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 一九九三年、夏のある日のことである。

 エドモントンの郡警察署本部に、白人の中年男が現れ、受付のカウンターに拾得物を差し出した。それが、ジップバッグに入った頭蓋骨だったので、騒然となった。

 男は、ジョン コルテスと名乗り、信じてもらえないかもしれないがと前置きして、「夢を見たんです」  

 と、語り始めた。

 マジックミラーと防音設備のある取調室に座らせ、何度も聞いているうちに、男の話はより長く複雑になった。

「それが、もうひと月くらい、同じ夢ばかり見ていたんです。夢の中で、女の子が、私を探して、と言うんです、何度も何度も。長い金髪の少女で、僕の手を引いて、すべるように歩いて、沼の淵まで連れて行きます。そこがどこなのか、付近の様子ですぐわかりました。地元の者はほとんど近づかないところです、ご存知でしょう?」

 と、隣町のジョーンズビルとの中間にある沼沢地の名前を言った。

 男は中肉中背で、黒く濃い眉の下にそれが特徴の大きな目玉がぐりぐりと動き、聞き取っている刑事を見上げた。

「で、こうして指差すんですよ。見ると、足元に」

 と、ジップバッグを指した。

夢のお告げどおり、湿地帯を探してみたら、地面から半ば顔を出した髑髏を見つけたというのである。

 一般人が埋もれた頭蓋骨を発掘すると、外れた下顎をしばしば置き去りにしてしまうものだが、透きとおったバッグの中にはちゃんとそれも入っていた。頭蓋骨そのものは変色し、まだ湿った黒土があちこちにこびりついていたが、人間のものであることは一目瞭然だった。

「最初はただの悪夢だと思ったんですよ。すごいリアルでねえ。目が覚めると冷汗をかいて……。そんなのが何度も続いてごらんなさい。こりゃあシュリンク(精神科医)に助けてもらわなくちゃって、誰だってそう思いますよ。ああ、また今晩もあの夢見るなあって思いながらベッドに入るんだ。眠りたいのに眠れない。眠れないけど、眠らなくっちゃいけない。しまいに眠るのが怖くなって、オーケーオーケー、そんなにあんたが言うんなら、見に行ってやろうじゃないか。あんたがどこの誰だか知らないが、それで気が済むって言うんなら、と、でかけたわけなんです。とにかく、実際に確かめてやろうと思って」

 男をパトカーに同乗させて、州間フリーウェイから程近い、沼沢地の捜索が行われた。地元で荒地と呼ばれている地域で、その年の降雨量によって、いくつかの沼が互いにくっつきあいひとつの大きな沼になったりする湿地帯である。この年の夏は異常気象で、中西部は記録的猛暑に襲われており、沼はほとんど干上がった状態だった。

 パトカーが現場に近づくにつれ、はるか頭上で、カラスの群がしきりに鳴き騒いでいるのが聞こえた。周辺は、立ち腐った何本もの枯れ木と夏草に覆われ、沼には、人の背丈ほどもある葦がびっしりと生い茂っている。

 警官たちは、流れる汗をぬぐいつつ、ところどころ、くるぶしまでもぐりこんでしまう生暖かいぬかるみを、用心深く進んだ。

 泥にまみれたレジ袋が葦の根元にからみ、へこんだアルミ缶やビールの小瓶が点々と転がる。草いきれと腐った水で、あたりは生臭かった。

 かしいだ柳の枝が長く垂れ下がり、その下の土が掘り起こされていた。男が目印に立てておいた小枝には、乾いた泥が白くこびりついている。

「あそこです。夢に出てきたのもあの木の下だった」

 男の言うまま、その周辺に、立ち入り禁止の黄色いテープが張り巡らされた。同行した警官はマニュアルどおり、管区本部に連絡し、現場保存に努めた。そうしている間にも、人体の一部と思われる、泥にまみれた骨片がいくつか見つかった。

