7話 今際の際に、最後の言葉を。
僕は力強く地面を踏み締めて、空の彼方へと飛び出した。
「……………っ!!!」
もう、全てを受け入れていた。
最期の瞬間を待ち望んでいた。
しかし。
「まだ……!!!」
落下が始まる寸前、真後ろから聞こえてくる不穏な声。僕の右手を、何かが掴んできた。
やたら記憶に新しいこの感触、そういえば今朝もこんな……
「間に合うから……!!」
そして、凄まじい勢いで後ろに引かれ、僕の背中はマンションの側壁に叩きつけられた。
「ぐっっ……へぇ……!!」
「…………っ!!!」
彼女が伸ばした手は、奇跡的に僕の右手を捉えていた。
しかし。
「……ぅっ!!………くっ!!!」
引き上げるには至らなかったようで、彼女は屋上から半身を乗り出し、片手一本で耐え難い重みに抗っている。
華奢な腕には赤黒く血管が浮かんでいる。引っ張り上げようと歯を食いしばるが、ほんの少し動くだけ。
それでも諦めず何度も試し、その度に苦痛で顔を歪ませる。
引き上げるなんて、無理に決まっている。高校生男子、1人分だ。自力でどうにかなるわけがない。こうなった以上、僕の死は確定的だ。
あぁ、やっと終わった。これで、ようやく死ねる。
「……はぁっ……はぁっ…!」
焦りと絶望に顔を染め上げた彼女と、視線が交錯した。
長々と見つめあって、5秒ほど。
すると突然、彼女は、はっと、思い出したかのように口を開き、宣言した。
「……死なせない!!」
「いやもう遅いだろ!!」
色々と終わっているこの状況で、何を言っているんだ。あまりの馬鹿馬鹿しさに、少し笑ってしまった。今どれだけ耐えたところで、本当に意味がない。早く手を離した方が、彼女も楽だろう。
「やだ!!!!」
「言っても変わんないから!」
汗で滑る手のひらで、諦めず僕の腕を手繰り寄せようとしたが、無駄だった。
「なんでそこまでするんだよ…………」
「なんでって……」
「自殺が良くないことだから?そうなんでしょ?」
絶対的に優位な状況。僕の口がよく回っている。最後だし、折角なら言葉を交わしていたいという気持ちもあるけど。
「そんなの……はんぶんは……たてま……えっ。本当の理由は……べつに……あるっ……」
「本当の理由…………?」
あれがもし建前だとしたら、もう少し言葉を選んだほうがいいだろう。
右手から伝わる力がどんどん弱くなっていく。彼女は、言うか言うまいか逡巡しているのか、絶え絶えの息に唸り声が混じる。
いつまでもつのか分からないから、早く言ったほうがいいぞ。
「……ない……しょ」
「今言わないでいつ言うつもりだ!!」
「……死なせないって……いってるでしょ……!!」
ガタガタという腕の震えが、彼女の全身へと伝播していく。
「……死なせたくない!!!」
「……しつこいなぁ」
もう絶対詰みなのに、諦めない様子が大層面白くて。
意味ないのに必死な姿が、何故か愛おしくて。
全てが、少しだけかっこよくて。
自然と頬がにやけてしまった。
「次もし、死にたがっている人に会ったら、ちゃんと死なせてあげて。その人の気持ちを尊重してあげて」
苦しそうな彼女に、優しく告げた。
「……やだ!!死なせたくないっていう……はぁっ……わたしの……気持ちはどう……なるの……ふぅっ……」
「あー、えっとー。遠慮してあげて」
「……はぁっ……うっ…………」
もう言葉を返す余裕もないらしい。
今度こそ、終わりみたいだ。
後少しで、死ぬのか。
不思議と悪い気分じゃないな。
僕達を繋いでいた指先が、離れていく。
僕の人生が、終わりを告げる。
最後に残された僅かな時間。僕は。
「じゃあね」
意外と、幸せだった。
「死なせないって言ってるでしょ!!!!!」