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ブルーミネラルプラント

 静かに澄んだ泉は深い青を湛え、その泉を囲むように群生している花々もまた、泉の色をそのまま映したかのように深く青い花弁を広げている。ただ青く、ひらすらに青く。

 オラフ・アフターディンゲンは目の前の情景に、ほうと感嘆の溜息を洩らした。

 ここは彼だけの秘密の場所だ。

 先日、何故か朝早く目覚めてしまったオラフは、ふいに思い立って自宅のすぐ近くにある丘へ散歩に出かけた。その前の晩は満月であったので、夜は闇を薄め、辺り一面は淡い青色に染まっていた。夜明け間近に見る薄明の時が夜中続くような不思議さが、オラフは好きだった。それでその朝は、途切れることなく一晩続いた淡青の世界が、ついに暁によって色を変えていくその瞬間を、いつもより高いところから眺めたいと思い、彼は家族を起こさぬよう気を遣いながら、こっそり家を出たのであった。

 徐々に空は白んでいき、青はその力を失っていく。寂しいような、一方でやがて顔を出す太陽が待ち遠しいような、どちらとも言えない心持ちでオラフは丘の上から辺りを見渡した。その丘は森の中からぴょっこり顔を出している小さな野原のような場所で、後方にはさらに山が続いている。左側には硬い岩肌をさらす断崖が丘を区切っており、オラフはその麓に目をとめた。大きな岩石が三つほど囲む中央に、大人でも十分入ることができそうな穴が開いていた。

 あんなところに洞窟などあっただろうかと、オラフは首を傾げた。しかし、元はそれなりの大きさの岩石だったと思われる岩の欠片が穴の周りに多数転がっているのを見て、さてはあれらが蓋の役割を果たし、今まであの穴に気付かなかったのだろうと結論づけた。雷の酷い日はいつだっただろうか、あれが落ちたとしたら砕けるのも頷けるが、山火事などにならずに済んで良かった。そんなことを考えながら、オラフは穴に近づいて行った。

 オラフは穴の前に立ち、中を覗き込んだ。どうやらある程度の深さを持つ洞窟のようだった。その時、ちょうどよく朝日が昇り、陽光が穴に差し込んだ。オラフは中へと伸びていく日の光に誘われるようにして、一歩足を踏み入れた。

 丘へと続く小さな森を抜けるために、念のため持ってきていたランタンを点けて、オラフは奥へと進んでいった。所々狭い部分はあったが、さして苦も無く、オラフは通り抜けることができた。それよりも彼の戸惑いを煽ったのは、途中から洞窟の中が緩やかに下り始めたことだった。

 どこまで下りていくのだろう。思わぬ冒険にすっかり夢中になっていたオラフであったが、家族が起きだしてしまうのではないかと戻る時間も併せて危惧し始めた。いつでも来られる場所なのだから、焦る必要はないと自分に言い聞かせ、それでも募る好奇心を宥めすかしながら歩いているうちに、先の方から淡く光が漏れ出していることにオラフは気づいた。思わず小走りに歩を進め、辿り着いたのがこの場所だったのである。

 そこは、下った洞窟を抜けた先とは思えない、不思議な場所だった。淡く朝焼けしていると思われる暗赤色を帯びた空の元、広がる草原の真ん中に深く澄んだ泉があって、その周囲に青い花々が咲き乱れていた。オラフの後ろには、今しがた彼が抜け出た洞窟を有する岩山があって、草原の先には木立が広がっているようであった。

 オラフはしばらく時が経つのも忘れ、ただ茫然と目の前に映る青の美しさに見入っていた。そして我に返った後、急ぎ来た道を引き返したのであった。

 それから折を見て、時折オラフは一人ここへやってきて、こうして青い花を眺めている。それだけで満足し、さらに先へと探索を続ける気持ちは不思議と起きなかった。

 彼はこの美しい場所を独り占めしようと考えるような狭量な人間ではなかった。初めてここを訪れた日に、家族に先ほどあったばかりの出来事を伝えなかったのは、我が家に帰り着いた時、起きてきたばかりの幼い弟が発熱していることに気づいて両親とともにその看病を優先させたためだった。そして今もまだ誰にもこの場所のことを告げず、こうしてひっそりとこの地を訪れている理由は、ひとえに彼が恋をしていたからだった。

 オラフは恋をしていた。小さな町では誰も彼もが知り合いのようなもので、彼女のことも当然昔から知ってはいたけれども、年頃になり、いっそう愛らしさを増した少女が控えめにはにかんだその笑顔に、彼は恋に落ちたのだった。

 オラフは父の跡を継ぎ、父と共に鍛冶屋を営んでいる。農具や工具、さまざまな物の作成や修理を依頼されるため、領主や町の様々な職業の人々と関りを持つ。彼女の家へ出向いたのも、頼まれ修理した農具を届けるためだった。取り込んでいた両親に代わり、対応した彼女の清楚で優しげな態度が、オラフには好ましく、健気に咲く花のようだと彼は思った。礼を言われ、微笑みを受けた。ただそれだけで、オラフはまるで彼女が運命の人であったかのように、恋をしてしまった。