 鑑識課員が到着すると、まず現場の写真が撮られた。沼地全体を俯瞰するものから、骨を掘り出した後にぽっかりと空いた穴までカメラに収められた。

 やがて警察犬を動員して、付近一帯の捜索が始まった。犬の嗅覚は、二フィート(約六〇センチ)の土中からも遺体を見つけることができる。

 残りの骨を捜さなければならない。遺体は一体だけではないかもしれず、また、遺品が見つかる可能性もあった。

 鑑識課員と保安官事務所で集めた近隣のボランティアが、七十五エーカー(三〇ヘクタール)もの土地を丹念に調べた。得体の知れない大量のゴミとともに、泥まみれの骨片が、郡警察の鑑識課に集められた。

 人骨か、獣骨か。

 一体か、複数か。

 男か、女か。

 人種、年齢、死期、死因。

 集めた骨を、生前の人体の位置に当てはめていく。

 見つかった遺体は一体であった。コーカサス系白人女性で、まだ子どものものらしく、死後数年は経っていると推定された。

 遺体は、衣服や靴をはぎとられ、沼地に埋められていたが、性的暴行があったかどうか、判断することはできなかった。周辺から集められたゴミの中に、所持品と思しきものも見当たらない。鑑識課はそれ以上の見解を示すことはできなかった。

 郡警察殺人課のソーンダイク警部は、地方検事に、調査について刑法上のアドバイスを仰いだ。というのも、遺体発見の経緯が、どうにも胡散臭く感じられてならなかったからである。

まず、件の男から事情を聞き取るのだが、これが話すたびに膨れ上がった。男は饒舌だった。内容が変わるのではなく、より微に入り細に入る。

「僕はなにも知りませんよ、この骨のことも、夢に出てきた女の子のことも、いったいどういう関係があるのか、どうして僕の夢に出てこなくちゃいけないのか。僕はこういう夢をときどき見るんです」

 子供のころ、母親のなくした指輪を「夢のお告げ」で見つけたり、親戚の子供が交通事故にあうのを予知したこともある。その他もろもろの「サイキック」な経験をしていると言う。

第一発見者を疑うのは捜査の常道である。調書を作成しながら、ソーンダイク警部は、この男の身元調査を部下に手配した。

 男は、エドモントンにあるステートホスピタル、つまり州立精神病院の雑役夫で、十四才のとき少年審判所で保護観察処分を受けた前科があった。婦女暴行未遂によるものである。

 男の長々とした話が終わるころには、もし、これが殺人事件だとしたら、誰の目にも彼が第一容疑者と写った。しかし、この男と白骨死体を積極的に結びつけるものは、今のところなにひとつ見つからなかった。

 ソーンダイク警部から伺いを受けた検事局は、「白骨を、ワシントンDCにあるスミソニアン国立博物館に移送し、考古学もしくは人類学のスペシャリストの意見を仰ぐこと」と、指示を下した。

 一九九〇年当時、法人類学はまだしっかりと確立しておらず、特に白骨化した死体の鑑定には、FBIですらスミソニアン国立博物館に依頼することが多かった。ここの人類学科には、骨の専門家がいるのである。

 その主任研究員の学術論文、「死者からのメッセージ/古代南米エクアドルにおける呪詛と殺人の法人類学的一考察」は、その年の初めに学会で発表されたばかりだった。白骨の法人類学による身元確認法が、学問的にもやっと認められた頃である。

 いっぽうジョーンズビルの町では、地元新聞ジョーンズビル クロニクルが、警察発表に従い、湿地帯で発見された白骨のこと、またそれがスミソニアンの鑑定に出されたことだけを記事にし、発見者であるジョン コルテスにも、彼の「夢のお告げ」についても触れなかった。

 それでも、例の研究論文から借用したセンセーショナルな見出し、「死者からのメッセージ」をめぐって、湿地帯を堺に隣り合ったエドモントンとジョーンズビルの町では、噂が噂を呼んでいた。 

