4話 止めたい君に、溢れる殺意を。
2限も半ばの頃合い、再び。
「…………え」
白鷺さんから紙片が手渡される。さっきよりちょっと大きい。二回目のイベント発生に、今度こそは、と何かを期待するクラス中の視線。紙片を裏返して確認する。
"今日また死ぬつもりでしょ。死ぬなんてだめだよ。生きていたらいい事あるから"
「…………」
「なんて書いてあるの?!」
隣の席の花宮さんが、椅子からぐいっと身を乗り出して、問いかけてくる。
「……何も書いてなかったよ」
「そんな訳なくない?」
噛みついてきて即否定。不躾な人だ。
「隠れてやり取りしなきゃいけないようなセンシティブな内容なんだよね?なに?知りたい」
屈託のない笑顔で詰め寄ってくる。そこまで理解してるなら、何も聞いてこないでほしい。
「………………」
沈黙で答えた。僕に回答の意思がないことを察したのか、花宮さんは、むーっと、頬をふくらませて食い下がる。それでも僕が何の反応もよこさないでいると、やっと諦めて、肩を落としつつ授業へ戻っていった。
静かになってからもう一度、紙片をよく見る。同じ文章が書いてあった。何も変わらない、純然たる善意の連なりだ。
しかし、心の奥で、何かが千切れる音がした。優しさとか、思いやりとか、建前とか。全部無視して殺意が湧いた。何がそんなに気に障ったのか、わからないけど。
「(……人の気も知らないで)」
そう思った。
3限も終わる間際。今度は僕の机に、バシッと叩きつけてきた白鷺さん。
「よく読め」
またちょっと大きくなったその紙片には
"ちゃんと生きて。必要なら、私が助けるから。頑張って。"
と書かれてあった。
ちゃんと生きて?ちゃんと、って何。
助ける?求めてない。
頑張って?何を?
こっちの心情を鑑みない、独りよがりの思いやり。上から目線の善意の押しつけ。
朝の冗談みたいな逆恨みとは全然違う。嫌悪と憎悪が僕の心を埋め始めていた。
4限。
荒々しい殴り書きの紙片。授業の真っ最中なのに、ピシパシと投げつけられる。もう、一度に何枚も送られてくるし。
しかも書いてあるのは、耳障りだけは良い綺麗事。
"本気で死ぬつもり?自殺なんてだめだよ。命が勿体無い"
"今日、この後死ぬ予定でしょ。朝みたいに。私、行く。場所はどこ?"
"生きてよ。誰かが悲しむでしょ"
"死んじゃだめだよ"
「…………」
どれだけ神経を逆撫でするつもりだ。はい、じゃあ死にません!そんな言葉が聞ければ、気が済むのかな?
だったら、自殺はダメだって、心を殺して一緒に念じるよ。きっとそれだけで、彼女は満足するだろう。
死にたいと、そう願う人もいるんだよ。生きたいと、生に執着するのとなんら変わらない。 どっちも、ただの願いだ。
否定するな。肯定もするな。何も知らないくせに、口を出すな。譫言みたいに「死ぬな」とか言ってくる。ふざけるな。
僕がどんな思いで今まで耐えてきたか、僕がどれだけ頑張ってきたか。
知らないくせに。
“死ななくて済むように努力しよ。私も手伝う”
は?
"私が絶対に止める。あなたは死なせない"
「うるさい!!!!」
最後の紙片を見た次の瞬間には、机を強く叩きつけて叫んでいた。
『…………』
静寂の中で、僕の荒々しい息遣いだけが響く。身の丈に合わない激情に、心臓がバクバクと脈打っている。手が痛い。体が熱い。血が沸騰しそうだ。俯いている彼女を一瞥し、吐き捨てた。
「いい加減にしろ」
彼女は俯いて、そのまま動かない。やがて、ゆっくりと顔を上げた。恐る恐る、伺うように。
蒼い瞳が、小刻みに揺れていた。芯のない不安げな眼差し。恐怖、怯え、動揺。交錯する視線の先から感情が運ばれてくる。
暫くして彼女は、弱々しくも何か反論しようと試みる。しかし、言葉が喉を通らないようで
「…………」
音の無い時間が続いた。
痺れを切らし、僕は教室の後ろのドアへ向かった。バッグも何もかも、置いたままで。
「あ……えっ?!そ、早退って言っとけばいい?!」
背後から花宮さんの戸惑う声が聞こえたが、無視。そのまま帰った。
家の鍵を閉め、閑散としたリビングの隅で体を抱き抱えるようにへたり込んだ。強く歯噛みし続けていたせいか、顎と頭が軋むように痛い。拍動も激しいままで、落ち着かない。
冷静になりたくて、荒々しく頭を抑えるが
「……あぁぁぁぁぁ、あぁ!!」
止まらない感情が、呻き声となって溢れ出た。
「……あああああああ!!! 死ねよ!!」
彼女への嫌悪感は深まるばかりだったが、気づけばその矛先は自分自身にも向いていた。壁に頭を打ちつける。ひたすら無心で打ち付ける。
「止まれ! 心臓止まれよ! なんで生きてる!? なんで……!? …………死ねよ。死ね、死ね死ね死ね! あの女も!! 僕も!! みんなも! ……みんな死ねよ。みんな……」
「あれ、今日は早いね」
「…………っ!! 母さん……っ!」
どこからか聞こえてきた、母の声。喜びと安堵が心の隅々まで満ちていく。幸せを噛み締めながら顔を上げる。目に映ったのは、台所でコトコトとシチューを煮込む母……。
「…………」
この目が映したのは、誰もいない部屋の、色褪せた壁。
母を探して、部屋を見回す。……いない。いるはずがない。
この家は、数年前から時が止まったままだ。
誕生日に貰ったレゴブロックも、妹と取り合ったDSも、母と編んだマフラーも。
変わらずそこにある。
小学校の手紙も。父の日に送った財布も。
キャンプで撮った最後の家族写真も。
あの時から、何も変わらない。何も、変わらない。なのに……。
カチッカチッ、と秒針を刻む音が響く。
無意味に、無益に。ずっと、動き続ける。僕だけを置いて。
カチッカチッカチッカチッカチッカチッカチッ
「……はははっ!!」
腹の底から笑いが込み上げてくる。沢山の思い出が、僕を指さして笑っている。一緒になって笑う。大団円だ。
こんなに愉快なら、もうなんでもいい。
楽しい。幸せだ。
「……ひひひひっ!!!ははは!!」
笑って。笑って。
「…………」
全然笑えなくて。笑っていた理由が分からなくて。
全てが憎たらしくて。
「……なんで、僕、一人で生きて……」
"死んだらだめだよ"
「なら……なら、死なないでよ……!!」
この家は、独りで住むには広すぎる。声が外に漏れる心配なんか、する必要もないくらい。
涙と鼻水がとめど無く流れていく。このままだと、カーペットを汚してしまう。
「…………行こう」
縒れた手提げに、そこら辺にあった工具と
「…………」
大切な、最後の家族写真を、そっと入れた。
いよいよだ。これで最後。意を決して、玄関のドアノブへと手を伸ばした。