歯科治療記録から、本人と確認する道は絶たれてしまった。
そこで、スーパーインポーズ法を使うことになった。スーパーインポーズ(画像を重ねること)とは、写真に残された故人の頭部映像と、頭蓋骨の映像を、コンピュータを使って文字通り重ね合わせ、一致するか確認するのである。
今回の白骨体のように、指紋が採取できず、DNAに必要な組織片なども手に入らない場合、当時はまだ二次元画像だったとはいえ、スーパーインポーズ法は個人識別に有効な手段となった。
使用されたのは、一九九〇年の行方不明時、全米にばら撒かれたチェルシー本人の写真である。ふっくらとした顔の少女の写真に、黒い眼窩を見開いた頭蓋骨の画像が重ねられた。
人骨の色は、周囲の植物や土壌の具合により微妙に変化する。頭蓋骨は左後頭部だけが赤茶けていた。これは頭蓋骨のその部分が土中からはみだし、日に晒されていたことを示している。遺体はうつぶせに埋まっていたものと思われた。
ドクター スケルトンは、少女の顔の輪郭、眼窩と目の位置関係など、頭蓋骨の解剖学的な特徴を、マニュアルどおり十八項目にわたり、詳細に生前の顔と比較した。
チェルシーの写真では、大きなスマイルを浮かべた口元に、子どもらしい味噌っ歯がのぞいている。その特徴ある歯並びが、頭蓋骨の下顎のその部分とぴたり重なった。それが決め手となった。
ドクター スケルトンは、ジョーンズビルの湿地帯で発見された白骨を、チェルシー バーンズと断定した。
法人類学の主な目的は、白骨の身元確認である。死因の鑑定は法医学の分野であり、法人類学では通常取り扱わない。
しかし、このとき、ドクター スケルトンの注意を引いたものがあった。
指骨の骨折跡である。遺体の右手人差し指、第一関節のところで切り取られた跡があった。
集められた骨のそこここに、獣と思われる歯型や牙でこすった跡は多く見られた。しかし、指先の損傷はそれとは異なっていた。あきらかに平たく切り取られている。が、ナイフほどシャープな傷跡ではない。スミソニアンのもっとも高性能な顕微鏡でも、ナイフで削った跡は見つけられなかった。
野犬や狐が、骨のこの部分を奥歯で噛みしめたのだろうか?
同様のパターンの傷跡を残すものといえば、いったい何があるだろう?
被害者が犯人と格闘になり、そのときに傷を負ったのだろうか? すると、それが殺害の凶器だったのだろうか?
被害者と犯人しか知らない何かが、ここに隠されているのではないか?
ドクター スケルトンは、白骨の人差し指の切断箇所に注目した。切断面の大判の写真を家に持ち帰り、朝に晩に考えをめぐらせた。
その週末は、独立記念日であった。
アメリカ中がバーベキューをして、夜は花火を楽しむ。花火が州法で許可されているのは、一年でこの日だけである。
晴天に恵まれ、ドクター スケルトンの自宅の庭先でも、成人した三人の息子や娘がそれぞれの家族を引き連れて他州から集まり、一族総出で朝からバーベキューの支度を始めた。
それぞれの家族に高校生から、生まれたばかりの赤ん坊までいて、いずれも大所帯である。ホットドッグ用に大量のフランクソーセージや、ハンバーガー用のひき肉や、照り焼きの鶏肉が用意された。
毎年恒例で、男たちがエプロンをつけ、バーベキューの焼き手になる。髪も体も煙臭くなった。
スパイシーなタレで焼いたチキンは、小さい子どもたちに人気があって、食べ終えた骨が、庭の隅に置いたゴミ入れにたまった。
鶏肉の脛肉は、その形からドラムスティックと呼ばれる。腿肉より一回り小さく、食べやすい。その骨は大人の小指ほどである。
ドクター スケルトンは、バーベキュー用の大ぶりのフォークの先にチキンのドラムスティックを刺し、しげしげと観察した。
チキンの骨の外部組織は人間のものより緻密だが、内部組織はチキンのほうが空いている。けれど、骨の全体的な厚みは、チキンのドラムスティックと人間の指骨はよく似ているように思われた。
その日集まった孫たちの中にも、あの写真にあった少女と同じくらいの年齢の子どもが何人かいた。
ドクター スケルトンは、ホットドッグや焼きとうもろこしをつかむ彼らの小さな手を、じっと観察した。
それから、バーベキュー用に食べられてしまわないうちに、チキンのパックをいくつか抱え、こっそりと自宅の地下室へと運び込んだ。
バーベキューのほうは息子にまかせ、地下の自分の工房で、法人類学のちょっとした実験をしてみようと思ったのである。