 スミソニアン博物館の薄暗い地下室で、ずらりと並んだスチール製の引き出しに管理されているという、三万三千体におよぶ身元不明の白骨体について。はたまたそれを使って行われるという、復顔法の研修について。その復元された死者の顔の正確さ、あるいは不正確さについて。

 いっぽう郡警察本部では、八年前、つまり、発見者のコルテスが妻と共にジョーンズビルに引っ越してきた一九八五年当時までさかのぼって、エドモントンとジョーンズビル付近の行方不明者のリストが作られた。

 古くから、牧畜業者と、小さなカレッジの学生と、そこの教員や学校職員とその家族からなる田舎町である。行方不明といってもほとんどが、借金の返済に困ったあげくの夜逃げや単なる流れ者にすぎなかったが、いまだに行方の知れない者も六人いた。そのうち、子供はひとりだけだった。

 失踪当時十二歳だったチェルシー バーンズである。



 一九九〇年十二月。

 金曜の午後遅く、十二歳になったばかりのチェルシー バーンズは、家から八マイル(約十二キロメートル)ほど離れたところにあるアイススケート場まで、母親の車に乗せてきてもらった。

町外れの低地に水を張り、凍らせただけの即製の町営アイススケート場である。無料だが、クリスマス休暇でにぎわう十二月には簡単な夜間照明も設置され、子供たちはナイターで遊べるようになっていた。

 スケート場のゲートでは、セントメアリー小学校でチェルシーと同級の女の子がふたり待っていて、こちらに笑いかけ、手を振った。

 母親は、チェルシーを車から下ろすとき、財布からクォーター(25セント硬貨)を三枚取り出して与えた。電話代である。携帯電話が普及する十年も前のことで、市内なら一通話二十五セントであった。

 この日母親は、勤め先の年忘れパーティーに参加するために、近所の高校生にベビーシッターを頼んでいた。ベビーシッターは、スケート場の閉まる九時すぎに、チェルシーを迎えに行くことになっている。万一、迎えが遅れたら、自宅に電話するよう、娘にコインを渡しながら母親は念を押した。

 チェルシーは勢いよく車のドアを閉めると、手編みのスキー帽からはみ出した自慢の長いブロンドをなびかせ、駆け出して行った。

 母親が、生きているチェルシーを見たのは、それが最後になった。

その日の夕方、寒暖計は華氏で十五度(摂氏零下九度)を指し、夜になってさらに下がる気配を見せていた。

 町営のスケートリンクが閉まったのは九時である。九時半にはナイターの照明が落とされ、入り口の外灯だけになった。

 駐車場の車が次々と出て行く。

 スケート場でいっしょだった友達はそれぞれ家族が車で迎えに来た。

「いっしょに乗っていけば?」

 せっかく声をかけてくれた友達の父親に、

「ベビーシッターが迎えに来るから」

 と、チェルシーは断っている。

 まだ駐車場には家族連れがたむろし、スケートリンクの入り口にも、迎えを待つ子どもの姿が何人か見られた。

 チェルシーは笑顔で友達の車を見送った。



 夜の十時を過ぎると、クリスマスが近いというのに、ジョーンズビルの目抜き通りは閑散となった。

町の人口は、夏と冬に激減する。人口の三分の一を占めるカレッジの寄宿生たちが休暇で、全米あちこちの親元に帰ってしまうためである。

 いつもなら一番にぎやかなビショップストリートとウェストドライブの交差するあたり。商店街はとっくに店を閉め、角に立った外灯が、凍てついた歩道に黄色い灯りを投げかけている。

 その陰に三番目の電話ボックスを見つけ、チェルシー バーンズは祈るような気持ちになった。

 スケートリンクからここまで、南北に伸びたビショップストリートを十ブロックは下ってきている。スノーブーツを履いた子供の足で三十分近くかかった。歩道は凍てついて滑りやすかった。

