04.第一章三話
フィーネは客室の扉の前で立ち止まり、ノックをして「ルームサービスです」と声をかける。中から扉が開かれて顔を覗かせたのは、優しげな印象の老人だった。
「魔女殿、久しぶりじゃのう」
「お久しぶりです、ヴェルディ様」
快く迎え入れてくれた老人――ヴェルディの後に続き、フィーネは部屋に入る。ヴェルディがリビングダイニングルームの椅子に腰掛けたそばで、フィーネはテーブルに料理を並べていった。
ルームサービスを運ぶのはフィーネの本来の仕事からはずれているのだけれど、ジェイラスから紹介された際、どうもヴェルディがフィーネを気に入ってくれたらしい。たまには顔を見せてほしいとのことで、フィーネはこうして給仕のために部屋を訪れるのである。
「いやぁ、ここの温泉は本当に最高じゃなぁ」
レーヴのランクの高い部屋の浴室はほとんどが温泉で、この部屋も然り。ヴェルディは温泉を特に気に入っており、今回も利用したようだ。
もちろん大浴場もあるけれど、そちらは人が多くてゆっくりできないからと部屋に備えつけの浴室を使う客は多い。
「ご満足いただけたようで何よりです」
「むう。いつまで経っても堅いのう、魔女殿は」
客であるヴェルディに礼儀正しく接するのは当たり前なのだけれど、その態度を貫けばヴェルディは拗ねる。いつものことなので不満は笑顔で躱して作業を続け、グラスにお酒も注げば準備完了だ。
料理を並べ、求められれば料理の説明をした後、従業員は本来下がることになっている。しかしフィーネは部屋に残り、ヴェルディの話し相手をするのが定番だ。
今回も例に漏れず、空いている向かい側の椅子に座るよう促され、ヴェルディから世間話を振られた。ヴェルディの話は面白いので聞いていて飽きることがない。
こうして相手をするのも慣れたものだ。たわいのない話から家庭や仕事での不満まで、フィーネは聞き役として基本的に受け身である。
「ん? これは新メニューと言っておったか」
「はい」
ヴェルディがある料理を一口食べたところで目を見張った。料理長が試作に試作を重ね、先日ようやく満足のいくレシピに辿りついた一品である。
正式なメニューとして出すのは明日からで、一番最初に食べてもらう客はヴェルディがいいとの料理長の希望により、特別にお任せフルコースの一品として出している。料理長考案の新メニューが出る時はいつもこの流れだ。
「料理も相変わらず素晴らしい。あやつの腕はまだまだ落ちておらんようじゃな」
「料理長にお伝えしておきます」
ヴェルディは上流階級や料理業界に周知されているほどの美食家でもある。貴族出身だという料理人としては珍しい出自の料理長とは元々交流があり、もうずっと前からの付き合いらしい。長い時が経っても切れない縁というのはなんとも羨ましいものだ。
「そういえば、魔女殿は今何歳じゃったかの?」
「十七です。誕生日が来れば十八ですね」
「おお、そうじゃったな。もう立派なレディじゃ」
「まだまだ未熟者ですよ」
フィーネはにっこりと愛想の良い笑みを見せた。
この後、ヴェルディがどう言葉を続けるかは定番化しており面倒なことになるとわかりきっているため、その話題には入りたくないと、フィーネが先手を打ってチャンスを潰しにかかる。
「本日ご注文のお菓子セットは一つ、甘いものメインでしたね」
ヴェルディは口を開く前にフィーネに訊ねられると、機嫌を損ねるどころか愉快だと言わんばかりに目を細め、顔のしわを増やした。
「ああ、さるお方にお渡ししようと思っての」
「さるお方、ですか」
「休憩も睡眠も疎かになさる、どうも仕事中毒なお方でのう。魔女殿の菓子の話題を出せば食べたことがないと仰るから、この機会にぜひにと思ったのじゃ」