 奥手のオラフは初恋である彼女に、なかなか思いを告げられないでいた。彼女が他の誰かと縁づいてしまわないか、内心ひやひやしながら過ごしており、静かな美しい場所で、一人物思いにふける一時が欲しかったのである。

 オラフはゆっくりと青い花々に近づいていき、その傍らに腰を下ろした。目線を近くして、じっと花を見やる。深い青い花は、小さな筒状の花が集まり、放射線状に広がってできていた。うっとりと花を眺め、次いでオラフは葉に目を移す。上の方は線のように細いが、株元の葉は細長い雫型だ。そしてオラフは花々の下に、ぽつりぽつりと青身を帯びた石が落ちていることに気が付いた。

 オラフは石を一つ拾い上げ、目の前にかざした。白が混ざった、くすんだ青い色の石は人差し指の爪ほどの大きさで、透明度には欠けるものの、花の青を取り込んだように思えて、オラフは気に入った。オラフは青い石を三つほど拾い上げるとそれらを上着のポケットに入れて立ち上がった。


 そんなある日、オラフの元に、幼馴染のハインリヒが訪ねてきた。オラフと共に方伯の宮廷牧師に学んだ彼は、吟遊詩人になっていた。旅を主として生活する彼だが、時々はこうして故郷に立ち寄り、道中の様々な話をオラフに届けてくれる。今回は、いつの時代のことか分からないがと前置きし、恋と不思議な青い花の歌をハインリヒは歌ってくれた。オラフは自分の見つけた青い花と自らの恋を思った。そしてその偶然に背中を押され、親友に二つの秘密を打ち明けたのである。

 ハインリヒはオラフの恋を祝福した。そして彼に助言と勇気を与えた。次いでハインリヒは控えめに、もし許されるのであれば、自分もその花園を見せてはもらえないだろうかと願い出た。

 元より独占するつもりなどなかったオラフである。ハインリヒの申し出を快諾し、二人は早速連れだって丘へと出かけて行った。

 二人一緒に入った洞窟で、縦横無尽に枝分かれする複雑な道筋など無いにも関わらず、何故かハインリヒは途中でオラフを見失った。通路を少し折れた先の、ハインリヒの視界からオラフが消えたほんの一瞬の間に、彼は姿を消したのである。

 途方にくれるハインリヒの元に、しばらくしてオラフが戻ってきた。後に付いてこないハインリヒを心配し、引き返して来たという。訳が分からないままに再び歩き出した彼らだったが、やがてまた二人は互いを見失った。そうして出発と休止を数度繰り返し、理由は分からないものの、例の花園にはオラフしかたどり着けないのではないかと二人は仮説を立ててみた。そこで今度はたとえハインリヒが途中から付いてこなくなっても、オラフは先に進むことにし、ハインリヒははぐれた場所でオラフを待つことにした。

 しばらくして一人洞窟の中で待つハインリヒの元に、一輪の青い花と数粒の青い石を手にしたオラフが戻ってきた。たどり着けなかったことを不思議で残念に思ったハインリヒだったが、誠実で親切で、心の根の正しいオラフにのみ与えられたご加護かもしれないと考え、差し出されたそれらを有難く受け取るに留めた。そうして二人は洞窟を後にした。

 ハインリヒが旅立つその前日、オラフは再びハインリヒを自宅に招いた。そして笑みを湛えながら鉢植えを一つハインリヒの前に置いた。

 鉢にはあの青い花が一株植えられていた。先日オラフが渡した花は、すぐに萎れて花びらを落とした。吟遊詩人であるハインリヒはどれだけあの夢のような花園を見たかったかだろうかと不憫に思ったオラフは、ハインリヒのために青い花を採りに行ったのだった。

 ハインリヒはオラフの心遣いと青々と美しい花をじっくりと見られることの両方を大変嬉しく思った。そして二人でまじまじと鉢に植えた花を観察し、二人は同時に驚きの声を上げた。花びらの付け根辺りに、花の下に転がっていた青い石が付いていたのである。二人は顔を見合わせた。それから恐る恐るオラフは手を伸ばし、指先で軽く石に触った。青い石はまるで花の中に溜まった露のように見えたけれど、実際はできもののごとく付着しており、優しく触れただけでは落ちなかった。そこでオラフはもう少し力を込めて、石を指でつついてみた。すると石は萼片から外れ、筒状の花の間を通って下へと落ちた。