 その間に見つけた公衆電話は二台とも、受話器が引き抜かれていたり、コインの投入口にガムが詰められていたりして使えなかった。

 夜間、ひとりで大通りを歩く子供の姿は、それだけで充分に人目を引いた。

 しかも厳寒の折である。実際、スキー帽をかぶっていても、チェルシーの両耳は凍傷になりかけてしびれていた。

 冬、この一帯で凍死はめずらしいことではない。去年の今頃、ハンドバッグにしまった鍵がなかなか見つからなかったため、自宅の玄関先で凍え死んだ老嬢のことは全国ニュースになっている。

 もし、あの電話もバンダリズムの犠牲になっていたら、またスケートリンクまで引き返し、今度は通りの北側を探すつもりだった。が、待ち合わせ場所のスケートリンクからあまり離れてしまうのは得策ではない。

 チェルシーは、中指を人差し指に重ねる幸運を願うおまじないを、ポケットの中で繰り返した。

 公衆電話に近づいてみると、今度の受話器はちゃんとコードでつながっていた!

 スキー手袋をはずし、手に白い息を吐きかける。

 クォーター硬貨を投入口に落としこむと、小気味いい音がした。

 重い受話器を耳に当て、チェルシーは、道路を隔てた向こう側、ハーディーズ レストランの明るい窓の方に顔を向けた。

 あのチェーンレストランには、家族と何度か食事に行ったことがある。この時間、店内はがらがらで、三つ並んだ窓際のボックス席に、若いカップルが一組いるだけだ。

 チェルシーは急に空腹を覚えた。夕方、家を出るとき、ミルクをかけたシリアルを食べただけで、その後なにも口にしていなかった。 

 受話器から聞こえるのは、話中の発信音だ。

 チェルシーは白いため息を吐いた。

 いったん受話器をもどすと、今度はコインが戻ってこなかった。受話器のフックをがちゃがちゃと上げ下げする。

 電話ボックスの薄明かりで腕時計をすかし見ると、文字盤の人魚姫の手は十一時近くを指していた。約束の時間を一時間以上も過ぎている。

 チェルシーは、ベビーシッターの中古のダッジを思い浮かべた。しょっちゅうバックファイアを起こして爆竹のようなけたたましい音をたてる、あちこち錆の浮いたあのおなじみの車だ。またどこかでエンストでも起こしたのだろうか。

 人口一万に満たないジョーンズビルで、唯一公共の交通機関といえば乗り合いのマイクロバスだが、それも明るいうちだけである。

 足を暖めるため、ジョガーのようにその場で足踏みをする。電話ボックスの床に吹き込んだ雪が凍っていて、ブーツの下でざらざら音をたてた。

 別の電話ボックスを探すべきか。

 スケートリンクまで戻ったほうがいいか。

 電話ボックスの曇ったパネル越しに、チェルシーは歩道の左右を見渡した。泥で汚れた暗い歩道。側溝に吹き溜められ固まった雪が薄闇にぼんやりと白い。

 チェルシーは、思い直してクォーター硬貨をもう一枚、公衆電話の投入口に落とし込んだ。

冷たい金属製のプッシュボタンに指が凍り付きそうだ。

 一瞬、期待を持たせるような間を置いて、受話器から話中の規則的な発信音が再び聞こえてきた。

 受話器をフックにもどす。すると、今度もコインは戻ってこなかった。

 ポケットの中を探る。

 あと一枚。

 通りの向こうには、市役所のレンガの建物が黒々と立ちはだかっている。

 チェルシーは、しばらく迷ってから電話ボックスを出ると、凍ってでこぼこになったビショップストリートを斜めに横切った。

 市役所と同じ並びの駐車場には大型テントが設営され、ぐるりと青いシートで張り巡らされていた。毎年恒例の、クリスマスツリーの臨時即売所である。テントの隙間から、樅の木が気高い香りを暗い歩道に放っている。