自宅の地下室は、家の一階の長さにどーんと奥まで続くうす暗い空間である。
ところどころ半地下になった明かり取りの窓から、夏の午後の陽射しが斜めに差し込んで、舞い上がるほこりの粒子に反射している。
壁の片側には、二世代も前に作られたラズベリージャムやアプリコットのシロップ漬けを詰めた大小のガラスジャーがずらりと並び、すり切れたマットレスや籐椅子などが、ごたごたと埃をかぶっていた。
かすかに黴臭い。
ボイラーをしまった小部屋にさえぎられ、入り口のドアから死角になったところに、古机とばねの飛び出た回転椅子があり、その辺りが、古い文献や資料の墓場になっている。
ドクター スケルトンの地下工房である。
もちろん一階にちゃんとした書斎があるのだが、古い標本や、使わなくなった器材など、ここに積み重ねられていた。
ドクター スケルトンはパイプをくわえたまま地下室を動き回り、紫煙がそこここに、霊媒の発するエクトプラズマのごとく漂った。
まず、針金つきの小さな荷物用タグを用意する。一枚一枚に、切断に使用する器具名を記入した。
それから、ラテックス製の医療用手袋を、ぴちっと音立ててはめると、チキンをパックから取り出し、ひとつずつタグを結びつける。そして、それを、日曜大工の作業台の上に並べた。
準備はできた。
奇妙な実験が始まった。
最初は、シャープなキッチンナイフを使って、ドラムスティックのとび出た骨の部分を力任せに切ってみた。
次に、刃先の鈍くなったナイフでごしごしこすってみる。
それから、鋸のように目のついたアーミーナイフを両刃とも試してみた。
さらに、キャンプ用品をしまった箱の中から小ぶりの鉈を探してきて、それでチキンを叩き切った。
刃物を用いた場合、チキンの骨の切り口は、どれも非常にシャープになった。遺体の指骨のように、平らでありながらちぎり取ったように荒々しい切断面にはならない。
姿の見えなくなった夫の姿を探して、妻が地下室へ降りてきた。アイスティーの大ぶりのグラスをふたつ手にしている。
長い夫婦生活から、この夫に口を開かせるには、こちらから尋ねてはいけないことが、妻にはわかっていた。だからこのときも、夫が最近没頭している事件の話を訊きたくてうずうずしていたにもかかわらず、そんな様子は煙にも出さず、アイスティーを傍らの机に置き、自分はナショナル ジオグラフィックを束ねた山に、そっと太り気味の尻をのせた。
ドクター スケルトンは作業台に覆いかぶさるようにして、並べたチキンのそれぞれの切断面を比較しながら目も上げない。ひとりごとのように、なあ、おまえ、どう思うと、かたわらに置いた指骨の写真を妻に指し示した。
ここだけ、どうしてこんなふうに切断したんだろうか?
妻は、骨の切断面の拡大写真を手に取ると、ちょっと頭をそらして老眼の焦点を合わせ、じっと見入った。写真の画像は、チキンの骨とさして変わらない。
しばらく考えて、保険会社に長く勤めていたことのあるこの妻は、似たような保険金詐欺のケースを思い出した。
妻はチキンのドラムスティックを手に、夫をせかして外へ出た。
夏の長い夕暮れ時、大気は赤みを帯びている。大人たちは木洩れ日の下に白いプラスチック製の庭椅子を並べ、青々とした芝生に三々五々、足を伸ばしていた。その間を、小さい子どもたちが走り回る。
スケルトン夫妻は木陰伝いに庭を抜け、大きなゴミバケツの置いてある裏手へ回った。
「この車のドアなら、どうかしら?」
自分専用の日本製ツードアのコンパクトカーだ。その朝、買い物から帰ってきたときのまま、路上に駐めていた。
ミセス スケルトンのよく動くハシバミ色の目が、どこか浮き浮きとしている。
ひとりがドラムスティックを注意深く支え、もうひとりが勢いよく車のドアを閉めた。
骨はドアにはさまれてまっぷたつに割れた。断面は斜めで、ナイフのときほどシャープではないが、いけるかもしれない。
「後のドアでもやってみましょうよ」
ミセス スケルトンは、いそいそとハッチバックのリアドアのロックを解いた。
その日、ふたりは深夜までかかり、あるだけのチキンのドラムスティックを、車のドアのあちこちにはさんで、骨の損傷具合を見た。
結局、左右のドアの下部にはさんだものが形状的に、写真の切断面に一番似通っているように見えた。幾分か斜めに鈍い切り口である。
もっとドアの重い車だったらどうだろう? 車種によって、切断面の様相も変わってくるかもしれない。
容疑者の車はなんだろうか?
