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18.第四章三話



 閉じていた目を開け、ゼノンルクスは聖女が膝をついていた床を視界に映した。


 数日前、ゼノンルクスはヴァージルから聖女に関する調査結果の報告を受けた。人間を軽蔑しているヴァージルも、さすがに彼女に同情を覚えていた様子だった。

 そして今日、ゼノンルクスは秘密裏に帝国の塔を訪れた。聖女が十年以上も監禁されていたというその場所へ。

 塔や、皇宮で聖女が与えられていた部屋、帝国から魔国までの道のり――。彼女の記憶をそれぞれの場所から魔法で辿っていけば、行きつく先は当然、この玉座の間だった。彼女が最期を迎えた場所。


 長い髪が肩から零れる。構わず、ゼノンルクスはただしゃがみ、そっと片手をついたまま、床を眺めていた。

 彼女の記憶を追体験して、――最期の瞬間の彼女の心情が至極穏やかなものであったことが、強く伝わってきた。


『ありがとう』


 剣を振り下ろした瞬間。予想もしていなかった感謝の言葉の真意が理解できなかったけれど、今は違う。

 誰かに聞かせる意図はなかったであろう、聖女の死の間際の独り言。それは確かにゼノンルクスの耳に届いていたのだ。


 すう、と指を床の上で滑らせる。

 ここに彼女がいたことを確かめるように。


(フィリアーナ・メルディ・ル・メルストリア)


 聖女の名前を心中で呟く。

 自身と同じく、神に選ばれた――選ばれてしまった者の名を。


(お前は、解放されることを選択したんだな)


 救世主としての義務を自らの意思で放棄した。彼女は望んで、ゼノンルクスにその命を差し出したのだ。それこそが『聖女』という呪縛から逃れるただ一つの方法だと知っていたから。


(俺は――)



  ◇◇◇



 五百年前の出来事は、ゼノンルクスの記憶に鮮明に焼きついている。

 ゼノンルクスが魔王となって手にかけた聖女は三人。魔族を守るため、聖女を排除する。それが魔王の義務。珍しいことでもない。百年ごとに訪れるなすべきことでしかない。

 殺した後はまた次の聖女に備えればいい。手にかけた聖女を気にする理由は何もない。


 そのはずだった。

 なのに、五百年前の彼女は、それだけの存在ではなくなってしまった。


 聖女という脅威が定期的に生まれる人間を魔王が積極的に滅ぼそうとしなかったのは、人間に使い道があるからだ。

 人間は魔力の扱いに長けていない。短命で数が多く、ゆえに欲深く、愚かで傲慢だ。

 しかし、役に立つのは事実だった。


 魔物というのは野生生物で、これまた数が多い。時折、上級魔族でも討伐が難しいほどの力を持つ魔物も出現する。

 魔族と同様、魔物は瘴気を取り込むことで力を増す。弱らせ、数を減らすには、瘴気を減少させることが最も効果的だろう。しかしそれは、魔族の力さえも弱らせることを意味するので、選択肢としては最悪の手段と言わざるをえない。

 ゆえに魔物をただひたすらに駆除しなければならず、すべてを対処するのは非常に困難を極める。


 手の届かないところで手に負えないほどの魔物が成長してしまえば、討伐に苦労する。

 そこで、他の種族は力となるのだ。特に人間は魔法の力が弱いからこそ工夫を凝らし、魔物への対抗手段を技術で生み出すことに長けていた。


 労働力と言えば、それはそうだろう。

 魔物の間引きのために、魔族は他の種族を生かしていた。他の種族の国が強力な魔物に滅ぼされそうになった際には、こっそり手を貸したりもしてきた。魔族が魔物を操って他の種族を滅ぼそうとしているだなんて吹聴した人間の国でも、例外なく。


 けれどゼノンルクスは、フィリアーナの件を知って以降、人間のために何かをすることはしなかった。人間の国に広がる瘴気への対処も。

 そのせいで魔族の手が行き届いていない場所での魔物の動きが活発になり、凶暴になり、力を増し――人間は滅んだ。

 正確には、瘴気に耐性を得て魔人に近しい存在となった元人間の子孫がいたり、人間と他種族の混血がいたりするけれど、純粋な人間は確かに絶滅した。


 フィリアーナは人間を恨み、最期まで憎んでいた。滅ぶことを願っていた。

 だから、ゼノンルクスはその願いを尊重した。


 五百年で世界は変わった。

 魔族が魔物を操っているわけではないことが周知され、他の種族とも協力して魔物への対処が世界各地で行われている。魔族以外の種族も瘴気への耐性が次第に強くなっている傾向にある。


 人間が滅び、魔族が他の種族と協力するようになった、大きく変化した世界。

 この世界は――『彼女』の目に、どう映っているのだろうか。


 ゼノンルクスはクッキーに手を伸ばす。青みがかった紫の瞳を持つ少女から購入したそれを。

 フィーネはゼノンルクスの不眠症の原因が気にかかっているようだった。不眠症を治してほしいとジェイラスから頼まれているのだろうから、原因を突き止めて解決のために動こうとするのは何も不思議なことではない。

 ヴェルディからも彼女に探りが入っているだろう。ヴァージルもレーヴを訪れたと耳にしている。このタイミングとなれば不眠症関連で間違いない。


 周囲の期待には相反するけれど、ゼノンルクスは残念ながら、不眠症を治すためにレーヴに通っているのではない。


『陛下』


 フィーネの顔が浮かび、ゼノンルクスは目を細めた。



  ◇◇◇



 シャワーを終えたフィーネは、鏡に映る自分を見つめていた。

 フィーネの瞳は青みがかった紫で、髪は紫がかった淡い灰色。しかし、幼い頃は瞳はもっと青みが強く、髪はもっと淡い色だった。

 前世は青い瞳と白銀の髪を持つ聖女。魔族に転生してもなおその性質が魂に残っているために、幼い頃はそれが容姿に表れていた。成長とともに魔族として馴染みつつあり、聖女の名残が薄れていき、本来持って生まれるべきだった色へと徐々に変化しているのだろう。


 そして――首。

 白い首の左側には、細い横線のあざがある。魔剣が最初に斬り込まれた場所だ。左から一気に、フィリアーナの首は斬られた。その名残だろう。

 このあざは幼い頃から変わらない。フィーネの体が成長したことで小さくなったように感じられなくもないけれど、あざの長さも太さも色も、生まれた時からまったく同じ。

 これはおそらく消えないものだ。

 特に生活や健康に支障があるわけではないものの、怪我をしたのかと訊かれることが何度かあったので、なんとなく襟やチョーカーであざを隠すようになった。


 鏡を見つめながら、あざをそっと撫でる。

 勝手にゼノンルクスに恩を感じているように、フィーネはこのあざを解放された証のように認識している。気に入っていたりするのだ。

 誰がなんと言おうと、彼は恩人。恨みなどない。


(だから、貴方が気にする必要はないんだよ、魔王)


 もし、魔王の不眠症の原因が、本当にフィリアーナにあるのなら。尚更、フィーネが力を尽くさないといけない。



  ◇◇◇



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