 どこかその陰で、車のエンジンをかける音がした。

 歩道沿いのハーディーズ レストランのドアは、クリスマスの柊と赤いリボンで飾りつけられていた。

 チェルシーは、入り口のドアマットで、ブーツの底を念入りにぬぐった。

 からかわれたり、とがめられたりしないように、さりげなく、なんでもない風に入らなければ――

 重いドアを体で押す。

 ドアの内側でカウベルがからんからんと響き、むっと暖かい空気が身体を包み込んだ。店内は、スパゲティソースと揚げ物の匂いがした。

 チェルシーは、ジャケットのジッパーを下ろしながら、入り口近くにいたレジ係に声をかけた。

 半袖のユニフォームから太い二の腕を見せたレジ係は、こんな時間に現れた小さな客を無遠慮に眺め回した。

 チェルシーは一瞬口ごもってから、時間を訊いた。

 急いで付け足す。 

「迎えを待っているんだけれど、腕時計が止まってしまって」

 レジ係は、マスカラで重たげな目を向け、間をおいて言った。

「子供が起きてる時間じゃないのは確かよ」

 それを合図のように、「サンタが町にやって来る」のBGMがいきなり店内に響き渡った。

 奥のキッチンへ抜けるドアの上に丸い掛け時計があって、十時五十五分を指していた。

 見回すと、窓際のカップルも、もう一人の若いウェイトレスも、けげんそうにこちらをうかがっている。

 チェルシーは店に入ったことを後悔した。

 どうやら間違ったことをしてしまったらしい。保護者もいないのに、こんな時間にひとりでレストランに入るなんて。警察に通報されるだろう――不審者一名、未成年。

 チェルシーは短く礼を言い、頬をほてらせたまま外に出た。

 戸外の冷たい空気にあたると、汗ばんでいた身体がたちまち凍えて固くなるのがわかった。ジャケットのジッパーをしっかりとあごまで引き上げる。レストランから離れ、あのウェイトレスの目に付かないところへ行きたかった。

 なにやら決心がついていた。とにかくスケート場まで戻ろう。スケート場まで行けば、案外、あの錆だらけのダッジが、人気のない外灯の下にぽつんと駐まって自分を待っているかもしれない。

 ベビーシッターのゾーイは、やたらとエンジンをふかして排気ガスを撒き散らしながら、どうして約束の場所でちゃんと待っていなかったのだと、小言を言うだろう。

 道の片側は、住宅とブッシュが交互に連なり、その向こうは町の北側一帯を占める牧草地と、黒々とした針葉樹の森が続いている。スケート場は、森を大きくカーブした先にあるので、そこからゲートの赤い灯は見えなかった。

 もしまだ迎えが来ていなかったら……。

 チェルシーは歩きながら手袋をはずし、オーバーズボンのポケットに手を入れ、硬貨を確かめた。

 最後の一枚。

 冷たい表面を暖めるように、ポケットの中で何度も握りしめた。  

 スケート場まで戻り、もしまだ迎えの車が来ていなかったら?

 そのときは、ビショップストリートの北側を十ブロックほど行って、今度はあちら側に公衆電話を探そう。

 けれど――それでー―いいのだろうか?

 北側には住宅が続く。商店街のこの通りでさえ、暗い歩道に人っ子一人見当たらない。電話ボックスが見つかるとは限らないし、見つかってもその電話が使えるか、怪しいものだ。

