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06.第二章一話



 レーヴの従業員専用食堂はレストランの内装にも引けを取らない上品な造りで、料理はバイキング形式だ。本来であれば高額の料金を支払わなければならない一流の食材が使われた一流料理人の料理を、休憩時間は割引価格どころか無料で食べることができる。

 というのも、レストラン用に多めに仕入れて余った食材だったり、客に提供するには使えない少しランクの落ちた食材だったりを主に使っているためである。

 また、レストランの新しいメニュー候補の試作も振る舞われ、意見投票が行われることもある。ロスも減らせる上に従業員の満足度もモチベーションも爆上がり、という仕組みだ。おかげで平民の従業員含め皆の舌が肥え、客に料理の説明を頼まれた時や試作の評価など、仕事にはおおいに役立っている。

 ただ、多少……と片付けていいものかはそれぞれの状況に依存することになるけれど欠点はあり、プライベートで普段の食事だと満足できなくなってしまったと嘆いている者たちもいた。そこは仕方ない。最早職業病だ。自炊の腕を上げればいいのではとアドバイスするほかないだろう。


 それはさておき、時刻は昼過ぎ。食事込みの一時間休憩に入っている従業員たちは食堂に集まり、特に仲の良いグループで固まって席に座り、歓喜に震えていた。


「うちで働いてて何が一番嬉しいかって、お貴族様相手で緊張するけど普通ならありえない高待遇の仕事環境でも、十分すぎるお給料を貰えることでも、すっごくイケメンでお金持ちなお客様を見られることでも、めちゃくちゃイケメンで眼福なオーナーと話せることでも、従業員割引でレーヴの施設を全部利用できることでもないのよね。もちろんそれも全部嬉しいけど。ええ、とてもありがたいわ。ものすごくありがたい」


 フィーネの向かいに座る先輩女性従業員は、先程食事を終えたばかり。今はテーブルに置かれているケーキを見つめ、デザートフォークを握りながら熱く語っている。

 フィーネはといえば聞いているのかいないのか、もくもくと料理に手をつけていた。今日選んだ昼食は料理長自慢の特製ダレがかけられたステーキで、フィーネの好物の一つだ。


 熱々の鉄板に乗せられてジュージュー音を立てているステーキを一口サイズに切り分け、フォークを指して持ち上げ、息を吹きかけて冷ましてから口の中に入れる。フィーネが無言で咀嚼していると、顔を俯かせていた向かいの彼女がカッ! と目を見開いた。


「だけどね! いっちばん最高の特権は、フィーネのお菓子を休憩中に無料で食べられるってことなのよ!」


 心からの叫びのような言葉に、周囲の従業員もうんうんと頷いて同意を示す。彼らもフィーネお手製の焼き菓子やケーキを堪能していた。


「疲れが吹き飛ぶ……」

「嬢ちゃん、存在してくれてありがとう」

「美味い」


 何やら存在自体をありがたく思われているけれど、いつものことなので慣れているフィーネは完全に受け流し一択である。

 付け合わせの野菜をぱくりと食べた。特別な味付けは特にないけれど、甘みが引き出されていてこちらも美味しい。


「もうあたしフィーネがいないと生きていけない」

「そうですか、光栄です」

「完璧な愛想笑い! そういうところも好きよ!」


 ぐっ、と。なぜか親指を立てていい顔をしている女性従業員にまたも「そうですか」と返し、フィーネは口元をナプキンで拭いて立ち上がった。ステーキは完食済みだ。


「じゃあ、私は失礼します」

「えー。デザートも一緒に食べましょうよ」

「ジェイラスさんに呼ばれてるので」


 小さく笑みを浮かべて断りを入れ、トレーを持って返却口へと向かう。背後からは「オーナー本当ずるいわ……」という呟きが聞こえた。


 ジェイラスの書斎にやってきたフィーネは、テーブルを挟んでジェイラスと向かい合って座っていた。デザートと紅茶を楽しみながら、ジェイラスが本題に入る。


「実は今日、急な予約を受けてね」

「予約、ですか。急な」

「そう。キャンセルの客室があったからそこに」


 わざわざフィーネに伝えているということは、その客はレーヴの施設を利用するだけではなく、魔女のやすらぎの何かを所望しているということだ。薬かお菓子か、どちらにしても。


「珍しいですね」

「そうだね」


 当日に予約を受けるのは珍しいどころではなく、基本的にはないことだ。


「甘いもの中心のお菓子セットを明日の朝までに頼むよ」


 レーヴではキャンセルが出た場合、その空きに新たな予約を入れることはほとんどない。そもそも競争率が高すぎるため、せっかく勝ち取った予約をキャンセルする客自体が少なく、大きな損失にはならないのだ。