 オラフはそれを拾い上げ、ハインリヒに渡した。ハインリヒは感動で涙ぐみそうになりながら、友情の証のそれを大切に懐にしまい込んだ。


 ある町の宿屋に併設した食堂で、ハインリヒは一人の採鉱夫の老人と知り合った。彼は異国の地で数々の鉱脈を掘り、一財産を築き上げた後、引退した今はこうして時折旅に出て、その土地の様子を観察し、人々に助言を与えているらしい。ハインリヒが彼を初めて見かけた時も、新しく掘る井戸の相談にのっていた。数々の宝石を掘り当てたらしいと人々が噂しているのを聞き、ハインリヒは彼にオラフからもらった青い石を見せることにした。それが宝石だとは微塵も思っていなかったが、石の名前を知ることができれば、それを次に会う時の土産にしようと思ったのである。

 老人は青い石を一目見て瞠目した。そしてどういう経緯でこれをハインリヒが入手したのかを訊ねた。ハインリヒは簡単に、親友からの贈り物だと答えた。老人は神妙な顔で、これはおそらくサファイアであると告げた。

 こんな大粒のサファイアを自らの手で研磨できることは採鉱夫冥利に尽きるという老人の好意で、格安の料金で磨いてもらった青い石は、透明度を増して驚くほどの輝きを誇り、さしものハインリヒも老人の鑑定を疑うことはできなくなった。細工や販売を仲介できるという老人の申し出も当面は連絡先を聞くだけにして、ハインリヒは急遽行く先を変更し、翌日には宿を出発した。

 このことをオラフに伝えねばならない。彼の財産、ひいては町の財産になるかもしれない大事だ。オラフの驚く顔を楽しみに、ハインリヒはいつも以上に慎重に、それでもできるだけ急ぎ、郷里への道を進んだ。


 ハインリヒが故郷に辿り着いた就いた時、そこは悲しみに沈んでいた。彼の親友、オラフが亡くなっていたのである。オラフは幼い弟とその友人達を、降り続いた雨で増水した川の流れから身を挺して救い出したという。オラフの人柄の良さを、町中の人々が好んでいた。領主も目をかけていたからこそ、自身のお抱え牧師に学ばせていたのである。

 ハインリヒも悲しみに暮れた。そしてあの、青い花から二人の目の前で零れ落ち、研磨してもらった煌びやかなサファイアを、オラフが恋をしていた少女に、彼の想いと共に捧げた。

 ハインリヒはまたオラフの両親に秘密の花園のことと、サファイアのことを伝えた。既に彼の両親はオラフの秘密を打ち明けられていて、オラフが自身の楽しみとして集めていた青い石を彼の遺品として大切に保管していた。ハインリヒは一部を残し、それらを自分が知り合った信用できる採鉱夫を通じ、売りに出すことを提案した。オラフが亡くなった今、彼の弟が一人前になり父の跡を継ぐまで、何不自由ない暮らしを彼の家族に与えたかったのである。

 領主もそれを妨げはしなかった。その代わりに洞窟の場所を訊き、サファイアの採掘を行うことを提案した。何らかの理由で花から生成した鉱物と言っても、元は地中にあったものだろう。その鉱脈の上に青い花が咲き、養分として鉱物の欠片を吸い上げ、それがやがて異物として排出され固まったのではないか。ならば洞窟の付近にサファイアの鉱脈があるに違いない。領主達はそう考えたのである。

 それはハインリヒだけでなく、おそらくオラフと彼の両親も考えていたことらしかった。オラフの花園が無くなってしまうかもしれないことは非常に残念だけれども、町の繁栄になればとハインリヒもオラフの両親も頷いた。

 ハインリヒの要請で、採鉱夫の老人自らが率いた鉱夫の集団が彼らの町にやってきて、洞窟も丘もその周辺もくまなく確認していった。しかし結局、サファイアの鉱脈は発見できなかった。そしてやはり、あの秘密の花園にも、誰一人として辿り着けた者はいなかった。けれどもその代わりのように、採鉱夫達はオラフ達の町の近郊に、メノウの鉱床を見つけ出した。町はメノウの産地として隆盛し、その細工地としても後々までその名を轟かせることとなった。


 時の流れとともに、メノウだけなく様々な宝石が世に出回りだしてからは、メノウ細工で培った技術を生かし、宝石全般の細工を請け負う「宝石の町」として、二人の故郷は現在も名が知られている。町にある宝石博物館には、これまで掘り出したメノウや作り出された細工物とともに、オラフがハインリヒを通して恋した少女に送ったサファイアが、今も分厚いガラスの向こうで青く咲く花のように輝いている。

 ハインリヒはオラフの物語を生涯歌い続けた。その歌は時に各地で書き残され、当時の公的記録として伝えられている。高温高圧下で生成される鉱物が、何故植物の中で結晶化するのか、今でも解明されてはいない。また確証のある記憶に残っていないだけで、オラフのように不思議な土地に迷い込み、そこから鉱物を持ち帰った者は数多くいるのかもしれない。しかし、特定の人物だけが辿り着ける特別な場所で咲く、鉱物を生成する植物「ミネラルプラント」が複数人によって最初に確認され、記録として残された貴重な事例として、オラフ・アフターディンゲンの名はこの先も残り続けるのである。


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