13.第三章三話
ゼノンルクスの不眠症の原因がわかっているかもしれない者と会う前に、ゼノンルクスの予約の日がやってきたため、フィーネは朝から気合を入れて準備をしていた。
注文用の睡眠薬やお菓子を念入りに作り上げ、部屋が整っているかの最終チェックも細かいところまでいつも以上に気にかけた。
厨房ではいつになく真剣にお菓子を作るフィーネに周りが驚いていたけれど、それさえも気にならないほど集中していた。ちなみにその光景は特別なお客様が来る時だけなので、厨房の者たちも含めて従業員たちも慣れつつある。
ジェイラスの魔法によって守られているレーヴでは許可のない魔法は使えないけれど、ゼノンルクスに関しては会員証により常に予約した部屋に直接転移できるようにしている。ゼノンルクスが初めてレーヴを訪れた際はジェイラスが出迎えをしたけれど、二回目からはフィーネの役割となった。
そのためフィーネは今日も、予約時間に部屋で待機をしていた。魔法の気配を感じて背筋を伸ばす。
淡く光を纏った魔法陣が出現し、そこからゼノンルクスが現れ、フィーネは頭を下げた。
「お待ちしておりました、陛下」
「ああ」
ゼノンルクスの返事に顔を上げると、彼は持っている紙袋をフィーネに差し出した。
「これは?」
「城の料理人が作ったデザートだ」
「デザート、ですか」
フィーネは戸惑いながら首を傾げる。
「やる」
短く続けられた言葉に、フィーネは彼の顔を見た。何も冗談を言っている様子はまったくない。
「世話になってるからな」
「ですが……」
個人的な贈り物は禁止されていると彼も知っているはずだ。それに何より、恩人に気を遣わせてしまったという申し訳なさもある。
フィーネが困っていると、ゼノンルクスの目元が和らいだ。
「ジェイラスから許可はもらっている」
そう言われてしまうと断る理由が思いつかない。フィーネと同じ手法である。
心遣いを無下にするのも失礼にあたってしまう。
「では、ありがたくいただきます」
遠慮がちにフィーネが手を伸ばすと、ゼノンルクスは満足そうにそれを渡す。
「魔法で冷蔵されているから、好きなタイミングで食べてくれ」
「はい。ありがとうございます」
正直、魔王城の料理人のデザートというのは非常に興味が引かれる。
「あと、魔法書も入ってる」
「えっ」
フィーネは紙袋の中を確認する。確かに、デザートが入っているのであろう箱とは別で、本も入っていた。見るからに価値のありそうなものだ。
持って気づかなかったほど重みを感じない。重量軽減の魔法でも使っているのだろうか。
「さすがにこれは……」
「ジェイラスから魔法関連のものが好きだと聞いた」
「否定はしませんが、高価すぎるものは」
「もう受け取っただろう」
返上は認めないと言わんばかりだ。
確かにすでに受け取ってしまっている。けれどそれは中身がデザートだけだと思っていたからで、まるで押し売りにあったような気分だ。
それでも、魔法書にはテンションが上がってしまうのも事実で、フィーネは葛藤していた。
「受け取り拒否は認めない」
「……承知しました。ありがとうございます」
ゼノンルクスの譲らない態度の念押しと魔法書の誘惑に負けてしまった。
早くこの魔法書を読みたくて仕方がない。うずうずしてしまう。しかし今は仕事中だ。
そんなフィーネの様子を察してか、ゼノンルクスが声をかける。
「菓子の用意はあるんだろう」
「はい」
今日はまだ時間が早いので、すぐに眠るわけではないらしい。フィーネが出迎えたのは魔女のやすらぎのお菓子の用意と、ヴェルディの時のように話し相手も頼まれたためだ。すでにクッキーと紅茶のセッティングは済んでいる。
「俺が食べている間、それを読んでいても構わない」
「お心遣い、感謝いたします。ですが仕事中ですので」
「そうか」
「はい。では奥の部屋へ」
ありがたい申し出はさすがに丁重にお断りし、ゼノンルクスをリビングルームに案内する。
