■12 これを愛の話と呼ぶのなら(おにいさん視点)
割りと気分の良くない話です。
足音を鳴らしながら、与えられた船室からゆっくりと離れる。背後を窺うが、幼い幽霊が憑いてきている様子はなさそうだ。
まあ、あんな弛んだ表情をされれば眠る弟からしばらく離れるつもりがないのは馬鹿でもわかる。だからこそ、あの賢しく隙を狙うような目をする弟の方――ノノが眠る今が状況を確かめる良い機会だった。
教えられていた船室へ向かえば、見張りの船員が一人。向かいの部屋の扉を開いたままにして、何か異変があればすぐに気付けるように待機中、ぐらいの警戒度だった。まあ、そんなもんか。
開かれた扉から顔を出して会釈すれば、見張りの船員がひょいと軽い動作で椅子から立ち上がった。
「お、教会のにーちゃんか」
「はい。保護した子がやっと落ち着いたんで、ちょっとこっちの様子見に来た」
「お疲れ~。いや、さすがにむごいわなあ、あれは……」
保護された際の状況を思い起こしたのか、船員は眉間に皺を刻んで目を細めた。幽霊の少女から話を聞いていた俺でさえ、狭い木箱の中で同じぐらいの体躯の死体を抱えた子供の姿にはそれなりに思うところがあった。船を管理する側の人間として、それ以上の感情を覚えたのだろうことは想像に難くない。
やつれ、みすぼらしい格好の幼子が二人。やせ細りながらも整った顔立ちをしていて、どう見ても真っ当な大人の庇護下にない子供を積荷に紛れさせ隣国にこっそり運ぶのに胡散臭い目的がないわけがない。だが船ぐるみ、組織だった犯罪にしては小規模であり、殺してしまったのは余りに迂闊だ。
おそらく計画的でない単独犯だと思うが、それでも状況を確認しないわけには行かなかった。港に着いた後にもきちんと引き渡した先で尋問は受けるだろうが、気になることもある。あの幽霊――ディ、と呼ばれて居たが、愛称だろうか。それなら自分が勝手に呼ぶのもどうなのか、と腹の据わりが悪い。ええい、とにかくあの少女が言っていたことだ。顔を見て、目障りだ、と罵られた、と。
「……犯人の話は、聞けたか?」
ちら、と横目で正面のしっかりと施錠された扉を見る。拘束された男の方は、船長が話を聞いたはずだった。
船員は浅く頷くと、くいと顎をしゃくって室内に招いた。テーブルまで付いていくと、ごん、と瓶を一本取り出される。
「にーちゃん、ワインいける?」
「……一杯なら。また子供の所に戻るつもりなんで」
「おっと、そりゃそうだ。すまんな、茶は用意が無くてなぁ」
コップに一杯、注がれたのは赤い酒だった。一気に煽る男に続いて口を付ければ、酸味が強く酒精が低い安酒がほのかに体温を上げる。はあ、と自然とこぼれた重い息は、そのまま面白くもない話の呼び水となる。
「犯人は、ティミッド、って名の男だ。そう悪辣な人間には見えなかったが、どこか臆病なところがあった。酒で酔わせたとき、惚れた女を守れなかった、って泣きながら悔いてたのをよぉく覚えてる」
閉じた扉を見つめたまま、男はテーブルに肘をついて体重を預ける。ぎし、と古い木材が僅かに軋んだ。
「それがよぉ、ったく。――ああ、くそ」
口汚く吐き捨てる言葉は、しかしやるせないという感情に満ちていた。無理に急かすものでもないか、と安酒をもう一口手慰みに傾ける。
「むかーし惚れたのが娼館の女だったんだと。どっかの没落寸前の貧乏貴族から身売りされた哀れで健気で清らかな娘で、当時のティミッドはそれはそれはのめり込んで娼館に足繁く通った。向こうも憎からず思ってたとか、愛し合ってたとか言ってたわ。んで、十年前……あー、十二年っつってたかな、そんぐらい前に愛が極まって娼館から逃げ出したんだと。当然身請けする金もねえから、足抜けの逃亡だわな」