独立記念日の連休が終わると、ドクター スケルトンは、検察局を通じて、郡警察殺人課のソーンダイク警部に連絡を取った。
その頃、郡警察では、写真によるラインアップが急いで準備されていた。
膨大なマグショット(逮捕時の写真)リストから、六人の男の正面と横顔の写真を選び出す。目撃者の証言に従い、黒髪で三十から三十五才前後、中肉の平均的な容貌の写真が集められた。写真の映像はどれも、頭から胸まででカットし、それぞれの人物の身長が相対的にわからないようにした。
ジョン コルテスの写真は、二番目に並べられた。
「この中に、あなたがあの晩見たという男がいますか? もしいれば、その男を実際に見たらわかりますか」
元ウェイトレスは慎重に写真を見比べ、しばらく考えてから、
「この人が一番似ていると思います」
と、コルテスの写真を指した。
捜査の駒は一歩前進したように見えた。が、しかし、目撃者の証言はあてにならない。
一九八〇年のタイタン事件の例がある。これは、目撃者証言の信憑性をいうとき、よく引き合いに出される。
不運な男タイタンが、レイプ犯と誤認された事件である。彼は、写真ラインアップの中から被害者によって選ばれた。
しかも、このケースでは、タイタンのポリグラフまでクロと出てしまった。彼は人一倍緊張しやすかったため、それがポリグラフに盛大に現れたのである。
不幸中の幸いは、タイタンが逮捕され、尋問されている間に、他の容疑で挙げられた男が、問題のレイプを自白したことである。しかし、これは単にタイタンが幸運であったというにすぎない。
ましてや、今回のチェルシーのケースは、三年前の出来事である。目撃者の記憶がどれほど信頼できるだろうか?
ドクター スケルトンから捜査本部に、指骨の骨折について連絡があったのは、そんなときである。
ただちに、ジョン コルテスの車が調べられた。チェルシーが最後に目撃されたジョーンズビルの市庁舎付近から、遺体の発見された町境の沼地まで、約十マイル(十六キロメートル)。犯人が車で移動していることは間違いない。
車両登録によると、一九九一年一月、つまりチェルシーが行方不明になった一ヶ月後に、コルテスは車を買い替えている。このことも捜査陣の注意を引いた。
一九八〇年型フォードピント、ツードアセダン。
車両登録はコンピュータ化されており、追跡はむずかしくない。
中古車屋の手を経て、このフォードピントは、西海岸でさらに別の中古車屋の店頭に並べられていることが、その日のうちに判明した。
係官が西海岸へ赴き、問題の車を見つけた。ただちに小型掃除機を使い、埃、砂粒、パンくず、糸くず、毛髪など、ありとあらゆるものが吸い取られた。こういった遺留品は、すぐに科学検査へまわされた。
このとき、ドクター スケルトンの助言に従い、車のドアの内枠外枠のルミノール検査も忘れず行われた。ルミノール反応は非常に鋭敏で、新鮮な血液より古いもののほうが強く出るという利点がある。
いっぽう、同じ頃、唯一の目撃者であった元ウェイトレスは、地元エドモントンの映画館に、評判のアクション映画を見に行っていた。三年前のアカデミー賞で助演男優賞にノミネートされた男優が、この新作では主演だった。
事件当夜、レストランをのぞいていた男がこの男優に似ていたことは、すでに警察に話していた。あの時映画を見たのも同じ映画館である。
スクリーンに大きく映し出された主役の顔。数年ほど年を重ねて額が後退し、年齢を刻んでさらに陰影の深い顔立ちになっていた。その容貌が、まさに写真ラインアップにあったジョン コルテスの現在の姿そのままだった。
映画が終わるのを待ちかねて、いっしょにいたフィアンセを映画館のロビーに待たせ、この元ウェイトレスは郡警察本部に電話した。
ソーンダイク警部が受話器をとるや、彼女は断言した。
「私があの晩目撃したのは、あの写真の男に間違いないと思います」
しかし、と、電話を受けたソーンダイク警部は考えていた。
目撃者が始めのうちは自信がなくても、そのうち自分の証言に確信を持ち始めるのはよくあることである。記憶に欠けているところは都合よく埋め合わされていく。この目撃者の証言を鵜呑みにすることはできない。