 受け付ける予約は最長の三ヶ月先まで常に埋まっており、繰り上げなどには対応していない。これは前オーナー時代からの暗黙のルールである。そうすることで、元々高いレーヴの価値を更に上げていた。

 レーヴ内で設立されたブランド魔女のやすらぎの菓子類の予約の取り方は、当然レーヴの慣例に則っている。つまりこちらも、当日の注文に対応した例が少ない。


「断りづらいお客様だったのですか?」

「んー、そうとも言えるのかな……?」


 なんとも曖昧な言葉が返ってきた。


「もちろん断ることもできるんだけど、ちょっとね」


 ジェイラスが浮かべているのは「仕方ないんだよ」とでも言いたげな表情だ。――いや、仕方ないは表現として的確ではないかもしれない。この顔の意味はなんだろうか。

 とりあえず、何か訳ありの客であることは間違いない。


「お菓子の他はリラックス効果のある入浴剤と睡眠薬もお願いするよ。それと、よく眠れるように催眠魔法もよろしく」


 その言葉と共にジェイラスから渡されたのは、今回のプランが記された紙。彼が言ったとおりの内容が並んでいる。部屋代と魔女のやすらぎの商品代金、その合計額もちゃんと書かれていた。


「……かなり高額プランですね」


 フィーネはレーヴで正式に働き始めてまだ数年だけれど、レーヴで世話になっている期間はもっと長く、十年近い。ジェイラスの仕事の手伝いを始めてからは五年強と言ったところで、その間にも、ここまでの金額のプランを実際に頼んだ客にはお目にかかれなかった。


 フィーネが提供するものにおいて一番高額なのは、直接魔法をかけることだ。そして回復薬などの薬、入浴剤やスキンケア製品、一から作る菓子類、普通の菓子類に魔法を付与したものと、多少例外もあるけれど、大体はそう続いていく。

 魔法の種類にもよるけれど、直接魔法をかけるとなるとたった一度のそれに対し、平民からすればあまりにも贅沢すぎる金額が必要となる。フィーネの魔法は特殊で効果も高く、それほど価値があるのだ。

 しかも、魔法の提供があることは客に知られていない。ジェイラスの判断で客側に提案するもので、実際に魔法をかけたことがあるのは数えられる程度の客のみである。


「まあ、お金は持ってるやつだよ。仕事中毒だから」


 呆れたような声色と表情だった。仕事中毒は最近ヴェルディからも聞いた覚えがある言葉だ。そういったひとは意外と多いのだろうか。

 それにしても、『やつ』という言い方が引っかかった。


「お知り合いですか?」

「まあね」


 ジェイラスは何やら含みを持った笑みを浮かべる。ただの知り合い、という程度でないことは容易に察せた。


「夜に来て、朝になればすぐ帰るらしい。本当に眠るためだけに来るんだよ」

「……ご自宅でゆっくりされたらいいのに」


 眠るためだけが目的だとするならば、レーヴは利用金額があまりにも高すぎる。


「不眠症気味……というか、もう何百年も不眠症でまともに寝れてないから、家でゆっくりしたところで意味がないんだ」

(何百年……)


 それは健康状態は大丈夫なのだろうか。仕事中毒とのことだけれど、そもそも仕事などまともにできる状態なのだろうか。

 いくら他の種族と比べて体が丈夫な魔族であったとしても、何百年も不眠症に悩まされていれば身体的な負担はもちろんのこと、精神面にもかなりのダメージがありそうなものだ。

 フィーネが本気を出せば魔法がまったく効かないことはないと思うものの、何百年も症状を抱えているとなると、これまでにも他に癒しの魔法を使える者が試して効果がほとんどなかったと考えられる。


「眠れてないせいで疲労が溜まって倒れたことが何度もある」

「……全然大丈夫じゃないですよね、それ」

「ああ、まったくね。周りもすごく心配しているんだけど、当の本人があまり気にしていなくてね。困ってるんだよ」


 ジェイラスはため息を吐いた。


「だから――頼んだよ、フィーネ」


 真剣な眼差しでフィーネを見据える。赤い瞳にはフィーネへの信頼が宿っていた。フィーネならその不眠症をどうにかできると信じてくれている。


「できる限りのことはやってみます」


 ジェイラスに頼られたのなら、フィーネは全力で応えるまでだ。



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