 しばらくせっせと歩き、立ち止まり振り返る。

 いましがたのぞいたハーディーズ レストランはカーテンを閉め、もう今日は終業するらしい。低い屋根のつらなる商店街は、凍てついた歩道に影絵となっていた。

 北へ行けばスケート場、南に戻れば噴水のあるトプカピ ドライブへと道は続いている。実際、トプカピ ドライブまで戻れば、家はもう目と鼻の先だ。

 家からスケート場までは、何度か母親に乗せてきてもらっている。複雑な道のりではない。小さな町なのだ。車でせいぜい十分ほどだろう。

 牛糞の臭いの混じった北風が吹きつけ、通りを抜けていく。風は追い風だ。気温が低いと、風が冷たいというより痛く感じるものだが、まだそれほどではない。

 家まで歩けそうな気がした。

 チェルシーはしばらく迷ってから、スキー帽を眉の上まで深々とかぶりなおし、きびすを返した。息が弾むまで、しばらくは足元だけ見てせっせと歩いた。

 明かりの消えた商店街を過ぎ、町はずれまで来ても、一台の車とも行き会わなかった。

 やがて外灯がまばらになり、歩道が途切れる。足元は闇に飲まれ、道のでこぼこもわからなくなった。チェルシーは、凍った車のわだちを足で探りながら、ぎくしゃくと歩いていった。

冷気が鼻腔の奥を突き刺すようだ。手袋をした両手でときどき鼻先を覆い、白い息を吐いて暖めた。

 雪明りに目が慣れてくると、黒い腕を伸ばす針葉樹の木立や、道路わきのかしいだ柵の向こうに、なだらかに起伏する牧草地の灰色の雪原が、夢の中の景色のようにぼんやりと見えた。 

 ふいに背後から車が近づいた。

 振り向くと、車のライトに照らされて、目の中が真っ白になった。

 固く凍った道をぎしぎし鳴らしながら、車はチェルシーをゆっくりと追い越し、三十フィートほど先でブレーキをきしませて止まった。   

 古い型のセダンで、運転台の窓を巻き下ろし、男が顔を突き出した。

 逆光に、男の顔は影が差していたが、チェルシーはそれに見覚えがあるような気がした。

 男が話しかけてきた。



 午前二時十四分、チェルシーの母親から警察に通報があった。

 深夜すぎに母親が帰宅したところ、娘のチェルシーの姿がベッドにないと言う。

 ベビーシッターは居間のソファで寝込んでしまい、チェルシーを迎えに行かなかった。しかも、どうやら寝ぼけて、コーヒーテーブルの上にあった電話機を床に蹴落としたらしい。普通、受話器が外れたままになっていると自動的に警告音を発するのだが、つけっぱなしのテレビのせいでそれに気づかなかった。

通報を受け、ジョーンズビルにもっとも近い管区を巡回していた四七一号車のコップ(警官)が、フリーウェイから最短距離で町営スケート場へと向かった。

 その間、警察のオペレータは、かなり取り乱している母親に、心当たりの友人や親戚にあたるよう促した。どこかに保護されていないとも限らないからである。

 パトカーはスケート場に到着すると、正面入り口の車寄せを二回まわり、金網越しにスケートリンクの中に黄色いヘッドライトを当てた。

 外気はすでに華氏零度(摂氏零下十七度)に近く、こんな時間に外を歩き回っている人間がいるとは考えられなかった。

 ふたりの警官は、ヘッドライトを点けたままパトカーを降りた。大型懐中電灯をそれぞれ制服の太い肩に乗せ、金網越しにスケートリンク内に、光のビームを走らせる。

 人影はない。

 パトカーは、ビショップストリートを南へ下り、トプカピ ドライブを回り、チェルシーの自宅まで、想定される帰路をゆっくりとたどった。

 少女はまだ家には戻っていなかった。

 コップ(警官)は、エドモントンの本部に応援を求めた。周辺から四台のパトカーが呼び集められ、スケート場を中心に半径十マイル(十六キロメートル)を、朝までかかって、しらみつぶしに捜索した。

 折悪しく、その明け方から天候が悪化した。ジョーンズビルとエドモントンの住人たちが起きるころには、一帯は粉雪に包まれた。

 昼頃には、捜索の輪は半径二十マイル(三十二キロメートル)まで広げられた。しかし、すでに二インチ半(約六センチ)も降り積もったパウダースノーの新しい層が、足跡も車のわだちも、あらゆる痕跡を沈黙の中に押し隠してしまった。