フォードピントの遺留品の検査結果が出るのを待って、捜査会議が開かれた。
会議の席には、プロファイリングを専門とする心理学の学位を持つ捜査官も加わった。犯人を特定するというより、捜査の方向付けに役立つかもしれない。
ソーンダイク警部はそう考え、プロファイラーにも意見を求めた。
「参考になるかわかりませんが」
プロファイラーは、手札大の写真をテーブルの中央に置いた。一同すっかりなじみ深くなった、行方不明時のチェルシーの写真である。
その隣にもう一枚。
「こちらは、チェルシーの母親の若い頃の写真です」
母娘だけあって、ブロンドのまっすぐな髪や、薄蒼いアイリッシュ系の瞳は生き写しだ。
「そして、これが、ジョン コルテスの妻なんですが、ハイスクールの卒業アルバムにあった写真です」
全員がいっせいにテーブルに身を乗り出す。
やや色あせた写真は、ブロンドの髪を束ねてはいるが、チェルシーの母親とそっくりだ。卒業写真によくあるように、斜め前方の輝かしい未来を見つめ、笑みを浮かべている。
「そして、これ」
まるで、ポーカーの手札でもさらすように、プロファイラーは憮然とした表情のまま、最後の写真をテーブルに並べた。
「コルテスは未成年のとき、婦女暴行未遂で保護観察になっていますね。そのときの被害者の女性です」
長いブロンドに薄青い目。
テーブルの上に並べられた四枚の写真。姉妹のようだ。
コルテスをめぐる四人の女性は、めまいを覚えるほどよく似ていた。
「コルテスを犯人と仮定して話しますと、これが彼の被害者の『タイプ』だと言えるんじゃないでしょうか。つまり、コルテスがチェルシーを連れ去ったのだとしたら、それは偶然ではなかった」
会議室の中はしんとなった。
深夜、一人歩きしていた少女が、自分のタイプだったので、コルテスは声をかける気になったにちがいない。
ばらばらだった二つの点が、少し近づいたように見える。誰の目にも、コルテスの容疑はますます濃くなったように思えた。
しかし、これもまた憶測に過ぎない。
科学検査の結果、例のフォードピントの遺留品に、チェルシーの毛髪などは発見されなかった。が、これは驚くに値しない。車はすでに複数の中古車屋へ転売されており、車内清掃は何度も行われているに違いないのだ。
いっぽう、ルミノール反応のほうはわずかながら出ていた。車のドアの枠部まで掃除する人はいないからであろう。
ドクター スケルトンの予言どおり、薬品を塗布すると助手席側ドアの下部に蛍光反応が現れた。ただ、血液型やDNAの特定は、時間がたちすぎていたためできなかった。
ここまではまだ、目撃者の証言、車のドア付近のルミノール反応、挙動不審な第一発見者というだけで、コルテスを殺人罪で起訴するには不十分である。
唯一の目撃者のウェイトレスは三年前の記憶に頼っているに過ぎず、あるいは夜闇に見誤ったのかもしれない。車のドアの古い血痕にしても、車の何代目かの持ち主が、あやまって生爪でもはがしたのかもしれないのである。
コルテス本人の自白があるわけでなく、彼とチェルシーを結びつける決め手となるような物的証拠も見つかっていない。容疑者と被害者の二点はばらばらなまま、つながりそうもなかった。
チェルシーの遺体は葬儀のために、母親のもとに返された。
葬儀には、地元新聞だけでなく、全米から新聞記者やテレビのドキュメンタリー番組の取材陣が集まった。いつもは閑静な町に、この日はテレビ局のカメラやワゴン車が走り回り、ちょっとしたお祭り騒ぎを呈した。
ジャーナリストたちがインタビューしたがったのは、一連のできごとの発端となったジョン コルテスである。
チェルシーの母親からは、地元新聞ジョーンズビル クロニクル紙がすでに書きたてた以上のことは聞けなかったが、コルテスのほうは、メディアにつぎつぎと新しい情報を提供していた。
これに対し、テレビ局は相当額の報酬を支払っていると、もっぱらの噂であった。つい昨日まで、州立精神病院の雑用をしてかつかつの生活を立てていたこの男は、生まれて初めて世間の脚光を浴びたのである。
「チェルシーは、あの公衆電話を使って自宅に電話しようとしたんです」
ビショップストリートで公衆電話を指差すコルテスの姿が、テレビに映し出された。