ヴェルディの口調からして、その『さるお方』がかなり位の高い存在なのがわかる。この国ではヴェルディ自身の地位が高く、彼以上に尊い立場となると数えられる程度しかいないのだ。
甘いものメインの組み合わせの注文だけれど、そのさるお方が甘い物好きなのか、それとも単なるヴェルディのいたずらか。判別が難しいところである。
「そのお方の魔力量によっては、私の魔法の効果が出ないことも考えられますが」
フィーネの力を遥かに上回る魔力量を持つ者には、お菓子に込めている程度の魔法では効きにくい。ヴェルディも力が強いので、効果が出るようにかなり魔力を込めてお菓子を作っていると伝えている。だから、ヴェルディよりも強い力を持っているのであろう『さるお方』に効果が現れない可能性は高いと考えるはずだ。
そこに気づかないはずがないのにと、疑問が生まれたのだけれど。
「なあに、問題ないじゃろう」
フィーネの疑問を露にした双眸に見つめられたヴェルディが、にっこりと柔和な笑みを浮かべる。相変わらず飄々としていて掴めないとフィーネは感じた。
「今日のデザートはなんじゃ?」
料理を平らげたヴェルディは、未だクロッシュに隠されている最後の一皿に興味津々だ。
フィーネは空になったお皿を片付け、最後のそれをテーブルに置く。魔法がかけられた特性のクロッシュで温度が保たれているそれを解放した。
「本日は三種のベリーソースを添えた二層のレアチーズケーキをご用意させていただきました」
「おお。相変わらず美味そうじゃ」
色鮮やかなソースのレアチーズケーキにヴェルディは声を弾ませ、早速一口食す。
「うむ。やはり絶品じゃのう。体の疲れが吹き飛ぶわい」
「光栄でございます」
ヴェルディの舌を唸らせることができる者は世界中に数えられる程度。フィーネもその中に入っているのだから、当然彼女の菓子作りの腕前も業界では一目置かれている。
癒しの効果で誤魔化しているだの、その力で贔屓されているだのと心ない噂をするプライドの高い者もいるけれど、何年、何十年、何百年という時間を費やしてきたプロである彼らの気持ちは理解できなくもない。フィーネはまだ十七歳なのだから。
「――魔女殿。いい加減、そろそろうちの孫の嫁に来んか?」
せっかく先程は話を逸らして躱したはずの提案が唐突に出された。内心でため息を吐くのは許してほしいものだ。
「ありがたいお話ですが、いつもどおり丁重にお断りさせていただきます」
「連れないのう……」
拗ねた眼差しを向けられ、フィーネは愛想良く笑っておいた。あしらっている様を隠そうともしておらず、『ありがたいお話』と感じている様子がまったくない。
諦めの悪い目の前のご老人とは、毎度このやりとりを繰り返している。ヴェルディはフィーネの力もだけれどフィーネ自身のこともかなり気に入ってくれているらしく、どうにかしてフィーネをそばに置こうと色々な提案をするけれど、頻繁に出るのは孫との結婚話だ。
ヴェルディの孫は色恋沙汰に冷めているらしく、早く身を固めさせたいとのこと。フィーネを縁者にしたいこともあり、二人が結婚すれば一石二鳥だと張り切っているのである。本人たちの意思は置いてけぼりで。
「うーむ。孫は恋愛ごとに関する人の感情の機微には疎いが、見た目はかなり良いのじゃ。優しく真面目でもあるし、きっとお似合いじゃと……」
「ヴェルディ様。チェックアウトの時間が近づいています」
懐から懐中時計を取り出したフィーネは時間を確認し、パチンと蓋を閉じて笑顔で首を傾げる。
「ご存知の通り、延長は基本的にお受けしておりませんので。そろそろお支度を」
「……むう」
ヴェルディは何度目となるのか拗ねたような不満そうな表情を浮かべた後、結局は大人しく帰り支度を始めたのだった。
◇◇◇