 いっぽう、チェルシーの父親は、離婚後カリフォルニアに住んでいたが、ただちに連絡がいった。離婚時に、子供の親権をめぐって夫婦間で争い、誘拐にまで発展することは間々ある。

 しかし、離婚は四年も前のことで、元夫はとうに再婚し、現在の妻との間にすでに二人の子供をもうけていた。南カリフォルニアで堅実な生活をしており、実の父親による誘拐は考えられなかった。

 チェルシー行方不明のニュースは、その日のうちに、人の口から口へと、ジョーンズビルの町の隅々まで広まった。

 警察の聞き込み捜査で、その晩、ふたりの目撃者がいることがわかった。

 ひとりは、クリスマスツリーを売りさばく巨大なテントの店じまいをしていた近郊農園の主婦だった。農園へ帰るため、トラックのエンジンをかけたところで、道路わきの電話ボックスから女の子が出てくるのを目撃している。

 もうひとりはハーディーズ レストランの若いウェイトレスで、こちらの証言は後に重要なポイントとなった。

 というのも、そのとき男がひとり、レストランの窓から、しげしげと中をのぞきこんでいたというのである。その奇妙な様子が印象に残った。

 男はそのまま通り過ぎたが、こちらに向けた顔はよく見えた。ウェイトレスは、その顔に見覚えがあるような気がしたが、誰だか思い出せなかった。それがまた、記憶の隅にとげのように刺さった。

 レジ係の年かさの同僚が、少女の応対をしていた。

 若いウェイトレスのほうは客のコーヒーを下げ、キッチンでコックに声をかけた。 コックとたわいない冗談を言い合っているうちに、彼女は急に思い出した。

 その年のアカデミー賞候補にあがっていた映画を、ボーイフレンドといっしょに見たばかりだった。

今しがた窓の外に見た男の顔。黒い髪、どこか不安をたたえ、鋭くぎょろりとしたまなざし。男の顔は、人気のラテン系俳優によく似ていたのである。

 翌日、行方不明の少女の噂を聞くと、ウェイトレスは自分から、保安官事務所に電話をかけた。

 こうしてチェルシーが町営スケート場でふたりの友人と別れ、目抜き通りで公衆電話を使い、ハーディーズ レストランに入ったところまでは裏づけが取れた。しかし、そのあとの足取りはぷっつりと途切れたままだった。 

 地元新聞が遅ればせながら、行方不明の少女のことをセンセーショナルに書きたてたのは、それから二日後の朝刊である。それは、七〇年代にベトナムで戦死したジョーンズビル出身のふたりの若者を悼む特集以来の、社会面全段のトップ記事となった。

 忽然と姿を消したチェルシー。

 事故か? 誘拐か? 

 捜査は進展しないまま、一週間が過ぎた。

 チェルシーの家族が属していたジョーンズビルのメソジスト教会では、全員による祈祷が行われた。

 チェルシーの母親は、新たな情報の提供者に五千ドルの賞金を申し出た。

 二週間が過ぎ、三週間が過ぎた。

 ボランティアが総出で、チェルシーのポスターを町に張り巡らした。それは、図書館や学校の掲示板にも張られ、隣のもっと大きいエドモントンの町でも、食料品店やドラッグストアの駐車場で通行人に配られた。

 金髪をなびかせ、大きく微笑んだチェルシーの写真は、ミルクのカートンボックスにプリントされて、全米チェーンの食料品マーケットの冷蔵棚に並び、尋ね人のカードに刷られ、各家庭に郵送された。

 この女の子を見かけた人はいませんか? 

 白人、身長四フィート三インチ(一メートル三十センチ)、スリム、くせのないストレートなブロンドヘア、薄いブルーアイ、鼻のあたりにそばかす。失踪時の服装は……。

 こうして十二歳のチェルシー バーンズは、全米で毎年百万人にのぼる行方不明者のひとりとなったのである。


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