「警察は、ハーディーズ レストランを出た後の足取りをつかんでいませんが、チェルシーはここを歩いて帰ろうとした。犯人は、彼女の後をつけて、あの牧草地の柵の前で車を止めたのです」
でも警察は、僕の「夢のお告げ」を信じようとしないんですと、コルテスはテレビカメラに両手を広げて見せた。
「チェルシーのお母さんには、そのことを話されましたか?」
売り出し中の若い女性レポーターが、抑揚を利かせた調子でコルテスに尋ねる。
「いや、話してあげたほうがいいのかどうか……僕にはわかりません。聞いたら、辛くなるばかりでしょう」
コルテスは沈痛な面持ちで、コメントを述べた。
クライムノベルの第一人者、アン ルール自ら、コルテスにインタビューを取り付けた。次作にジョン コルテスを登場させようというのである。インタビューの内容は、チェルシーの失踪事件より、むしろコルテスの超能力の検証に近くなった。
ソーンダイク警部は自分でもエドモントンの図書館まででかけ、超能力関係の本を何冊か借りて読んだ。
有名な精神医学者ユングは、予知夢やテレパシーを、直感であり、存在すると言い切っている。
犯罪史に、コルテスの言うような「夢のお告げ」的ケースはあるだろうか?
警察関係の記録で、一九八二年フロリダ州の判例を見つけた。この事件では、若いバーテンダーがやはり夢のお告げと称して、殺人の模様を詳しく証言した。後に訊問中、この容疑者は自らの犯行と認めている。ところが裁判で、容疑者は自白をひるがえし、結局、証拠不十分なまま無罪に終わった。
今回のケースではどうだろう?
ジョン コルテスの犯行なのだろうか?
その頃、コルテスをテレビで見たと、ボストン警察からコンタクトをとってきた刑事がいた。ソーンダイク警部にはまったく面識のない人間である。
「ボストン絞殺魔のことはご存知ですね、一九六〇年代のことですが」
いぶかりながら受話器を取り上げたソーンダイク警部の耳に、若い声が響いた。
「あれは夢ではなく、透視能力なんですが」
当時、オランダの千里眼と呼ばれたピーター ハーコスが、ボストン絞殺魔の捜査に協力したという。
サイコメトリスト。物に触るだけで、そのオーラに反応し、それに関係した人物やできごとを透視する超能力者。
「ハーコスは何カ国もの警察に協力し、解決した難事件の数も三十を越えるはずです。一九六二年のボストン絞殺魔の事件では、結局、その透視が正しかったのか、判断できませんでした。ただ」
と、この未知の刑事は続けた。
「実は、僕の父も刑事で、このボストン絞殺魔の事件を担当していたんです。もうだいぶ前に引退したんですが、今でも僕に、ハーコスのことをよく話してくれます」
当時、警察とハーコスとの間の連絡係をおおせつかったというこの人の父親は、ハーコスと初対面の挨拶もそこそこに度肝を抜かれたという。
「父は、その朝、他の部署から急遽ハーコス担当に回されたそうなんです。その命令を受けた時刻、ハーコスは、テキサスからボストンへ向かう機上の人だった。だから、父のことを調べるひまはなかったはずなんです。それが」
初対面の挨拶で、ハーコスは握手の手を放さず、
「あなたのお母さんのリウマチはお気の毒です。クリスマスには会いにお行きなさい。さもないと、ずっと後悔することになる」
と、言った。
「父の母、つまり僕にとっては祖母ですが、父がその年クリスマスに会って、年が明けるとすぐ急逝しています。長いことリウマチで苦しんでいたのも本当でした」
ハーコスはそのときもう一言付け加えていたという。
「自転車に気をつけたほうがいい」
その晩、気になって、帰宅してすぐガレージにしまってあった子ども用自転車を調べたところ、後輪がはずれ、横倒しになった。
「父は迷信など笑いとばす、非常に合理的な人なんです。超能力というものは、電気や電波と同じに、現在の科学ではまだ測定できないでいるだけなのかもしれません」
今回の事件とは関係ないかもしれませんが、個人的に話しておきたかったのですと言い添えて、電話は切れた。
チェルシーの遺体の第一発見者ジョン コルテスは、「夢のお告げ」について繰り返し言っている。あの男には、ある種の超能力があるのだろうか?
