03.第一章二話
「お、フィーネ」
「お疲れ様です、料理長」
レーヴの厨房にやってきたフィーネは、今まさに仕込みの最中の料理長や他の料理人、皿洗いや片付けなどをしている下働きの従業員と挨拶を交わした。
一括りに魔族と言っても、その中でまたいくつかの種に分かれている。フィーネのように、魔人は耳が少し尖っていること以外、人間と見た目は変わらない。悪魔はそれに加えて角や翼、尻尾などの器官を持っており、人に近い姿や動物に近い姿の者など、見た目は様々だ。
料理長は比較的人に近い姿をしている悪魔で、黒い角と尻尾を持っている。レーヴではかなりの古株で、厨房を取り仕切る責任者だ。実年齢よりもまだまだ若々しく元気で、見た目は初老と言ったところである。暗い茶髪に白髪が混じっているけれど、それは老いを強調するのではなく、むしろおしゃれとして成り立っていた。
「ほら、味見してみろ」
「……ん、美味しいです」
いきなり料理長から差し出された一口サイズに切られた料理を抵抗なくぱくりと食べ、その味と香り、食感を楽しみ、素直に感想を告げる。料理長は「当然だな」と歯を見せて笑った。
「あっ、料理長ずるい!」
「フィーネ、これも味見していいぞ」
別の料理人たちが騒ぎ、料理長に対抗しようと「はい、あーん」とフィーネに料理を食べさせる。主に雑用をこなす従業員たちも、持っていたお菓子を同じようにフィーネにあげた。
次々に与えられるものをマイペースにもぐもぐ咀嚼していれば、フィーネの餌付けに夢中な彼らを「お前ら仕事に戻れ!」と料理長が一喝する。
「料理長はいいんですか!?」
「不公平ですよ!」
等々、料理人たちから不満が出るけれど、料理長が「俺はいいんだよ」と返してまた騒がしくなる流れは、もうとっくに見慣れた光景である。
毎度毎度、よくもまあ飽きもせずに同じようなやりとりができるものだ。フィーネは巻き込まれまいと、口を挟むことなく眺めるだけにとどめる。
数分してようやく皆が落ち着いた頃、料理長が「ったく」と呆れを含んだため息を吐いた。これが終了の合図だ。
「終わりました?」
「ああ。……フィーネはデザートと菓子セット作りに来たんだよな」
「はい」
レーヴには厨房がいくつかあるが、一番広いのがこの第一厨房だ。レストランとルームサービスで提供する料理は全てここで作られている。魔女のやすらぎの菓子類を作る際、フィーネもここを利用することが多い。
「今日はデザートが三組と、菓子セットが七つだっけか」
料理長の問いかけに「そうです」と頷き、今日のお任せフルコースの詳細なメニュー表を受け取って確認する。
ふた組はデザートの指定があるので何を作るかは決まっているけれど、ひと組――ヴェルディからの注文はお任せだ。それも、デザートに関しては料理長が本来フルコースに用意しているものではなく、完全にフィーネの意向で作るようにと注文されている。そのため、食事に合うデザートを用意するのに、何が提供されるのかを確認する必要があるのだ。
「今日のフィーネのお客さんはみんなお貴族様だよな」
「お偉いさんだ、お偉いさん」
「ま、レーヴじゃそんなに珍しいわけでもないけどなー、お偉いさんは」
「ですね」
先ほどとは打って変わり普段通りに戻った料理人たちと会話を進めながら、フィーネは何を作ろうかと考え込む。
「メインはお肉ですか」
「いい牛肉が入ったからな。オーナーも満足そうだった」
ジェイラスは手広く事業を展開しており、家畜を育てる牧場なども持っている。レーヴで使われる食材のほとんどが、ジェイラスが経営する場所から仕入れているものだ。
食材はどれも一級品のブランドもので、外にはほとんど出回らない。一流ホテルやレストラン、魔王城でさえも味わう機会などないため、その希少な食材と一流の料理人の腕で作られる料理を目当てにレーヴを利用する客はたくさんいるというわけである。
(この組み合わせなら、ヴェルディ様の好みを考えるとタルトかチーズケーキかな)
確認した材料で二択からチーズケーキに決めたフィーネが準備をしていると、小休憩中の料理人や皿洗いをしている従業員たちが「そういや」と話し始めた。