「……なんの話だ?」
「まあ聞けって。そんで、逃げ出した直後、街からすら出る前だ。女がうずくまって、吐き出しちまった。病気かストレスか、と慌てて身を隠して――女が、妊娠していることに気が付いた。はは、ここを聞き出してるときのティミッドは酷い有様でさぁ、娼婦が身ごもったのを、誰の子供か解らないのを、マジで悲劇的に被害者みたいにわめいてた。そんでとった行動が、女を追いて一人で逃げた、だ」
「くそ野郎じゃねえか」
「おお、ありがたい教会の信徒様の慧眼なお言葉だ」
「――聞きたくねぇな、続き」
「聞いてもらうぜえ」
はは、と乾いた笑いを潤すように男はコップを煽る。が、中身はすっかり空になっていた様だ。もう一杯、赤い滴が杯を満たす。
見張りに差し支えるのだからあまり飲むなと言いたいが、酒でも無ければ語っていられないのだろう。そう察して、苦言は飲んだ。
「さて十二年ほど経って、運命か偶然かその街に着く船に船員として乗り合わせることになった。今更気になって、ティミッドはこっそり件の娼館に様子を見に行った。そうしたら、そこで愛した女にそっくりな下働きの子供を見つけたんだと。癖っ毛の蜂蜜みてぇな金髪が可愛らしい、十月十日で生まれてからの十一歳にしては幼くて小さい細く痩せた哀れな子供だ。ついでに全然似てねえ弟とやらまで居て、頭がぐちゃぐちゃになったんだと。そのくせ金を払って違う女を抱いて、それとなく聞けば愛した女は結局店には戻って来なかったっつう話だけを手に入れた」
――ああ、最悪だ。本当に、最悪な話だ。
「ティミッドは恐々貧民街を――自分が女を追いていったあたりを探しにいった。隠れるように、身を潜めるように、獣、が一匹居たそうだ。みすぼらしく大人しい獣は、はぐれた子供を探していたらしい。やっと見つけた子供は、自分がもう戻る資格もない、逃げ出した場所にいた、と嘆くんだ。自分とよく似た子供だから、きっとあの方達は逃げた先で捨てられた哀れな子だと察したのでしょう、と美しい言葉でないたそうだ。獣は、ただひとり、誰かが迎えに来るのを待っていた。――その獣は魔物だったから、教会に知らせて駆除させたそうだ」
――鳥のような、魔物だった。きっともうすぐ迎えに来てくれるわ、一緒に逃げるのよ、と無害に嘆いていた魔物は、ある日唐突に崩壊した。それは、きっと、待ち続けた男に拒絶されたせいだったのだろう。
俺は、なにも答えなかった。男も答えは求めていなかったのだろう、そのまま話を続ける。
「下働きの子供たちのことを、娼婦たちはなにも漏らさなかった。庇護されてたんだろうなあ。だが、店で小火騒ぎが起こって――ああ、これに関与してるかはわからん、支離滅裂すぎて前後関係がめちゃくちゃだったんだぜ、話。んで、子供たちは多分火事のせいで店にいられなくなったんだろうな、逃げるためかしらんが、船に乗ろうとしたところを不幸にもティミッドと会っちまった。責任をとらないいけない、と思ったそうだ」
「っんで、それで、殺してんだ!」
「マジでな!」
たまらず、酒を煽っていた。若く薄い酒は酔いとはほど遠く、それでも喉が熱くなる一瞬になんとか理性を保つ。男も干して、三杯目。俺が無言でコップを突き出せば、男は得たりと言う顔で瓶を傾けた。
「あー、んで、本当は保護して一緒に暮らすつもりだったとかなんとか、だけどあんまりにも愛した女に似すぎていて、責められている気になったとか、そんなことを言ってたな。女と子供を混同して、だが子供は懸命に弟を守ろうとして、ティミッドを疑いもしなかった。そんな様子が自分には全く似ていないと気付いてしまったら、急に子供が目障りな自分を騙して他人の子を育てようとさせた娼婦に、なにも知らない弟が利用される側の自分に重なったそうだ。聞いてる俺たちの方が頭おかしくなるかと思ったわ」