ゼノンルクスは椅子に座り、フィーネにも腰掛けるよう促した。贈り物を別の椅子に置いて紅茶を魔法で温め直したフィーネが座ると、ゼノンルクスは早速、手袋を取ってテーブルの上に並べられているお菓子を手に取る。
口にそれを運ぶ動作がいちいちかっこいい。骨ばった大きな手がかっこいい。伏し目がちになるのもかっこいい。食べ終わったら唇を舐めるのも、色気の暴力である。
お菓子ひとつでは終わらない。ゼノンルクスの手はまた別のお菓子に伸びる。
どれもこれも、見た目からして甘そうなものばかりだ。
「甘いものがお好きなのですか?」
「そうだな」
以前から気になっていたことを訊ねてみると、無表情で淡々としたゼノンルクスの、やはりかと納得する返答。
今やこの世界の頂点に君臨すると言っても過言ではない魔王が、本当に甘いもの好きだとは。多くの者がイメージなどないだろう。なんだか――。
(かわいい)
これがいわゆるギャップ萌えというものかと、フィーネはきゅんとなる胸を抑えながらゼノンルクスを見つめる。
男性相手に可愛いと思うのはあまり喜ばれないことかもしれないけれど、無言でもぐもぐと咀嚼する姿の尊さは筆舌に尽くしがたい。ずっと眺めていられそうだ。
ゼノンルクスがお菓子を食べ終わったところで、フィーネははっとした。
話し相手の要望を受けたのは下心があったことは否定できないけれど、一番の理由は不眠症の原因を探るためにも都合がよかったからだ。ということで、フィーネは本題を切り出す。
「陛下」
「なんだ」
指を拭きながら、ゼノンルクスはフィーネを視界の中心に映す。
「陛下は元々不眠症気味だったと伺っています。それが悪化して本格的に眠れなくなったのは、五百年ほど前のことだと」
「ああ」
「私の魔法や薬である程度改善することは可能ですが、根本の原因を探ることも必要ではないかと思うのです」
魔法や薬は根本的な解決策ではない。あくまで無理矢理、症状を和らげているにすぎないのだ。一時的に落ち着いた状態を継続するだけでは、『治った』とは言えない。
「不眠症の原因に、心当たりはありませんか?」
まっすぐ見つめて問いかけると、ゼノンルクスは視線を落とし、ゆっくり口を開いた。
「あるにはあるが、周囲からすればくだらぬことだ」
彼自身は原因がわかっているらしい。
けれど、この感じだと――。
「お前も、なぜそんなことを気にしているんだと呆れるだろうな。その程度のことでしかない」
ゼノンルクスはその原因を話すつもりがないようだ。
身近な人たちも教えてもらえていない、彼の不眠症の原因。まだ出会ってそれほど経っていもいないフィーネでは、聞き出すのは尚更難しいだろう。
それでもフィーネは、彼のために動きたいと心から願っている。勝手だけれど恩を感じていて、返したいと望んでいる。だから簡単に引きたくはない。
「ですが、それで陛下の体調に支障をきたしているのです。陛下にとっては『その程度のこと』ではないのでしょう? なら――」
フィーネが話している途中で、ゼノンルクスが視線を上げた。
視線が絡まり、フィーネは息を呑む。赤い双眸に見据えられて続く言葉を紡げずにいると。
「フィーネ」
そう、名前を呼ばれた。
フィーネは瞠目する。ゼノンルクスは相変わらず無表情でこちらを見つめている。
「お前の魔力は、とても心地良いな」
「……は、い?」
「菓子に込められていた魔力が、違和感なく体に染みている。おかげで体が軽い」
「それは、よかったです」
突然感想を告げられて、困惑しつつも返す。
(やっぱり、相性がいいんだ)
ゼノンルクスが心地良いと感じているのなら、間違いなくそういうことなのだろう。もちろんフィーネはお菓子作りや他の薬などの調合においても、食した者の魔力に馴染むよう工夫しているので、不快に感じる者は少ないはずだ。それでも、ゼノンルクスにはよく効いていると実感できる。
(これ、たぶん誤魔化されてる)
そう理解したけれど、彼が詮索されることを望んでいないのなら――これ以上、フィーネは問いただすことができなかった。