2話 入学式に、桜の花を。
自殺に失敗した僕は、満開の桜に祝福されながら、死んだように遊歩道を歩いていた。
新緑と鮮やかな花々が辺りを埋め尽くして、虫たちが賑やかに各所を巡っている。
カラフルに彩られた世界を、どす黒い闇に染まった瞳で見つめた。
「…………くそ」
命の気配が吹き荒れている、騒がしい春景色。僕と違って外界は生き生きとしていて、無性に疎外感を刺激してくる。だから嫌いなんだ、この季節は。
あぁ、冬。早く来い。生命よ、死に晒せ。
心の中で何度もそう復唱していると、真横から初々しい会話が聞こえてきて、咄嗟に僕は息を潜めた。
「緊張するね、入学式」
「そうだな。でもめっちゃ楽しみだぞ俺は」
「私も。でも、あれだよね。この道、めっちゃ同じ学校の新入生通ってるよね。ほら」
至近距離にも関わらず、満面の笑みで僕を指さしてくる変な女性。急いで目を逸らして、知らないフリ。
突然の出来事に、心臓が高鳴り始める。
頼むから、早くどっかに行ってくれ。
「こら、指さすなよ」
「……あっ、ごめん。でもさ、本当に多くない? もうここが入学式なんじゃないの?」
「何言ってんだお前」
たまらず、足を止めてやり過ごした。
新品の制服を見に纏った高校生たちが追い抜きざまに、僕へ怪訝そうな目を向けてくる。
視線が痛い。
「(いいじゃん別に、立ち止まるくらい)」
今日は新たな出会いに心を躍らせる特別な日、入学式。
死のうとしていた割に、僕も彼らと同じ、新入生。今日からぴちぴちの、高校1年生だ。
「はぁ……」
”生きているなら行かなきゃいけない”なんて謎の使命感でここまで歩いてきたが、冷静に考えてみれば時間の無駄すぎる。だって入学したところで、また死ぬ予定だし。何の意味も無い。
なんで来ちゃったのだろうか。今からでも遅くないから、帰ろうかな。決めた。帰って死のう。
「…………」
踵を返し、桜並木を逆行する。新入生たちが不思議そうな表情で僕を凝視して、度々首を傾げている。執拗な周囲の疑念が、決意を揺らがせる。
後ろの方で、女子二人がこっちをチラチラと振り返りながら、言葉を交わしているのが聞こえてきた。
「あれ、学校あっちだよね」
「何だろ、忘れ物かな」
「でも結構時間やばくない? 入学式遅れちゃうんじゃ……私声かけに行ってこようかな」
「私たちも遅れちゃうよ」
「あー、まぁー。確かに……」
構わないで。僕は死ぬから。このまま行かせてほしい。再度決意を固めて、一歩目を踏み出そうとしたが……。
「………………」
動けない。足が、前へ進まない。さっきの恐怖が脳裏に焼き付いて離れてくれない。怖い。今からすぐだなんて、とてもじゃないけど考えられない。
あぁ、くそ。何でだよ。これ以上生きたって、どうしようもないっていうのに。
何で今更怖いんだよ。怖い怖い怖い。嫌だ。嫌だ嫌だ。あぁぁぁぁ、くそ。
本当に、今朝失敗したのが悔やまれる。
絶対に、あの純白少女のせいだ。
あのままだったら、僕は死ねたはずなんだ。あぁぁ、なんで……何で邪魔なんかしたんだ。腹の底から、怒りが沸々と湧いてくる。
「………………あぁぁぁ。くっ……そ。」
八つ当たりだし、逆恨みなことはわかっている。あの状況なら、誰でも僕を止めるだろう。
けど……湧き上がるこの感情を、止められる気がしないんだ。
“もう死のうとしないでね”
ふと、彼女の言葉を思い出した。
「……うるさい」
僕は死にたい。生きたくない。そんな言葉は、聞き入れない。今すぐ戻って、もっかい飛び込んでやる。
30分後。
「新入生、起立」
周りに合わせて立ち上がり。
「礼」
一緒になって頭を下げた。
「(やってしまった……なんで僕は…………)」
あの後、情けない言い訳を繰り返しながら入学式へ向かった。まだ、死ぬのが怖い。どうしようもなく怖いんだ。せめて、心の準備ができる時間がほしい。
もう一度恐怖を振り切って、飛び込めるように。
ほんの少しだけ。少しだけで、いいから。
「新入生宣誓。新入生代表、花宮桜」
「はい」
1人の女性が前へ出て、壇上へと上がった。そして、巻物のようなものを広々と開いて、読み上げ始めた。
「生命の息吹が感じられる、穏やかな春の日。私たちは……」
タイムリーな宣誓文。今の僕には、皮肉にしか聞こえない。しかもこの人、さっき指をさしてきた女性だ。苦虫を噛み潰したような表情で眺めていると、ふと、あることに気付く。
「(あの制服、朝の純白少女と同じ……)」
もしかしたらと思い、辺りを見回してみるが、見当たらない。あれ程までに常軌を逸して目立つ相貌。居て気付かないなど、ありえない。勘違いだろうか。
「……以上。新入生代表、花宮桜」
「続きまして……」
入学式の後、クラスごとに教室へ。教室につくや否や、担任の指示に従い、黒板に張り出された座席表を一応確認しにいく。
僕の席は最も後ろで、一番左端の窓際だった。一般的に大当たりとされる場所。だが、そんなことはどうでもいい。何故なら。
“白鷺ユリ”
僕の前の席を示す場所に、そう書かれていたからだ。
「(見つけた。いた。やつだ。こんなところに)」
教室を見渡して白髪の女性がいないか再度確認してみるが、やっぱりいない。何でいないんだ。今日は入学式だろう。生きていたら無条件で来るイベントなんじゃないのか、入学式って。
「…………何なんだ、一体」
誰にも聞こえないように小さく呟いた。
席に座り、ガヤガヤと騒がしくなった教室を尻目に校庭を眺める。意外と高さがある。もしかしたら、ここからでも死ねるかもしれない。いや、ちょっと低いかな。どうだろう。
“死ぬなら、もっと高く”
また彼女の言葉を思い出した。死ぬなっていう割に、助言はするんだな。邪魔したいのか、死んでほしいのか、どっちなんだよ。くそっ、本当にイライラする。
今日会えたら絶対に小言を言ってやる。
ふざけるなと、そんな目で見てやる。
何回か舌打ちもしてやる。
ぐつぐつと煮えたぎる怒りを胸に、前の空席を睨みつけた。
「おーい、静まれー。授業始めるぞー。」
担任が手を大きく2回叩いて、ざわつく教室を制圧し、喋り始める。
「俺担任の黒瀬なんだけど、面倒だから早速一限を始めるぞー。説明とかは全部プリントにまとめてあるからあとで見てくれ。じゃ、1番最後のプリントの左上を」
そう言って次へ進めようとしたその瞬間、後ろのドアが
ガラガラガラッ
と音を立てた。今聞こえるはずのない異音。クラス全員が一斉に振り返る。そこに立っていたのは
「(……来た)」