「理解できねえ」
「できなくて安心だぁなぁ」
さすがに三杯目はちびりちびりと口を付けつつ、男ははあとでかいため息を吐いた。
「そんで、殺しちまったんだと。鳥を絞めるみてぇに首を絞めて、殴って、気付いたら動かなくなってた。弟の方だけでもと我に返れば、必死になにか、治癒の魔法を使ったのか娘からは外傷がすぐに消えていた。だけど、当たり前だが目を覚まさねえ。それでもいつ確認に行っても魔法を使い続ける可笑しくなった子供と、自分が殺した事実そのものから段々と目を逸らしてここまで放置したそうだ。はい胸糞悪い話おーわり!」
「お疲れ、直接聞いたら殴ってた」
「船長が五回殴ってたぞ」
「お前は?」
「おれは冷静沈着でクールな海の男だから、たった二回だけ~」
がは、と一つ笑う男の腕は俺の三倍ぐらいの太さがある。船長もかなり良い体格だったと記憶している。――そりゃあ、見張りは厳重でなくても安心か。しばらく意識は取り戻せないだろう。
話し終えて身体を伸ばした男は、なあ、とぽつりと小さく口を開いた。視線は扉に向いたままだ。
「――あのちっこい嬢ちゃん、魔物になっちまったのか?」
船長に迅速に話を通して、まだ生きているノノを保護するためには、魔物としてのあの子供を脅威とするしかなかった。
結果として奇跡的に存在は安定するに至ったけれど、普通、あんな子供の魔物はすぐに暴走するか消滅する。さまようには、儚すぎるのだ。間違ってもあんなに冷静に自分の死を受け入れ、弟の為に本能に逆らってでも自分の死体の傍に在り、理性的に衝動を抑え続けられるものではない。
「……ああ。詳しいことは説明できねえけど、今は弟の傍で大人しくしてる。ティミッドとやらどころか母親の話ひとつせず、何故殺されたのかも全く察してない」
「そっかー…………」
知らないことが良いのか悪いのか、判断するには俺たちはあまりにただの他人だった。理不尽で身勝手な話に腹は立つけれど、なにが出来る立場でもない。しばらく沈黙が続いて、かたんと静かにコップがテーブルに置かれる。
男は立ち上がり、部屋にまとめていた荷物をあさって何かの包みを引っ張り出した。丁寧に包装された、土産物らしい洒落た包みだった。
「これ、良かったら子供たちに食わせてやってくれ。日持ちする菓子だ」
「ん、預かる。慈悲の支援、感謝する」
礼をとれば、男は苦笑してを振った。
「自己満足だ、気にしてくれるな。あんな船員を乗せ、なにが起こってるのか気付けなかったおれ達は恨まれたって仕方ないからな」
「それについては俺も大差ない。魔物になったあの子が弟を守るために必死に足掻いたから、見つけられたんだ」
あの幽霊が、まだ幼く在り方もわからないような子供が、狭間の時間に弟を想うあまり船を沈めかけたから俺は声をかけざるを得なかった。そうでなければ、まさかこの船の中で死に、生まれ、まだ苦しむ子供がいることに気が付けなかっただろう。
生き残った他人が結末を聞く限り、母の愛も父の愛もあっちこっちに見当違いのくそくらえだ。胸くその悪くなる話で、面倒で厄介なこんがらがった虚しい話だった。それでも、正否は置いて、そこにあったのは紛れもなく愛情ではあったのだろう。厄介なことに。
――握ったままだったコップは、空になっていた。テーブルに戻し改めて礼を伝え、席を立つ。聞きたかった話は聞けたのだ、無為にあの子供達を長く放置するのも落ち着かない。
「そろそろ戻る。ごちそーさん」
「おー。後はよろしくな、教会のにーちゃん」
「義務は果たすさ」
ずしりと案外重い菓子の包みを手に、俺はあてがえられた船室へと戻っていった。
夜にもう一話投稿で完結です。