「もうすぐで戦争が終わってちょうど五百年か」
「ああ。陛下が聖女とやらを討ち取った日だな」
フィーネはぴくりと反応する。しかし、何事もなかったかのようにすぐに作業に戻った。
フィーネの心情など関係なく、後方で交わされている話はそのまま続けられる。
「俺が生まれた頃は人間も滅んでたんで、聖女とかよくわかんないです」
「お前若いもんなぁ。まだ五十歳ぐらいだっけ?」
「そういう先輩だって、まだ二百歳にもなってじゃないですか」
「そうだけどな」
「俺が若い時は少しだが人間はいたぞ。二百五十年くらい前だな」
五百年前には最も数が多かった人間が滅んだとされているのは、二百年ほど前のことである。つまり、終戦から約三百年後だ。
その三百年を長いと捉えるか短いと捉えるかは、それぞれの感覚の問題だろう。比較的長寿の魔族の中では短いとされることが多いかもしれない。
「人間って魔法が使える方が珍しかったんですよね? 聖女ってのは陛下を滅ぼす力を持ってたらしいですけど、そんなの信じられないです」
「だよなぁ。あの陛下に太刀打ちできる力を、真っ先に滅ぶほど弱い種族が持ってたとか……想像もできねぇわ」
聖女と魔王は対の存在。唯一お互いに滅ぼすことができる力を持ち、必ず魔王は魔族の男、聖女は人間の女としてこの世界に生まれる。寿命や病気、そしてお互いに手を下す以外で死ぬことはないと言い伝えられている。
聖女を殺すことができたのは魔王だけ。他の魔族が致命傷を与えても、聖女は死なない。だから魔王が自ら聖女を手にかけた。
「五百年前の聖女って、確か歴代最強とか言われてたんでしたっけ」
「らしいな。その聖女が死んだから、人間はあっさり降伏したんだろ? うちの祖父さんから聞いたことがある」
「仕方ねぇだろ。魔族に対抗できる手段がなくなったんだし。まあエルフとかちょっと力のある種族は多少抵抗したらしいが、それも長くは続かなかったって話だ」
かつて、力を持たぬ非力な人間は、魔族という異形を恐れた。他の種族も、恐ろしい力を持つ魔族を危険視していた。そして彼らは協力して魔族を滅ぼさんとし、魔族に対抗できる聖女をどこまでも縛りつけた。そうしなければ自分たちが滅んでしまうと信じていたから。
結局、人間という種族は滅んだわけだけれど。
「フィーネ?」
料理長に名前を呼ばれてそちらを向けば、「うおっ」となぜか怯えたような反応を見せる。
「なんです?」
「いや、なんか、顔怖いぞ?」
「あれ、そうですか?」
フィーネが目を細めて笑うがその笑顔はどこか黒く、幻覚だろうか、背後に何かが見える気がする。料理長はこれ以上はつっこまない方がよさそうだと判断し、「やっぱなんでもねぇ」と言って仕込みに戻った。
フィーネは準備を終え、ケーキ作りに取り掛かりながら、相変わらず料理人たちの会話に耳だけを傾ける。
「その聖女がどんだけすごかったかは知らねぇけど、陛下に勝てるつもりでいたなら馬鹿だよなぁ」
「意外と簡単に捕まったって聞いたけど」
「それ、魔王城に侵入してかららしいぜ。それまでは捕まえるのに手こずったんだと」
「へぇ。じゃあ力があったのは確かなんですね」
無心になれないフィーネが思い出すのは赤の瞳だ。よく似ているけれどジェイラスのものではない、こちらに向けられていた、あの濃い血の色の瞳。
そして、その瞳に映る、一人の少女。
(確かに、力はあった。上級魔族にも負けない力が。ただ、魔王に勝てるかどうかはわからなかったし、そもそもどうでもよかったけれど)
人間は一番弱い種族だった。魔法を使える者は少なく、強力な魔法使いも数えられる程度しかおらず、しかし数の多さ、また力のなさを補うための魔法以外の知識や技術が、他の種族より上回っていた。
その中で唯一、異形にも勝る強大な力を持っていた、普通とは程遠い聖女。
初めて四種族が手を組んで魔族との大規模な戦争を始めると、人間は都合よく聖女にすべてを押しつけ、背負わせた。人間のために戦えと、魔王を討てと。まだ十七歳だった聖女を無理矢理送り出したのだ。
だからフィーネは人間が嫌いで仕方がない。同じ人間でありながら、聖女を――前世のフィーネを、生贄にしたから。
◇◇◇