ソーンダイク警部は、無神論者であり、プラクティカルな現実主義者だった。心霊にも超能力にも大いに懐疑的だった。
再び、プロファイラーを交えた捜査会議が開かれた。
ソーンダイク警部はその席で、ジョン コルテスにポリグラフテストを受けさせてはどうかと提案した。
「もし、コルテスが犯人なら、彼はなぜ、自分の犯行とばれるかもしれない危険を冒してまで、死体を埋めた場所を警察に知らせようとしたか、ということなんだが」
正面のホワイトボードには、遺体発見現場の沼地や、ジップバッグに入った頭蓋骨の写真と共に、前回捜査員全員に回覧されたコルテスをめぐる四人の女性の写真が貼り付けられている。女たちも頭蓋骨も、歯を見せて華やかに笑っていた。
プロファイリングの担当官が口を開いた。
「いわゆる一種の署名行動ではないでしょうか。つまり、示威的、自己顕示的行動にこだわるという性向が、今回のコルテスの行動に現れているのでは?」
プロファイラーが提案した。
「そこで尋問のプランなんですが」
自己顕示欲の旺盛な犯人の場合、尋問の仕方で、自分の犯行をぺらぺら自慢げにしゃべりたてるのではないだろうか? コルテスにもっと自分から話す機会を与えてみてはどうか? 犯人しか知らないような事実を、興にのってうっかりもらすかもしれない。
会議室のテーブルをはさんで、捜査官が何人かうなずいた。
翌日、ソーンダイク警部は、地方検事と慎重に協議を重ねた上で、ジョン コルテスにポリグラフテストを受けることを提案した。ポリグラフを通れば、コルテスに対する疑惑は撤回する。もしポリグラフでクロと出たとしても、それを法廷で証拠として採用することはない。が、そのときは、チェルシー バーンズ殺しで起訴する可能性はあるとほのめかした。
ジョン コルテスは刑事弁護士を雇った。
弁護士は、ポリグラフテストを拒否するのは賢明でないと依頼人を説いた。
「疑いを深めるだけですよ。それより、決定的な証拠がないなら、ポリグラフの結果は、告発を取り下げさせるにはむしろ有利です。なに、万一失敗しても、心配することはありません。目撃者の供述は、三年も前のことで信憑性に欠けますし、あなたが遺体発見者であることは偶然の一致に過ぎません。また、過去の犯罪歴といっても、未熟な子どもの頃の未遂事件であり、それほど問題になるとも思えない。ポリグラフを受ければ、本件をすぐ取り下げさせることができます。ポリグラフを受けなさい」
これには、警察側がなにかほかにまずいことを発見してしまう前に、さっさと今のうちにポリグラフを受けて、身の潔白を明かしたほうがよいという示唆も含まれていた。
辣腕の刑事弁護士の目にも、ジョン コルテスは胡散臭げに映ったのである。
コルテスはポリグラフテストを受けることを承諾した。
犯人のプロファイリングと、ドクター スケルトンの実験結果や科研の報告をもとに、また超能力に関する意見も含め、慎重な尋問プランが練られることになった。